第19話第二皇子
清導廻で講義を終え、帰り際に忘れ物を取りに来た紫苑は、勢いよく角を曲がった為に何かにぶつかり、そのまま倒れてしまった。
「いたたたたっ……あれ?」
ぶつかった拍子に尻餅を付いてしまい、ゆっくりと身体を起こそうとしたのだが、胸の辺りに違和感を感じてゆっくりと視線を下げてみる。
見た事の無い綺麗な黒髪目に入り、よく見れば自分の胸に顔を埋めている状態だ。
「っ~~!?」
「うぐっ!?」
紫苑は突然の羞恥心でそのまま力強く抱きしめてしまい、当然抱きしめられた側は胸に顔を更に埋めてまるで水の中に顔を沈めているかの様に暴れ出した。
そして、限界に達そうとしていたのか、抱き付いている何者かの手が「ギブ! ギブ!」と言いたげにバシバシ紫苑の腕をタップする。
「あっ!? ご、ごめんなさい!」
「ぶはっ!! 死ぬところだった……」
よく見れば長く綺麗な黒髪を後ろで束ねた美しい男だった。
優しそうな目をしているその男はようやく息が出来たのか、安心した素振りでゆっくりと立ち上がろうとしていたのだが――
ふにゅん
更によく見れば立ち上がろうとした際に紫苑の胸をしっかりと鷲掴みにしていたのだ。
「きゃっ!?」
「わっ、す……すまない! だぁっ!?」
「ええっ!?」
男は驚きのあまり、謝罪しつつも急いでその場を離れようとしたのだが、それがダメだったのか、バランスを崩して再び紫苑の胸に顔をダイブさせてしまった。
しかも今度は両手で双方を鷲掴みにする形だ。
所謂ラッキースケベである。
「も、もうっ!? どうして私の胸ばっかり!」
「違うんだ! ちょっと、じっとしててくれ! 立ち上がるから!」
「うぅ……」
紫苑は胸ばかり掴まれ、埋められ、これまでに経験した事のない出来事で羞恥心が一気に込み上げた。
やがて男は立ち上がる事が出来、紫苑に手を差し出した。
「す、すまない。 その……僕も前を見てなくて……」
「わ、私も同じですけど……」
紫苑は自分の胸を押さえながら差し出された手を警戒した。
また悲劇が繰り返されないかと疑っているのだ。
「いや、もう大丈夫だから……」
「ほ、本当です、か……?」
むぅーっ、と警戒心を露わにしつつも、ゆっくりその手を取ると、男はしっかりと掴んで紫苑を立たせた。
辺りには男が持ってたであろう本が何冊も転がっている。
「あっ、えっと……すみませんでした。
急いでて全然前見てなくて……」
紫苑はペコっと謝ると急いで落ちてる本を拾っていく。
「いえ、こちらも本で見えてなかったんだ。 まさかこの時間に導士がいるとは思ってなかったし、お互いに不注意だったね」
二人で本を拾い終えると、男は優しそうな表情で「ありがとう」と告げる。
「次からは気を付けます! はい、これどうぞ」
紫苑はニコっと笑みを浮かべて拾った本を男に渡すと、男は顔を赤らめて目を逸らした。
「あれ、顔赤いけど大丈夫ですか!? もしかしてぶつかった拍子に!?
わぁ~どうしましょう!?」
紫苑は慌てながらも男の額に手を当てて熱を確認する。
「い、いや! これは違うんだ! 大丈夫だから」
男はその行動に更に顔を赤くし、慌てて怪我等ではないと否定をする。
「あの、私Aクラスの紫苑って言います! もし不調とかあったらすぐに言って下さい!」
「これは違うんだよ。 あまり女性と接してこなかったから恥ずかしくなっただけだからね? 紫苑……良い名前だね。 僕は
「煉夜さんですね! あっ、そろそろ行かないと! すみません、慌ただしくて! では煉夜さん、またお話ししましょうね!」
紫苑は煉夜にお辞儀をすると、そのまま急いでクラスの方へと走って行った。
「紫苑、か……あれは僕の事分かってないよね」
紫苑の後姿を眺めていると、ふと廊下の端に光るものが見えた。
「これは……ネックレス? 紫苑のかな……明日渡すとしよう」
男は何やら嬉しそうな表情を浮かべ、その場を後にした。
その夜――
「タケヒコ! ネックレスが無い! あれぇ……どうしよう……お母様の形見……今日ぶつかった時かなぁ?」
「キュル?」
「タケヒコ、匂い追えないの?」
「キュル! キュル!」
出来る出来るっと言わんばかりにタケヒコは鳴き、尻尾をブンブン振って行く。
「じゃあ明日一緒に探すの手伝って? 大切な物だから」
「キュル!」
・
・
・
そして翌日、クラスへ向かう途中で廊下を調べたのだが、それらしき物は見当たらずにガックリと肩を落としながら紫苑が席に着いた。
「紫苑、まだ見つからないの?」
「うん……どうしましょう……」
桜華が少し心配そうに紫苑へ訪ねると、紫苑は悲し気な表情を浮かべていた。
「タケヒコが見付けてくれる。 だから大丈夫」
真那も横から紫苑を励ます。すると、突然クラスがざわざわし始めた。
その方向へ視線を向けると、何やら入り口の方で女性達の黄色い声援が響く。
いや、黄色の中に桃色もあるかもしれない。
「誰か来たのかしら?」
桜華もその様子を不思議そうに眺めていると、入り口に一人の男が立っていた。
「あれは……」
男はクラスへ入って行くとこちらへ向かってくる。
しかし、その途中で――
「
そう告げたのは帝の第一皇女、彪音だった。
「ああ、彪音か。 おはよう」
「おはよう、じゃないです」
「ちょっと用があってね。 ああ、居た」
男はそう言って紫苑達が座っている場所へと赴いた。
「あっ、煉夜さん!」
「紫苑、昨日これ落としたよ」
「っ――!? あああああああああ!!」
紫苑は驚きと喜びが混じって大声を上げた。
「そんなに大声を出すって事は大切な物なんだね。 はい」
「うぅ~、ありがとうございますぅ~!」
紫苑は涙目になりながらも煉夜の手を掴んでぶんぶんと縦に振った。
「良かったよ。 じゃあ僕はこれで」
すると、遠くの方で女子達が様々な声を上げていた。
(何であの女が!?)
(あぁ、煉夜様の手を掴んでるなんて羨ましい……)
(紫苑と仲良くしてたらチャンスあったかもしれないのにぃ!)
「何だか嫉妬の嵐が起こりそうね……にしても紫苑、いつの間に煉夜様と仲良くなったの?」
桜華が不思議そうに尋ねると、「煉夜
「あれ、さっき彪音さんが〝
紫苑は彪音とのやり取りを思い出しながら煉夜に視線を送る。
「やっぱり気付いてなかったみたいだね。 まあその方が良いんだけど」
「紫苑、東方倭国の帝である皇利宝様の第二皇子、煉夜様よ」
「えっ!? あっ、じゃあ偉い人だったんですね! これはこれはすみません」
紫苑はあまり実感していないのか、一応と言うような形でお辞儀をした。
「ははっ、いいよ。 別にここでは身分は関係ないし、普通に接してくれた方が僕も嬉しい。 桜華さんも含めて、ね?」
「分かりました」
桜華がそう答えると、紫苑のいつもの様な意味不明な発言が轟いた。
「じゃあ、友達ですね! わ~い!」
再び煉夜の手を取ってぶんぶん振るうと、煉夜は驚いた表情を浮かべた。
「こら、紫苑!」
「い、いや、いいんだ。 何となく紫苑の事が分かってきたよ」
煉夜も少し不思議そうな表情を浮かべるも、苦笑いをしながら紫苑の行動に納得していく。
しかし、一人だけ、何故だか殺気を放つ人物が居た。
「天草紫苑! 私のお兄様に気軽に触れるなんて許されないわよ!?」
そう、煉夜の妹である彪音だ。
「冬牙お兄様は全くと言って良いほど構ってくれなかったのに対し、煉夜お兄様はいつも優しく、私を構ってくれたの。
だからお兄様は私のなのよ! 天草紫苑、貴女には勿体なさ過ぎるの!
分・か・り・ま・し・た!?」
冬牙は帝の第一皇子であり、煉夜と違って好戦的な性格をしている為、妹に構う暇があれば戦いに備えて鍛錬を重ねる方がいいという考えだったのだ。
だからこそ、彪音は冬牙には懐かず煉夜に甘える子になってしまったのだ。
その彪音から物凄い威圧で言い包められると、紫苑は反論出来ずに素直に従ってしまった。
「は、はい……すみません……」
「ふん、分かればいいのよ分かれば」
「その、彪音さんは煉夜さんが大好きなんですね?」
紫苑は彪音の只ならぬオーラを読み取り、紐解き、そして行き着いた答えを発した。
すると――
「えっ、す、好きとか、ええっ? な、何を急に!?
だって、その、とっ当然でしょ!? お兄様なのよ!?」
「いや、彪音……何故そこまで慌てるんだ……いつも言ってるだろ?
もう16なんだから独り立ちしろと」
どうやら彪音は想像以上に煉夜愛が強いらしい。
普段は見せないその姿に周囲はどう反応して良いか分からず、キョトンとしていた。
しかし、男子の中では一部恥じらう彪音の姿に鼻の下を伸ばしている者も居た。
「と、とにかく! 紫苑! 私に許可なくお兄様に手を出したら殺します!」
「えっ、えぇ……」
彪音はそう言い切ると、自分の席へと戻って行った。
「何だか悪いね。 じゃあ僕は戻るから。
後、ネックレスのチェーンが脆くなってたから新しいのにしておいたよ」
「わぁ! 何から何まで……あの、今度お礼させて下さいね!」
「ははっ、分かった。 楽しみにしてるよ。 じゃあ」
煉夜がクラスを去り、二人の会話を聞いていた彪音はずっと紫苑を睨みつけている。
「はぁ~、紫苑って本当にトラブルメーカーよね」
「うん。 紫苑の天然が問題を呼び起こす」
「でも楽しいからいいです! 紫苑、頑張って下さい!」
三人は紫苑に向けてそれぞれの意見を伝えると、そのまま席に付いた。
そして水鏡が入って来て今日の講義を始める。
・
・
・
『そろそろ次の行動に出ようかしら?』
『次か……獣の穢れ化も成功したからの、頃合いと言えばそうじゃろうな』
『穢蛇姫? 何か良い手はあるのかの?』
常闇では、主等が次に何をして遊ぼうか、と言いそうな様子で話し合いをしていた。
『この前穢狐姫が表立った行動を取った事で天導にバレてるからね……』
『何よ、良いじゃないたまには。 私だって退屈なんだもの』
『退屈で姿見せるとか……はぁ……』
穢蛇姫は「もう何も言わない」と少し諦めた様子で溜息を吐くと、机に肘を縦ていた。
『そろそろ東の都を攻めても良いんじゃないかしら? 警戒してるけど、その方が面白いでしょう?』
『なら俺も行くとする』
穢狐姫の言葉に、穢童子が賛同した。
『俺も退屈なのは変わらんからな』
『なら天導士の一人くらい持って帰って来て。 私の実験台にしたい』
『相変わらず趣味の悪い事ね。 ちなみに穢童子、あくまで視察だから暴れ過ぎないで頂戴ね?』
『ふん、それは天導の出方次第だな』
『まあいいわ。 じゃあ準備するから後お願いね』
穢狐姫と穢童子がその場を後にすると、残った二人の主はそれぞれの時間に没頭していった――
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