第245話

 

 ――コンコン


「失礼します」


「おっ、来おったか」


「一年魔法学科Aクラス、エンデリシェ=メーン=ファストリア、お呼びに預かりました」


「ようきたなぁ、まあ座りぃや」


「はい、失礼します」


 呼び出された部屋、事務棟最上階に存在する中等院長室を訊ねたわたしは、その広くて豪奢な造りの部屋の主に促され、これまた高級家具のソファにゆっくりと腰掛けます。


「さて、改めて入学おめでとさんやな」


「ありがとうございます、院長」


 向かいに座る、紫髪の女性。その女性は関西弁紛いの口調を使いながら、愛想笑いとも素ともつかない笑顔で私に話しかけてきます。


 この方は、この中等院の調査を任されていらっしゃる、ヒエイ院長。現陛下……つまりは私のお父様の二番目の妹にあたるお方で、私から見れば叔母上になります。もっとも、この学園の理事でもいらっしゃるため経営事務整理や来客対応等の執務でお忙しい身であり、会った記憶はほとんどないのですが。


「わっちの姪が入学してくれてほんまに嬉しいわ」


「そこは王族としての既定路線みたいなところもありますので」


「なんや、冷めてはるなあエンちゃんは」


「え、エンちゃんはいい加減やめてください、院長っ」


「ええやんええやん、可愛いやろ?」


「恥ずかしいだけです!」


 この方は人前でも平気で"エンちゃん"と呼んでくるのでとても困ります。まるで赤子に話しかけているように見られるではありませんか。実際先日入学式の打ち合わせで一度ここを訪れたときに、同席者からも少し笑われてしまいましたし。


「まあそれはともかく」


「ちょっと叔母上」


「いいから、話ききーや。わかってる思うけどエンデリシェ。あんたはこれから九年間同世代の、いや、同年代の代表としてこの学園で一番注目される存在となると思っとかなあかんで? つまりそれは、一挙手一投足を監視されるということや。国内の貴族だけではなく、今年は特に他国からの留学生も多い。」


「はい、私もバディがポーソリアル共和国元首のご息女でした」


「やろう?」


「ですが……お兄様お姉様方もこの学園、しかも同じ中等院にお通いですよ? 何故私が、なのでしょうか? 序列一位、今後皇太子になる可能性が一番高いと目されているスタッティオお兄様は先々月でご卒業なさいましたが、他の方々はまだ在籍中でしょう」


 まだエイリ、ミドラ、ヴァン、ラスパータと四人の兄姉が同じ敷地内に存在しているのです。しかも皆当然歳も近い。何故私が"同年代"の代表になるのでしょう?


「それは、エンちゃん……エンデリシェが、継承権を放棄しているからや」


「え? 何故そこでその話が?」


 普通は継承権を放棄するということは、権力レースから降りたも同然となります。これはただ単に王族間だけの話ではなく、国内の貴族社会そのものでの話です。国際政治においても、私に重要性を見出そうとする国はないでしょう。それだけ、継承権を投げ捨てるという行為が重く見られているのです。


「こればっかりは知らぬは本人ばかりなり、やな。全く、兄者にも困ったものやなあ……もっと若い時から実情を教えとらんと、この歳になって知るのは逆に大変やろうに。エンデリシェ」


「は、はい」


 叔母上の雰囲気が変わります。先ほどまでの、なんとなく軽い感じのヒエイ院長ではなく、ヒエイ=スルー=ファストリアとして。


「エンデリシェは自分では、王位継承権が無い人間は誰からも相手にされない、そう思ってるんやな?」


「はい。ですから幼いうちから自ら放棄したわけです。誰から言われるでもなくですが」


「寧ろその方がおかしいと思うんやが……そのおかしいと思うのも含めて、アンタには今別の意味で注目が集まっとるんや」


「注目、ですか」


「まず一つ。王位継承権を放棄したということは、身動きの取りやすい身となったということ。王座争いをしている間は、少しでもいらんことをしたら即座にそこを突かれて痛い目におうてしまう。そうなったら、他の候補にどんどんと置いて行かれるだけや」


「ですね」


 魑魅魍魎渦巻く王城内では、日夜ああでもないこうでもないと侃侃諤諤議論が交わされています。もちろん、誰が次の王になるか、のです。

 純粋な領地貴族だけではなく、そこから王都にやってきて就職した者、また代々法衣貴族として国を内側から支えて来た者。沢山の高位の人間がここ王都とその中にある王城に存在しています。そんな人達が安心して生きていくためには上位者……つまりは私たち王族に媚を売る必要がある。王位継承だけではなく通常の出世レースにも王族の力は絶大な働きをもたらします。誰に着いたら将来的により良い役職にありつけるか、より財を成せるか。一旦着いた派閥を変えることはご法度とされていますので、ではいかにして他の候補を蹴落とすか。そんな策略のせめぎあいが上から下まで貴族位に関係なく当たり前となっているのです。


 ですが、私はそんな汚らしい大人の世界とは切り離されているはず。それを今更確認する必要がどこにあるのでしょうか?

 でも、次の言葉で、私のその考えはとっても甘いということを思い知らされます。


「でも一方で、王位継承権を持って・・・・・・・・・いないから・・・・・こそ、その立場に旨みを見出そうとする人間もおるんよ?」


「どういうことでしょうか?」


「確かに、エンデリシェはこのままやといずれはどこかの国に嫁ぐことになるやろな。もしかしたら国内の大貴族に降嫁させられる可能性もあるけれど、でも現状あの兄者がそんなリスクの高いことをするとは思えへん。それはわかっているやろ?」


「ええ、まあ」


 王族が降嫁、つまりはどこかの貴族の嫁として行き結果王籍を廃せられる。お父様はそのシステムを利用しようとはなさっていないのです。これは有名な話で、貴族であれば誰しもが心得ていること。下手に口を出したりすれば王の怒りを買うのは目に見えているわけで、お姉様方も"どこの国に嫁がれるのか"という方向でよく話が出るわけですね。


「でも、エンデリシェ、アンタがどうして幼い時分から王位継承権を破棄したのか、よく考えてみい」


「えっと……二つ、あります。単純に興味がなかったことと、生まれるのが遅かったわ私が貴族社会に溶け込んでコネを作るのは難しいと感じたこと」


「うん、それはもうみんな知っての通りやな。じゃあ、それを何歳で決めたんやっけ?」


「え? 確か、五歳の頃に……」


「そうや、そこや。五歳の子供が、自分から社会情勢を理解して王位継承権を放棄すると宣言する。それがどれだけ異常なことかわかってるんか? 例え早熟な子やとしても、その考えに至るのには普通あり得へんことなんやで」


「えっ?!」


 驚きの声をあげてしまいます。でも言われてみれば私は元の世界から数えれば二十五年以上、その当時でも既に二十年以上の時を過ごしていることになりますが、この世界ではまだまだ幼い五歳の女の子でしかないはずです。どうしてそんな簡単なことに思い至らなかったのでしょうか? 確かに不自然極まりありません。


「一体どんな思考を経てそうなったか、それはエンデリシェにしかわからんことや。でも、周りはアンタが内心どんな人間であろうとも、『天才』として扱うんねんで。名君と謳われている兄者でさえも、有望だと見据えられ始めたのは十歳を過ぎてからや。つまりは今のエンデリシェと同じくらいってことや。でも、その半分の歳の頃から、影では裏では背後では、エンデリシェ=メーン=ファストリアは王族の中でも一番の有望株やと思われ続けている。それに、破棄したことを除いても、普段の生活も才女やと思われるようなことをたくさんしとるやん」


「えっ!? そんなつもりでは全くなかったのですが……で、では、何故今まで私が貴族の政略に巻き込まれなかったのでしょうか? もし本当にそんな過大な評価を受けていたとしても、全くお声がけがないのも不自然です」


 信じられませんが……天才や才女だなんて。もし仮に百万が一、そのような人間だと思われていたとしても、貴族達が放っておくとは思えませんし。私自身はそんな賢いなどと自惚れているつもりはないにしても、あの手この手で利用しようと思えばいくらでも出来たはずです。


 ……あっ、そういうことでしたか!


「気づいたっちゅう顔してんな?」


「ええ。王族は基本十歳になるまでは表に出ることはありません。そのための十歳の誕生日パーティでもあるのですから」


 表に出る=学園に入る。ということは貴族達としては子供を通して王族と(更に)仲良くなる格好のチャンスでもあります。


「それと同時に、これは不文律的なものやけど、十歳をもって本格的に貴族が接触する機会を与えられるようになる。公務も任されるようになるし、それは王族といえどもいつまでも裏で卵を温めているわけにもいかんからやしな」


「立場を与えられた故の責務でもあります」


「そうや、やからわっちもこうして院長なんて任されているわけやけど……ともかくエンデリシェ、これから特に気をつけるんやで。もう遠慮することのなくなった貴族達は、これからどんどんと近づこうとしてくる。この前のパーティの時も、見ていてかわいそうなほどやったわ」


「え?」


「あんな沢山の大人達に囲まれる王族なんて、少なくともわっちは初めて見たで。スタッティオの時ですら、あそこまでやなかった。虎視眈々と狙っていた獲物についに噛みつく時が来たーっ、てところやろうなあ」


 そこまでのことだったとはつゆほども知らず……頑張って応対していたあの方達がみんな、私という人間を取り込もうとしていたとは。てっきり、王位継承権を破棄した可哀想な娘に義理で適当に挨拶しに来たのとばかり……


「そういうことで。学園内でも気を抜いたらあかんで。信じられるのは自分と、そうやな、あの二人くらいやな。ヴァン、それとベル。ベルはまあ入学はまだやけど、あと二年もすればここに入ってくるから」


「ですね」


「話は以上や、今日はもう帰ってええで。まあ脅すようなことを言ってしまったけど、楽しむことも大事や。学園では沢山の行事があるから、バディやクラスメイトとも仲を深めることをおすすめしとくわ」


「はい、ご忠告ありがとうございました、しかと肝に銘じておきます」


「ほな」


 そうして私はさっとお礼をし、部屋を退出します。


「…………はあ、まさか……」


 まさか、そんなことになっているだなんて。


 この世界に来て十年、何年も前の己のオオポカによって自らの人生をハードなものにしてしまっていたことを、今更ながら知ることになったのでした。


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