第167話

 

「はい?」


 一瞬、この人が何を言っているのか全くわからなかった。

 ベルのことを欲しい、そう言ったんだよな、多分……?


「すみません閣下。話の流れがわかりかねます。失礼ですがどうして彼女が、閣下のものとならなければ?」


「そ、そうですっ。私も、突然そのようなことを聞かされましても判断できませんっ」


 それに彼女じゃなくて俺に聞くのもおかしくないか? もしかして、俺がベルの結婚相手だから、俺の意思で相手の女性をどうともできるみたいな意識なのだろうか?


 確かに、貴族社会ではいわゆる男尊女卑的な上下意識が根強く存在する。しかし俺は、ベルという女性を自分の所有物だなんて思ったことはないし、むしろ俺の方が横に並び立つので精一杯だったのだ。いまでも当然、対等なパートナーとして大切に思っているし、そんなことを言われても頷けるわけがない。


「ふむ、その通りだ。では何故私が彼女を欲しているか? ……肝心なところを話せずすまないが、それは今この場で言えるような話ではないのだよ。それにファストリア王国は今、魔族の生き残りたちによって蹂躙されようとしている危機的状況にある。だから労いと同時に、一言話だけでも持ちかけておこうと思ってな。またこれは君たちにとっても決して悪い話ではないということを頭に入れておいて欲しい。ま、その意味がわかるのは後々になるがな」


 ピラグラス侯爵は己の口髭を親指と人差し指で摘むようになぞりながら言う。


「侯爵閣下、申し訳ありませんが私は彼の」


「おっと、待ってくれ」


「人生の伴侶として……はい?」


 ベルが先出しで断ろうとしたところに、侯爵が待ったをかける。


「勘違いさせるような言い方をして悪かったが、私の妻にだとか、息子の配偶者にとか、そういう話ではない。ただ単純に、勇者ベルにここピラグラス侯爵領の所属となって欲しいという話なのだ」


「娶る話ではない、と?」


 ん? それはつまり、彼女のことを一人の女性として欲しがっているわけではないということだよな? じゃあ余計と、何故ベルを貰いたいなんて言い出したのだろうか。


「そこも含めて、今ここでは言えないというわけだ。理解してもらえるかね?」


「は、はあ……」


 何を求めているのかすら教えてくれないとは、後ろめたい話なのか、そうでなくとも重大な機密事項ということなのだろう。


「俺や彼女がウンと頷けばすぐに決まることでもない話だと思います。ここはお互いに、一度保留にしていただけるとありがたいのですが」


「勿論そのつもりだ。先ほども言った通り、君たちはまずは王都に向かっているらしい魔物たちの大群を退治してきて欲しい。勇者ならば、きっと活躍してくれると信じているぞ?」


「あっ……は、はい、お任せください侯爵閣下。ファストリアのため、そして世界のために、持てる限りの力を振り絞ります」


「うむ。期待しているぞ? 『勇者ベル』よ」


 何か、含む言い方のようにも感じ取れるが……考えすぎだろうか?


 その後侯爵は俺達との話が終わるとすぐさま軍の指揮に移る。魔物や魔族は俺たちがやっつけたとはいえ、また襲って来ないとも限らないし、他の街から流れてくる奴らも当然出てくるだろう。あとは、彼らピラグラスの兵士たちに任せよう。







「<変なやつじゃったのう。策謀でなければいいのじゃが。人間の世界の権力争いはめんどくさいと聞くからの>」


「<うーん、さっきのあのおじさんの言い方だと、ベルさんではなく勇者ベルという存在を欲しているように聞こえました。お姉ちゃんの不安も、あながち間違ったものではないかもしれないよ?>」


「おいおい、物騒なことを言ってくれるなよ二人とも。それってつまり、中立の立場にあるベルのことを占有して、国を含めた周りの人たちに対して何か仕掛ける計画を立てているかもしれないって話だろ?」


 空を飛びながら、当然話の話題はピラグラスでのことが中心になり。イアちゃんの考察によって皆の中に不穏な空気が流れる。


「ですが、ベル様は肩書きは未だ勇者でありますし、勇者パーティはまだ解散していません。ということは、魔王軍を倒した後のこの残敵討伐騒動も、後々パーティの功績として大きく取り扱われる可能性が高いと推測できます」


「なるほど確かに、俺が勇者パーティの一員であることは少しずつだが認識され始めているように感じ取れた。ならば、俺に協力してくれているルビちゃんたちも、幾ら口で中立だと言っても俺たち勇者パーティの仲間の一人だと人々は考えるだろう。これだけ一緒にいるのだから、無関係なただの協力者ですという言い訳は皆信じないだろうし」


「<実際、エンシェントドラゴン--お爺様がどんなお方なのか知らない人間はたくさんいるからのぅ。ドラゴン族の意向なんて、そこらの人間に言い聞かせたところで、世論に流されて埋もれてしまうのが関の山じゃ。見たことのない生き物の意思よりも、隣の住民との井戸端会議の内容の方が支持されやすいのは当然じゃ>」


「まあそこは、陛下たちが上手く言いくるめてくださるのを信じるしかない」


 一応、国には彼女たちは人類に対する協力及び、魔族に対するドラゴン族としての個別の戦力として一時的に共闘してもらっているだけだと話しをしてある。だから、勇者パーティの一員だとか、俺のしもべであるとかそんなことは一切ないとも。

 陛下も、お互いの立場に理解を示され、ドラゴン族の恣意的な運用は予め慎むよう命を下されている。なにせ、人間の国なんて、彼ら彼女らが本気になれば一晩で滅びるのだから、余計な怒りを買うこともないからだ。


 まあ周りから見れば、結果的には俺の仲間みたいになってしまってはいるが、この世界において言質や建前というものは、貴族社会及び政においては大変重要視される事柄だ。それを陛下が直接発せられるということはさらに深い意味を持たせることにもなる。


 ……だが、それを前提に考えると、やはり侯爵の突然の要求には何やらきな臭いものを感じられずにはいられない。閣下の性格や政治思想など俺は全く知らないが、せめて穏健な方であればいいのだが。


「今ここで議論しても、どうしようもないわ。はい、この話はこれで終わり、いいわよね? 標的である私がいうんだからそれで納得して頂戴」


「うんまあ、君がそういうならいいけど……」


 対象である本人が後回しを要求しているのだから、仕方ない。ここは一旦お開きとして。


「ん、またあったぞ」


「<気晴らしに助けに行こうぞ! 我の炎で火炙りにしてやるのじゃ!!>」


 眼下にある村が、逸れた魔物の群れに襲われている。俺たちは王都に向かいつつ、このような場所を"魔の手"から解放しているのだ。


 そうしていくばくかの村や街を高速道路のサービスエリアが如く寄り道をし、侯爵領を離れてから丸一日ほど経って。

 ようやく、現状の最終目的地である王都オーネ近郊の上空に到着した。


「おおっと、思ったよりも勢力が多いな」


「あれだけたくさんの魔物たちを倒したのに、まだこんなに残っているだなんて。魔王軍残党は一体どれだけの勢力をかき集めたの?」


「おい、起きろ!」


「ンガッ!? な、なんだ?」


 ルビちゃんの尻尾に水のロープでぶら下げられながらも眠りこけている、あの侯爵領都で捕縛した魔族を叩き起こす。


「お前は魔物や魔族に最終的にここに集まるよう、指示した。合ってるな?」


「あ、合ってるが。なんだよ?」


「いいからきちんと答えろ! 命の保証が出来なくなるぞ? 使い道がなくなった魔族の捕虜がどうなるか、想像できないはずはないだろう?」


「んん、本当だって言ってるだろ! 煩い人間だ」


「あ?」


「ナアアアイエ、ナンデモアリマセン」


 鼻を摘んでやると、慌てて取り繕うようにして首を振る。


「アルテ、どう?」


「…………おそらくですが、嘘ではないかと」


 アルテさんは、神官程ではないが、モヤモヤっと大まかにではあるがあの真偽の魔法を使えるのだ。どうやら本当に、ここ王都が魔王軍残党の最終目的地のようだ。


「ふむ、ならばさっさと殲滅してしまうしかないか。ルビちゃん、頼むぞ?」


「<うむ、任せられた! こやつはしっかりと見張っておるでの!>」


「おう」


「<私は、では遊軍として機動的に空から攻撃して行きますね!>」


「イアちゃんも、よろしくな!」


「パラくんは私たちと一緒に、イアちゃんと反対側を」


「<任せてベルさん! 僕も、もう一仕事っ!>」


 二体のドラゴンは先行して魔物の群れに突っ込んでいく。


「んじゃあ、とりあえずっと」


 そして俺は、王都全域に魔法障壁を張り始めた。



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