第163話 アクアマリンが仕込んだ時限装置

 クリムは人間社会においてドラゴンがどのような立ち位置で活動しているのか、セイランと認識の擦り合わせを行い、セイランの要求に応じて、今後は青龍会の行動指針に沿う形で活動すると約束したのだった。


『それでクリム。あなた達の魔力の波動を感じ取ったから様子を見に来たってのはさっき話したと思うけど、何をしていたんだい?』

 セイランは続けて、先ほど途中で遮られてしまった本題に移った。

『実はですね、この道場は海皇流古武術という流派の道場でして、クリムゾンの姉である海皇龍アクアマリンがその武術の勃興に関わっているそうなのです。』

『アクアマリンと言うとシゴクの母か。クリムゾンの姉ってことは私とクチナシの姉にも当たるわけだけど、人間の武術の勃興に関わるなんて相当な変わり者みたいだね。』

 セイランは他人事の様にそう言ったが、人間社会の商業分野に進出し、深い関わりを持っている彼女もまた、他のドラゴン達から見れば相当な変人(龍)である。

『三原龍はその誕生の特殊性から精神が不安定ですからね。戦うのが大好きで何も考えてないクリムゾンや、人間と契りを交わしたサンライトも同様ですが、普通のドラゴンとは隔たりのある一風変わった性格をしている様ですね。』

 クリムもまた他人事の様に言っているが、彼女自身も三原龍と同様の出生方法を辿っており、彼女の言い分が正しいとすれば、彼女自身もまた精神が不安定で、風変わりなドラゴンということになる。


 ところで、三原龍やクリムの特殊な誕生法とは、産まれた直後に母の魔力を注ぎ込まれて急速成長したという誕生方法である。幼年期を経ずに大人になった様な状態であるため精神が成熟しておらず、また魔力と共に母の記憶を一部受け継いでいる影響から、幼い心に負荷がかかり不安定になりやすいのだ。なおクリムは母クリムゾンの記憶だけでなく、人間であるエコールの記憶まで受け継いでいるので、三原龍の比ではないくらい変わり者なドラゴンだと言える。実際クリムは自身と聖女エコールとの記憶の境界が曖昧になることがたびたびあり、特にエコールをよく知るサテラやキナリとの会話を経たことで、エコールの記憶がより鮮明になるに従ってその傾向は強くなっており、『ドラゴンのクリム』としての個の確立に若干の問題が生じていた。簡単に言えば、クリムは時折、自身が聖女エコールそのものであるかのような錯覚に陥っていたのだ。ただクリムの精神の成熟度は、エコールが寿命で亡くなる直前の状態、つまりは相当に老成した状態をほぼそのまま受け継いでいるため、記憶と精神との不均衡は最小限に抑えられており、現在のところ大きな問題はないと、自己の状態を評価しているのだった。


 余談はさておき、クリムはさらに話を続けた。

『それで、アクアが彼らの武術に興味を示しまして、逆に彼らもアクアの使う海皇流戦闘術に興味があるということだったので、あちらにいる大男2人、名前はレツとゴウと言いますが、彼らとアクアとで2対1の交流試合をしたんですよ。なので、あなたが感じたという魔力の波動は、その時彼らとアクアが使用した魔法によるものでしょうね。』

 少し話が逸れたが、クリムはようやくセイランの質問に答えたのだった。

『なるほど。あなた達とは違う魔力も感じていたけど、あの2人のものだったのか。』

 セイランはレツとゴウを一瞥し、その魔力が先ほど感じたそれと同一であることを確認し、さらに続けた。

『私は人間の武術に関してはほとんど何も知らないし、興味もなかったんだけど、彼らは人間としてはかなりの強さを持っているみたいだね。それこそ人間社会においては過剰と言えるほどの力をね。』

 最強の生物であるドラゴンの、さらに選りすぐりの上位個体がロード・ドラゴンであるが、その中でもさらに最上位の力を有するセイランにとって、レツとゴウがいくら強いと言っても、到底脅威になり得るものではない。では彼女が何を危惧しているのかと言うと、彼らの力が人間社会の秩序を乱す要因になりかねない事である。先述の通りセイランは人間の武術には興味が無く、道場が掲げる理念や、彼らの人となりも知らないわけだが、力を持つ者の善悪は別にして、強大な力の周りにはそれを利用しようとするよからぬ輩が、必ずと言っていいほど現れるものなのである。人間社会に長く関わってきたセイランは、彼女や彼女の眷属達の力を利用しようとすり寄って来る者達を数えきれないほど見てきたので、そういった小悪党達をよく知っていた。また、普段は真面目な者であっても、目の前にチャンスがあるとついつい魔が差してしまう我慢弱い者が少なからずいることも熟知していたので、彼女は人間と関わる際にはあまり本来の力を見せず、助力も最小限に留めているのである。

『あの2人は普段は実力を隠しているみたいですし、この道場の門下生であっても心技体を高水準に鍛え上げた、一部の認められた者でなければ、彼らの言うところの奥義を教えない決まりになっているそうなので、心配せずとも大丈夫だと思いますよ。格闘場が厳重に戸締りされていたのも、奥義の存在を隠匿すためですからね。』

 難しい顔をしているセイランの心配事を察したクリムは、彼らが自分達の持つ力を正確に把握しており、十分に対策を取っていることを伝えたのだった。

『あなたがそう言うならそうなんでしょうね。それにしたってさっき感じた魔力は、今の平和な時代を生きる人間が持つには少々過ぎたる力だと思うのだけれど、アクアマリンが伝えたという武術には何か特別な鍛錬方法でもあるのかな?』

 どこか抜けているところはあるが、人間の記憶と感性を持ち、それなりに思慮深いクリムを、セイランは付き合いこそ短いがある程度信頼していたので、彼女の言葉を信じたのだった。

『それは私も少し気になっていたのですが、先ほどのアクアとの試合では、彼らは元々持っていた実力より遥かに高い能力を発揮していたみたいなんですよね。』

『そうなのか?アクアの強さを前に命の危機を感じて、火事場の馬鹿力を出したってところかな?』

『いえ、そんな一時的な感情の変化による力の上振れとかではなく、どうやら戦いの中で成長したと言った方が正しいですね。彼らの魔法は使っているうちに次第に精度を増していき、最終的には手加減していたとは言えアクアの身体をかすめる程のスピードに至っていましたからね。要するにとても安定していたのです。』

 クリムは先の戦いを振り返って解説した。

『なるほど。感情の高ぶりによる魔力の変化は不安定なものだからね。魔法の制御が安定していたということは、つまりはそう言う事なんだろうね。』

 セイランはクリムの推論に賛同し、レツとゴウの2人が戦いの中で成長したのだとひとまず結論付けた。

『アクアマリンが人間に伝えた武術を修めた2人が、アクアマリンの力を持つアクアとの戦いで、その実力を開花させ大きく成長したというのは、偶然にしてはできすぎたことですね。クリムゾンの話によればアクアマリンはいずれこの星に帰ってくるつもりのようですし、もしかしたらいつか帰ってきた時に、彼女の技を受け継いだ人間達と、彼女自身が戦うつもりだったのかもしれませんね。彼女の思惑通りかどうかは分かりませんが、人間達は伝えられた武術をただ継承するに留まらず、独自に改良発展させているそうですから、ドラゴンでは思いつかないような技の開発にも期待していたとか?いずれにしても、アクアマリンは人間に何かを期待して技を伝えたのは間違いないでしょう。』

 クリムは推論に推論を重ねてほとんど空想の様な話をしていたが、セイランはその推論がさほど的外れではないと考えていた。

『聞くところによればアクアマリンは自分より強い者を求めて彷徨う、クリムゾンとは少し違うタイプの戦闘狂みたいだから、人間達の中から強者が産まれることを期待して武術を教えたってのは無い話ではないね。人間は寿命が短い分、ドラゴンより成長速度が早いし、個体数も多いから試行錯誤や研究を数の利を使って押し進めるのが得意だしね。人間の強みを理解したうえで有効活用しようとするなんて、アクアマリンは案外私と似た様な性格をしているのかもしれないね。私は強いとか弱いとかにはあまり興味ないけどね。』

 セイランは名前くらいしか知らない姉が、一体どの様なドラゴンだったのかと思いを馳せるのだった。

『しかしそうなると、せっかくアクアマリンが仕込んでおいた人間の武闘家たちを、アクアが先につまみ食いしてしまった様な形になりますね。アクアにはもちろん悪気はないですが、ちょっと悪いことをしちゃいましたね。』

 クリムもまたよく知りもしない叔母に勝手に同情していた。

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