第129話 アクアの道場体験と記憶の話

 クリム達は道場の師範代レツに招き入れられ、1日の稽古を終えてすっかりきれいに掃除された室内格闘場にやってきていた。

 クリムは古流武術の道場という字面から、もっと寂れて古い施設だと勝手に想像していたが、意外にもきれいで新築の様な内装に驚いていた。しかし思い起こしてみればヤパ共和国は新興国家であるため、そこに建てられた道場もまた新しいと事前にアサギに聞かされていた事に気付いた。


「さてと、事情は分らんけど何はともあれよく来てくれたな。改めて歓迎するぜ。」

 レツはそう言うとガッハッハとごつい見た目通り豪快に笑った。

 せっかくの師範代自らの歓迎だが、いまいちまとまりのないクリム達は二組に別れていたので、ちゃんと話を聞いているのはクリムとサテラ、そしてクリムゾンだけだった。

 これまであまり人の話に興味を示さなかったクリムゾンが、意外にも真面目に話を聞いている事に一番驚いたのは、他ならぬクリムだった。しかし、人のために紅茶を淹れると言った直近の母の行動を鑑みるに、彼女が急速に精神的成長を遂げているとクリムは肌で感じていたので、母の意外な行動に驚きつつも、ある程度は納得もしていた。

「事件の話をしていた時もそうでしたけど、あなた人の話をちゃんと聞くようになりましたよね。」

 クリムは母に語り掛けた。

「うん?セイランが人の話はちゃんと聞けって言ってたからね。」

 クリムは何のことかと一瞬考えたが、それが港町シリカでの一件を指しているとすぐに思い至った。それはシリカではIDカードを作成するために、アラヌイ商会の交易所に立ち寄った時の出来事であるが、クリムゾンは上の空で話を聞いていたせいでひと悶着起こし、妹であるセイランから注意を受けていたのだ。

「なるほど。それはいい心がけですね。他者から興味を持ってもらいたいなら、あなた自身が他者に興味を示す必要がありますからね。良きにせよ悪しきにせよ、他者への態度や行動は、自分自身にそのまま返ってくるものですよ。」

「そうなんだー。」

 クリムゾンは落ち着きのない子供の様な性格ではあるが、元来素直なのでちゃんと話をすれば案外聞き分けはよかった。


 ところでシュリとアクア、そしてなぜか二人の探検隊に加入させられたスフィーを合わせた三人は、例によって初めて訪れた場所に興味津々で、格闘場の中の探索を開始していた。ちなみに彼女達にはゴウとアサギが付き添い、場内に並ぶトレーニング器具の使用法や効果を解説しつつ一緒に見て回っていた。

 道場に設置されているのは、さして珍しくもない普通のトレーニング用品ばかりなのだが、格闘家であるアクアがそれらを初めて見る様子だったので、案内をしているアサギは違和感を覚えていた。

 いくつかの器具を説明した後、アサギはやはり気になたのでアクアに問いかけた。

「アクアさんは格闘家なんですよね?」

「そうだよ。」

 アクアは何を思ったのか、たった今使用法を聞いたばかりのウェイトトレーニング用の大型器材を、ひょいっと丸ごと持ち上げながらアサギの問いに答えた。もちろんその使用法は明らかに間違っていた。

 アサギはアクアの奇行に一瞬戸惑ったが、彼女がドラゴンであると先だって聞いていたので、その恐るべき膂力を目の当たりにしてもさほど驚きはしなかった。そして人間向けの負荷程度では、ドラゴンの強靭な肉体を鍛える効果はまったく見込めないのだと理解した。

「アクアさんは普段の稽古では、道具を使ったりしないんですか?」

 人間用の器材が意味を成さないと分かったアサギは、少々質問の方向性を修正した。

「稽古って何?」

 アクアは持ち上げた器材を静かに元の位置に降ろしながら聞き返した。

 アクアの姉であるクリムが幼い見た目に反して大人っぽい受け答えをしていたので、彼女もその容姿通りの子供ではないのだろうと思い込んでいたアサギは、当然そのつもりで話していた。しかしアクアの反応を見るに、姉とは違って彼女は見た目通りの子供なのだとアサギは気付いた。

「普段の稽古というのは、身体を鍛えたり技の動きや型を確認したりする、要するに格闘術を使うための練習の事ですよ。」

 アサギは難しい言葉を避けて、子供でも分かる様に言い替えた。

「んー?」

 アクアは小首を傾げて小さく唸ってから答えた。

「よくわかんないけど、実戦で練習したらよくない?」

「え?」

 アクアの思わぬ答えにアサギは動揺したが、ドラゴンに人間の常識は通用しないと、だんだん分かってきていた。そしていちいち驚いていると話が進まないため、一旦先入観は捨てて話す事にした。

「稽古では基礎訓練がある程度済んだら、実戦を想定した組手もやりますけど、せめて受け身くらいは覚えてからじゃないと危ないですよね?」

 実戦で得られる経験は基礎訓練とは比較にならない程多いが、当然リスクを伴うとの指摘だ。

「うーん?怪我したら治せばいいよね?」

 アサギの問いにやはりピンと来ていない様子のアクアは再度聞き返した。

「おお、なるほど・・・。」

 アサギはドラゴンと実際に会うのは初めてだったが、伝説にもたびたび登場するドラゴンの生態は有名なので、強靭な肉体に加えて驚異的な生命力と再生能力を有している事を知っていた。そして彼女が知る限り、人間はそうそう簡単に怪我が治らないので、いちいち怪我をしていては稽古に支障が出てしまうと思ったのだが、ドラゴンの再生力を持ってすれば多少の無茶は通ってしまうのだとわかった。


 疑問がひとつ解消したアサギだが、それによって新たな疑問が湧き上がっていた。

「アクアさんはどうして格闘術を覚えたんですか?ドラゴンの身体強度と再生力を考えれば、防御する必要すらない気がしますけど。」

 アサギにとっての格闘術とは、自分自身や力を持たない弱者を守るための、防御寄りの技術であると理解していたため、そもそも護身の必要がないドラゴンが身に着ける意味を見出せなかったのだ。

「私は最初から戦い方を知ってたから、どうして覚えたかと言われても特に理由は無いよ。」

「うん?どういうことですか?たしかクリムゾンさんのお姉さん、つまりアクアさん達の叔母さんから格闘技を習った、とそんな様な話だったと思いますけど。」

 アサギはアクアが何を言っているのか理解できなかったので聞き返した。

「私は産まれつきアクアマリンの戦闘技術を受け継いでいたから、別に習って覚えたわけじゃないよ。そもそもアクアマリンに会った事もないよ。」

「ほうほう、それもドラゴンの特性なのでしょうか?産まれつき覚えているなんて便利ですね。」

 アサギはいちいち驚かないと決めていたので、アクアの突飛な話を素直に受け入れ、さらに続けた。

「それにしても、血の繋がりがあるとはいえ、直系の親族ではない叔母さんの記憶を受け継いでいるのは、人間の感性からすると不思議ですね。もっとも産まれながらに先達の記憶を受け継いでいる時点で不思議ではあるのですが。」

「俺も綿々と受け継がれる、偉大なる海老の種族の記憶を産まれつき持ってるっすよ。」

 アサギの独り言の様な呟きに反応してシュリが言った。彼女は格闘技にはあまり興味がなかったため、二人の会話を黙って聞いていたのだが、話の内容が興味のある分野に移行したので会話に加わったのだ。

「海老?シュリさんはドラゴンじゃないんですか?」

 アサギはシュリの出自を知らないため、彼女もまたアクア達と同じドラゴンだと思っていた。

「その辺話すと長いから割愛するっすよ。それはさておき、姉御にも話したっすけど、例えば魚は泳ぎ方を教わらなくても産まれつき泳げるっすよね?」

「ええ、まあそうでしょうね。泳げなかったら溺れてしまいますからね。」

「そういう事っす。生物には産まれつき備わっている、遺伝子に刻まれた記憶があるんすよ。」

 シュリはなぜか少し偉そうにドヤ顔でそう言った。

「なるほど。そう言われると、なんとなく得心がいきますね。人間だって誰かに習わずとも産まれつき呼吸の仕方は知っていますし、より野性的な、本能的な部分に刻まれた記憶という事でしょうか。」

「たぶんそうっすよ。」

 シュリは堂々と解説していた割には曖昧な返事をした。

 人間であるアサギにとっては、やはり先人の記憶を持って産まれたというアクア達の話は不思議だったが、シュリの説明を聞いてそういう事も有るのかと、ある程度納得したのだった。

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