第118話 ラブパワー

 魔王は失くしていた記憶を取り戻したことでクリムゾンとの戦いで受けたトラウマが呼び起こされ、それによって魔力が暴走し魔王の足元から結晶化を始めていた。

「ぬおおおっ!」

 魔王は頭を抱えて苦しんだ。もちろん記憶を取り戻しただけであるため身体的外傷はないのだが、かつて受けた恐怖と精神的ダメージが一気に蘇った事による苦痛のせいである。

「どうしたのヤクサヤ!?」

 魔王に抱き着いていたフェミナは突然の事態に驚き、偽名を使う事さえ忘れて魔王を心配した。しかしその声は恐怖に支配された魔王の耳には届かず、結晶化する魔力の檻は徐々に広がっていくのだった。


「何事ですか!?」

 別室でマリーに魔王の状態を説明していたシャイタン達は、魔王の声と暴走する魔力の波動に気付いて急いで戻って来た。そして魔王のただならぬ状態を確認したシャイタンはフェミナに状況の説明を求めた。

「ちょっとフェミナさん!一体何したんですか!?」

「何をしたって、ヤクサヤが眠りについた理由を思い出せないって言うから教えただけよ。そしたら急に苦しみだしたのよ。」

「えぇーっ!?なんでそんな事を・・・って、ああーなるほど。」

 フェミナの言葉を聞いたシャイタンは彼女がなぜそんな事をしたのかと一瞬驚いたが、考えてみれば魔王の精神が不安定な状態である事を彼女に話していなかったといまさら気付き、納得すると同時に妙に落ち着いてしまった。

「落ち着いてる場合じゃないにゃシャイタン。」

「おっと、そうでした。しかしどうしましょうか。このままだと魔王様はまた封印されてしまいますけど、魔力が暴走している状態で手を出すと何が起きるか分かりませんし、いっそ封印されてしまった後にまた解除の儀式を行いますか?」

「うーん?一度目の封印解除で魔王様はこんな幼い姿に変化してしまったわけだし、次はどうなるか分からにゃいにゃー。ちゃんと復活できる保証もにゃいし、封印を止めた方がいいと思うにゃ。」

 チャットはシャイタンの提案を却下し代替案を示した。

「たしかに。魔王様の姿が変化した理由は今だ判然としていませんし、不確定要素が有る以上再度の封印はリスクが有りますね。しかしどうしたら封印を止められるんでしょうか?」

 シャイタンの言葉に嘘はなかったが、しかし同時に別の思惑も有った。魔王は現状彼女好みのかわいい姿になっていたので、別の姿に変化してしまうのが惜しいと思ったのだ。危急の事態にもかかわらず自身の欲望を優先してしまうのは、ある意味魔族らしいと言える。

「おそらく魔王様は精神的な負荷から心を守るために自身を強制的に眠らせる封印という形を取っているのにゃ。つまり魔王様が今感じているトラウマに打ち勝つことができれば封印も止まるはずだにゃ。」

 チャットは魔王の現状を分析し解決策を提示した。それは彼女が生きてきた悠久の時の中で得た実体験に基づく勘によって導き出した推論であったが、多様な経験を持つ彼女の勘はかなり精度が高いのだ。

「魔王様の感じているトラウマというと、やはり魔龍との戦いで受けた傷に関する物でしょうか?しかし傷はとうに治っていますよね。」

 シャイタンは苦しんでいる魔王の身体を改めて観察し、傷ひとつない玉の肌に見惚れた。もとい、クリムゾンから受けた傷がすっかり治っている事を確認した。

「そうだにゃー。魔王様はどんな致命傷だろうと瞬時に治せるから、傷を受けた事自体はなんとも思っていないはずだにゃ。たぶん初めて会った自分以上の強者の存在に恐怖を抱いたんだと思うにゃ。」

「なるほど。しかしそうなるとどうしたらトラウマを克服できるんでしょう?まさか今から魔龍を探して倒すなんてことはできませんし、それにかつての魔王様が敵わなかった相手なら弱体化した今の魔王様ではなおの事倒せないでしょうしね。」

「もちろんそんな悠長な方法は取れないにゃ。」

「その言い方は何か策が有るんですか?」

「ここはひとつ愛の力に賭けるにゃ。」

「愛?どういうことですか?」

「魔王様とフェミナの様子をよく見ればわかるはずだにゃ。」

 チャットはシャイタンに手ぶりで促した。

 シャイタンが言われるがままに2人の様子を観察すると、魔力の暴走により結晶化が進み魔王の下半身はすっかり固まってしまっていたが、なぜかそれ以上の結晶化は進まずに停滞した状態になっている事に気付いた。そして魔王の震える手がフェミナの腕をがっしりと掴んでおり、接触点を中心に2人の魔力が混ざり合っているのが見て取れたのだ。

「2人の魔力が混じり合って封印が妨害されている・・・?一体何が起きてるんでしょう?」

「あれこそが愛の力。そう、ラブパワーだにゃ。」

「いや、何言ってるんですか急に?」

 チャットが唐突にファンシーな事を言い出したので、シャイタンは思わず聞き返した。

「別に冗談で言ってるわけじゃないにゃ。魔王様にプロポーズされて以来、フェミナの魔力の性質が変化していたのは気付いているかにゃ?」

「ええ、まぁ。ちょっと若返ったと言うか、さらにきれいになりましたよねフェミナさん。」

 フェミナは件の告白を境に、以前よりも生気が漲り魔力が充実した状態になっている事はシャイタンも気付いていたが、さほど気に留めてはいなかった。

「魔族は感情の変化によって魔力に影響が出るし、肉体にまで変化を及ぼす事があるのは前に話したにゃ?」

「そうですね。魔王様が今の姿に変化したのも、精神が弱った影響だろうとかなんとか、チャットさんは考察していましたね。」

「にゃー。そして精神状態が魔力に及ぼす影響は何も悪い事ばかりじゃないにゃ。そう、つまりフェミナの魔王様を愛する気持ちが魔力を強化しているのにゃ。」

「なるほど。精神が弱って弱体化するなら、逆に精神が充実すれば強化されるのが道理ですね。」


 シャイタンがチャットの勢いに押されて半ば無理矢理にラブパワーの存在を納得させられてしまっている一方で、魔王の母マリーは2人の話のある部分が気になっていた。その部分とは魔王がフェミナにプロポーズしたという話についてである。

 マリーにしてみれば今まさに我が子が危機に陥っている真っ最中なのだが、チャットが言うところのフェミナのラブパワーのおかげかひとまず状態が安定している様なので、心配する気持ちが引っ込んでしまったのだ。

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