第88話 出航

 護衛予定の交易船の前で駄弁っていたクリム達の元に、朝食を終えた船乗り達が戻ってきた所から話は再開する。


 船乗り達は和やかに会話しながら歩いていたが、1人の少年がセイランを発見して駆け寄ってきた。それは今朝がたセイランと会話を交わした少年であった。

「今朝はありがとうございましたセイランさん。」

「ああ、今朝の少年か。その後身体の調子は問題ないかい?」

 少年はセイランに疲労回復の魔法を掛けてもらったと思い込んでいるため、それに対してお礼を言った。実際にはクリムゾンが垂れ流している余剰魔力の影響で少年の肉体疲労は回復したのだが、その辺の話を説明するにはクリムゾンの正体にも言及せねばならないので、ひとまず勘違いしたままでいてもらう事にしたセイランだった。

「はい、今の所は快調そのものです。それに言われた通り朝食をたくさん食べたので大丈夫だと思います。ただどの程度食べたらいいのか分からなかったので、足りない場合に備えて間食用にパンなんかも買ってきました。」

 少年は両手いっぱいに抱えた買い物袋を掲げて見せた。

「うん、まぁそんなに山ほど食べなくても大丈夫だと思うから適度にね。」

「はい!わかりました。」


「ところでこんな所で何をしていたんですか?」

 挨拶が済んだところで少年が尋ねた。

「そう言えば今朝は話してなかったかな?私達で君らの船の護衛に付くことになったから、下見がてら荷積み作業の進捗を確認しに来たんだよ。それで誰も居ないから船の中を勝手に見させてもらったんだけど、どうやら出航準備は終わっているようだね。」

「はい。セイランさんの魔法のおかげか予定よりも作業が早く進んだので、出航時刻を早めようかと船長が言ってました。先方はできる限り早く船を寄越してほしいとの依頼だそうなので、船長は今交易所の方に出航準備完了の報告がてら出航時刻繰り上げの打診に行っていますよ。護衛役のセイランさん達がここに居るなら、船長が戻り次第出航になると思います。」

「そうなのかい?それは少し困ったね。」

「何が困るんですか?」

「実は私以外は急遽追加した護衛役だから、彼女達用の食糧なんかは準備されてないはずなんだ。そんなわけで何か買ってこようと思ってたんだけど、すぐ出航する様なら待ってた方がいいね。」

「なるほどそう言う事ですか。」

 少年は少し思案してから続けた。

「それなら僕の買ってきたパンでよければ受け取ってください。」

「いいのかい?君が食べるために買ってきたんだろう?」

「実は朝食をいつもより多めに頼んだせいで満腹でして、とてもパンまでは食べられそうも無かったので気にしないでください。それに今朝回復魔法を掛けてもらったお礼の意味もありますからぜひ受け取ってください。」

「そうかい?それなら遠慮なくいただこうか。助かるよ。」

 セイランは少年から買い物袋を受け取った。

「それでは僕は出航前の打ち合わせが有るのでこれで失礼します。」

「ああ、それなら私も一緒に行くよ。と、言うわけでこれ頼むよ。」

 セイランは少年から受け取った荷物をシュリとスフィーに手渡した。繰り返しになるがドラゴンは摂食による栄養補給が不要で、食事を必要としているのはこの2人だけだからである。

「了解っす。」「はい、預かりました。」

 2人は各々返事をした。

「私達は打ち合わせに参加しなくていいんですか?」

 クリムがセイランに聞いた。

「部外者が商会の打ち合わせを聞いてもしょうがないし、あなた達は何かあった時の対処だけ頼むよ。それと待ってる間暇だろうから先に船に乗っていていいよ。」

「分かりました。」

「それじゃ行ってくるよ。」

「はい行ってらっしゃい。」

 セイランは少年とともに船乗り達の集まる港の集会所へと入っていった。


 セイランに言われた通りクリム達は暇だったので船に乗り込んだ。

「大きい船っすね。」

 シュリは早速甲板を歩き回り、周囲を探索し始めた。

「勝手に荷物に触れたりしてはいけませんよシュリ。」

 クリムが注意した。

「分かってるっすよ。探検するだけっす。」

「私も行こうかな?」

 アクアがクリムの顔を覗き込みながら言った。それは直接的なお願いではなかったが、自分もシュリに付いて行っていいか許可を求めているのだ。

「いいですよ。行ってらっしゃい。」

「わーい。」

 クリムが笑顔で許可したのでアクアも一層の笑顔を見せてシュリの後に付いて行った。

「子供は元気でいいですね。」

 クリムとアクアはわずか半日程しか産まれた時間に差はないのだが、精神的な成熟度を鑑みて子供と表現したのだ。

 クリムは船内に探検に向かった2人が何か壊したりしないか様子が気になったので、ひそかに2人の後に付いて行った。


 シュリとアクアが探検に向かい、クリムもそれに付いて行ってしまったので、クリムゾンは暇を持て余したのか空中に浮かびあがり膝を抱えて丸くなった。クリムゾンは数万年もの間真ん丸のドラゴンの姿で居たため、この姿勢が一番落ち着くのだ。

 そして残されたスフィーとサテラはどちらからともなく会話を始めていた。

「スフィーさんはファッションに興味があるんですか?」

「はい。興味があるというか興味を持ちたい感じですけどね。クリムさんから人間と仲良くなるにはファッションに理解を示す必要があると聞きましたので。」

「その話は私も聞いていましたから分かっていますよ。」

「人間であるサテラさんに改めて聞きますが、クリムさんの言っていたことは本当なのですか?」

 スフィーはクリムを疑っているわけではなかったが、クリムはあくまでもドラゴンであるため、人間であるサテラから正否を確認したかったのだ。

「そうですね。たしかに人間は容姿や服装から人となりをある程度判断する事がありますね。私は気にしませんが、異種族の方と言うだけで奇異の目で見る人もいるのも事実です。ですが人間の文化や価値観に理解を示してくださる方に対して悪印象を持つ人は少ないでしょう。そう言った意味でファッションは、一目でわかる人間に対する理解度と関心の高さの指標と言えるかもしれないですね。」

「なるほど。やはり重要なファクターなんですね。しかし私にはいまいち人間の感性が理解できていないのが実情です。どういった姿が好まれるのでしょうか?」

 スフィーは両手を広げてくるりと回って見せた。

「スフィーさんは翼以外は人間と変わりありませんし、服装もさほど異質なものではないので、今のその姿に悪い印象を持つ人は少ないと思いますよ。それにスフィーさんはかわいいですから、服装は別にしても好印象を得られると思いますよ。」

「そうなんですか?私には人間の感じる美醜は分かりませんが、あなたがそう言うのならきっとそうなんでしょう。」

「ところでスフィーさんは他の服を持っていますか?」

「いえ、この一着だけですね。この一着にしても昨日クリムさんに裸で人里にはいけないと言われて急遽作った物で、元々は裸だったのですが。言われるがままに服を作りましたけど、裸だと何が悪いんですか?」

 スフィーが真顔で聞いたので、サテラは彼女がやはり人間ではないのだなとその感性の大きな隔たりに驚いた。なぜならスフィーの立ち居振る舞いが、人間のそれと遜色のない自然な物であったからだ。

「何が悪いと言われると私の口から説明するのは憚られますが、全裸で町中を歩き回っていたら捕まってしまうのは確かですね。人間にとっての服は獣の毛皮と同じでして、寒さや暑さを防ぎ、また柔な肌を守る役割もあるのです。そう言った意味でも人間にとっては服を着るのは当然のことでして、仮に全裸の人が居たならば悪い印象を与えるのは間違いありません。」

「そういうものですか。分かりました。全裸で町中には出ない様に気を付けます。」

 スフィーはサテラのアドバイスを素直に受け取り、クリムの話からは分からなかった人間達の常識を少し学んだ。

「ええ、そうしてください。それとですね、服はその一着しか持っていないという話でしたが、できれば別の服も用意した方がいいですよ。」

「なぜですか?」

「人間はその日の気分によって服を変えるものなんですよ。ですから、毎日ずっと同じ服を着ていると異質な感じが出てしまいますよ。それと国によって服装には特色がありますから、その国ごとに服を着替えるのも良いと思いますよ。自分の国の文化を好いてくれる相手に悪い印象を持つ人はそう居ないですから。」

「なるほど。ファッションとは奥が深い物なのですね。」

 スフィーはサテラから得た情報を吟味し今後の活動の参考にしようと思いを新たにした。

 サテラの話には少々の欺瞞があり、仕事で制服を着ている様な人であれば毎日同じ服でもおかしくはないのだが、その辺の情報はあえて秘匿した。また人間に好かれるためにはどうしたらいいのかという、打算的な理由を織り交ぜてスフィーのファッションに対する興味を引こうともしていた。

 何故そんな事をするのかと言えば、サテラは旅の道すがら行く先々で服を買う趣味が有ったので、スフィーが同好の友になってくれないかと期待していたからである。現状スフィーはファッション自体には興味が無く、人間に近づく手段として理解したいと考えているだけなのは分かっていたが、実際に服を集めたり毎日何を着るか悩んで選ぶ楽しみを知れば、本当の意味で興味を持ってくれるのではないかと考えたのだ。

 そしてサテラの企みの甲斐あって、スフィーはファッションに対する興味を強めていたのだった。


 サテラ達がそのまま他愛もない雑談に花を咲かせていると、打ち合わせを終えたセイランと船乗り達が船に乗り込んできた。

「待たせたね。っておや?クリムとアクア、それにシュリが居ないみたいだけど、どこに行ったんだい?」

「3人は船内の探検に行きましたよ。クリムさんは先に行った2人の後に隠れて付いて行ったので、2人が何かやらかさないか見守っているんだと思いますけどね。」

 セイランの問いにサテラが答えていると、ちょうど3人が甲板へと戻ってきた。噂をすれば影が差すという奴である。

「ただいまっす。隅々まで探検してきたっす。結構大きい船だから見ごたえがあったっす。」

 シュリは満足げに報告した。

「それはよかったですね。アクアも楽しかったですか?」

 クリムはシュリの報告を受けつつアクアにも感想を聞いた。

「うーん?まぁまぁ?」

 アクアは船内探検が特別楽しかったわけでもなかったが、退屈と言うほどでもなかったので正直な感想を述べた。

「まぁまぁですか。それなりに楽しめたなら何よりです。」

 クリムはアクアとシュリの頭を撫でながら言った。

 彼女達は特段褒められる様な事はしていないが、2人ともクリムの言いつけを守って勝手にそこら辺の物に触らなかったので、その点を加味した甘い採点である。


「よしこれで全員揃ったね。こっちの準備は整ってるから、いつでも出発してくれていいよ船長。」

 セイランは1人だけ服装が他の船乗り達とは違う男に声を掛けた。

「セイランさんの方から話は伺っておりますが、改めましてみなさん護衛の方よろしくお願いします。」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。」

 船長の挨拶にクリムが全員を代表して答えた。


「よし!野郎ども出航だ!錨を上げろ!」

「おー!」

 船長の号令とともに船員達はきびきびと動き出した。

 セイランと話をしていた少年もその中に居たが、先ほどまでの子供っぽい雰囲気とは打って変わり、ひとたび仕事が始まれば真剣な表情を見せて、周りの大人たちに負けず劣らず軽快に出航準備に従事していた。


 船長の号令から間もなくして、クリム達を乗せた巨大な帆船は水平線のその先にある目的地、ヤパ共和国を目指して出航した。

 航路明瞭、順風満帆、天高く澄み渡った青空の元、気持ちの良い春風を受けて走る船はどこまでも続くかの様な広い蒼海を駆ける。絶好の航海日和となった海の様相は、クリム達の旅がよい結果をもたらすであろうと暗示しているようであり、彼女達の胸に大いに希望を抱かせるのだった。


 実のところクリムゾンやセイランの能力を持ってすれば、天候など自由自在に操れるのだが、それは言わぬが華である。

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