第89話 クルージング、そして深海より迫る影
港町シリカを出航した帆船は軽快に海路を行き、クリム達は甲板から臨む一面の海原を楽しみながら、しばし優雅な船旅を満喫していた。
元より海に住んでいたシュリは当然として、クリムとクリムゾンは幾度となく自力で飛翔して海を渡った経験があるため、彼女達にとって一面の海原などさして珍しい光景と言うわけではない。しかしながら船に乗って旅をするのは初体験であり、海面近くを走る船から見た景色はいつもとは違った顔色を見せており、2人にとっても目新しい物だった。
またアクアとスフィーは海に出る事自体が初めてであったため、肌を刺すような陽ざし、鼻腔をくすぐる潮の香り、そして不規則に押しては返す波に揺られる感覚と言った、船旅特有の経験を楽しんでいた。
「船旅と言うのはなかなかいいものですね。」
クリムは海を眺めてボーっとしていたクリムゾンに語り掛けた。
「だねー。」
クリムゾンは海を眺めたままで気のない返事をした。
戦闘中以外のクリムゾンがぼんやりしているのは今に始まった事ではないが、それにしても上の空っぷりが度を越していたので母の様子をクリムは疑問に感じた。
「少し前からずっとぼんやりしているみたいですが、何か考え事でもしているんですか?」
「うん?いや、考え事って程の事じゃないけど、朝ご飯が美味しかったから思い返してただけだよ。」
クリムは母の口から出た思わぬ返答に驚いた。
「あなた黙ってもくもくと食べていましたから、てっきり料理がお気に召さなかったのかと思っていましたが、あなたなりに食事を楽しんでいたんですね。」
「うん。」
「それにしても意外ですね。」
「何が?」
「あなたが戦闘以外にも興味があった事に関してですよ。」
「ああ、そう言う事か。クリムの言う通りぼくは別に食事に興味なかったよ。何せ食事をとったのは今朝が産まれて初めてだったからね。」
「そうなんですか?つまりやってみたら案外楽しかったと、そう言う事ですね?」
「そうなるね。」
「なるほどなるほど。」
クリムは1人で勝手に納得していたが、クリムゾンには娘が何を考えているのか分からず頭に疑問符を浮かべていた。
クリムはクリムゾンが戦闘以外に興味が無いのだと考えていたが、実情は多少違っており、単純にクリムゾンは戦闘以外の経験が極端に乏しいのだと分かった。そして食事を楽しむ情緒をちゃんと持っており、案外人間味のある普通の感性を持っているのではないかと思ったのだ。
クリムはクリムゾンの望みである挑戦者探しを旅の主目的と位置付けていたが、彼女が戦い以外にも楽しみを見出せるという仮定が正しければ、その目的に固執するべきではないと考えを改めた。要するに戦いしか知らなかった彼女に、別の娯楽を教えてあげようと思ったのだ。
クリム達が呑気に船旅を楽しむ中、サテラはセイランから依頼を受けた船舶の護衛に邁進していた。具体的には船の周囲のおおよそ有視界内すべてを包括する程の広範囲にわたって魔力を探知する結界を張り、襲撃者があれば即座に対応できるように臨戦態勢を取っていたのだ。
そんなサテラの探知結界に船に向かって高速で接近する奇妙な魔力反応が引っ掛かった。
「なんでしょうこの反応?然程強力な生物ではなさそうですが、うっすらとクリムゾンさんの魔力が混ざっている様な・・・。」
サテラは独り言を呟いた。そんな彼女にクリムが歩み寄り声を掛けた。
「サテラも感じましたか?変な魔力反応。」
「私も、と言う事はクリムさんも気づいていたのですね。」
「ええ、まぁ。」
クリムは一見すると他の仲間達と共に遊覧を楽しんでいるだけの様であったが、一応船舶の護衛依頼という名目で船に乗り込んでいる以上ただ遊んでいるわけにもいかず、
「さて、彼の者はほどなくしてこの船に接敵しますがどうしますか?船への被害を最小限に抑える事を考えれば、こちらから打って出るのが得策だと思いますが。」
クリムはサテラに主導権を持たせつつ対応策を提案した。
「そうですね。私ちょっと行って追い払ってきますので、その間船を任せていいですか?」
「それはもちろん。私達もセイランから護衛依頼を受けていますからね。」
「ではよろしくお願いします。クリムゾンさんの魔力を感じるのが少し気になりますが、クリムさん何か思い当たる事がありませんか?もしかしてお仲間とか?」
「いえ、私達の仲間は今の所ここに居る5人だけですよ。なので気にせず追い払ってしまって構いませんよ。」
「分かりました。」
クリムは謎の襲撃者の事が気にならないでもなかったが、人間の事は人間に任せた方がよいだろうとサテラの判断を尊重したのだった。
そうこうしている間にも襲撃者は船を目指して海中を進んでいた。そして海面にゆらりと巨影が浮かび上がり、波しぶきを上げて接近する様子がはっきりと見えるくらいの距離にまで迫っていたのでサテラは飛翔魔法を発動して急いで迎撃に向かったのだった。
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