第83話 母です

 レストランで食事を済ませた一行はセイランの勧めを受けて交易所に向かっていた。なぜセイランが交易所を訪れる事を勧めたかというと、クリム以外の4人は身分証明証、通称IDカードを持っていないので作成するためだ。


 現在彼女達の居る港町シリカはどの国にも属さない自治組織であるアラヌイ商会が直轄しているが、この町には入国手続きが存在しない。なぜそんな無防備な管理体制を敷いているかというと、商会にはセイラン率いる青龍会という強力なタニマチ(スポンサー)が付いているため、迂闊に手を出せばドラゴン達による報復が待っていることは人間社会で生きる者なら誰もが知るところだからだ。とは言え、人間社会の事情など知らない異種族は時折現れるので完全に無防備で居られるわけではく、平時であれば青龍会から出向してきたセイランの眷属が駐屯している。

 現在青龍会の構成員は会合のために町を留守にしているが、交易所の受付嬢が昨日そうしていたように青龍会本部に連絡すれば緊急の派遣対応も可能であるし、会合で留守にするのはせいぜい2日間なので、その間に問題が起きる事は少ない。


 話がわき道にそれてしまったが、要するにアラヌイ商会の直轄地は特別であり、普通の国家であれば入国時に審査があるのだ。そして身元不明の異種族など入国を拒否されるか、下手をすれば収監されてしまう事さえあり得る。もちろんクリムゾン達を捕らえる事ができる国家など存在しないが、そう言った無駄な諍いを避けるためにIDカード作成をセイランは勧めたのだ。

 なお副次的な効果としてIDカードが使用された際にはその記録が青龍会の情報管理部に届き、クリムゾン達が現在どこに居て何をしているのかおおよその情報をセイランは得られるため、言い方を変えれば彼女達の活動を監視できるのだ。セイランは今の所クリムゾンを疑っていないが、かつて災厄とまで呼ばれたドラゴンであるのは歴然とした事実なので、念のため彼女達とのパスは持っておきたいと考えたのだ。


 クリムゾン達は正午に出発する交易船に乗り込む予定であるため、まだ幾分時間に余裕はあるが遅れるわけにはいかないので急ぎ足で町中を通り抜け交易所へと到着した。交易所のカウンターには早朝にもかかわらず既に受付嬢がスタンバイしていた。

「おはようございます。昨日はいろいろお世話になりました。」

 クリムは開口一番に挨拶をした。

「おはようございますクリム様。おや?セイランさんもご一緒なのですね。昨日はクリム様の事を調べていらっしゃいましたけど、無事会う事ができたのですね。」

「ええ、あなたに聞いた情報のおかげもあってスムーズに接触できたよ。ありがとうね。」

「お役に立てたのなら幸いです。」

 受付嬢は深々と頭を下げた。

「ところでクリム様、昨日引き受けてくださった巨大海老の送還はもう達成して頂けたのですか?彼の海老の棲み処はこの町から遠く離れた地にあるとおっしゃっていたと思いますが。」

「ああ、そうでしたね。」

 クリムはシュリを棲み処である深海に送り返しておくと約束していたのだが、色々あってシュリはクリムゾンに恩返しするために仲間に加わったので、その約束は果たせていないのだった。しかし巨大海老を町の近海から排除する事には成功しているし、ここに居るシュリが例の巨大海老であると一から説明するのは骨が折れるので適当に誤魔化す事にした。

「安心してください。ちゃんとあの子の居るべき場所へと送り届けましたから、この辺りに再び巨大海老が現れる事はないでしょう。」

「承知しました。ありがとうございます。」

 受付嬢は再び頭を下げた。

「ところで本日はどういったご用件でこちらにいらしたのですか?サテラ様にエビゴン様、それと初めてお目にかかる方達もいらっしゃる様ですが。」

「俺の名前はシュリっすよ。エビゴンは古い名前っす。」

 シュリはすぐに訂正した。

「え?エビゴン様ではないのですか?昨日は確かにそうおっしゃっていたと記憶していますが。」

「改名したんすよ。こっちの方がかっこいいでしょう?」

 シュリはドヤ顔で言い放ったが、受付嬢は困惑するばかりだった。

 シュリの話だけでは意味が分からないだろうと考えたクリムは少しフォローする事にした。

「えっとですね。シュリは昨日私の母であるクリムゾンと初めて会ったのですが、その際に母から正式な名前を付けて貰ったんですよ。エビゴンはとりあえず名無しでは困るので私がそう呼んでいただけの仮名だったのです。」

「ああ、なるほど。複雑な家庭の事情をお持ちだというお話は昨日も伺っておりましたのに、込み入った事情に踏み込んでしまった様で申し訳ありません。」

 受付嬢は慌てた様子で謝罪した。

「いえ、気にしないでください。それほど重大な話ではないので。」

 実のところまったく重大な話ではないのだが、細かく説明する手間を省いたために彼女に気を遣わせてしまった事を逆に申し訳なく思うクリムだった。


 受付嬢は気を取り直して話を再開した。

「そちらのお三方はどちら様ですか?クリム様やシュリ様と同じ翼を持っている点から察するに、こちらの方もクリム様の妹君でしょうか?」

 受付嬢はクリムゾンに視線を送りながら聞いた。

「ぼくはクリムゾンだよ。」

 クリムゾンがぶっきらぼうに答えた。

「ああ、なるほど。クリムゾンは私より背が低いですから、人間であるあなたがそう思うのも無理はないですね。こちら私の母です。」

「これはまたとんだ失礼を。申し訳ありません。」

 受付嬢は再び慌てて謝罪した。

「いえいえ、本当に気にしないでください。私達ドラゴンは人間の感覚からしたら異常な生態を持っていますので無理もない事です。」

「そう言っていただけると助かります。不勉強で申し訳ありません。」

 クリムゾンはドラゴンの中でもとりわけ異端の存在であるため、普通のドラゴンともまた違うのだが、例によって細かく説明すると大変なので曖昧な返事で済ませるクリムだった。

「では残りのお二方はどういったご関係でしょうか?」

 受付嬢は迂闊な事を言うとまた失言になりかねないので、反省を踏まえて自身の所感は述べない事にしたのだった。ちなみにアクアは青い髪と翼と尻尾をしているので、その特徴から青龍会の一員、要するに賢龍姫(セイランの人間からの呼称)の眷属ではないかと思っていた。

「私はアクアだよ。」

 アクアは元気に答えたが、受付嬢が聞きたいのはアクアが何者であるのか、誰とどういった続柄なのかと言った事なので、もちろんただ名前を聞いたわけではない。クリムゾン同様アクアは会話の機微を捉えられる程精神が成熟していないので、クリムが代わりに説明する事にした。

「アクアは私の妹ですよ。」

「あっそうなのですか?よかった。」

 受付嬢は予想がばっちり外れていたので、下手なことを言わなくてよかったと胸をなでおろした。

「ん?よかったって?」

 クリムが聞き返した。

「あっいえ、なんでもないです。」

 受付嬢は慌てて取り繕った。


 そして最後にスフィーが自己紹介した。

「私は樹人間アーブレヒューマのスフィーです。クリムゾン達とは家族関係というわけではないですが、相互に協力する仲間ですね。」

「アーブレ?それはいったいどういった意味ですか?」

「えっとですね、スフィロートの事を現代の人間は知らないそうなので説明が難しいですね。見ての通り植物の力を宿した人間と思ってください。」

「はい。承知しました。」

 受付嬢は身体から植物を生やした種族など見たことが無かったので、スフィーがどういった存在なのか計りかねていた。しかし上司であるセイランが連れてきた人物なのと、クリムの仲間という事も有って信用してもよいと判断したのだった。

 受付嬢が昨日今日会ったばかりのクリムに絶大な信頼を寄せているのは、近海に出現した怪物(と言ってもシュリの事だが)に不安を感じていた彼女の前にタイミングよく現れたのがクリムであったために吊り橋効果もあって、人間基準で言えば危険な任務を快く引き受けてくれた救世主の様なクリムを必要以上に信頼したためである。


「それで本日はどういったご用件でしょうか?」

 受付嬢はエビゴンの改名の件からすっかり話が逸れてしまっていたが、再度用件を尋ねた。

 これにセイランが答えた。

「彼女達にIDカードを作成しようと思って来たんだ。クリムと同様に辺境の島から出てきたばかりだから、みんな身分証を持ってないからね。」

「なるほど、そうでしたか。昨日エビゴン様・・・ではなくてシュリ様がこちらにおいでになった際にはIDカードの作成をなさらなかったので必要ないものと思っていましたが、そう言う事であれば昨日ご案内すればよかったですね。」

「いえ、昨日の時点とはまた事情が変わっていまして、あの後色々あってシュリも私の旅に同行する事になったので身分証が必要になったのですよ。」

 クリムが答えた。

「なるほど。また複雑な事情がありそうですね。深くはお聞きしませんが承知しました。急いで準備しますね。」

 実のところクリム達の旅に大した目的はないが、受付嬢は龍の巫女であるクリムの旅には壮大な目的があると勝手に思い込んでいるので、仲間を引き連れていく必要がある大きな問題が発生しているのだと解釈したのだった。


 こうして一通り自己紹介を済ませたクリムゾン達は本題のIDカード作成に移るのだった。

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