第40話 IDカード登録 あと龍の巫女(本物)登場

 怪物騒動の調査を終えたクリムは、依頼達成の報告のために交易所に戻ってきた。彼女が交易所の扉を開こうと近付くと、何やら建物の中から喧騒が聞こえてきたのだった。エビゴンを待たせているのでとっとと報告を済ませてエビゴンの元に戻るつもりだったクリムだが、ひと悶着ありそうだと直感した。

「こんにちはー。」

 クリムはひとまず扉を開き、挨拶をしながら内部の様子を探った。すると受付嬢と若い女性が口論しているのが確認できた。

「あっ、クリム様。どうされましたか?調査に必要な物が有ればなんでもおっしゃってくださいね。」

 受付嬢はクリムがまだ調査に向かう前だと思っていたため、クリムの調査への支援を提案したのだった。

「いえ、もう調査は済んだのでその必要はないですよ。」

「えっ?ついさっき出て行かれたばかりなのに、もう調査を終えられたのですか?流石ですね。」

「大した事ではないですよ。それで調査結果を報告しに来たのですが、先客がいるようですね。何か揉めていたようですが、どうしたんですか?」

 クリムはカウンターへと歩を進めながら、受付嬢と口論していた女性の姿をそれとなく確認した。その女性はクリムと同じくブロンドのロングヘア―で、どことなく顔もクリムに、つまりは聖女エコールに似ていた。この時点でクリムは彼女こそが当代の本物の龍の巫女であろうと確信したので、どう言い逃れをしようか考え始めていた。

 龍の巫女に成りすます以上、本物の龍の巫女と出くわす、あるいは彼女を知る者に出会う可能性は考えていたが、想像以上に早くその時が来てしまったのだった。


 だがクリムの心配をよそに、受付嬢の反応は彼女の想定とは真逆の物だった。

「それがですね、彼女が龍の巫女だと言い出したんですよ。既に龍の巫女であるクリム様がいらっしゃいますし、巫女様が複数いるなどという話は聞いたことがありませんので、嘘をついてはいけませんよと言って聞かせていたのですが、彼女ときたら開き直ってクリム様の方が偽物だと言い張るので困っていたのです。」

「あー・・・なるほど。」

 クリムは本物が偽物扱いされている状況を気の毒に思ったが、自分が偽物だと白状するとそれはそれで面倒な事になるのでどうしたものかと悩んだ。そして考えあぐねた結果、本物の出方を見る事にしたのだった。

 しかし当の本人はクリムの姿を見るやいなや、呆然として固まってしまっていたのだった。

「あなたは一体・・・。」

 推定龍の巫女はようやく口を開いたかと思えば、すぐに言い淀みそのまま口をつぐんでしまった。


 見つめ合ったまま固まった二人の様子にしびれを切らして受付嬢が声を掛けた。

「申し訳ありませんクリム様。彼女とは私が話を付けておきますので、調査報告をお願いできますか?」

 クリムは名も知らぬ少女の様子が気になったものの、押し黙った相手を待っていても仕方がないので、とりあえず調査報告を済ませてしまう事にした。

「では報告いたしますね。件の怪物ですが、確認したところただの大きな海老で、人に害を及ぼすような危険な生物ではありませんでした。どうやら津波によって流されてきただけのようですので、もちろん津波を起こすような力も持っていませんよ。念のため海老は元居た場所へと私が返しておきますので安心してください。」

 エビゴンの話から、津波の原因がクリムゾンのくしゃみであるとクリムはほぼ確信していたが、その事はあえて報告しなかった。現段階ではクリムゾンの存在を人間に報せるわけにもいかないという理由もあるが、元より彼女が引き受けたのは怪物の調査依頼であるため、津波の原因の調査までは請け負っていないので報告する義務はないという屁理屈だ。

「調査だけでなく事後処理までしていただけるのですか?危険が無いのであれば我々の方で対処しても良いのですが。」

「いえいえ、乗りかかった船ですし最後まで私が面倒を見ますよ。それにあなた方は海老の住処を知らないでしょう?この町からは距離がありますし、私にはこれから向かう目的地があるので、その道すがらついでに連れて行くだけなので気にしなくていいですよ。」

(クリムゾンに会わせる約束をエビゴンとはしていますし、そうでなくとも言葉を話せる彼を人間達に任せて放置するのは不安ですからね。)

「クリム様がそこまでおっしゃるのなら、よろしくお願いします。」

「はい、任されました。」

 建前と本音が交錯する調査報告だが、嘘はついていないので特に怪しまれずにやり過ごす事ができたのだった。


「ところで報酬の方はいかがいたしましょうか?IDカードを提示して頂ければ振り込ませていただきますが。」

「ID?振り込み?なんですかそれ?」

「失礼しました。クリム様はグランヴァニアの出身ですよね。それならばIDカードが無いのも無理はないですね。あの国は他所の国との交流が乏しいですからね。しかしそれならば今までどうやって旅をされていたのですか?すべて現金で取引されていたのでしょうか?」

「えっとですね。その事なんですが、実は私グランヴァニアの出ではないんですよ。少し説明が難しいですが、恐らくあなた方が認識している龍の巫女はそちらの彼女で間違いないと思いますよ。私は今日初めて故郷を離れて旅に出たばかりですので。」

 龍の巫女ご本人が現れた以上、成りすましを続行するのは無理があるとクリムは観念していたので、身分設定の軌道修正を計ろうと試みた。

「そうだったのですか?それならそうと最初に言ってくださればよかったのに。あなたも巫女様だったのですね。失礼いたしました。」

 受付嬢は未だ固まって動かない少女に向き直り非礼を詫びた。

「ええまぁ、彼女が何も言わないのでどうしようかと思っていたのですが・・・それはそれとして、IDカードとはどういったものですか?」

「はい、IDカードとは、正式には国際アイデンティティカードの略で、要するに身分証明書ですね。当交易所ではそう言った手続きも承っておりますので、よろしければお作りしましょうか?旅をされるのでしたら持っていた方が便利ですよ。」

「あっ、そうなんですね。ではよろしくお願いします。」

「承知しました。それでは氏名と出身国、それとご職業を教えていただけますか?おっと、職業は龍の巫女でいいですね。というわけで氏名と出身国だけで大丈夫です。」

「氏名は・・・」

 クリムはクリムゾンの名前を出してよいものか一瞬迷ったが、遥か昔に眠りについたクリムゾンの名前は、寿命の短い人間達の間では風化し伝わっていないのではないかと考えていたので、あえて本名をそのまま名乗り反応を見る事にした。

「私の氏名はクリム・クリムゾンです。」

「はいわかりました。クリム・クリムゾン・・・と。」

 受付嬢は特に変わった様子もなく身分証の作成用紙に氏名を記帳した。クリムの予想通り、悪龍の災厄から6200年を経た現代において、クリムゾンの名前は人間達にとっては既に忘れ去られた過去の物だったのだ。

 一方しばらく固まっていた龍の巫女(本物)は、クリムゾンの名前を聞きピクリと眉を動かした。クリムはその事に気が付いたが、少女がいまだ何も言い出さないのでやはり放置して様子を見ることにした。

「次に出身国ですが、私の故郷は国と呼べるほどの規模ではないし名前もない孤島なのですが、この場合はどうしたらいいですか?」

「そう言う事でしたら少々イレギュラーになりますが、クリム様さえよろしければアラヌイ商会の所属と言う事にしましょうか。我々の組織は無国籍ながら国家と同等の機能を備えておりますので、出身国として扱えるのですよ。身分証を用いた金銭の授受に際して当商会に納税して頂くことになりますが、税率は国際標準よりずっと低いのでその点では損はさせませんよ。また無名の孤島を出身地に登録する事も可能ですが、その場合は手続きが少々煩雑になります。地図にも乗らない様な孤島であれば現地調査を経て、その実態を国際人民ネットに乗せる等々・・・。」

「あっはい大丈夫です。了解しました。アラヌイ商会の所属にしてください。」

 クリムゾンの棲む孤島を調査されても困るので、クリムは受付嬢の話を遮った。

「承知しました。それでは数分お時間をいただきますので、お好きな席に掛けてお待ちください。」

「はい、わかりました。」

 クリムは促されるまま窓の近くにある椅子へと座った。国際的な身分証など聖女エコールが生きた時代にはなかったので、クリムにとってはいろいろと未知の体験であった。聖女の記憶もクリムの実体験とは言えないので、その表現は正確ではないが、とにかくクリムにとっては現代社会は知らない事だらけなのだ。

 しかしよくよく考えてみれば氏名と出身国を聞かれただけで、その真偽は一切調査されていないので、これではいくらでも偽証が可能ではないかとクリムは思った。もっとも今日産まれたばかりのクリムの素性を調べる事など不可能であるし、いい加減な手続きであることは彼女にとっては都合がいいのだが。

 彼女の疑問は当然だが、本来ID登録は産まれた時点で行われるので不正が行われることは通常あり得ない。あくまでも彼女の登録方法がイレギュラーなせいである。また受付嬢がクリムに対して謎の信頼を寄せている事も、いい加減な手続きが行われた一因であった。住所不定の彼女の手続きは本来綿密な調査が必要なのだが、受付嬢の独断で大幅に手続きを簡略化したのである。


 クリムが窓の外を眺めていると、先ほどの少女が隣にやってきた。

 おそらく龍の巫女である少女の話を聞いておきたかったクリムだが、受付嬢の前ではいろいろと聞くのに不都合だったので、彼女が自らやってきてくれたのは好都合であった。

 まずは少女の出かたを伺い、可能であればグランヴァニアやグラニアの現状について情報収集しようと企むクリムだった。

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