第2話 覚醒

―――混沌暴帝龍カオスロード・ドラゴン・クリムゾンが眠りについてから幾星霜の時が流れていた。

 かつては全世界で暴れ回りその悪名を轟かせていたドラゴンだが、長い時間を経ることで、彼の龍が起こした大災害はもはや伝説となり、その実在を信じる者は現在の地上にはほとんど存在しない。

 同じ時代を生きた龍種と、一部の例外を除いては……。


 暗く深い海の底で……一頭のドラゴンが悠久の眠りから覚醒しようとしていた。

 ドラゴンの眠る深海を訪れる者は深海クラゲや甲殻類と、それらを捕食する深海生物だけである。深海には海藻がほとんど生えておらず、被捕食者にとっては隠れる場所に乏しい環境だ。そんな中で深海に転がるドラゴンの体は彼らの絶好の隠れ場所となっており、その周囲にちょっとしたビオトープを形成していた。深海生物が何をしたところで頑強なドラゴンの体に影響を与える事はなかったのだが、ある日ちょっとした事件が起きた。深海魚に追われる小さな海老が必死に逃げ惑った末に、ドラゴンの鼻の穴に入り込んでしまったのだ。

「ぶえっくしょい!」

 爆発と聞き紛う轟音とともに、ドラゴンの巨体が跳ねてちょっとした地震が起きた。長い年月の間に降り積もったマリンスノー|(深海に降り注ぐプランクトンの死骸)は、ドラゴンの全身を覆い固めてまるで卵の様になっていたが、くしゃみの振動によってバリバリと破れ、深紅の球体が姿を現した。

 生存競争という世界最古の闘争が、戦いを好む暴龍を目覚めさせたことは、偶然とはいえ宿命めいた因果を感じさせる事象であった。

 こうして最強のドラゴンはその長い眠りから目覚めたのだ。


 寝起きのドラゴンは、さっそくその真ん丸な巨体を浮上させ海上に姿を現した。そして長い首を前後左右にゆっくりと振って周囲の様子を探ったが、深い海溝の真上にある海域は大陸から遠く離れているため、一面海原が広がっているのみで辺りには何もない。ドラゴンは周囲を見回しながら、未だ夢現でぼんやりしている頭を、長い首ごと物理的に捻って眠気を覚ました。そして少しずつ眠りに付く前の事を思い出し始めていた。どのくらいの期間眠っていたのか、がっつり熟睡していたのでドラゴン自身にもわからなかったが、そう短くはない年月が経過したであろうことを感じていた。深海から浮上する際に見た海洋生物達は、ドラゴンが眠りに付く前に見慣れたそれとは明らかに違っており、彼らの進化が数千年単位の時間の経過を示していたのだ。

「とりあえず今の世界情勢が知りたいな。」

 広大な海にただ一頭漂流するドラゴンは小さく呟いた。もちろんそれに答える者はなく、ウミネコに似た海鳥がミャーミャーと鳴くのみであった。

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