時の階段

じゆ

時の階段


 今日もいつもと同じ電車に乗り、帰路につく。行きの電車と違って、中高生が目立つ。明るい。たぶんそれだろう。

朝の雰囲気とは異なり、学生がそれぞれにしかわからないような事で談笑する。

この年で言うのもなんだが、若さは尊い。おそらく今の私の表情を見たら、大人になんかなりたくないと思わせるだろう。

ちっ、と隣の会社員のおっさんが舌打ちを打つ。会社で何があったか知らないが、もう少し耐えてよ、と心の中でおもいながら、電車を降りる。降りながら、学生たちの声を聴いて心の中で舌打ちを打つ。

私の家は実家から車で三十分ほどのマンションで、家賃は借りたての頃は親のすねを骨までかじっていたが、

仕事を始めてからは、自分でほとんどの生活を送れている。駅からの帰り道コンビニに行って、缶ビールとつまみのチータラを買った。今日も一人で飲みながら、湊にでも愚痴を吐かなければ持たない。

大学に入学してからだから、もう、八年も続けてきたように、他と比べれば低い五階建てのマンションの三階、304号室に向かって、すたすたと歩く。そのまま、カバンから、鍵を差し込むと、いつもと違う感触がした。

鍵が開いている。八年間で、一度たりとも鍵のかけ忘れはしたことがないし。それに、今日の朝はいつもよりも余裕があったはずだ。おかしい、と思いながら、ゆっくりと扉を開くと。男性のくつが玄関にあった。

とてもよく使い古されたナイキのくつ。その靴には見覚えがあった。玄関で立ち尽くしていると、リビングの方から、

「由美、お帰り。お前そんなところで突っ立って何してんだ。」

やはり、兄貴だった。兄貴はものに執着がなく、使えなくなるまで新しいのは買わないような人だ。

「お兄ちゃん、来るなら言ってよ。」

そう言いながら、靴を脱ぎ、リビングへ向かう。兄貴はいつも、必要なもの以外は持たない。兄貴の周りには大きな荷物がなかったので、泊まるつもりはないらしい。大方、あまり連絡のよこさない親不孝の娘の様子でも見てきてと言われたのだろう。

「お疲れ様。おー、ビールか。お前もビールが好きなんだな。それにしてもこんな量を一人で飲むのか。」

私はビニール袋に入った六本のビールを眺め、思わず苦笑いした。まさか、お兄ちゃんが来ていることは知らなかったのに。兄貴もビールが好きだった。おつまみのチータラをよく一緒に食べていた。

「ははぁん、やけ酒だな。お前に愚痴られる友達のことを考えてやれよ。」

「私、友達に愚痴るなんて言った。」

「いや、お前ならそうするかも、なんて思ってな。お前が高校一年生の頃隣のクラスのナントカっていう男子が好きで一晩中電話してたじゃねえか。」

「お兄ちゃんよく覚えているね。お兄ちゃんの勘の良さにはいつも驚かせれるよ。お前がニブチンだからだよ。

 そんなことより、お前腹減ってねえか。俺久しぶりに何か作ってやるよ。」

「うーん、じゃあ、オムライス。」

「オムライスか。もっとすごいのでもいいぞ、そんなものじゃなくても。だてにホテルで調理長をやっていたわけじゃないからな。」

「ううん、オムライスでいい。オムライスがいい。お兄ちゃんの作るオムライスが好きなんだ。」

「殊勝な妹だな。ほめてもにやけ顔しかできんぞ。」

そう照れながら言う兄貴は手を洗い、袖をまくる。男にしては色白だが、しっかりと指はごつごつしている。

淡々と野菜を切っていく音が聞こえる。私は料理をしている兄貴の目が好きだ。とても楽しそうでけど、りりしくて。

そんな兄貴の料理姿を見つめていたら、振り返った兄貴と目が合い、兄貴が肩をすくめた。

「そんなに手伝いたいなら、玉ねぎでも切ってくれないか。」

私の心は、仕事での疲れを忘れたかのように軽くなった。

兄貴と並んで料理するのは何年前だろうか。私より三つ年上の兄貴は、私と一緒で大学生から独り暮らしをするため家をでて行った。おそらく十年ほど前の話だろう。あの時も確か、オムライスだった。

ホテルの厨房でアルバイトをしていた兄貴は料理が上手だった。

なんて、過去の回想に浸っていると、料理は完成して、食卓に並べられてた。

以前と全く変わっていない。味も見た目も、兄貴も。妹が落ち込んでいるときにはいつもそっと支えてくれる。

急に視界がぼやけた。目に浮かんだ涙は頬を伝って落ちて行った。

兄貴はそんな私の様子に驚くことなく、いつもと変わらない穏やかな表情で見つめていた。

「俺はお前のたった一人のお兄ちゃんだから、隠すことなんてない。いつまでたってもお前は可愛い妹だ。」

涙はとめどなくあふれていた。泣きながら、食べたオムライスの味はとてもやさしかった。

 目が覚めた。昨日は兄貴に見つめられながら号泣して泣き疲れてそのまま寝たのだった。会社に行く気にもなれず、ベッドでごろごろしていたが、とりあえず、洗面台に行き、悲惨な顔面を冷たい水で洗った。鏡の中の自分は昨日よりなぜか軽く感じた。カーテンを開け、澄み渡った空を仰ぐ。朝日が部屋の中を照らしていた。

朝ご飯はベーコンと卵、みそ汁、ご飯だ。自分の好きな朝ご飯。台所には昨日使った食器がそのままになっていた。

ごはんを食べ、着替えを済ませ、身支度を整える。習慣になっている行動だ。

昨日、訪れた珍客に不思議な感覚を覚えながら、仏壇に手を合わせる。

仏壇には二枚の写真が飾ってある。兄と母だった。まったく、娘にくらい自分で会いにくればいいのに。

玄関に行き、履きなれたハイヒールを履いた。家を出て、ドアを閉めようとしたときに、ふと。

きっちりと揃えられたナイキのくつがあるような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時の階段 じゆ @4ro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ