地球の隅

じゆ

探し物


 エピローグ

 その夜は終日雨が降っていた。たくさんの雫がネオンの光を中に取り込みながら降り注いだ。ネオン街ではどこかで鳴り響くサイレンの音が響いていた。路地では、傘を差しながら泥酔の上司の世話をしている男が鬱々とした感情を表にだしていて、ホテルの光の下ではしたり顔の男女が数人歩いている。そんな中、一行に鳴りやまないサイレンの音が浮いてくる。ネオン街から少し離れた広い国道を数台の警察車両が雫に走馬燈を映しながら走り去る。翌日の新聞で、昨日警察車両の行方が報じられていた。近日の連続殺人で三件目の事件の後、また一つ死人がが出てきた。場所は港で、海で死体のようなものが浮いていると通行人から通報されたのであった。


 一章 再会

 僕は白いベッドの上で目覚めた。ぽつんと一つベッドが置かれた大きな部屋だった。カーテンの開かれた窓は開いていたが、外の音は聞こえなかった。開かれた窓の中にはゆっくりと雲の流れている青空があった。

 流れゆく雲を眺めていると、不意に部屋のドアが開かれる音がした。視線をそちらにやると、中年の女性が大きく目を見開いて立っていた。その眼には涙がうかんでいた。彼女はしばらく世にも奇妙な出来事を目の当たりにしたように固まっていたが、ふと、緊張が解けたように頼りない足取りで近づいて抱きついてきた。何かを話しているようだったが、聞こえなかった。

 しばらくして、医師らしき男の人がやってきて、やっと女性からの束縛から解放された。そして、段々と耳が起きてきて、聞こえるようになってきた。医師は僕のことをレンと呼んでいた。彼は僕の何が起きているのか理解できていないと言わんとする態度に気づいて、僕にいくつか質問をしたが、どれも何のことなのか分からなかった。そして、彼は僕を諭すように僕の身に起こった事情をかいつまんで話した。どうやら僕は二日前に自動車と接触する事故に巻き込まれたらしい。もっと詳しいことを聞こうと思って声を出そうとすると、ドアの前に若い男女が立っているのが見えた。僕が彼らを見ていると、彼らの中の女性と目が合いしばらくして、彼らが部屋に入ってきた。


 ここからは彼らが話してくれたものだ。彼らは高校を卒業して間もないという。僕の同級生だ。

 僕は彼ら、小此木美佳(おこのぎみか)、鈴木智香子(すずきちかこ)、泉宏樹(いずみひろき)の三人

 と卒業式の余韻を抱いたまま河川敷に向かっていた。僕たちの間には言葉を詰まらせるような荘重な空気が漂っていた。ふと、美佳がその空気を破った。

「みんな、これでさよなら、じゃないんだし安心しよ。入試が心配なのは分かるけど、今ぐらい明るくしよ。」

「そうだよ、美佳の言う通りだよ。ねえ、宏樹行こ。どうしたのさっきから。」

 智香子がうつむきがちで歩く宏樹のそば寄ろうとしたとき、それを払いのけるように宏樹の言葉が空気を振動させた。

「なあ、お前らも気になってたんだろ。俺らを裏切ったと思えば、何事もなかったように戻ってきた誰かさ んによぉ。さっきからだんまり決めてるからって見逃すと思うなよ。」

 視線を上げずにどすのきいた声で言った。残った二人はその「誰かさん」の方を向いて反応を待つようにして見つめた。

 すると、警察のサイレンが鳴り響いたかと思うと、大きな音を立てながら灰色のワゴン車が迫ってきていた。よける暇さえ与えずに歩道に突っ込んだ。ドライバーは警官飲酒運転を咎められるのを恐れて、慌てて逃げようとしたといいう。飲酒運転のため車体が安定せず蛇行しながら発進し、歩道にぶつかり止まったということであった。その時僕が三人をかばうようにして、彼らはほぼ無傷だったという。その際に脳に強い衝撃が与えられ、一時的な記憶欠損になったといううことらしい。

 話を聞き終わった後、空が赤らんでいた。聞いた話を整理したいし、体力があまり残っていないので、今日はここまでにすることにした。ベッドに体を預けて窓の少し右側が藍色に染まっている空を眺めた。

 北枕ではないな、などとどうでも考えていると不意に眠気が襲ってきた。閉じていく瞳には宵の明星がきれいに輝いていた。


 二章 豹変

 磯の香が厭でも鼻につく。ここ数日の連続殺人事件の一角かもしれないということで、港の波止場に来ている。殺人は県内で数日おきに起きているおそらく今回も含めて同一犯の犯行であろう。今ここの近くに殺人鬼がいるなんて厭な話だ、なんて思いながら警察手帳を出すために胸ポケットに手を忍ばせる。

 所轄の刑事に警察手帳を見せながら挨拶する。

「ご苦労様です。捜査一課、田中平志(たなかへいじ)です。現在の状況はどうですか。」

「まだ、鑑識が来ていませんのであまり現場には近づかないようにとのことです。」

「そうですか、ありがとうございます。」

 風ではためいている黄色に染められたテープを手で上げてくぐった。

 現段階では、自殺か他殺か判断し難かった。近くに所持品をまとめた痕跡や遺書のようなものがないことから他殺ということで捜査を進めている。白い手袋をつけて、遺体の側にに寄り手を合わして冥福を祈りながら、顔に目をやる。特に目立った障害もなく、争いあった形跡もない。おそらく、一方的な犯行だったのだろう。などと推測していると鑑識班がやって来た。

 ヤツらはあまり俺たちに好意は抱いていない様で、むしろ煙たがられている。いつものように遅れて登場のくせにデカい面下げよって、と心の中で愚痴をこぼして現場から離れる。一旦署に戻ってこれまでの事件を振り返ることにした。

 自分のデスクに向かい、乱雑に置かれた膨大な情報の中から今回の事件に関する情報を探す。

 こういう時にこそパソコンを使うべきだと思うが、なかなかしようとはならずに数年経っている。上から三番目のところで見つけた。資料に目を通し始める。

 最初の事件は、河川敷に人が倒れていると通報があり、向かったところ、そこには所持品はあまりなく少し出かけに行ってくるような姿である女性が倒れていて、もう既に息は無ったようだ。死因は、薬のオーバードーズであった。検死の結果だと鎮痛薬が胃の中から、規定の3倍の量が検出されたという事であった。こちらも争った形跡はなく、おそらく顔見知りによる犯行であろうということであったが、容疑者は絞り込めずにいる間に二件目の事件が起きた。

 二件目の事件は、一件の交通事故によって始まる。ある日の午後十時ごろ高速道路で車一台が大破する事故が起きた。それにより、男性ドライバーが即死の状態で発見された。最初のうちは事故として処理していたが、ドライバーが飲んでいたであろうペットボトルの中身から本人のものではない睡眠薬が含まれていたことから、他殺の可能性を含んで調べ始めた矢先に三件目の事件が起こった。

三件目の事件は被害者の自宅で起こったと考えられる。独り暮らしの女子大学生が風呂で溺死していたという。事故にしては不可解な点が多すぎるということで事件性があるとして捜査を進めた。

これらの事件の共通点は被害者が三人とも大学生であること、争った形跡がないこと、そして同じ高校の同級生であるということ。

このことより絞り込まれた被疑者は一人いる。いや、いたと言うのが正しいだろう。その被疑者の名は松山連。今回の事件の被害者である。

 彼について、聞き込みした調査によると、小学校のころからあまり人前に出ることが好きでない暗い子であった、ということであった。

感情を表を出さなかった彼がなぜか高校になって人が変わったように明るくなったという。中学の同級生の子に話を聞いたところ不思議な体験をしたということがあった。修学旅行での話だ。同級生の彼が夜ふと目が覚めた時体を起こして目を開けると、松山が起きていた。

窓から差し込んだ月明かりが部屋に舞う塵を照らし、幻想的な筋を作る。外からは夜の静けさが迫ってきていた。その中に松山は窓から空を眺めていた。そして、松山は彼に気づいて笑ったという。彼はその笑みに驚いた、互いに気分が高揚していたのだろう。そして二人で黒の画用紙にいろいろな色の絵の具を筆で飛ばしたような星空の下で語り合った。松山は日ごろの彼をひっくり返したような喋り様だった。

別人に見えた。やがて二人に間に綿に包まれるような心地よさが迫ってきた。

次に目が覚めたら部屋には窓についた水滴と布団に残った暖かさしかなかった。松山はこの日もいつものように感情を表に出さなかったという。

 このことから松山には双極性障害の可能性があるとなっていた。一通りやりたいことを終えたため鑑識結果を待つことにした。

給湯室に入って、棚からインスタントコーヒーと愛用している珈琲渋の残ったマグカップを取り出す。マグカップに入れたインスタントコーヒーに湯を注ぐ。マグカップから湯気が立ち上り、ブルーマウンテンの香を誘う。


三章 泡沫

 僕の中に僕以外の人がいると思ったのは中学に入ってからだった。特に喋ったことのない子に頻繁に声をかけられたりすることがあったり、寝ている間に物事をしているということがあった。親には黙っていた、さほど大事でもないと思っていたからだ。よく、自分の中で誰かが話していると感じることがある。僕は彼を朱(あや)と呼ぶことにした。朱は僕とは正反対、否、表裏一体のようであった。

朱はよく、夜に現れた。中学まではあまり存在感が濃くなかったが、中学三年生のあの日を境に一気ににじみ出てきた。

まるで紙に落とされた朱墨のように体中に広がった。その勢いは止まらず高校に進学する前には半分近くが朱に染まっていた。

そのころになると、僕が前に出ることが減っていった。泥中の白い蓮が赤に染められた時には僕はほとんど朱のことを眺めているだけになっていった。明るくてクラスの中心となりムードメーカーとして重宝された朱、自分の感情を相手に伝えることに躊躇いのない朱、

通学路で笑顔という造花を活(い)けていく朱。そんな朱を眺めているいるうちに僕はドロドロとした何かに飲み込まれていった。

感情を出してはいけない僕はその時、黒々としたものに包まれたとき、僕は心地よかった、羽を伸ばせた。

それから、僕は朱にちょっかいをかけ始めた。最初はちょっとしたものだった。少し体を制御して、朱の周りにいる子にぶつかったり、

必要以上にきつく当たったりしていただけだった。けど、ドロドロの一部になりかけていた僕は止まれなかった、止めなかった。

ただただ、やることで得られる快感に魅せられていった。唐突に一人の子を人の欲望の捌け口のように接するよう周りを仕向けたり、

人を区別して話させたりした。やがてその子は学校に来なくなった。席がなくなっていた。別にそんなこと僕にはどうでもよかった。

ある時朱が僕に言った。

「こんなことやめて。あなたも私も何の得もないでしょ。」

しかし、その言葉は僕には響かなかった。朱の中で僕はドロドロとしたものとなっていた。僕は満足していた。

僕があまり外に出ていないうちに朱は着々と高校を進学していった。その間に朱には特に仲良く接するこが三人いた。名前までは憶えていない。やがて高校を卒業した。朱は僕には光に見えた。光というものは存在するだけで影を作ってしまう。だから、光 即ち 影

である。なのになぜ、僕と朱は異なる。

朱は幸せだ。

僕は、欲望の権化だ。

朱は美しく輝いている光の筋だ。

僕は醜く黒々とし、ドロドロとした塊だ。

僕は朱に嫉妬した。僕は朱を、そして、朱を認める奴らを認めたくなかった。

僕は朱の中で自分に刺さった刃を朱に向けた。儚く消えそうな刃は月光のように煌めいた。


四章 一蓮托生

捜査を進めていくと、松山の自宅から遺書が発見された。これをもって連続殺人事件は幕を閉じた。その遺書にはこう書かれていた。

「僕、否、僕らは連続殺人事件の被害者、小此木美佳、鈴木智香子、泉宏樹の三名を殺害しました。

 僕の中には二人の人格が存在しています。松山蓮と、朱(あや)です。これを書いているのは松山朱です。

 ここに事件の真相記します。

 蓮は朱の中でずっと苦悶し続けました。心の中からいなくならない嫉妬心。

 蓮は自分がこのように嘆くのは朱のせいである。ならば朱に降りてきてもらえばいい。そうすれば僕は上を見上げて、辛くなることはな い、と考えています

 そこで、まず、美佳を家に呼び、談笑する間にお酒やつまみの中に大量の鎮痛剤をいれ、意識のあるうちに

 外の空気に当たりに行こう、と河川敷まで連れてそこで寝かせました。助けを呼ぶ気力すらなかったのか、眠るようでした。

 次に、宏樹を遊びに行くと称して車で誘い、帰る寸前に彼の飲んでいたペットボトルの中に睡眠薬を入れていました。

 この時から僕は心のどこかで何かが崩れていくように感じられ、崩れてできた穴から黒いものが流れてきました。

 僕の中の光を隠すかのようにそれはどんどん増していきました。

 二人の死に怯えた智香子が僕を家に呼びました。チャンスを目の前に僕は、僕らは飛びつきました。

 彼女が風呂に入って髪の毛を洗っているときに後ろから洗面器に向かって顔を押し付けました。彼女は悶え苦しみ、届きもしない

 叫びを水中で発しました。その叫びが空気の泡となって洗面器の水の中を走っていく。やっと、浴室が元の静けさを取り戻したあと、

 髪を洗い流し、風呂に入れて事故を装いました。

 その間ずっと高揚する心に恐れを覚えて、僕は逃げようとしました。僕の中の光を隠してしまいそうな快感から。

 しかし、それから逃げようとすればするほど巻き付いてきて離れられないのです。

 だから、僕は僕が光であるうちに快感もろとも壊してしまいます。」

遺書によって伝えられたことは二重人格だろうがなんだろうが、人ひとりのエゴによって、人が三人も殺されたという事実を

より如実にしただけであった。胸糞悪い思いを抱えながら窓から街を見下ろす。人がそれぞれの目的のため行き交う。

日常生活の中で少し視野を広くしてみると、そこにはエゴの寄せ集めで成り立った情景が見えてくる。

この署にも、エゴの押し付け合いのために訪ねる人たちがたくさんいる。

この世界のどこかでだれが泣こうとも、悲しもうとも、死んでも、俺たちの生活には何の変化もない。俺たちの心には何も変化がない。

そんなエゴイストで詰まった街を見た。

そして、醜いものが詰まった書類の山を見る。

大きく、広く、丸い地球の隅っこでため息をこぼした。


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