『七ツ森』21


      21


「始まったようだね」

 第三の森中腹、やや開けた地点でガルタンダールは足を止めた。

 供をするのは、エイボン卿ただ一人である。

「百人部隊を相手にニールス・ユーダリルがどこまでやれるか、はてさて楽しみだ。逆かもしれないが」

 ガルタンダールの言葉にはどこか他人事な響きがあった。

「主よ。すでに怪殖子ゾルファーケンは放たれました。呪力を探ったところによれば、さっそくプラントと化した個体もおる様子。たとえ森の魔術師といえど、全てを対処するには手が回りますまい」

 エイボンの言葉には、精鋭部隊や自身が立案した作戦を軽く見る主への、無意識の抗議が含まれている。どれほど闇の存在に忠を尽くそうとも、会話ができる限りは相手との正しい距離感を見失う。百年以上の時を生きるエイボンの、ふと漏れ出てしまった人間的な感情である。ガルタンダールがそれに気付いたかどうかはわからない。銀髪の怪物はチェスの盤面を眺めるかの如く、静かな笑みを浮かべた。

くわだて通りいくと期待できそうかな? 何にせよ、彼らが働いてくれているうちにこちらの用事を進めよう。いくら我らの呪力を隠蔽しているとはいえ、いつニールス・ユーダリルが気付くかわからないからね」

 ガルタンダールはゆらりと地面に手を突いた。

「さあ、まずは鍵だ。一週間程度前なら、まだそう遠くには行っていまい」

 呪力が、地面を走った。ガルタンダールの掌から放たれた赤い粒子が地中に染み込み、一瞬、強い光を放つと、たちまち地面が奇怪に歪み、渦を巻いて闇のそのものに変貌する。

「異界へのゲート……。魔力溢れるこの森の中で、こんなに簡単に……」

「このアバター肉体は調査用だからね。魔力の薄い箇所や、ゲートを開けられそうな箇所は探知できるようにしてある。まして、この辺りは霧に乗じた悪行の伝説が残る地。私とは相性がいいのさ」

 言いながら、ガルタンダールは地に開いた渦巻く闇のゲートに手を入れ、しばし探るように動かした。

「……いかがですか」

「待て待て。もう少し、もう少しだ」

 闇の中で赤い光が揺らめいた。次の瞬間、ガルタンダールは勢いよく手を下方に突っ込むと、闇の中で捕まえたらしいをゆっくりと引っ張りあげた。

 禍々しい形状の金属でできた物体。

 鍵、だ。赤い光の線で雁字搦めにされ、抵抗するようにガルタンダールの手の中で暴れている。

「よし、見つけたぞ。デズモンド卿の鍵だ」

 呪牢の鍵。使用者が手に入れた怪物を意のままに操るための鍵である。

「お見事でございます」

 エイボンは頭を垂れた。

 捕まえられた鍵は怒りを暴れようで、自らを縛る赤い線を破ろうとしている。

「ははっ。これはすごいな。意地でも私の物になる気はないらしい。デズモンド卿は、少なくとも持っていた鍵だけは本物だったというわけだ」

 ガルタンダールの指が蜘蛛の脚のように動き、抵抗する鍵を赤い光できつく縛り、唇を鍵に寄せて囁く。

「そう怒るな。君の力がどうしても必要なんだ。このアバターでは私の能力の全てを出す事はできないからね。ちょっとの間、私の鍵として使わせてもらうよ」

 言って、ガルタンダールは顔を上げ、エイボンをちらりと見た。

「では、エイボン。私は予定通りを連れてこのまま進む。があるのはさらに深い層の異界だ。もっと大きなゲートを作ろう。下準備を進めてくれ」

 エイボンは僅かに躊躇った。大呪術師としての矜持が主の命に従う事を邪魔していた。

「……あんな、御身の役に立ちますでしょうか。昨晩より抵抗著しく、いつ暴走する事か。あれを使うくらいでしたら、我が手駒をいくらでも……」

「エイボン」

 ガルタンダールの言葉にはまるでエイボンの全てを見透かしたかのような余裕があった。

「いかなる道具でも使いようだ。私は彼女を使って、ぜひともこのアイディアを実現したいんだ」

 赤い光線に囚われた禍々しい鍵が、がくがくと宙で震えながら、何もないところで刺さったように停滞し、回った。

 錠の開く音が、重々しく響いた。

「当代最高峰と謳われる魔術師にも人の心はあるか。今、この状況こそそれを試す好機だ。エイボン、見せつけてやろうじゃないか。彼の森も、彼が守るものも、私たちにとっては靴底で踏みにじる土くれに過ぎないのだということを」

 鍵の先で新たな闇が生まれていた。赤い光の線が交錯し、腐臭と血臭が入り混じった嫌な臭いがした。闇の中では、髪の長い獣が低く唸りながらうずくまっていた。

 ガルタンダールの視線が、闇の中の獣を舐めた。

「さあ、出番だ。お嬢さん。新しい友達に会いに行こう」



 祭司隊プリーストの詠唱が最高潮を迎える。空に異界からの怪物を呼び出す召喚陣が、地にはそれを受け止めるための固定陣が完全な形で描かれていた。

「呪力臨界点。間もなく召喚されます」

 部下がそう言った瞬間、アシッド・スティングレイは空の召喚陣から黒い靄が漏れ出たのを見た。

 震動。召喚陣が歪曲。巨大な影が現れる。円錐に似た体型。ぬらりとした表皮のそこかしこに小さな穴があり、頂点に当たる箇所はさながら活火山の火口の如く開いていて、その周辺からは触手のようなものが無数に生えている。二十メートルほどの巨体のそれは、ゆっくりと固定陣の上に着地した。

「プラント、召喚。着地成功」

「続いて足場を転送。足場の出現後、守備分隊は持ち場に回れ」

 指揮所として設置した幕屋の中で指示が飛ぶ。中にいる隊員たちは供給器ブースターのボンベとマスク、ゴーグルを所定の位置に置き、それぞれノートパソコンや地図と向き合いながら作戦を進めている。スティングレイは召喚されたばかりのプラントを見た。異界の海の怪物が、見慣れぬ世界の空気を吸い込むように蠕動している。不気味な見た目だが、あのプラントがこの作戦の肝だ。

「様子はどうだ」

 部隊全体の呪力を監視する三人のオペレーターのうち一人に、スティングレイは尋ねる。

「順調に魔力を吸っています。予想では三分に一体のペースで怪殖子ゾルファーケンを産出。呪力範囲が広まればスピードも上がる見込みです」

「さすがに最初から秒単位とはいかんか。まあいい。祭司隊を次の召喚地点に移動させろ。守備分隊は予定通り二分隊がプラントを防衛。残りは全員祭司隊に付けろ」

 指示を飛ばしたその時、別のオペレーターが緊張した面持ちで振り返った。

「少佐。攻撃隊の動きに異変。半数のマーカーがその場で停滞しています」

「何だと」

 スティングレイはすぐにオペレーターのノートパソコンを覗き込んだ。この場合のマーカーとは各隊員が背負った供給器の呪力の事だ。作戦中、攻撃隊は供給器を背負ったまま行動する。指揮所ではレーダーを使ってマーカー位置を逐一探知しているが、この森は魔力が濃く、位置を知るのにもタイムラグがある。画面上の動きがあるマーカーはカクついていたが、今も動いている。対して、完全に停止したままのマーカーは一向に動かない。

 その数は十五。攻撃隊のちょうど半数である。

「マップ上では森の深部に近付いています。魔力濃度の関係で探知が途切れている可能性がありますが……」

「……いや」

 スティングレイは部下の言葉に首を横に振り、

「指揮所を放棄する。所内の隊員はただちに供給器を再装備。武器も忘れるな。オペレーターチームは機材を持って祭司隊とともに行け。大尉、ほかに二名を連れ、指揮官として同行しろ。三人は俺と残れ」

「少佐。一体何が――」

「攻撃隊は半壊した。森の魔術師が来る」

 大尉の言葉に端的に答えながら、スティングレイは自分の装備を手に取る。

「急げ。プラントの召喚は奴にも見えているはずだ。すぐに奴はここに来る」



 スティングレイの読みは正しかった。自身を複数の動物に変化させ、森の中の濃い魔力に身を隠しながら進行したニールス・ユーダリルは、プラントから三キロほど離れた地点のひと際高い木に登って、双眼鏡でプラントと指揮所を確認していた。

「うわ、足場まで転送してる。居座る気だなあ……クレマチス、聞こえるかい。そっちの様子は?」

 ニールスは双眼鏡を覗きながら、遠くにいるクレマチスに話しかけた。

『――聞こえていますわ。師よ――少し、話しづらいですわ。――何だか、イカみたいなのが――塚を――作って――』

 魔力によって繋がっている者同士が行える遠隔通話だ。自身の魔力が送信機と受信機を兼ね、近くにスピーカーがあるかのように声を響かせる。通信状況は悪かった。呪力が結界を侵食しているせいで、普段森に満ちている魔力が失われているのだろう。

「そのイカは怪殖子ゾルファーケンだ。塚はプラントといって、怪殖子が変身する。すまないが全て始末してくれ。プラントが増えると面倒だ」

『――わかり――ましたが――』

『クレマチス、曲がるよ! しっかり掴まって!』

 ヴェストリが叫んでいる。馬が嘶く。二人が乗っているのは戦車チャリオットと呼んでいる特殊な二頭立ての戦闘用馬車だ。クレマチスは弓の腕もかなりものだし、ヴェストリは馬の扱いがうまい。戦車の機動力は折り紙付きだ。かなりの数、敵を減らしてくれるだろう。

「任せるよ」

 言って、ニールスは通信を切った。いつまでも話してはいられない。約三キロ先に見えるプラントは二十メートルはあるだろう。あれが、怪殖子を量産しだしたら手に負えない。

 あのプラントを無力化する、と同時に、三キロの距離を一気に移動して、周囲の百人部隊を殲滅せんめつする。

 矢筒の矢は残り十七本。先に使った三本はどれも呪力で腐ってしまったので回収はできなかった。補充する手段もないではないが、無駄な時間は使えない。

 これでやるしかないだろう。

魔力よ、満ちよフェオ叡智オスよ、風を集めよアッシュ

 袖口から三つのルーン・ストーンが飛び出し、魔術を展開する。深緑の魔力がニールスの背後に大きな筒を形作り、風が筒に向かって逆巻いていく。向かい風でローブがはためく。ニールスは風の抵抗を受けながら矢を取り出し、弓につがえながらプラントに狙いを定める。

 まったく、面倒なものを持ち込んでくれたものだ。

「〝凍れイス〟」

 ルーンの名を唱えると、やじりイスのルーンが小さく刻まれる――



 スティングレイの命を受けて、プラントの周辺から祭司隊の撤退が始まっていた。プラントはようやく一匹目の怪殖子を吐き出したところだ。守備分隊の一人が周辺をくまなく見張っていた。油断はできない。一秒後にニールス・ユーダリルが現れてもおかしくないのだ。

 ――風を切る音がした。

 その隊員がプラントを振り返ったのはまったくの偶然と言っていいだろう。彼は耳を掠めた風切り音を何の意図もなく追っただけであった。彼の目に見えたのは、プラントに何かが突き刺さった瞬間である。直後、プラントの表皮が真っ白に染まり始めた。冷ややかな空気を感じる。冷気。プラントが凍り始めている。

 彼は正面を向く。矢が飛んできた方向。何か遠くでボン、と弾けるような音が聞こえた。だが、その時にはすでに黒い影がすぐそこまで迫っているのが見えていた。黒い弓を手に持った男。認識できたのはそれだけだ。

「ニールス・ユーダリルだ!」

 彼は叫んだ。次の瞬間、猛スピードで突っ込んできた男の拳が彼の顔面を粉砕していた。ニールス・ユーダリルは守備分隊の一人を討ち取りながら着地し、素早く地を蹴った。勢いを殺さぬまま突撃。C・Pライフルを構えた別の隊員の胴を魔力で強化した貫手ぬきてで貫き、別方向から飛んできた呪弾を躱しざま胴体から手を引き抜く。飛沫しぶきを散らしながらバク転して呪弾を避ける。と、側面から別の隊員の呪弾が飛んできた。両足に魔力を集め、上方へ跳躍。プラントを囲うように設置された足場まで跳び上がり、着地する。

 足場には、すでに敵が二人いた。片方は近く、片方は遠い。呪炎モードに切り替えられたC・Pライフルの銃口から容赦なく至近距離から浴びせられる。ローブの袖で顔を隠しながら、ニールスは足元にルーン・ストーンを落とす。

「〝ソーン〟」

 指を鳴らすと同時に、ルーン・ストーンから無数の茨が生い茂り、敵の一人を瞬く間に飲み込んだ。敵の手からC・Pライフルが離れた。ニールスはそれをキャッチし、素早く構える。

 呪力マイナスのエネルギーを発射する武器であれば、使い方次第では魔力プラスのエネルギーも放てるであろう。

「〝送れギョーフ〟」

 ルーンの名を唱えると同時に贈呈のルーンであるギョーフのXのような形がライフルに刻まれ、呪力用の武器に強制的に魔力が満ちる。

 ――撃つ。深緑の光線が真っすぐに伸びて、向かいにいたもう一人の敵を瞬く間に焼き尽くす。すかさず光線を下方に向けて、こちらを狙っていた一人を続けざまに焼く。銃口がぶれる。銃身がもたない。

「ッ!」

 C・Pライフルが弾かれたように上向いた。ものすごい熱だ。ニールスはライフルを地面に放り捨てる。真逆のエネルギーを多量に流し込まれた事で、ライフルがオーバーヒートしたのだ。

「お見事。森の魔術師殿よ」

 パチパチ、とこの場に似つかわしくない拍手が聞こえた。

 いつの間に現れたのか、眼下に、スキンヘッドの男の姿が見えた。ほかの百人部隊の隊員とは違い、マスクもゴーグルもなければ、背中に供給器も背負っていない。

「さすがの腕前だ。これでも精鋭を連れてきたんだがな」

 スキンヘッドの男は、そう言って悪辣な笑みを浮かべた。

「降りてこないか。取引をしようじゃないか」

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