『闇霧』11
11
一瞬の浮遊感。即座に落下が始まる。二十七階から突き落とされて無事で済む人間はいない。
「ドラゴン!」
空中で白い炎の竜が笑う。炎が広がり、火保と小向、そして猪狩の体を包み込む。風が全身を煽る。内蔵が浮くような感覚。地面が接近する。
衝撃。三人の体を抱えた炎の竜が着地する。時を同じくして、大きな音を立てて怪物と化した八尾が地面に立つ。
「クソ! くソ! クそ! 何デこんな!」
怒りに任せて八尾が触腕を振り回し、通路のタイルが削り飛ぶ。
「もう一ドやリ直す! モういち度だ! 手始めニそコのデブ! お前ノ首をへシ折ってヤる!」
白い爆炎で吹き飛ばされた八尾の体が、呪力によって再生している。火保はドラゴンの手の中から素早く下りた。スナップ・ドラゴンの実体化時間はあと二十秒ほど。これ以上時間はかけられない。
「ドラゴン、行くぞ!」
言って、火保は足元に集めた魔力を爆発させる。地面を蹴る足がロケットのように加速を得る。迫り来る幾本もの触腕の隙間を縫うように火保は八尾に接近する。二挺のグロックを構える。照準。撃つ。銃声が炸裂する。浄化済み九ミリパラベラム弾が呪われた八尾の白い肌を突き破る。
「邪魔スンな、退魔屋ァ! お前モ叩いテ砕イて潰しテ掻キ回しテスり潰してェェェェエ!」
自らの呪詛に呑まれた八尾が絶叫する。火保に構う余裕はない。荒れ狂う触腕を踊るように紙一重で
「さセるか!」
八尾の体が膨れる。瞬間的な呪力の高まりを感じて、火保は高く宙に返る。直後、毒血の濁流が八尾の体から放たれた。八尾の怨嗟そのものであるこの血に触れれば、竜の炎なき火保は一瞬で呪詛に呑まれるだろう。
触れれば、だが。
「ハあ――――はア――――」
怪物の荒い息遣い。が、血煙の影に隠れて動ないのであれば射撃場の的と同じだ。
「ノウマクサンマンダ・バザラダン・カン」
真言を唱え、一発。銃声が響く。最後の銃弾が八尾の胸に着弾する。
「グゥウゥっ!」
呻く八尾の触腕が予想外の軌道を描き、火保の体に巻き付いた。たちまち大蛇のように、触腕が火保の体を締め上げる。たまらず手から二挺の銃が落ちた。体が持ち上げられ、血涙を流す八尾の歪んだ笑顔が眼下に見える。
「こレで、ぐチャぐチャに――」
「魔に魅入られ、呪いに身をやつし、怪物と化した者よ」
呪文を唱える。火保が創造し、鍛え上げた呪文。火保と竜を繋ぐ呪文。
八尾の体に残る弾痕が、そっと燃え上がる。
「っ!?」
「その身の
弾痕から燃える炎が夜空の星の如く煌めく。身を捩り、狼狽える八尾の体を燃え盛る白い炎の腕が抱きすくめた。鰐のような頭についた十八個の瞳が全て、怯え竦む八尾を見ている。今にも爆発しそうな火炎がいっそう強く燃え、八尾は触腕をさらに暴れさせる。
「う、ウ、動かない――っ!?」
「じゃあな、お嬢さん」
砲筒の口を八尾こめかみに突き付けて、スナップ・ドラゴンが嗤った。
「っ、やめ――」
「燃やせ。
呪文を唱えると同時に、竜が引き金を引いた。ダイナマイトを幾本もまとめて爆発させたような豪快な火柱が昇る。千切れ飛んだ触腕とともに、火保は空中に投げ出され、そのまま地面にぶつかり転がる。ひどい虚脱感。魔力を一気に消耗したせいだ。
竜の実体化から、ちょうど一分。
《ひとまず休ませてもらうぞ、火保。無茶はしない事だ。俺を外に出したうえに、そこそこ暴れもしたのだからな》
スナップ・ドラゴンの声が、頭の中で響く。白い靄のようなものが、火保の口や鼻から火保の中へと入っていく。実体化時間の終了。火保の魔力は尽きかけている。しばらく、実体化はさせられない。
「私の寿命はどのくらい減った? ドラゴン」
《気にしないほうがいいだろうが……せいぜい一日分だ。心配するな。寿命ではまだ死なん》
「それはどうも」
何とか、体に力を入れて立ち上がる。よろよろとおぼつかない足取りで歩く。ほんの十数歩。
「……まだ生きているよね、八尾さん」
人間の姿で地面に倒れている八尾に、火保は問うた。三昧真火白竜砲の爆炎によって全身の呪詛を焼き尽くされ、怪物化が解けたのだ。服はぼろぼろで、怪我もしている様子だが、呪力は感じられなかった。
「わたし……何で生きているの?」
呆然と空を見上げたまま、八尾は言った。
「あなたの呪いは私の竜が焼いた。怪物としてのあなたは滅んだ。もうあなたは元の人間に戻ったの」
八尾は空を見上げたまま、じっと動かなかった。
「八尾さん。私はまたあのビルに戻る。あの子どもたちを助けにね。あの子たちがどこへ行ったか、教えてほしい」
「もう無駄だよ。儀式が終わったら脱落者は奴らに食われる。特に、あの子たちは魂が穢れていない。きっと今頃、奴らの腹の中だよ」
「だとしても行かない選択肢はない。情報がほしい。奴らと初めて会ったのはどこ? 儀式の執行者として力を受け取った場所は?」
瞬きもせず、八尾は空を見ている。泣きそうなようにも、表情が固まってしまったようにも見える。
すぐ近くに、先ほど落とした二挺のグロックが見えた。
「……あなたは十分に苦しんだ。これ以上、苦しんでほしくない。何でもいい。手掛かりを教えて。私はあの子たちも、ほかの人も救いたいの」
一瞬、八尾は大きく息を吐き、それから言った。
「……わたし、異界エレベーターに乗る方法を試したの。そうしたら、あの女に会った。そのあとすぐに、ビルがおかしくなった」
「ありがとう」
なるほど。確かに相手はエレベーターガールだ。《異界エレベーターに乗る方法》なら出会えるだろう。
火保は八尾から離れ、グロックを拾ってホルスターに収める。
「白原さん」
背中越しに八尾の声が聞こえた。
「わたし、全て終わりかな」
「生きている限り、終わりはないわ」
言って、火保はスマートフォンを取り出した。十一時五十一分。ガルタンダールのゲームがスタートしてから一時間以上が経過している。時間がない。
電話帳から、目的の相手の番号を見つけ出し、火保は電話をかける。
「――管理官。白原です。今、ビルの外周にいます」
ムーサ・柴崎ビル正面入り口前に、加持祈禱官の幕屋がある。数名の巫女が、解呪や治療のために中に詰めており、火保は足早にその中に入った。スマートフォンに着信。火保は電話に出ると、スピーカーをオンにして空きベッドの上に置く。中の巫女たちに目で挨拶して、スーツの上着を脱ぐ。
『要救助者三名は今病院に向かった。猪狩と小向は両名ともに重い呪いだが、まだ息はある』
電話の向こうで、小野英正管理官が話し始めた。
「ありがとうございます」
血で汚れたシャツを脱ぎ、上半身はインナーだけになって火保はパイプ椅子に座る。一人の巫女が擦り傷や切り傷を手早く消毒する。肋骨にはヒビが入っているし、背中はそこら中が痛む。魔力を使い過ぎているせいで治癒し切れていない怪我が多数あるのだ。
もう一人の巫女が祈祷を始めると、体の芯に安らぎが戻ってきた。怪我と同様に、流し切れてない小さな呪いやケガレが消えていく。時間はないが、コンディションを整えるにはこのタイミングしかない。焦れる感情を、火保は心の中で意識的に切り離す。
『装備Bを持って、十文字君がそちらへ向かっている。もう着いているだろう。本当に、このまま君一人で再突入するつもりか、白原君』
「残念ですが時間がありません。あのビルの中は今も異層転移が続いています。いたずらに突入要員を増やせば犠牲者が増えるだけです。ですが呪璧が解除できれば、ビル全体の呪いを弱められるかもしれません」
言って、火保は手元のケースから丸薬を二錠取り出すと、それをグラス一杯の
「魔力、入れます」
祈祷を終えた巫女が背中に触れるや、トン、と強い力で押される。魔力カプセルの追加だ。神通酒と合わせて、魔力が火保の体に満ちてくる。
『わかった。我々は引き続き外部から突破口を探る。呪力パターンの解析が出来た。さっきよりも高い精度で、君たちの魔力波形を追えるはずだ。ビル内での電波干渉も軽減できるだろう。盤石先生は今もまだ宝物庫のようだが、
「助かります」
離雲寺は最高僧の盤石先生が治める
治療が終わる。火保は新しいシャツに袖を通し、スーツの上着を着る。
『こんな事を言ってすまないが、今は君が頼りだ、白原君。何としてもビルの中の人間を助けてほしい』
「もちろんです。全力を尽くします」
電話を切る。巫女たちに礼を言い、火保は幕屋を出る。
外では、十文字浩太郎が待っていた。傍らのパイプテーブルの上には二挺のグロック17、ホルスター、バックパック、それに長いケースが置かれている。
「銃の点検は終わっています。異常なし。簡単にですが、加持祈禱班が再浄化もしてくれました」
「ありがとう」
礼を言って、火保はホルスターを身に着けると二挺のグロックを収める。
「それから、装備B一式です。まずは銃の確認から」
そう言って十文字が、長いケースを火保に手渡す。火保はチャックを開け、中身を取り出した。
漆黒の銃身が姿を現す。軍用散弾銃。ベネリM4スーパー90。
「二・七五インチ弾が合計三十五発、バックパックに入っています。タクティカルベルトも。もちろん全て浄化済みです」
説明を聞きながら、火保は手早くベネリM4に弾薬を装填すると、スリングを肩に掛ける。続いて、タクティカルベルトに予備の弾薬をセットし、自身の腰に装着する。
バックパックの中から、さらに装備を取り出す。
「
指抜きの護符グローブを手に嵌め、聖閃光手りゅう弾を二発ベルトに、二発をバックパックに装着する。アーミーナイフもベルトに吊るし、バックパックを背負って体に固定する。
「ありがとう。十文字さん」
「いいんです。しかし、また中には入れるんですか。未だに呪璧は破れていないのに」
「私は、あの闇霧の一族が仕掛けたゲームの参加者。管理官と十文字さんの推理が正しいなら、私があのビルの中で果たすべき役割がまだあるはず」
十文字は一瞬、翳ったような目を見せた。
「危険は承知でしょうが、無事を祈ります。神のご加護を」
「ありがとう。行ってきます」
火保は頷き、ビルの正面入り口に向かって走り出す。現時刻は十二時十分。ゲーム終了まで、あと一時間二十五分。
呪璧が蠢いていた。亀裂が入り、あの大きな二つの目が瞼を開いて、火保を見ていた。
「中に戻る。開けなさい。私にしてほしい事があるんでしょう」
大きな目が火保を見つめたのも一瞬で、再び粘性の壁がぱくりと開き、ビルの正面扉が開く。
火保は、直感のようなもので正面扉を見るのではなく背後へと振り返った。
いた。青白い浮遊霊。最初にビルに入った時にも見た霊だ。この距離でも顔ははっきりとはわからないが、確かに火保を見ている。
「あなたは……」
ベネリM4を構える。敵ではない。それは何となく感じ取れる。ではこの浮遊霊は、一体何を伝えようとしているのか。
「――」
浮遊霊の口が動いた。
次の瞬間、浮遊霊の体にノイズが走り、その背後に大勢の浮遊霊が現れる。
「っ!」
ベネリM4の引き金に指を掛けかける。大勢の浮遊霊の視線を感じる。
「――――――オ――――」
何か、言った。浮遊霊たちが。同時に。
「―――――――――ミ―――――オ」
不自然に間の空いた、音がずれたような声。
「……何で」
音もなく、浮遊霊たちは消えていた。怪しげな気配は、ビルを除いてほかにはどこにもない。
不穏なものが胸を
「ミオ……?」
何故だ。何故彼らの口から、その名前が出て来るのだ。
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