「ほら、じゃあ、次」

「え?」叶は言う。

「だから、次は、弱虫くんの自己紹介だよ。私が名前を名乗ったんだから、君も自分の名前を私に名乗るの。それが、普通。当たり前でしょ? それとも君はずっと私の中で弱虫くんのままでもいいの?」と笑顔のままで、祈は言った。

 それは確かに嫌だった。

 僕は弱虫じゃないし、弱虫くんという名前でもない。

 僕にはちゃんと村田叶という名前があった。(叶という名前は自分でも気に入っている名前だった。少なくとも弱虫くんよりはずっといいと思った)

「それに握手。ほら、早く手を握ってよ。いつまで私はこうして君に手を差し出していればいいの?」

 今度は、ちょっと不満そうな顔をして、祈は言う。

「え? ……あ、うん。ごめん」

 ぼんやりしていた叶は、はっとなって、祈に言う。

「君は弱虫くんでもあって、ぼんやりくんでもあるんだね。さっきからなんども、ぼんやりしてるよ。なんだか、『心がここにないって顔』している」にやにやと笑いながら、祈は言った。

 祈にそう言われて、恥ずかしさで顔を赤くしながら、叶は、そっと祈の差し出してくれた手を遠慮がちに握った。(祈の手はやっぱりすごく冷たかった)

 それから叶は、「えっと、こんにちは。僕の名前は弱虫くんでもぼんやりくんでもなくて、叶です。村田叶。よろしく。……えっと、鈴木さん」と一度咳払いをして照れ隠しをしてから、叶は祈にそう言って、自分の自己紹介をした。

「……叶(かなう)。……村田叶(むらたかなう)」

 祈は、叶の顔をじっと見ながら、叶の名前をそんな風にして、まるで呪文のように、小さな声で口にした。

「そう。村田叶。それが僕の名前だよ」とにっこりと笑って叶は言った。(恥ずかしがってしまったさっきの自己紹介とは違って、今度はちゃんと自分の名前を照れずに祈に伝えることができて、よかったと叶は思った)

「……叶。……村田叶くん」

 祈はまた、叶の名前を小さな声で言った。

 祈の視線はどこか遠いところを見ているような、そんな風に見えた。叶のことをじっと見ているようで、まったく別の、どこか違うものを見ているように思えた。視点もあっていないように見える。明らかに祈の様子は今までとは違っていた。

「? ……どうかしたの? 僕の名前、どこか変かな?」と叶は言った。

 すると祈はその叶の言葉を聞いてはっとすると、いつもの調子に戻って、「……あ、ううん。そんなことないよ! 全然変じゃない! すごく、本当にすっごく素敵な名前だと思うよ! 叶っていう名前」と慌てた様子でにっこりと笑って、叶に言った。(そんな祈を見て、叶はまるでついさっきの自分のようだと思って、なんだかちょっとだけ、そんな自分たちの似ているぼんやりとした反応のことを面白いと思った)

 そんな祈を見て、くすっと思わず『叶は笑った』。

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