酔っ払った仙人がやらかすとだいたい大事件になる(定期)

竜堂 酔仙

序章 呑月会の帰り道

 煙る満月に照らし出された、霧の湖畔。

 厳かにすら感じるその湖面の中心から――――


 ―――ザッパーーン!


 一人の男が飛び出した。

 長い黒髪、黒い服。狩衣の肩には赤子ほども大きな酒瓶を担ぎ、濃い紫の指貫で水を割って岸に向かう。

 男の名は徹斎てっさい。その昔、日本で鍛冶を営んでいたが、好鬼(好奇)の異名を取るほど様々なことに興味を示し、最終的に炉の繋がりで古代中国の神仙方術―――外丹(不老不死へと至る仙薬をる術)を独学で修め、仙人になってしまった男である。

 岸へ上がると、徹斎は酒瓶を脇に置き、酒精に染まった塩顔で朧月を見上げる。

 ゴロリと横になった。大きく息を吸う。

 頬を撫でる、さわれそうなくらい湿った風。肺に取り込むと、酒精を奪って、広い世界へと運び去ってくれているような心地になる。

 そっと目を閉じる。

 瞼の裏に浮かぶのは、先程までの楽しい時間――――





 大きな池の真ん中に、五艘ほども連なった船で浴びるように酒を飲む、一人の青年。その周りには、招待客が船を並べていた。

 背後には、白いこぢんまりとした山門と、黒々とした墨で書かれた、呑月会どんげつかいの看板。徹斎は懐に呑んだ瓢箪ひょうたんから船を振り出し、それに乗って主催者の元へ漕ぎ出す。

 亭主の名は李白。あざなを太白といい、歴史的な詩人である。詩聖と呼ばれる杜甫と並んで、詩仙と称される偉人だった。

 死後に仙人となり、己の仙境にて月に一度、満月の夜になると池に船を浮かべ、杯に映った月を呑むという趣旨で、呑月会を催している。


「よう」


 徹斎が声を掛ける。


「あぁ」


 李白が応じた。


「いい月だな」

「いい月だ」


 どこを見るとも知れない貌で空を見上げたまま、李白が口ずさむ。



 瞳に映るは三重の月

 うたともがら ひとつ呑む

 隣で笑う 友ひとり

 さいわいひとつ 知る多少



 ニヤリと、李白の口角が上がる。

 徹斎は苦笑した。


「やりづらくなってきたかよ」

「まぁ、な。呑んでて楽しいヤツほど、顔を出さなくなってきた」


 周りを見れば、楽しそうに酒を呑む者も多いが、顔を繋ごうという目的か、精力的に周囲に話しかけている者も多い。


「場所でも変えるか?」

「……ヤツらのためにおれが逃げるのは、なんか、シャクだ」

「あはは、性格上、小細工は苦手だもんなぁ」

「ま、一緒に呑みたいヤツのトコロにはおれから出向くさ。ここだって、あってないような土地だしな」


 周囲を見渡す。

 明らかに大陸様の、現代ではあり得ない、緑に溢れて澄み切った世界。


「心象風景――お前が死んだ、あの宴か」


 李白の最後には諸説あるが、唐の6代皇帝「玄宗」が催した歌合わせの会にて、池に映った月を取ろうと船から落ち、溺死したという伝説がある。


「おれの生きていた時間の中で、あの月がもう、ことに綺麗でなぁ――」

「あぁ、宴と言えば」


 片眉を上げた徹斎が、懐から、丹で赤く塗られた瓢箪を取り出す。

 

「ほれ、うちの酒だ。肴はまぁ、いつも通り蒸すか炙るかした野菜、もしくは魚がいいだろうよ」


 李白に瓢箪を放る。

 上手く掴んだ李白は、嬉しそうに微笑した。


「ありがとう、今はこれをもらうためだけに、この宴を開いていると言っても過言じゃない」


 大袈裟な物言い。


「まぁ、うちからここまではそれなりに遠いからなぁ」

「ガラが悪い土地を、いくつか経由するのだろう?」

「そこは問題ない。オレの作品の怖さを、ヤツらには叩き込んであるからな」

「それでも用心に越したことはない」

「心配どうも」


 持参した酒瓶を傾け、徹斎は言う。


「とりあえず呑もうや」

「そうさな…… あ、一甕ひとかめ空いた――――





 目を開く。月はいくらも動いていない。


「さて、帰ろう」


 よっこいしょと立ち上がり、緩やかな丘を登っていく。懐から落ちた指輪と、それをじっと見つめる人影に気付かぬまま……

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