第25話 首相と無敵の人間が考える野心
車の中から見る都内の景色を眺めながら、思索にふけっていた。
次の約束の場所に到着するまで後20分ほど。
分刻みのスケジュールで動く中、車の中での移動時間は鈴原にとって貴重な時間だった。
ましてや、この一ヶ月はいつにもましてスケジュールがタイトになっていた。
公職としての仕事に、政治家としての選挙活動。
文字通り殺人的な忙しさだった。
だが、それもしばらくは落ち着くだろう。
官庁街にさしかかり、見慣れた景色を横目に、鈴原の脳裏には別の様々な光景が浮かんでは消える。
ついに俺はここまできた。
名もない地方の市議会議員から、この場所まで登りつめたのが、数十年前。
そして、最高権力の座にまでたどり着いたのが、5年前。
だが、俺はまだこの地位を維持している。
そして、後数年はこの日本の舵取りを担えるのだ。
世襲議員でない者が、首相の座まで登りつめたこと自体、既に歴史に名が残る偉業だ。
ましてや、今回の選挙の勝利で、戦後最長の在任期間になることはほぼ確定的になった。
鈴原の名は間違いなく歴史に残るだろう。
だが、人の欲望には際限がない。
ましてや欲望が強い人種でなければ到底勤まらない政治家、その頂点にまで登りつめた男の欲望はまだ先を見据えていた。
日本政治の長年の課題、憲法改正。
その実現がにわかに現実味を帯びてきた。
鈴原には特段9条問題に想い入れはない。
もちろん、政治家である以上、この問題がどの程度一般大衆の心理や野党、党内に影響を及ぼすかは熱心に調べてはいる。
だが、それだけだ。
たまに会う懇意の憲法学者からは、糾弾されるだろうが、鈴原は、条文を改正しようがしまいが大して国の行方に影響はないだろうと考えている。
既に、数十年前から軍はあったし、実務もそのように運用されてきた。
むろん、とはいえ国の根幹たる憲法の一文を変えることは、学者、官僚、一部の関係者にとっては大問題だろう。
いざ改正に動けば、大きな政治議題になる。
だから、そこまでして、改正することに実利はない。
あるとすれば・・感情だけだろう。
与党が史上稀に見る議席を占めることが確定した時に、鈴原の心に宿った欲望。
日本の最高権力者に登りつめたとはいえ、過ぎ去った首相の名など一般大衆は覚えているだろうか。
覚えてはいない。
鈴原が首相の座を去った後、残るものは何がある。
もちろん、党内に一定の影響力を行使することはできるだろうし、首相経験者として政府関連の団体の顧問やポストにあてがってもらうことはできるだろう。
だが、10年いや20年後はどうだ。
老いさらばえた元権力者の下に来るのは、せいぜい残り香を嗅ぎ付けた小虫くらいだろう。
そして、死んだ後、自分のことを覚えているものなどいるのだろうか。
せいぜいが、マイナーな学者連中の研究対象になるのが関の山だ。
その程度の人々にしか、自分のことは記憶に残らないだろう。
だが、憲法改正を実現すれば、鈴原は間違いなく歴史に残る。
日本という国が存続する限り、鈴原の名は歴史に冠する名前となるだろう。
実際上は意味がないことなのに、象徴的な事柄は人々の記憶に残る。
ローマ帝国が滅びる要因になった事象は数十あるが、歴史に残るのは、都市を滅ぼした一傭兵の名前だ。
それだけの理由だ。
つまるところ、鈴原が憲法改正に力を注ぐのは、個人的な欲望の追求に過ぎない。
だが、十分過ぎる理由だ。
後世の人間がもっともらしく理由をつけている史実上の大事件の多くも、実際のところこんな個人的な理由によるものがほとんどなのだろう。
一都市をいつものように略奪した傭兵自身だって、そのことが理由で、千五百年後にも自分の名前が異国の民の歴史書に記載されているなんてきっと夢にも思っていなかっただろう。
「着きました。先生」
隣に座る秘書に声をかけられ、鈴原はしばしの夢想から現実に引き戻される。
目的を達成するためにやることはまだ多い。
だが、実現できるはずだ。
今まで自分が成してきた数々の偉業を考えれば、次なる成功も約束されているように思える。
そうだ。俺は天運に恵まれているのだ。
鈴原は確信を抱き、自分の名前が、歴史に残る姿を再び夢想した。
いつものように、城田は、会社に出勤していた。
いや最近では会社に出社すること自体が珍しいことだから、いつものようにという慣用句は正しくないか。
一週間に数回休むようなことを、この一ヶ月ほど続けていた。
だから、店舗の上司、同僚から受ける目は日増しに鋭くなった。
もちろん、城田に話しかける同僚もいなかった。
こちらから話しかけても、生返事を返すだけで、およそ会話にならなかった。
上司の丸井には、何度か個別に呼び出されて、面談のようなものを数回やっている。
「何かあったのか」
「いえ特に体調が最近悪くてすみません」
そんなお互い上辺だけのやりとりだから、何か変化がある訳でもない。
城田は、昨日確かに人を殺した。
朝出勤前にスマホで記事を確認したからそれは間違いない。
(都内のマンションで刺殺された男性の死体が発見。警察は殺人として捜査・・)
あの上司はやはり死んでいたのだ。
それなのに、城田はなぜ普通に出社しているのか。
単純に警察はそんなに早く自分までたどり着くことができないと確信していたからだ。
朝の報道では強盗殺人として調べているというようなニュアンスの記事が複数出ていた。
やはり、素人による偽装工作でも数日の時間を稼ぐには十分なようだ。
もしかしたら、このまま捕まらないのではと思ってしまうほど、城田は日本の警察のことを甘く見ていた。
なぜなら、殺人の実行犯で自分ほどの知性を持っている人間はほとんどいないだろうから。
殺人者の大半は後先考えずにその場で感情に流されて殺人を犯すのが大半だろう。
だから、殺人の被害者の大半は近しい人間であり、犯人の推定も容易だ。
そもそも、殺人など割の合わない行為はまともな知性を持っている者は犯すことなどできない。
ごく稀に今の城田のように強烈な欲望に突き動かされ、計画的に殺人を犯す者がいる程度、それは、おそらく全ての殺人事件の数%といったところだろう。
そして、そういう犯罪は被害者と犯人の関係が希薄なため、大抵捜査は難航する。
仕事をしているフリをしながら、まるで場違いのことを自分の机に座りながら考えていると、上司の丸井から声をかけられる。
「城田くん・・・ちょっといい・・」
また面談か・・それとも・・・いやそれはないか。
丸井に促されて、事務室を出て、簡易な会議室に入り、椅子に座る。
「ふう・・・城田くん・・最近本当どうしたの・・・」
案の定いつもの話だ。
「いや・・こないだも言ったとおりちょっと最近体調が優れないんです。すいません。ご迷惑かけてしまいまして・・」
「まあ・・・体調が悪いのはしょうがないけど・・体調管理も仕事の内だから・・」
丸井は心底面倒くさそうな顔をしていた。
部下の体調を心配している素振りはまるでない。
どうせ支店長に言われて嫌々城田と面談しているのだろう。
「ええ・・本当にすみません・・・」
このまま、三文芝居をお互いにしていても埒が明かない。
城田は、早々に打ち切ることにした。
おもむろに携帯電話を取り出し、エア電話をする。
「すみません・・電話が・・いいですか?」
城田は、一芝居を打つ。
「ああ・・客からか・・ならしょうがない」
丸井は、めんどくさそうに生返事をする。
「はい・お世話になっています。城田です。ああ・・こないだはどうも。え・はい・・これからですか・・ちょっと確認しますので・・」
電話を顔から離して、丸井に外出の許可を取る。
「お話中すいません・・業者から案件の相談がありまして・・今から訪問しても大丈夫ですか?」
「え・・ああ・・・まあ・・・いいけど・・ただこの話はまた後でするから。これ以上休みが続くと本当城田くんの将来にも影響出るからね・・」
「ええ・・本当にすみません。色々ご迷惑かけてしまって・・・」
城田は大仰に頭を下げて、会議室を出る。
自分の部下が殺人者として逮捕されたら、丸井には直接的な責任はまるでなくともなんらかの人事上の悪影響は避けられないだろう。
それ以外にも大きな混乱が発覚当初には起きるだろう。
職場内で起きるその時の混乱を想像すると、思わず笑いがこみ上げてしまう。
今朝の事件の情報をニュースサイトを巡回して探すが、特段続報はない。
会社のメールをチェックしていると、携帯電話が鳴った。
番号は、数週間前に風俗嬢の相談をもらった業者からだった。
「お世話になっております。こないだの件ですが、そう・・・あのちょっと訳ありのお客さんの・・ようやく物件がみつかったので、一回お客さんと会ってもらえませんか。」
かなり時間が経っていたから、すっかり失念していた。
間も空いているし、どうせ流れた話だと思っていた。
「ああ・・あの件ですが・・私はいつでも大丈夫ですけど・・えっと・・・そちらは時間はいつが・・」
結局、一時間後に業者と一緒に客に会うことになった。
場所は、池袋駅の近くの喫茶店になった。
今更真面目に仕事をしても仕方がないが、この客とは一度会って見たかった。
会う場所が池袋というのもなんというか客の属性から考えればいかにもで、ちょうどよい。
待ち合わせの喫茶店に入るが、まだ業者も客も来ていなかった。
どうやら、自分の方が早めに来たらしい。
待ち合わせ場所の喫茶店の店内は、同じチェーンのカフェ業態でもスタバとはまるで客の毛色が違う。
客の大半はビジネスの商談として使っているようだった。
隣の席からは、どうやら保険の営業マンのようだ。
さきほどからしきりに保険のセールストークが漏れ聞こえてくる。
席に座り、コーヒーを注文しながら、相手がどんな出で立ちなのかを想像する。
店で客として風俗嬢と接したことはあるが、それ以外では接したことがない。
どうせ・・マトモではないだろうが・・
何事にも例外はある。
だが、例外はあくまでも例外だ。
ほとんどは原則に当てはまる。
だから、その原則通り、不動産業者の奴らと同様に風俗嬢もどうせろくでもない奴らだろう。
腕時計をちらっと見る。
既に約束の時間は過ぎている。
呼び出しといてこれだ。
やはり、適当な奴らだ。
約束の時間から10分ほどして、業者の男がようやく姿を現した。
「いや~すいません遅れて」と言っているが、言葉とは裏腹にまるで申し訳なく思っいる素振りはない。
その後、続けざまに「すいません~あれ・・まだお客さん来てないんですか?」
とのたまう。
段取りもいい加減だ・・
業者の男は客に連絡し、「すいません~もう駅には着いてるそうなんで。あと少し待っててください。」と言い、席に座った。
数分後、城田たちが座っている四人掛けのテーブル席に若い女の声が響いた。
「すいません・・遅れてしまって・・・」
ようやく来たか。
城田は、声がした方へと顔を向ける。
業者の男のすえたタバコ臭い匂いに混じり、鼻腔を刺激するどこかで嗅いだ記憶のある香水があたりに漂う。
顔を見ただけでは、すぐにはわからなかった。
サングラスをしていたからだろう。
だが、匂いを嗅いだ途端、記憶が呼び覚まされた。
あの女だ。
マッチングアプリで会い、部屋まで行った女だ。
「場所すぐわかりました?・こちら電話でお伝えしていた銀行の方です」
女の方も、すぐに城田のことに気付いたようだ。
顔に驚きの顔が浮かんでいる。
城田も驚いていた。
だが、顔には出さなかった。
互いに無言のまま相手を見ている。
そんな様子に業者の男は怪訝な表情を浮かべている。
「えっと・・・どうされました・・・」
「いや・・その・・・大丈夫です。それで・・この人が例のお客様ですか?」
まだ動揺していたが、城田の方がすばやく立て直すことができた。
「ええ。そうです。安井さんです。」
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