第24話 合理的な殺人者と凡人刑事の勘

 心臓はかつてないほどバクバクと脈売っている。

 ついにやってしまった。

 こんな簡単に一線を超えてしまうとは自分はやはり元からおかしかったのか。


 玄関を閉じて、かつての上司が血溜まりに倒れている姿を見下ろして、耳に聞こえるほどの心臓の音を無視して、気分をなんとか抑える。

 大丈夫だ。

 誰にも見られていない。


 土足で部屋の奥まで入り、部屋という部屋をすばやく確認する。

 やはいり誰もいない。

 一人暮らしなのかは不明だが、ここ数日の出入りは一人しかいなかった。


 家族が長期の旅行に行っている可能性もあるが、いくらなんでもこんなにタイミング良くは帰ってこないはずだ。

 とりあえずの安全を確認した城田は、今一度かつての上司を確認する。


 死んでいるのだろうか。

 まるで動く気配はないが、死体など実際には見たことがないから、生死の判別はつかない。

 脈を確認する気にはなれなかった。


 取っても素人では本当の意味では生死の確認はできないだろう。

 それに、生きていようが、死んでいようがどうでもいいのだ。

 とりあえず目的は達成できたのだから。


 膝を曲げて、かがみ込み、かつて上司だった体をさぐる。

 財布か何か貴重品を身に着けていないか、確認する。

 数十秒調べるが、どうやら何も身に着けていないようだ。


 再び踵を返して、部屋の中に戻り、引き出しを開けてひっくり返す。

 その際の物音は予想以上に室内に反響して、城田の鼓動を早める。

 静かな室内に音はやはり響く。


 城田は気を紛らわせるために、テレビをつけて、目についた棚の引き出しを手当次第に開けて、ひっくり返す。

 その作業を数分間続けた後、居間の中を見る。

 いい具合に荒れている。


 今度は寝室と和室に入り、同じように部屋を荒らすことを心がける。

 誰かが帰ってこないかと気が気でないからか、やけに時間が長く感じられる。

 時計を見ると、城田がこの家に侵入してからまだ20分も経っていない。


 居間、寝室、和室、家中の物をひっくり返したから、一見するとこの家はまるで竜巻に遭ったかのようにメチャクチャになっている。

 

 よし・・・ここまでやれば十分だろう。

 

 城田は、分厚いオーバーオールと重ね着していた長袖のシャツを脱ぎ捨てて、黒い袋に入れて、無造作にリュックサックに詰め込む。

 意外と血はつかなかった。

 洗面台の鏡で自分を見る。


 とりあえず、不自然なところはなさそうだ。

 マスク、サングラス、ニットの帽子を被り、玄関のドアスコープ越しに外を見る。誰もいないようだ。

 緊張しながら、玄関を少し開けて、体をひねり出し、すばやく締める。


 左右の廊下を見るが、誰もいない。

 城田は、足早に階段を降りていく。

 マンションの外に出て、ようやく少し緊張感が和らぐ。


 ここまで来ればとりあえずは大丈夫。

 だが、まだ安心できない。

 城田は、そこからしばらく歩き、人通りが少ない、閑静な住宅街に向かった。


 そして、歩きながらすばやく、マスク、サングラス、帽子をむしり取り、リュックサックに投げ込んだ。

 前もって決めていた場所だ。

 ここなら監視カメラもないだろう。


 怪しげな格好から、普通の格好に戻り、「ふう」と大きな息をはく。

 これでようやく安心だ。

 後は、二駅ほど離れた駅まで歩いて、家に帰ればいい。

 

 いずれ城田は捕まるだろう。

 だが、少なくとも最終的な目的を達成するまでの数日間では犯人の特定はできないだろう。

 先ほどの上司と城田は一応のつながりがあるが、今はまるで別の場所で働いている。


 動機という面で捜査をしても、城田にたどり着くのはかなり困難だろう。

 実際、動機などあってないようなものなのだから。

 あの上司をターゲットにしたのは、単に今まで城田が出会ってきた人間の中で、一番嫌いだったというだけだ。


 当時、直属の上司であった時は、激しい憎悪を感じていた。

 だが、所詮は人の感情など、たとえ激しい怒りや憎悪であっても長く続くものではない。

 今では、大した想いがある訳ではない。


 にも関わらず、あの上司を殺した理由は単にきっかけ・・・自分自身へのトリガーにするためだけだ。

 捕まるリスクを残したまま殺人というハイリスクな行為を犯した以上、この世に留まるメリットは著しく少なくなる。


 もう元には戻れない。

 平穏に死を迎えることはできない。

 だが、数ヶ月の命が数週間に縮んだだけだ。


 第一段階の目的は達成できた。

 後戻りできないカウントダウンのタイマーのスタートが押されたのだ。

 後は最後の行為をするだけだ。歴史に残る行為を。



 「これやっぱり強盗ですか」


 若い同僚の声に石島は、しばし沈黙をする。

 死体を一瞥して、部屋の中を見回す。


 そりゃどう見ても強盗だわな…


 別に何か考えがあって、回答をしなかった訳ではない。

 若手に威厳を持たせるために、あえてやってることだ。

 警察組織というところは、軍隊のように秩序立っている。


 だから、上の命令は絶対だ。

 それはそうなのだが、ことはそう単純でもない。

 例えば、石島と隣にいる若手の関係は少し複雑だ。

 

 ぱっと二人が並んでるところを見ればどう見ても歳傘の石島が上司で、まだせいぜいが30代の若手が部下と思うだろう。

 だが、階級上では、二人は同一だ。

 違うのは経験年齢だけ。

 

 それを聞いて、なるほど、キャリアと思うだろうが、そうでもない。

 キャリアという人種は天然記念物ものだから、現場で出会うことなど滅多にない。 

 警察という巨大組織は採用方式も多種多様だ。


 この若手は大卒採用で、キャリアに次ぐ立ち位置で入ってきたやつらだ。

 数年経てば、今の自分よりもはるかに偉くなる若手に刑事ドラマばりに高圧的になるわけにもいかない。


 さりとて妙にへりくだるのも経験がはるかにある石島としては、プライドが許さない。

 そういう訳でなんともギクシャクとした空気が二人の間には流れているのである。


 「そうだなあ…強盗だろうな…」


 結局捻り出した答えは若手の言い分の肯定だった。

 よくあるテレビドラマと違い殺人事件の大半は、小学生でも犯人がわかるほど単純明快な動機に基づくものだ。

 

 だから、事件の概要は現場の状況から判断した第一印象で決めてしまって何ら問題ない。


 でも…なんか変なんだよな…


 石島は、この部屋に入った時にどうにも違和感を覚えたのだ。

 刑事の勘というほど、立派なものではない。

 そんな勘など働いたことは今までない。


 「なんか…この部屋荒れてる割に妙に規則正しくないですか」


 石島が言葉にできなかった違和感を若手はいとも簡単にしてみせた。

 これが、地頭の差かと若干劣等感を抱きながらも、「ああ…俺もそう思ってたよ…」とすぐに余裕の素振りを見せる。

 

 「これ…ひょっとしたら、怨恨絡みかもしれないですよ」


 強盗に見せかけたってことか…なるほど、荒らしてる割にやけに丁寧なのはそういうことか。

 だが…ドラマじゃあるまいし、そんな偽装工作なんて実際する奴なんていやしない…


「いや…気のせいだろう。人を殺す奴らで、そんな小細工できるほど知能がある者なんていやせんよ」


 若手は、自分の気の利いた閃きを否定されて、不満気な顔を浮かべている。


 ふん…いい気味だ。お勉強ができるからってなんでもできる訳じゃないんだよ。


 「……わかりました。でも、交友関係は念入りに洗いますよ。」

 「好きにしろよ。ただ、これは強盗で決まりだ。あんまり時間かけるなよ。」


 石島が若手との実力の差をあらためて認識するのは、それから数週間後のことだった。

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