第21話 普通の人間は両親の死よりペットの死を悲しむ
城田は、都内へ向かうのとは反対方向の電車に乗っていた。
東京から郊外に向かう電車は、当然空いていて、労せず着席できた。
城田の実家がある場所は、電車で約一時間半ほどかかる。
遠いから滅多に実家には帰らない。
というのは言い訳だろう。
都心部から遠いとはいえ、首都圏には変わらない。
実際、城田の実家近辺は、首都圏への通勤する人々は多くいる。
だから、城田とて別に一人暮らしをせずに、実家から会社に通うことも十分にできたのだ。
そうしなかったのは、両親と折り合いが悪かった・・・というのは城田からの見方で、両親はそう思っていないだろう。
車窓の景色は、実家に近づきにつれて、徐々にマンションよりも、戸建ての割合が多くなっていく。
母は専業主婦、父は大手企業のサラリーマン、そして住まいは首都圏郊外の閑静な住宅街、まさに政府のモデル世帯そのもの家庭に城田は育った。
その後の城田の経歴もまさに、モデルケースそのものだ。
中高一貫高の進学高、都内の有名私立大学、大企業の総合職と歩んできた。
そんな一人息子が、両親には自慢なのだろう。
特に母は城田のことを溺愛していた。
母は、その年代の女性としては、よくあるように短大卒であった。
だが、そのことが長年の劣等感だったのだろう。
だから、小学校から、息子を塾に入れて、中学受験をさせた。
これも今から思えばそんなに珍しくないよくある話ではある。
別に、そのこと自体には特に不満はなかった。
城田は優れた才能を持っているというほどではなかったが、人並以上の知性はあった。
塾に通う連中の中では、上位二割といったところで、なんとか一番優秀なクラスに入れる程度のレベルだった。
塾内でその順位であれば、公立の小学校ではトップクラスだった。
小学生の間では、勉強ができることはたいして自慢にはならないが、それでも優越感を感じるのは十分だった。
そういう訳で、親に言われるがままに中学受験の勉強をすることは大して苦にはならなかったし、楽しくもあった。
ただ、唯一問題があるとすれば、城田は小学校の高学年くらいには、母親の愚かさに気づけるくらいの知能を得てしまったことである。
この年齢の者にとって、両親には一定の権威があり、彼らの行動は正しいという前提がある。
だから、母親が行う行為や言動は何か理屈があると城田はある時期までは信じていた。
だが、ある時から、母親には特に理屈はなく、単純に愚かなだけだと気付いた。
それ以来、城田は母親のことを、いや専業主婦のことを見下している。
自分の頭で考えない人々、未だにテレビや新聞が言っていることを鵜呑みにする人々、まさに大衆そのもの、自分の母親であっても、そんな人間を尊敬できるはずもない。
知的レベルが一定以上に違えば、会話も楽しめないのだから、ストレスになる。
母親とは、中学生くらいから、まともな会話をしたことはない。
と言ってもこれも、城田からの見方で、母親は城田が返事をしなくても、ひたすらに喋り続けるから、母からすれば、息子と疎遠になっているとは思わないだろう。
父に対しても、さしたる感情を城田は持っていない。
中高一貫の私立校、大学と言った莫大な学費を負担してもらったにも関わらず、何も感じないのだ。
父は好意的に捉えるならば、寡黙な男だ。
だが、城田は、自分に対してあまり感心がないのだろうと感じていた。
父が城田に対して、感心を見せたのは城田が知る限り、3回しかない。
中学受験に失敗した時、大学受験に成功した時、就職を決めた時だけだ。
両親のことを大事に思っていないなどど言えば、とんでもない酷い人間だと思われるが、それは表面しか捉えていない。
多くの人間は両親への感情を死と同じように深く考えてはいない。
惰性で捉えている。
両親に対する感情はこうあるべきというルール、常識があり、口先や心の表面だけで「大事にしている」「大切に思っている」と機械的に反応しているだけだ。
一緒に暮らしているペットを亡くした時の方が、離れて暮らしている両親の喪失よりも悲しむという人間は多いだろう。
自分は特別な人間ではない。
もちろん、特別であれば嬉しいが、残念ながら平凡な人間だ。
大して問題ではない家庭環境で、育った代わり映えのしない人間だ。
だから、城田のように考えている人間は多くいるはずだ。
ただ、それを自覚する機会に恵まれていないだけだ。
城田のような状況に立てば、多くの人間は今の自分のような選択を選ぶのではと思う。
実家の最寄り駅に降り立ち、懐かしい光景が目の前に広がる。
大学生まで毎日使っていた駅だけに、様々な記憶が脳裏に浮かぶ。
城田が、帰省したのは確認するためだ。
感傷的になるにはもってこいの故郷に帰っても、自分の心が変わらないかを。
両親に会っても、自分の心が変わらないかを。
区画整理された住宅街は、他の首都圏郊外の地区と同様に空家がポツリポツリと目についた。
駅から20分ほど歩き、城田の実家が視界に入った。
外壁は最近塗装したらしいが、築30年近くになるから、やはりところどころに古さが目立つ。
ここまでの道のりで、ずいぶんと感傷的になっていた。
やはり、思い出深い場所に行くと、色々なことを考えてしまう。
チャイムを鳴らすと、母が玄関から出てきた。
出迎えられて、城田は、家に入り、居間の椅子に座る。
両親の顔を交互に見る。
二人とも60を超えているため、ずいぶんと年を取ったと感じる。
実家の中に入ると、ここで過ごした様々なことが瞬時にフラッシュバックする。
母は相も変わらず、現在の近況~近くに出来たスーパーやら近所の人間関係~を一方的に話している。
母の会話の合間をぬって、父は、もうすぐ定年になるなどの仕事の話をボソリボソリと発していた。
だが、二人の会話はまるで城田の耳に入ってこない。
まるで別世界の話のようだ。
城田の頭の中は、全く別のことで占められているのだから、それも当然だ。
城田の頭の中に広がっている光景、それは、自分がこれから成そうとしていることをやり遂げた際にこの場所で起こるであろうことだ。
両親の生の声を取ろうと、詰めかけるマスコミ。
呆然とする両親、きっとそんなことが起こるのだろう。
申し訳ない・・とは思わなかった。
どうでもいいことだ。
その時、城田はこの世にいないのだから。
やはり、そうだった。
自分は両親のことをどうでもいいと思っている。
両親が自分が死んだ後、どうなろうと知ったことではないと確信を持って言える。
そのことを今、確信できた。
それだけで十分だ。
自分がやろうとしていることに対する決意は揺るがない。
ここにいる意味はもうないな・・
城田は、スマホを見て、急な仕事が入った旨を両親に告げて、ものの数十分で実家を後にした。
父も母も去り際、残念そうな顔を浮かべていた。
そして、その顔を見た時、仄かな罪悪感が生じた。
そう感じたということは、両親への想いも全くない訳ではないのか、とも思う。
だが、それだけだ。
おそらく、二度とここに戻って来ることはないだろう。
そう思うと、見慣れた何の変哲もない首都圏郊外の住宅街でも、秘境の地と同程度に貴重に思えて来る。
後は、きっかけだけだ。
もう後戻りできない、引き返せない何か・・・取り返しのつかないことを行って、それをトリガーとしよう。
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