第16話 高学歴のエセエリートは、キャバ嬢に嫉妬する。

 意外だった。

 あの後、絶対に支店長から何か言われるかと思っていたのに、何も言われなかった。

 少なくとも、直接は言われなくても、丸井を通じて、注意されるかと思っていたのに、それさえなかった。

 

 正直、期待外れだった。

 文句を言われたら、その場で逆に正論をぶって、反論してやろうと思っていたのに、肩透かしもいいところだ。

 だが、城田の話は上役連中には伝わっているらしく、数日前から、ジロジロと様子を伺っているのを、感じていた。

 

 ここ数日で気付いたことがある。

 それは、開き直り直ってしまえば、上司の目はまるで怖くないということだ。

 ましてや、城田が勤めるような事なかれ主義が蔓延している大企業なら尚更だ。

 

 だから、城田はここ一週間好き勝手に振る舞っている。

 最低限のことは守るが、後は周りの目を気にせずに振る舞っている。

 そろそろいつものように、外に出ようと思っていたら、城田の社用の携帯電話が不意に鳴った。

 

 着信番号は登録されていない番号だったが、この携帯に電話してくるものは限られている。

 城田が名乗ると、いかにも業者っぽい野太い男の声がする。


 「突然お電話して、すいません。ハウスプラザの近藤と申しますけど、ちょっといいですか。案件のご相談で・・」


 案の定、不動産業者からだった。

 名前は聞いたことがあるようなないような業者だ。

 どちらにせよ大手ではない。

 中小の業者だろう。


 一度しか名刺を交換したことがない不動産業者が突然電話をかけてくる時点で、その次の言葉はだいたい想像が付く。

 どうせ複数の銀行で審査に落ちたどうしようもない案件の相談だろう。


「実はちょっと困っている案件がありまして・・」


 予想通り・・じゃあ・・次の言葉は・・・


「個信ですか? うちも他行さんと同じで・・・」 


 先回りして、答えると、少し予想外の答えが返ってきた。


「いや・・そういう返済の遅れはないです。ただ・・ちょっと色々と複雑で・・」

「はあ・・そうですか。具体的には?」

「えっと・・ちょっと電話だとあれなんで、えっと城田さんでしたっけ?会って話したいんですけど。ちょっとうちの事務所までこれますか?」

「え・・まあ・・大丈夫ですけど。」


 普段は、こんなことでわざわざ出向いたりしない。

 だが、今はちょうど、中にいて、丸井からジロジロと視線を受けるのも飽きてきたところだった。

 場所を確認して、30分後に約束をする。


「ちょっと案件相談があったので、業者訪問してきます。」


 相変わらず、遠目から城田の様子を伺っている丸井に声をかけて、返事が返ってくる前に事務室を出る。

 どうせ、大した相談でもないだろう。

 不動産業者というのは、電話やメールで済む程度の話でも何故か会って話をしたがる生き物なのだから・・・

 

 ましてや、電話の調子だと40代くらいの業界経験が長そうな男だったから、なおさらアナログなのだろう。

 本当にこの業界は、銀行と同じように旧態依然としている。


 未だに連絡手段の大半は電話とファックスなのだから。

 審査資料をファックスで貰い、資料が不鮮明で結局、直接取りに行ったことが何度合ったことか。

 

 若い人間なら、まだメールで送ってもらうことができるが、あの電話の主のような40代になるともう駄目だ。

 資料をメールで添付して送るということすらできないものが多い。

 

 その程度もできない人間が、数千万円の不動産の取引をとりまとめているのだから、他人事ならゾッとする。

 最寄り駅に着いて、聞いていた住所の近くまで歩いたが、業者らしき店が見当たらない。

スマホを取り出し、業者の名前を検索する。


 きっと、あの電話してきた不動産業者ならこういう時もすぐに電話するんだろうな・・と、苦笑いを思わず浮かべる。

 画面に表示されている住所の末尾を確認する。

 マンションの部屋番号だった。


 見た目だけで決めつけるのも問題だが、8割程度は、外観で感じたことがそのまま当てはまっている。

 そんなことを脳裏に浮かべながら、思わず小さなため息を浮かべる。


 スマホの地図アプリが指し示したのは、目の前の雑居ビルだった。

 ポストには、乱雑にチラシ類が投函されていて、そのポストの一つに業者の名前があった。


 他のテナントは、カタカナ文字の名前ばかりの業種不明の会社、マッサージ店、などだった。

 住所に記載された部屋番号の扉に前に立つ。


 扉の真ん中にはテプラーのようなもので、小さく業者名が記載されていた。

 チャイムを鳴らし、会社名と名前を名乗る。

 応答したのは、電話をしてきた男と違う若い男だった。玄関が開き、中に案内される。

 

 中を一瞥すると、20平米ほどの広さのワンルームだった。

 扉側に近い場所に、大きなテーブルが置いてある。

 テーブルの上に、印鑑マットや朱肉が置いてあるから、おそらく契約する際に使うものだろう。

 

 奥は簡易なキッチンになっており、空のカップラーメンの容器が乱雑に何個か置いてあった。

 こんな場所で、数千万円もする不動産を購入する契約をする人間の気がしれないと、想いながらも、表情を変えずに、部屋の中に入る。


 軽薄な笑みを浮かべた若い男に、テーブルの前の椅子に座るように案内される。


 「近藤さんは今ちょっと電話中なんで。どうぞこちらでお待ちください。」


 若い男は、近くの冷蔵後から、城田のために、何やら飲み物を出そうとしている。


 「すいません。こんなもんしかないんですが」


 男は、ドンとテーブルに勢いよく、ドリンクを置いた。

 それを見て、思わず失笑するのを城田はなんとかこらえた。

 男がテーブルに置いたのは、毒々しいネーミングの栄養ドリンク・・・というよりもむしろ精力剤のようなものだった。

 

 いくらこれしかないとはいえ、こんなものを客に出すか・・・普通・・・

 

 普段の機微にその人物の常識、通念などが案外と出るものだ。

 こんな男を雇っている業者とマトモに会話ができるのか、先行きが思いやられる。

 奥のキッチンの方から男が姿を見せた。


 ワイシャツにスラックスと行ったフォーマルな格好をしているが、だらしないというイメージしかもてなかった。


 シャツは、第二ボタンまで開いており、でっぷりとした中年太りの見本のような体型、片手には吸いかけのタバコ、もう一方の手は食べかけのカップラーメンという出で立ちなのだから、そう思ってしまうのもやむを得ないだろう。


「ああ。なんだ。近藤さん。メシ食べてたんですか。銀行さん来てますよ。」


 どうやら城田を呼び出した男のようだ。

 声の通りというか、この業者の事務所の外観通りというか、いずれにせよ予想通りの男のようだ。


「ああ~こりゃどうも。すいませんねえ~わざわざお越し頂いて」


 男は吸いかけのタバコをカップラーメンの空の容器に突っ込み、無造作にポケットをまさぐり、ヨレヨレの名刺を取り出した。

 名刺交換を済ませて、前の席に座ると、城田は早速本題に入った。

 雑談を降ると、昔の武勇伝がはじまり、長引きそうだと思ったからだ。


「それで・・・電話の相談したい案件というのは」

「ああ~そうなんですよ。これどうにかなりますか?」


 男は謄本や物件チラシの山など書類が乱雑に置かれているテーブルの後ろにあるボックスから書類を引き出し、机上に載せた。

 置かれた書類は確定申告書だった。


「自営業者の方ですか・・」

「そうなんですよ。自営でしかも女なんですよ。」

「ちょっと見ていいですか。」


 自営か・・脱税系じゃないよな。

 所得0とか勘弁してくれよ。


 目の前にある申告書を見る。

 申告している所得は500万ほどだった。

 意外にしっかり申告している。

 これなら自営業者でも通りそうなものだが。


「自営ですけど、所得はまああるんですよ。問題はそこじゃないんですよ。」

「そうですね。これくらいなら、まあ金額によりますけど。普通にどこでも通りますよね。えっと・・その問題なのは・・」


 男は芝居じみたように、少し声をひそめる。


「・・・いや実はね。その。職業に問題ありまして。」

「・・女性でしたっけ・・その風俗関係ですか・・」

「そう。その通りです。なんとかなりません?」


 やはりわざわざ来るべきではなかった。

 電話だと話せない複雑な案件だのなんだの勿体つけて、単なる風俗で働いている女の相談じゃないか。

 電話で5分で終わる話を・・


 心の中に沸いている苛立ちを隠して、努めて冷静に話をする。


「いや・・ちょっとうちも無理ですよ。風営法関係の職種に努めている人は・・」

「いやいや・・そこなんとかなりませんか?この人、そっち系の仕事ですけど、ちゃんと確定申告してけっこうしっかりしてるんですよ」


 そういう問題ではないんだけど・・・と心の中で突っ込みを入れながら、男の剣幕から逃れるために、話を逸らす。


「・・・風俗と言っても色々ありますけど、どういう系ですか?」

「確かキャバだったかなあ?そこまでザ風俗って感じじゃなかったと思いますよ。ほら、わたしもそこまで突っ込んではさすがに聞けないんで・」


 この男にそんな繊細さがあるのかと想いながら、一瞬考える。

 確か・・スナックのホステスが、自己資金を半分くらい入れて、融資承認になった例を聞いたことあるな。


「自己資金どれくらいあります?」


 その瞬間、良くぞ聞いてくれたとばかりに男の目に力が入った。

 城田の応答を見て、可能性があると想ったのだろう。


「いやそれがけっこう持っているんですよ。一千万くらいはありますよ。だから、なんとかなりませんか。銀行さんもリスクないでしょ。こんだけ物件に突っ込めば。職業云々で差別しないでくださいよ」


「それだけあるんですか・・まあ・・それなら・・でも一回そのお客さんにあわせてください。稟議にけっこう書かないといけないので。」

「本当ですか!よし!じゃー早速手配しますよ!」


 興奮する男を尻目に城田は融資が出る可能性を考えていた。


 まあ・・・無理だな・・・


 頭の硬い年寄りばかりの審査の連中が、キャバ嬢なんかに融資を出す訳がない。

 業者に思わせぶりの態度を取ったのは、単純に興味があっただけだ。

 キャバ嬢か風俗嬢かわからないが、城田と同じくらいの年齢にもかかわらず、一千万も持っている女がどんなものなのか。


 あとは、単純に嫉妬だ。

 そんな仕事をしているくせに自分よりも、幸せ・・かどうかは不明だが、それだけお金があるなら城田の基準では幸せだ。


 少なくとも今の城田よりもはるかに未来は明るい。

 そういう女を上から目線で審査するという立場にも興味を惹かれていた。

 そんな立場など、銀行という後ろ盾、看板がなければ、到底できないのだから。


 若くて未来がある美人な女に正論をぶって、ダメ出しをできるなど、滅多にできることではない。

 それだけでも会う価値がある。

 そんなことを思いながら、業者の男がアポを取ろうと電話をかけている様子を眺めていた。


 やっぱり電話か・・・


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