第10話 アラサーの非モテが人前で感情的になるのは相当の理由が必要です。
案内された店は北口から数分歩いたところにあった。
昼はカフェで、夜は酒と簡単な食べ物を提供するスタイルだ。
女子向けのカフェ兼バーといった感じで、客は半分ほど入っていたが、ほとんど女で占められていた。
「デート」「オススメ」「カフェ」で検索すると必ず出てきそうな当たり障りのない店といった感じで、こないだ行った東京駅の店よりもややカジュアルな雰囲気だった。
店員に案内され、二人掛けの席に座り、真正面に女の顔が視界に入ると、否が応でも、女のランクの高さを意識してしまう。
三十代前半の冴えないサラリーマンと二十代前半の美人な女。
客観的に今の外形を脳内でイメージ化すると、明らかに場違いだ。
こうなるとだめだ。
劣等感が刺激され、ただでさえ希薄な自尊心がさらに下降気味になる。
ようは、卑屈になってしまう。
「まずはドリンクでも頼んで、乾杯しましょうか」
心の卑屈さは外面にも、無意識に出てくる。
今の城田は明らかに暗いオーラが出ているだろう。
そんな様子に気づいているのか、いないのか、女は、終始会話をリードしてくれた。
女が次から次へと投げ掛ける他愛のない会話に、城田はぎこちなく返答するだけでよかった。
もっとも、仕事の話題~「どの専門のお医者さんなんですか」~と尋ねられた時は、目に見えてしどろもどろになってしまった。
不審がられるかと思った。
だが、女は、経歴詐称をしているなど露とも思わないのか、目を大きく見開いて、城田のでまかせを興味深けに聞いていた。
女のコミュニケーション能力が抜群に高いからなのか、酒が回ってきたためか、はたまたその外見の美しさにのぼせたのか。
先程の落ち込みとは打って変わって、次第に気分が高揚していた。
つかの間だが、この今に集中し、ただ若く美しい女との会話を自然体で、楽しむことができた。
躍動する心と、ほろ酔い加減の頭が良い具合に連携した。
病院で突きつけられた事実もなんとかなるかも。
そうぼんやりと考えられるほど、久方ぶりに気分は前向きになっていた。
飲みはじめて一時間ほど過ぎただろうか。
女は、相も変わらず、様々な話題を投げかけてくる。
一向に会話は途切れないが、ふと声のトーンが変わった。
「あの。城田さんって。今の仕事に満足してますか。もちろん、お医者さんだから、普通のサラリーマンなんかよりは大分モチベーションがあるとは思いますけど。」
「えっ・まあ・・そうですね。大満足という訳ではないですけど、ほどほど満足してますよ。」
唐突に仕事の話を振られた。
やや声につまり、曖昧な返事でごまかすのが精一杯だった。
「そうですか。でも、完全に満足しているって訳じゃないんですよね。こうなれば満足するってなんかありますか?」
「えっと・・まあ・・もう少し休みが多くなればいいかな~とは思いますけど。」
「あ~やっぱりお医者さんって大変なんですね。でも、そうですよね。やっぱり時間って大切ですよね。」
早く話題を変えたかったが、女はドンドンと突っこんで来る。
城田の返事を聞くやいなや、女は、すぐに自分語りを始めだした。
「わたしもお医者さんみたいなちゃんとした仕事じゃないですけど、仕事でけっこういっぱいいっぱいの時があって。でも、その時気づいたんです。仕事でこんなに追い詰められるのは、結局お金に余裕がないからだって。だって、仕事ってなんだかんだ言ってもお金のためにやってるって面が大きいじゃないですか?」
「まあ・・そうですね。」
女は目を今までで一番大きく開けて、ランランと輝かせていた。
なお話は止まらないと言った様子だ。
城田は、その迫力に適当に相槌を打つのがやっとだった。
「ですよね~。それで、思ったんです。別の手段でお金をある程度稼げれば、余裕が出来て、心に余裕ができるなあって。城田さんもそう思いません?」
一応質問という形だったが、返答は同意しかできない雰囲気だったため、また生返事をする。
「やっぱりそう思いますよね!城田さんならわかってくれると思いました!」
女のあまりにも大仰な返しに、先程から感じていた奇妙な違和感の正体がだんだんとわかってきた。
「私実は数ヶ月前からはまっているのがあって、副業みたいなものなんですけど、凄い簡単で。友達から勧められてはじめたんですけど。本当ちょっと頑張るだけで、本業プラスアルファのお金がすぐ稼げるんですよ~」
この違和感の正体・・それは、この場の空気が、馴染みのあるものだからだ。
いつも自分が客に商品を薦める時のそれと同じなのだ。
何故気づかなかったんだ・・・
若くて、綺麗な女が、何も目的がなく、自分のような男と会うはずないじゃないか。
やっぱり、病院で聞いて以来、頭がどうかしているのだ。
こんな、テンプレ話にまるで、気づかずに。
バカみたいにテンション上げて、会社を休んでまで、ノコノコ夜に出向いて、何をやっているんだ。
酷く自尊心を傷つけられ、自分に対する怒りで震えている城田の様子に、女はまるで気づいていない。
なおも商品説明を続ける。
「会員になれば・・」
「一番ベーシックなパートナーシップの権利は5万円から可能・・・」
「チームでやるから、友達も増えて、モチベーションも上がりますよ・・」
断片だけが、聞こえてくる。
要はネズミ講だ。
いや、正しくはネットワークビジネスと言うらしい。
ここでも、カタカナ用語だ・・・
ファイナンシャルコンサルタントと同じか・・
本当に、馬鹿だ。
数年前に、寂しさを紛らわすために、ネットで募集していた飲み会に参加した時のことが脳裏に浮かぶ。
連絡先を交換した女と後日、二人で会って同じ目にあったのに。
同じ轍を踏むとは。
自分自身に対する憤りは、なおも営業トークを止めない目の前にいる女に向きはじめていた。
こんな典型的なネズミ講に、引っかかるほど愚かな男だと思っているのか。
顔が美人なら、ちょっと女を匂わせば、簡単に自分の「子」にして、金を吸い上げられるとおもっているのか。
だいたい、この女の本業は、そこそこ名の通った企業の事務職とか言ってたが、大企業の腰掛けのパン職の仕事がそんなに大変な訳があるか。
ましてや、この女の顔レベルなら、マトモな仕事をしなくても、周りがフォローしてくれるに決まっててる。
顔だけの仕事ができない女のくせに!
心の中で、女への怒りが爆発していた。
ふと、気付くと、目の前の女が、口をあんぐり開けて、ドラマの一場面のようにポカ~ンとこちらを見つめていた。
「・・・えっ!ち、ちょっと!、い、いきなり、キレて!な、何なの!」
その瞬間、ようやく気づいた。
どうやら、心の中の声だと思っていたが、現実に口に出していたらしい。
周りの客もこちらの様子をジロジロと伺っている。
かなりの大声を上げていたらしい。
人の目を気にして、目立つことを極力避けてきた城田にとって、こんなレストランの中で、怒号を上げるなど、考えられなかった。
確かに、女にカモにされたことには怒りを覚えた。
だが・・・面と向かって、他人の目がある場で、相手~しかも、初対面の女~を罵るなど。
ここまで感情を露わにしたのは、人生の中で数えるほどしかない。
城田は、女の恐怖と困惑が入り混じった眼差しに、顔を俯けるしかなかった。
だが、それに耐えられたのも、ものの数十秒だ。
この針のむしろのような場所に長く留まることなどとてもできなかった。
城田は、財布から数千円をひったくるように取り出した。
それをテーブルの上に叩きつけた。
女は、突如暴漢に襲われた被害者のように、目を潤ませながら、身を震わせていた。
そんな女の姿を見ると、罪悪感が混み上げてくる。
逃げるように店を後にした。
店を出た後も、早歩きでその店から離れた。
一刻も早く犯行現場から逃げ出す犯罪者のような気分だった。
ただ、恥ずかしかった。
だが、店から離れる内に、だんだんとその気持ちは薄れてゆく。
今度は恐怖が心を占めるようになる。
自分はこの現実を冷静に受け止めて、自分自身をコントロールできていると思っていた。
だが、実態はこのザマだ。
まるで、受け止めきれてなどいない。
人前での感情のコントロールすらできないほど、動揺してしまっている有様だ。
今でさえ、こんな状態なのに、これから症状が進んだ時に、自分はどうなってしまうのだ・・
翌日、昨夜のことを引きずったまま出社した。
病院で言われた事実について、心の整理はまるでできていなかった。
そんな中でも、会社に行くのは、一つは、体調不良で2日連続~病院での検査を含めれば三日連続~休むのが、気まずいこと。
そして、こちらの方が大きいのだが、単純に時間を持て余したくなかった。
仕事を休んで、家にいても、やることがない。
せいぜいゲームをやったり、スマホをいじるだけだ。
そんな、ストレスがない環境~余裕がある状態~では、どうしても、別のこと~自分の現実~を考えざるを得なくなる。
今、この問題を一人で熟考したら、きっと自分の精神はまともではいられなくなる。
そんな気がしていた。
それに比べたら、仕事をしていた方がはるかにマシだ。
仕事は決して楽しいものでも、心休まるものでもないが、少なくともピリピリとした緊張感を与えてくれる。
その状況が、余計なことを考えさせる余裕をなくしてくれる。
面倒な問題をしばしの間、忘れさせ、先延ばしにしてくれる。
朝、玄関を開けて、最寄駅まで、歩く間、眼前に広がるその風景は驚くほど日常そのものだった。
首都圏沿線のどこにでもある駅に、けだるい雰囲気を全身に醸し出したスーツ姿の男たちが闊歩する光景。
通勤ラッシュの満員電車で、できる限り、手の自由が効き、スマホがいじるだけのスペースを確保するべく、良い位置どりをしようと四苦八苦する自分自身。
そうだ。
自分は、日常に戻ってきたのだ。
いつもは、嫌でたまらない朝の通勤の一コマがやけに気分を清々しくしてくれた。
だいぶ早く会社に着いたため、事務室に入室する前に、喫煙室に寄った。
見慣れたメンツ、勝田が気だるそうに煙草をくねらせていた。
「あれ。今日は大分早いじゃん。」
「ええ・・ちょっと。一本前の電車に上手いこと乗れたので。」
「そっか。ところで、体調大丈夫なの?」
「ええ。すいません。何日も休んじゃって」
「いや。二回も再検査ってなかなかないから、ガンでも見つかったのかと思ったよ」
勝田は、いつものように冗談混じりに、話す。
「はい・・実はガンが見つかりました。」
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