第6話 高学歴の社畜は、高卒とFランに嫉妬する

 城田は結局、カフェに二時間ほどいたが、勉強に集中していた時間は二十分ほどしかなく、参考書はほとんど進まなかった。

 だが、何か有意義なことをやるという自己満足としての勉強の役割は十分に果たしたため、城田は家に帰り、後は、いつもの怠惰な生活~ただひたすらコンテンツを消費すること~を罪悪感なく、送ることができた。


 連休最終日、女に送ったラインは既読になっているが、返事はなかった。

 ただでさえ、最終日の鬱気味の心が更に悪化してしまう。

 日曜日や連休最終日はいつも、何もやる気が起きない。


 明日からまた、辞めたいほど辛くはないが、ウンザリするくらいのストレスを感じる日々がまたやってくるのだ。

 翌日に仕事がある日は、過食も抑えていたが、どうしても誘惑に抗うことができなかった。


 仕事のストレスと女からのラインがこないことが合わさり、気を紛らわせるために、ついつい食欲に逃げてしまう。

 少なくとも、過食と嘔吐をしている間は、余計なことを考えないですむ。


 結局、三日連続で、ドカ食いと嘔吐を日に二回もしてしまった。

 ソファで寝転がりながら、なんともなしにスマホをいじっていると、ラインの通知が飛び込んできた。

 待ちわびていた女からのラインだ。


(すいません。ここ数週間は全部予定があって・・また、落ち着いたら連絡します)


 経験が少ない城田でも十分過ぎるほどに、はっきりとわかる女からの不合格通知だった。

 過食と嘔吐を繰り返し疲れ切った肉体に、女からのラインで心も疲れ切った城田は、21時前にもかかわらず、早々にベットに倒れ込んだ。


・・もう色々考えるのは面倒だ・・・とりあえず寝よう・・・


 スマホのアラームを六時にセットして、唯一の逃げ道である夢の世界に逃げ込む。 

 幸い、肉体と心も疲れているためか、すぐに眠りにつくことができた。


 連休明けの火曜日はいつも通りの憂鬱なものだった。

 とはいえ、人間の慣れとは不思議なもので、どんなに朝が憂鬱でも身支度をして、満員電車に乗る頃には、最低の気持ちから幾分かマシになっている。


 週に一回行われる全体朝礼で、仕事は幕を開ける。

 いつもの顔ぶれが、いつものように、一様に憂鬱そうな顔を浮かべて立っている。 


 覇気がある顔をしているのは中心にいる支店長くらいだ。

 各部長の中身がない政府答弁のような話しが終わった後、最後に支店長が本社からの訓示を言い渡していた。


 内容は本社からの通達で今流行の「フィデュシャリーデューティー」を徹底するようにとのことだった。

 城田は、ほとんど聞き流していたが、一応ポーズとしてメモを取っているふりをしていた。


 部の事務室に向かう際に、勝田が、ダルそうな声でぼそっと後ろから聞いてきた。


「なあ、支店長が言ってたあのフィディなんとかって何だ?」

「ああ・・・あれですか。まあ、なんかお客様本位の徹底とかですよ。最近、投信売るのも理解度やら何やら大変じゃないですか。そんな感じのやつですよ。」

「ふ~ん。まあよくあるお客様のためにってやつね」

「まあ、そんなもんですね」


 勝田はこれ以上あまり興味が起きないのか、生返事をして、そのままいつものように喫煙室へと寄り道をしていた。


(本当・・レベルが低いな・・・)


 まがりなりにも金融業界に身を置いているのなら、「フィデューシャリーデューティー」の単語ぐらい知ってしかるべきだろう。


(所詮、高卒か・・)


 勝田は、城田より一回り以上も上だが、役職は城田の方が上だ。

 勝田は組織改変前に高卒採用された社員であり、出世のスピードも異動する店舗のエリアも城田のような大卒採用の社員とはかなりの差がある。


 度重なる合併と組織改変を繰り返し、内部に様々な種類の職種、母体を持つ城田が勤める会社は、多種多様な種類の社員がいる。

 城田は、表向きは、勝田のようなたたきあげの高卒社員に敬意を払っていたが、内心は見下していた。


 下品でがさつで品がない、そう感じる社員ばかりで、中高一貫の進学校を卒業し、有名私大卒の城田が今まで出会ったことがないタイプの人間ばかりでどうにも好きに慣れなかった。


 一方で、勝田が持つ、狡猾さというか・・生き抜く力というものには、時に舌を巻く。

 決して、営業成績はトップというわけではないが、ほどほどに実績を上げ、部内の同僚たち全員とそこそこの関係を保ち、いつの間にか取りまとめ役のようなポジションを築き上げている。


 こうなれば、周りはなかなか強くは言えないものだ。

 実際、勝田は、勝手気ままに外回りに出ているが、上司もなんら文句を言わない。 

 こういう力は城田にはないものだ。


 だから、自分より学歴や知性が低いのに、うまく立ち回れる勝田のような人間を見下しながらも、嫉妬するという相克した感情を持ってしまうのだ。

 事務室に戻ると、各部員は定例の電話営業の準備をしていた。


 顧客リスト~と言っても一度も取引がない近隣の不動産業者をエクセルでまとめた表~にランダムに電話をかけるだけの作業で、特に成果も期待できず、ただストレスがかかるだけの単純作業だ。


 要は、誰もがやりたがらない種類の仕事である。

 勝田は、案の定、アポが取れたとかなんとか適当なことを言って、早くも脱出の準備をしていた。


 上司の丸井は、相変わらずネットサーフィンをしながら、勝田の報告に生返事をして、やはり何も言わない。


・・俺も、ああできたらな・・・


 城田は、外回りの準備をする勝田を横目に、電話営業の準備をする。

 どうせ、ほとんど相手にされないから気楽と言えば気楽だが、やはり見ず知らずの他人に電話をするのはどうにも慣れないものだ。


 ふうと深呼吸し、観念して電話をかけようとしたところ、丸井に不意に呼び止められる。


「ああ・・そうだ、城田、そう言えば、お前あてになんか郵送が来てるらしいから、ちょっと、総務に取りに行ってきてくれ」


 思わぬ形で、この場から逃れられる口実を手にすることができ、これ幸いとばかりに事務室を後にする。


 しかし、いったい何だろうか。部の事務室を出て、総務の者〜と言っても営業の傍ら片手間で、資産商品販売部の者が店舗内の人事やらの雑務をやっているだけだ〜がいる部屋へと向かう。


 部屋内は、投信獲得に向けて、電話営業をしている社員のいかにも営業用に作っている甲高い声で賑わっていた。


「わたくし、銀行で資産運用コンサルタントをしている者ですが、今預けて頂いている定期預金を〜」


 どこも売る商品は違えどやることはたいして変わりがないようだ。

 狭い部室に詰め込まれた自称コンサルタントの面々は、定期預金の満期を迎える顧客リストを片手にひたすらローラー営業の電話をしている。


 資産運用コンサルタント、・・・カタカナの名称を聞くとどうにも胡散臭く感じてしまう。そういう長ったらしい名称を名乗るのは、たいていその本質の薄っぺらさを覆い隠すため・・と無意識に察してしまうからだろう。


 もっとも、城田の名称もローンアドバイザーなのだが・・

 城田は、顧客リストを疲れ切った目で見つめている資産運用コンサルタント兼総務係の中間管理職の人間に声をかけた。


 総務の男は、面倒くさい様子を隠そうともせずに、「ああーさっきの件なら、そこに書類があるから、何かわからないことあったら、紙に書いてあるとこに電話して」と、城田を見ようともしない。


 その傍らでは、部員がやはり同じように懸命に電話をかけている中、管理職がハッパをかけていた。


「高齢者でも俺が許可出すから、70歳以上でも電話して、アポ取れよ!」


 先ほど朝礼でうんうんと、支店長の「フィディシャリィーデューティ」の訓示を聞いていた管理職がこれなのだから、その実態は「コンサルタント」と大差ないようだ。


 城田が、書類を受け取り、部屋を出ようとすると、既に総務の男は電話営業を再開していた。

 郵送物は会社が健康診断を委託している病院からのものだった。


 前回の受け取った診断結果で終わりだと思ったが、どうやら内容の一部は別便で送られてくるようだ。

 事務室に戻る傍ら、封筒を空けて、中身を確認する。「要再検査」という文字が飛び込んできた。


・・よし・・・


 今日一番、テンションが上がった瞬間だった。

 これで、半休が取れる。

 いや、うまくすれば一日休める。


 事務室に戻り、早速上司の丸井に報告する。


「なんか健康診断で再検査になってしまいまして・・・あの・・申し訳ないのですが、近い内に病院行くために半休を頂きたいのですが・まあ・・なんかの勘違いだと思いますが・・一応念のため・・」


「ええ!再検査! 君の年齢で再検査なんてあるのか。まあ・・・でもそういうことならしょうがないか。ちゃちゃっと病院行ってきてよ」

「はい。本当、自分も驚きましたよ。なるべく迷惑かけない日に取りますので」


 今の上司~丸井~は自分が今まで仕えてきた者たちの中でも、かなり緩い上司だから、理由があれば休みも申請しやすい。

 むろん、それでもこういう明確な理由がなければ休みは申請できないが・・


 上司の許可も得たので、早速封筒に記載されている病院に電話をかける。

 どうやら、明日でも予約は取れるようだ。

 憂鬱な三連休明けの営業日の次の日に休みが取れるのはありがたい。予約は早速明日入れることにした。


「丸井さん・・すいません・・先程の件、病院に電話をしたのですが、なんか明日しか直近一ヶ月では空いてないようで・・」

「ええ!そうなの・・今は病院どこも混んでるもんな・・まあ、しょうがない」

「本当すいません・・・明日も結構混んでいるようで。けっこう時間かかっちゃうかもしれません・・」

「了解。まあ終わったら連絡してよ」

「はい、もちろんです」


 こういうところを、いちいち確認しないところが、ありがたい。

 やっぱり、仕事ができる上司より、丸井のような緩い上司の方が断然いい。

 

 翌日、午前中に、会社から少し離れた病院に出向くと、昨日自分が言っていた方便が現実のものとなっていた。

 会社の提携病院は地域でそれなりの規模を誇る総合病院であったため、平日にも関わらず大混雑していた。


 もちろん、ここにいる連中もショッピングモールにいた人々・・・城田が相手にしている客層・・・と同じく高齢者がほとんどだ。

 老人でごった返している受付で、自分が受診すべき場所を探す。


 今は病院もかなりシステム化されているようで、わかりやすい案内版と発券機が置いてある。

 そのおかげで、初めて病院に来る城田でも、造作もなく、目当ての場所を見つけることができた。


 発券機から番号札を取っていると、六十代後半の男性が、受付の女性に何やら大声で尋ねていた。


「おい・・これはいったいどうやればいい?」


 受付の若い女性は疲れ切った顔を取り繕いながら、笑顔を浮かべて、懇切丁寧にその年配の男性に案内をしていた。

 昨日見た自称コンサルタントと同じ、余裕のない作りものの笑顔だ。


 どこの職場でも同じだ。

 せっかく休んできているのに、仕事のことが脳裏に浮かび、嫌な気持ちが湧き上がってくる。


 そして、偉そうな年配の男の後ろでは会計を待つ人たちがごった返していた。

 恐らく、あの受付の女性は会計の仕事がメインで、案内はサブなのだろう。

 あの女性が案内をしている間、会計業務は渋滞するという訳だ。

 

 ああいう年寄り連中を見ると本当に腹が立つ。

 こんなに親切にかかれている案内版を見ずに質問するという愚かさ、年寄りだから、わからないと諦めている姿勢、あの空気を読まない無節操さ。

 全てが鼻につく。


 やろうと思えばできるのに、高齢者ということを言い訳にありとあらゆる新しいこと、成長を拒否する。

 ああいう高齢者が、この国の多くの場所にはこびって、業務を妨害しているから、この国は停滞するのだ。


 日々募っている高齢者への憤りで、心をざわつかせながら、番号札に示されたエリアで順番を待つことにした。

 電光板に表示されている番号と自分の番号とはだいぶ間がある。


・・これはかなり待たされるな・・・


 城田は近くのベンチに腰掛けると、スマホを取り出し、暇つぶしをすることにした。

 手始めに、先程感じた高齢者への憤りをツイッターでつぶやく。


(病院で高齢者がクレームを言って、ただでさえ回っていない病院が更に混雑している。こっちは仕事の合間に来ているのに大迷惑・・ #老害)


 現実とは少し違うがまあいいだろう。

 こういう内容じゃないと、拾ってもらえないからな。

 城田のように、リアルで会社の上司や客の年寄りに抑圧されている若者が多いからなのか、単に叩けるネタを探しているだけなのか・・・高齢者ネタはSNS上では食いつきがいい。


 なにせ、フォロワーが100にも満たない城田のアカウントでも数件は反応があるくらいだ。

 ツイッターの反応を待ちながら、スマホでネタになりそうな記事~主に炎上ネタ~を探す。

 

 すぐに目当ての記事~「非正規と正規の格差が問題だ」という貧困ネタ~をピックアップする。中味の記事は適当に流し読み、取り上げられている非正規のプロフィールを詳細に読み込む。


・・Fラン大学中退、学費は親持ち、転職数回・・・はいはい・自業自得・・・


 頭に浮かんだネット受けしそうな内容をツイートする。


(Fランの大学で、しかも費用を親に出させて、あげくに勝手に中退。そんで、短期間で転職を数回もしているやつなんて、貧困になって当然じゃん・・)


・・俺はこいつらと違って一流大学に出ているのに、くだらない仕事を毎日我慢して10年もやってるんだぞ。こんなFランのクズが貧困になるなんて当然だろ・・


 城田の本音はいつものように匿名でも投稿できない。

 世間の目もあるが、文章に具体化すれば自分の矮小さを直視せざるを得なくなってしまう。


 それが、嫌だった。

 下を見て、嘲笑っても、自分の人生の風向きは好転しない。

 そんなことくらいわかっている・・・

 だが、気晴らしをしたっていいだろう・・・

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