第4話 行きたくないけれど、行かなければならない海外旅行とデート
今日は金曜、そして、来週は月曜が祝日のため、三連休となる。
久しぶりにワクワクしていた。
女性と会うことで何かが変わる訳ではない。
だが、自分の経験値が増えて、無為に時間を過ごしていないと実感できることが嬉しかった。
女性との約束は金曜の夜、職場近くの東京駅で待ち合わせをした。
デートの経験はあまりないが、オシャレな店を探すのに苦労はしない。
レストラン系のアプリでの検索でも無数にヒットするし、 グーグルで検索すれば、ご丁寧に「初デートでオススメのレストラン10選」といった記事がそこかしこに出てくる。
その中から、一人5、6千円の店を見つくろって、予約を入れた。
準備は万端だ。
街合わせの時刻は19時半だから、いつもより早めに会社を退社しなければならない。
むろんやることなどないのだから、何にも問題はないのだが、シーンと静まり返った部内で、一人早めに「お先に失礼します。」と言うことを考えると憂鬱だった。
だが、三連休前だったことと、これからデートということもあり、少しハイテンションになっていたのか、はたまたデートの前の緊張のせいか、自分でも驚くほど、さして、緊張せず、直属上司の丸井の前に立ち、口に出すことができた。
丸井は少し、顔を歪めた。
それが、不機嫌の表明なのか、驚きなのかは判別できなかったが、正解がわかる前に、そのまま踵を返し事務室を後にした。
三連休前の金曜ということもあり、東京駅は、これから旅行に行く者や出張帰りや飲み会に繰り出すサラリーマンたちでごった返していた。
いつも金曜夜に楽しそうなカップルや友達同士の集団を見ると、感傷的になった。
行くところがなく、家に直行する自分が惨めに思えたからだ。
だが、今日は違う。
自分もこいつらと同じ土俵に立っているのだ。
街合わせの時間までは後三十分ほどあるが、予定通りの到着である。
予約した店へとスムーズに女性を案内するために、ルートを下見しようと早く来たのだ。
元来、心配性だから、こういうことにはどうしてもマメになってしまう。
駅から徒歩十分ほどの店を往復し、再び駅に戻ると、街合わせの時刻になっていた。
駅の壁にもたれ掛かりながら、心臓はドクドクと高鳴っていた。
三十を過ぎているのに、女と会うのにこんなに緊張するなんて、我ながら情けない・・・そう思いながらも、緊張は高まるばかりだった。
本当に来るのか…
ドタキャンされたら…
会話は続くか…
相手は写真通り、そこそこの顔なのか…
凄いブスだったら…
そんな、不安が頭の中を渦巻いていた。
不意にラインが来た。
相手女性からだ。
「今、駅に着きました。」
会えることが確定したというのに、ラインを見て、内心少し落ち込んでいた。
ドタキャンされていたら、この緊張はここで終わっていたのに、その望みがなくなったからだ。
「丸の内側の中央改札口の前にいます。」とラインすると、すぐに返信があった。
「私も改札前にいます。」
緊張がピークに達して、キョロキョロとあたりを見回す。
マッチングアプリ上で見た顔が視界に映った。
相手はまだ自分に気づいていないようだった。
女性の姿を一瞥したが、写真よりやや劣るレベルではあるが、詐欺というほどではない。
自分の脳が、複雑な方程式を経て、会う価値があると数秒で判断を下し、その答えを伝令したのとほぼ同時に、女も、自分の存在に気づいたようだ。
女がはたしてどのような判断を下したのかは、人混みに紛れた小さな表情からは、どうにも判別はつかなかった。
女性の方に足を向けて、声をかける。
握りこんだ手は汗で滲んでいたが、なんとか普通の表情を取り繕っていた。
「あの・・アプリでやりとりしていた城田ですが・・今井さんですか?」
「ああ!はい!そうです」
相手の女はどうやら自分と同じ判断を下したようだ。
だが、それでも高まる心臓は収まる気配を見せない。
・・・ここからが、大変だ・・・
「じゃあ、とりあえず予約している店に移動しましょうか」
レストランまでの道を女性とともに歩く傍ら、食事が終わるまで、自分の話のレパートリーが持つか心配でたまらなかった。
最初の内は、あたりさわりないプロフィールなどをネタにすればいいが、それもなくなった後に何を話して良いのか検討がつかなかった。
予約した店の中は、三連休前の夜だけあり、男女のカップルと、女性たち数人のグループでほぼ満席だった。
係の者に案内された席に座り、メニューを見る。
しかし、メニューから、それがどんな料理かを想像するのは、困難だった。
店は一応カジュアルなビストロなのだが、外食と言えば、専ら会社の行事としてチェーンの居酒屋で行う飲み会か、1人で行く牛丼屋かラーメン屋という有様では英字新聞を読むより解読は難しい。
だが、問題なのは、メニューの解読よりも、何を注文するかだ。
上下関係がない初対面同士の者が、意思を統一するのは難しい。
互いに空気を読み合い、どの料理を頼むかで、かなりの時間を取られてしまう。
前に、席だけしか予約していなかった際は、この料理を選ぶという過程でかなりのストレスを強いられ、金銭的にも酷い目にあった。
だが、今日はその心配はない。
それ以来、専ら、料理は指定することにしているからだ。
これなら、費用もいくらかかるか事前に予想がつく。
選ぶのはドリンクだけだ。
二人とも、軽めのサワーを注文した。
この段になって、ようやく緊張も幾分か和らいできた。
・・さて・・・会話を途絶えさえないようにしないと・・
「こういうアプリで今まで会ったことあります?」
「いや・・・実ははじめてなんです。城田さんは?」
「実は僕もはじめてなんですよ。」
実際は三度目だ。
何度も、女と会って、断られている男と思われたくないため、反射的に嘘をついた。
それから、よくありがちな話をした。
出身地や仕事の話・・そんなあたりさわりないの話をしながら、女のルックスのレベルを先程より事細かに分析していた。
・・正直微妙だな・・顔立ちははっきりしているが、顔がデカイ・・ブスではないが、かわいいとは到底いえない・・この女と・・俺はヤれるのか・・・
脳裏に学生時代に初めて行ったソープの女の顔が浮かんだ。
城田の初体験の女・・
実際は、最後までできていないから、厳密には違うが。
・・先のことはいい・・とりあえずこの女と付き合う段階まで行こう。
その経験は自分の自尊心にとって重要なものになるはずだ・・
幸いにも、恐れていた会話の枯渇は起きなかった。
女の趣味はありがちな海外旅行であり、今まで行った国の素晴らしさを等々と語ってくれたため、適当な枕言葉を返すだけでよかった。
それにしても海外旅行が趣味という人間は無数にいるが、到底理解できない。
せっかくの休日に、言葉も通じない治安も悪い国にストレスを感じながら、大金をかけて行くなんて・・・
そもそも、この時代において、メジャーな観光地などググればそれで、おおよその外観や行った時に自身が受ける感動の程度すらも把握できるだろう。
それなのになお、行く意味が果たしてあるのか。
唯一あるとすれば、それは行ったことを他人に話す際に、自身が感じる優越心だけだろう。
三十歳になるまで、海外に行ったことがなかったが、この時代一度も海外に行ったことがないことが恥ずかしくなり、たいして行きたくもなかったが、そのコンプレックスを解消するためだけに、1人で東南アジアに行った。
当然、そこには大した感動~面白い映画を見た程度にはあったが~はなかった。
「ベトナムって、物価が安くて、料理も美味しくて本当にオススメですよ~」
「へえ~そうなんですか~どんな料理がオススメなんですか?」
・・この女は、果たしてベトナムとアメリカが戦争をしていたことを知っているのだろうか。
俺が話したいのは、くだらない料理の話ではなく、ベトナムの歴史だ・・
発している言葉とは裏腹に内心ではウンザリしていた。
こんな新築マンションのキャッチフレーズのような中身のない話などして何が楽しいのだろうか。
それとも、初デートというのは会社の飲み会のように型通りに、宗教儀式のように行うのが一般的なのだろうか。
経験が不足しているため、どれが正しい選択なのか皆目見当がつかない。
ただ、目の前の女は楽しそうに口を滑らせているのだから、今のところ滞りなく儀式は進行しているようだ。
今度行きたい国と会社の愚痴にひたすら頷いていたら、あっとういう間に時間は過ぎていた。
コース料理も残すところデザートのみになっていた。
・・・ここで、そろそろ切り出すか・・・
頭には、どこかで読んだデートマニュアルのフレーズが浮かんでいた。
いわく、デート中に次の約束を決めておくというやつだ。
「今井さん。映画って見ますか?ちょうど面白いのがやっているので、もしよかったら一緒に観に行きませんか。」
一応、つっかえずにスムーズに口上を述べることができたが、心臓は待ち合わせ前の時と同じようにバクバクだった。
「・・・そうですね。映画はよく見に行きますよ~。まだスケジュールがわからないので、予定調整してみます。」
玉虫色の結果だった。
だが、それ以上、押し込む度胸はなかった。
・・・今日はこれで十分だ。女とデートをして、特に大きな失点もなく無難にこなした。
そう、よくやった方だ・・・
全ての料理が出て、後は会計を済ますのみとなった。金額は二人合わせて一万ちょっといったところだった。
悩んだが、結局全おごりはせずに、7対3で少し多めに負担するにとどめた。
安月給でもないが、高級取りでもないから、一万円の出費は気にしないのには多きすぎる金額だ。
それと、全てを奢るというのは、男女平等主義者にとってはどうにも納得できないものもあるからだ。
権利が対等なら、義務も堂々でなくてはおかしい。
子供の権利が制限されているのは、義務が大人より軽いからだ。
さすがに、そんな理屈を面と向かって女性の前でするほど子供ではないが・・・
「すいません。三千円だけ頂いてもいいですか?」
「あっはい~ありがとうございます。」
女は、少し申し訳なさそうにしていた。
その顔を見て、ホッとした。
店を出て、駅まで二人で歩き、そのまま挨拶をかわし、構内で女と別れた。
この段階で、今日一番の幸せを感じていた。
嫌なことをやりきった感覚、面倒な仕事がようやく終わった感覚、いま味わっている感情はまさにそれだった。
時間は10時を少し回ったばかりだった。
安堵感と解放感から、テンションが最高潮に上がったため、新橋駅まで歩くことにした。
昼間とうって変わって閑散としたオフィス街をひとり夜歩くのは密かな楽しみだった。
都会のど真ん中にいるのにも関わらず、何故か非日常感を感じることができ、妙に気分が穏やかになれるからだ。
金曜の夜に、特にやることもないのに、部内で一番遅くまで残り、真夜中近くに会社を出て、少し時間をかけて、夜のオフィス街を闊歩する。
そして、その間、しばし物思いにふけるのが城田の日課であり、ストレス解消方法だった。
新橋駅に着いた時に、時刻を確認するために、スマホを見るとラインが来ていた。先程の女からだった。
(今日楽しかったです~食事も美味しかったですし。)
これは、第一段階は通過したということなのか。
それとも単なる社交辞令か。
どちらにせよ、今日一番の達成感を覚えることができた。
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