有頂天なご説法

みなづきあまね

有頂天なご説法

真冬にしては暖かい日が続いている。雨が降ったり晴れたりと、スッキリしない空模様だったが、窓を閉め切っていれば空気が淀んで耐え難いため、私は席を立ち、近くの窓をいくつか開けた。外からひんやりとした空気が入り込み、思わず鼻から大きく吸った。乾燥しておらず、ちょうどよい湿気と冷気が肺に流れ込んだ。


大きなプロジェクトが終わり、ようやく一息つく時間を取ることができた。まだその名残をデスクに少し散らかしたまま、私はちまちまとそれらを片付けつつ、時々来る同僚の質問を捌いていた。あと一時間くらいあれば、すべてが終わりそうだった。そんな時にまた私を呼ぶ声が後ろから掛かり、まずは今話している人との会話を優先し、それが終わった所で振り向いた。


全く不意打ちで、驚いた感情が表情に出なかったかとドキドキしたが、好きな人がそこにいた。紙切れ1枚を持ち、「質問したいことがあるんですけど」と。


「さっきのプレゼン、まあ特に問題なく終われましたけど、実は名簿から名前が抜けていた人が数名いたみたいで。席も資料も足りていたので大丈夫ではありました。でも、受付番号もバラバラになっていたので。でも、名簿を作ったのはリーダーですよね?」


彼はその紙の該当箇所を私に示しながら説明した。その名簿に誰がいなかったのかまでは把握していなかったが、確かに同じ場所から来た人たちの受付番号が飛び飛びになっているのだった。急遽リーダーが体調を崩して不在だっため、私が代わりに回すことになったのだが、事前準備や資料作成は彼女がやってくれたため、データミスまでは気づけなかったのだ。


「そうですね。多分、もともと通しの受付リストがあるんですけど、それを作る際に抜けた可能性が高いですね。」


私はもう一度よくその紙を眺めると、後程元のデータを確認することを約束した。

なんだか咎められたような気がして、気恥ずかしく、心苦しかった。自分が作った資料でもあるまいが、連帯責任ではあるのかも。しかし、次の言葉で心が揺さぶられた。


「まあ今回はどうにかなったし。でもどうせ次回も使うんでしょ?だったら・・・」


そこまで言うと少し言葉を選ぶように口を噤み、そのあとこう言った。


「よかったら教えますよ」


私はその言葉を聞き終わると同時に、思わず彼の顔を見上げた。もちろん、彼も「私のために」というよりは、「部署のスムーズな仕事のために自分の特技を売りたい」という意識から発しているのだろう。そして、万が一教えてもらうことになったとしても、それはリーダーであって、私ではないはずだ。それでも、思わず「えっ」と声が漏れた。


彼の表情を伺った。最近やっとまともに顔を見て、目を合わせて話せるようになり、目や口元の表情を仔細に観察し、どうにか何を考えているか感じようとしていた。しかし、なかなか本心はわからない。それでも目元は優しく感じた。


彼の返事に、「あ、本当ですか?じゃあ、リーダーに伝えておきますね。」と、私は微笑と共に返事をした。あたかも私に教えて欲しい、ではなく、業務上リーダーに教えてあげてくれと言うように。


そこでやりとりは終わって、彼は自席に着いた。


その日の夜、別件で彼に連絡をすることになり、改めてミスのお詫びをし、今度ぜひ教えて欲しいと送った。


「どうにかしなくちゃですね。やりますよ!」


そう返事が来た。今度は「教えて欲しい」と「私が」言った。つまり、そのうち彼は私の所にやってきて、隣の席に腰を下ろし、私の慣れない手つきやなかなか進まない作業に多少イライラしながらも教えてくれるのだろう。


彼はきっと深く考えていないし、自分の特技を披露できることに自尊心が満たされたにちがいない。だからこそなるべくミスはできないし、彼の指示通り動けるかが自分には負担でもあった。だけど、彼と肩を並べて談笑をしながら仕事ができることを想像すると、自然と顔に笑みが零れた。


いつになるのかな。私はそんなことを考えながら、お風呂に向かった。


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