第26話 救出2

「誰の差し金だ!?」


 副長官が大袈裟にわめいて剣を抜く。ツバキはリタをかばうように手を広げた。


「ランス副長官。こんなことをして許されると思っているの!?」

「なんだ?お前に何ができる」


 副長官は小バカにした笑い声をあげた。斬るまでもないと考えているのか近づいてこない。かわりに後ろから二足歩行の熊が現れた。蜂蜜が好きそうな黄色い熊ではなく、首周りが白い焦げ茶色のいかつい熊だ。

 ツバキを捕まえようとのしのし歩いてくる。


「来ないで!」


 熊がピタリと止まった。だがそれはツバキの能力ではなく、自らの意思で止まったようだった。熊も副長官も喫驚している。


『お前、俺が見えているのか?』


 ものすごく渋い熊の声。

 姿を消していたようだ。熊は、こんな小娘に自分以上の魔力があるなど思いもしなかったらしくかなり動揺している。 


「お、落ち着け。見えたからって何もできはしまい」


 副長官に言われ、熊がまた歩き始めた。

 ツバキは念じるが、やはり熊は止まらない。どうやって切り抜けようか考えていると、精霊の声が耳に入ってきた。


"飲め"


 コップの水が跳ねる。


(これを飲んだリタは元気になった)


 ツバキはコップに残っていた水に触れ、溢れてきた水をすくって飲んだ。水がしみわたるように体が軽くなっていく。自分が思っている以上に疲れていたようだ。足のむくみもなくなっていた。


(今なら操れるかもしれない。……って、あれ。いなくなった?)


 前に向きなおると、熊も副長官も消えていた。

 だが突然いなくなるのはおかしい。目を離した隙に動いて視線をずらされたのかもしれない。


『邪魔するなら殺すぞ』


 渋い熊の声がした瞬間、腹を殴られて吹っ飛び、壁に背中を打ち付けた。

 ゲホゲホ咳き込む。

 お腹をこんなに思いっきり殴られたのは初めてだった。痛みと、また殴られるかもしれないという恐怖が襲い動けなくなる。


「キャア! 何!?」


 リタが叫んだ。腕が何かに引っ張られて不自然に上がっている。魔力のないリタは状況をわかっていないのだろう。見えない何かに体を操られてガタガタと怯えている。精霊の力が宿った水のおかげで元気になったとはいえ、痩せ細った体はそのままだ。いかつい熊が少し力を込めればたやすく折れてしまうに違いない。


(私が……守らなきゃ……)


 ツバキはクラクラする頭を押さえながら立ち上がった。

 リタの腕の先に熊がいるはず。

 それさえ分かれば能力を使える。

 体力も回復した。


(大丈夫、できる。絶対に従わせてみせる)


 自分に言い聞かせるように気合いを入れる。


「姿を見せてリタを離しなさい」


 強い口調で告げた。

 姿を現した熊がぱっとリタの手を離す。

 副長官が「何やってる!」と叫んだ。


『体が勝手に!!』


 熊は焦るが、体の自由はツバキが握っている。


「副長官、能力を使うのをやめて姿を見せて」

「なんだと?」

「やらないなら、印を消させるわよ」

「何言ってる。そんなことができるわけないだろう」

「できるわ」


 印を消される辛さが分かるツバキはあまりやりたくないが、言う通りにしてくれないのなら仕方がない。

 ツバキは熊に命じた。 


「副長官の印を消して」


 熊が歩を進める。ある場所で止まり、空を掴む。


「何する! やめろ!」


 熊が印を消したのか、副長官が姿を現した。現状を受け入れられず茫然としているが、ツバキには同情してやる余地はない。


「その人を捕まえてて」

「な、何をする!?」


 熊が副長官の体を羽交い絞めにした。

 これで一安心だと一息つく。


 が。


「面白いお嬢さんだな」


 そう言いながら現れたのは白衣を着た彫りの深い顔の男。目の下には濃いクマがあり、体は細くてまったく強そうではない。だが、その手には銃が握られていた。


実験材料こいつを渡すわけにはいかない」


 青白い顔に薄汚い笑みを浮かべ、リタの横につく。

 熊を操れば捕まえられるだろうが、そうすると副長官に逃げられてしまう。

 何かいい案がないか思案していると、精霊の声が聞こえた。


”リタ 水 触れ”


 リタにも当然聞こえているはずだが、彼女はどうしたらいいかわからず戸惑っていた。ツバキを仰ぎ見たので勇気づけるように頷く。

 恐る恐るリタが机にこぼれた水に触れた。

 すると、ツバキが触った時と同じく量が増した。流れ落ちて床に広がり、男の足元へジワジワたどり着く。

 そしてなんと、水は白衣の男の体を生き物のように這い上り始めた。


(う……うわあ……)


 ツバキの顔が引きつる。男の体を這う水の中には精霊がいた。いつもの精霊だけじゃなく、何匹も。何十匹も。まるで一粒の餌に群がる池の鯉の大群のように密集している。

 水がついに男の口に到達した。大量の水が口の中へ入っていく。驚き慌てる男の手から銃が落ちる。それでも水は止まることなく、男の耳の穴の中にも入り始めた。精霊が見えるツバキの目には魚の大群が男の穴という穴に……おぞましくて目を逸らした。


「リ、リタ。もういいわ」


 ツバキに呼びかけられ、至近距離で精霊の大群を見て凍りついていたリタの手が水から離れた。同時に精霊が消え、重力に逆らっていた水がばしゃっと音を立てて地面に落ちる。

 ごほっと水を吐き出し、白目を向いて倒れる白衣の男。


 ツバキは急いで銃を拾って空間の中に放り投げた。

 今のうちにリタの体を拘束していたベルトを解き、寝ていた背中を起こす。


「大丈夫?」

「ええ」

「よかった」


 さすがにエドワードまでこっちに来ないわよねと心配していると、血相を変えたギジーが中庭からやってきた。


『ツバキ! 副長官たちが……って、なんだあ?』


 ギジーは目をパチパチさせた。

 捕まえたはずの副長官たちの姿がいつの間にか消えており、慌ててここへ来たら、副長官を羽交い絞めにして大人しく突っ立っている熊と白目を向いて気絶している白衣の男がいたのだ。

 副長官と熊を捕まえるのは至難の技だったのになあとギジーは心の中でぼやく。


「そっちは終わった?」

『あとは蜘蛛だけだ。どっかに隠れてて手間取ってる。金ピカ甲冑が倒しても倒しても立ち上がるからキリがねえ』

「私が必要?」

『なんだとぉ。おいらたちだけでやってやる』


 別に対決でもないのに息巻くギジー。器用に副長官と熊、白衣の男を縄で縛って中庭へ連れ出してくれた。

 

 リタと二人きりになり、微妙な静寂が訪れる。

 帝国に恨みを持つ側と、恨まれる側。

 先に口を開いたのはリタだった。 

  

「あなた、本当は何者なの?」

「私は……」


 正体を明かすべきか悩む。話すことで、彼女を傷つけるかもしれない。帝国に恨みを持っていた村長の娘なら。しかもまたバルカタル人に拉致されて、ひどいことをされ、恨みが深くなっていてもおかしくはない。

 だが話すべきだとも思う。恨まれても、ツバキはそれを受け止めるべきだ。そんな立場にいる。

 ふう、と長く息を吐き、注意深くリタの顔を見つめた。


「私はバルカタル帝国の皇女です。先代皇帝の第三皇女であり現皇帝の妹。セイレティア=ツバキ」


 名乗った途端、それまで少なからずツバキに親しみを寄せていたであろうリタの顔が険しくなり、嫌悪感を露わにした。ベッドから降り、ツバキから三歩遠ざかる。


「何の冗談?」

「冗談じゃないわ」

「私が誰か知っていて助けたの?」

「ええ。あなたはロナロの人で、村長の娘よね」


 リタが眉根を寄せる。


「何が目的?」

「目的なんてないわ」

「嘘。私の父は、あなたの父親と兄を狙った男よ」

「だからってリタたちを助けない理由にはならないわ」


 ツバキがまっすぐリタの目を見つめて言うと、リタは憎々しげにふんと笑った。


「随分優しいのね。どうせ嘲笑っているのでしょう。副長官だというあの男に利用されているとも知らず、復讐しようとして失敗したあげく、村を襲われて……娘が連れ去られたんだもの」


 リタは悔しさを堪えるように歯を食いしばった。


「ねえ。父さんたちが処刑されたのは本当?」

「……ええ」

「そう。憐れよね……。そう思うでしょう?」


 リタに直視されて、ツバキの目が揺れた。


「貴女はそう思っているの?」

「当然でしょ。今更帝国に復讐したってどうにもならないのに。自分の復讐心のために村を巻き込むなんて馬鹿げている」


 リタは口を引き結ぶ。肩が震えていた。


 ツバキは近寄って背中をさすろうとしたが、それは彼女の神経を逆撫でするかもしれないと躊躇し、踏みとどまった。

 ツバキが今すべきことは受け止めることだ。


「リタ。教えてほしいことがあるの」


 リタは無言で顔をあげた。

 ツバキに向ける目は冷たい。だがそれ以上に、苦しくて仕方ない、早く解放されたいと救いを求めているようにも感じた。


「なぜ村長は復讐しようとしたの? 村が無くなる可能性だって、考えないわけないでしょう?」

「ただ無鉄砲なだけ。バカなのよ。自分のことしか考えていないの」

「そう? 村長は捕まっても決して言い訳はしなかったと聞いたわ。それに他の人たちから尊敬されていたようだし。復讐心だけで、村を危険にさらすようなことはしないと思うけど」


 そう言うと、リタはフッと嘲るように笑った。


「あなたは随分綺麗な世界に住んでいるのね。人を恨んだことなんてないでしょう?」

「…………」

「代々村長をつとめる私の家は、親から子へ、村の歴史を深く伝えてきた。バルカタルへの恨みもね。でも父は恨みを抱えたままではいけないと考えていた。せっかく……やっと外との繋がりが復活したんだから。わかっていたけど、すでに自分に植え付けられた恨みは消せなかった。想像できる? 何代分もの先祖の恨みが、薄れるどころが積み重なって父の肩にのしかかっていたのよ。だから父は、賭けに出た」

「賭け?」

「そう。ロナロ村が消えるかどうか」

「!?」


 驚愕したツバキを、リタは無表情で見据える。


「皇帝を殺そうとしたのは、ただのきっかけにすぎないの。そんなことをしたって次の皇帝が立つだけだもの。帝国が怒って、ロナロ村が滅ぼされたら父の勝ち。存続したら、負け」

「どういうこと? どうして村が滅んだら勝ちなの?」

「ロナロが滅べばすべて滅びるから」


 悲壮感を漂わせた痩せこけた顔の中に、得体のしれない不穏な空気がまとわりついた気がして、ツバキはぞくりとした。


「私はそれしか聞いていない。そしてもし賭けに負けて、ロナロが消えなかったら……私が次の村長になってロナロを守り、次の世代へは恨みを継承しないよう導いてほしいと言われた。バカみたいでしょ。自分は滅ぼそうとしているのに、私には守れと言う。しかも父は、皇帝がロナロをどうするか知りたかったのに、あんな男に横やりを入れられてしまった。現状を知ったら、怒り狂ったでしょうね」


 一度目を伏せ、いい気味とリタは自嘲するように鼻で笑った。


「結局、皇女のあなたが私たちを助けにきたのなら、賭けは父の負けってことかしら。私はこれから、生き残った子たちに帝国を恨まないよう教えなきゃならない。……だけど」


 言葉を切って再びツバキを睨み付ける。その目には涙が盛り上がっていた。


「私は帝国あなたたちを許せない。父の苦しみを知っているから、まったく恨まないなんてできない。……だけど同じくらい、父のことが許せない。村には帝国を恨んでいない人だっていたのに、勝手に村の未来を決めて、私にだけ本当の目的を話して。自分勝手すぎるわ。あんなことをしなければ、父も……村のみんなも……あの小さな子たちも死なずにすんだのに!」


 中庭には四つの小さな山がある。あれから一つ、増えてしまった。

 リタは顔を両手で覆って床に座り込んだ。


 ツバキも座り、リタと同じ目線になる。


「リタ」


 ツバキはただ名前を呼んだ。憐れみも励ましもない。

 ただ名前を呼んで、抱き締めた。


「離して!」


 突然抱き締められたリタはツバキの体を叩いた。

 何度も叩いて、何の苦労も知らない皇女を罵り、帝国への恨みや勝手な父親への怒りを泣きながらぶつけた。

 ツバキはそれを無言で受け止める。


 受け止めることしかできなかった。

 

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