第22話 魔物のいない村

 瞬間移動した先はアマルナのトトという村だった。トト村にはテインツ山の登山口があり、山を管理している役場がある。そこで情報がないか聞こうと思ったのだ。


 田園風景が広がるのどかな村では、ちょうど収穫時期らしく稲穂干しがそこかしこで見られた。

 稲を刈り取って、藁で束ね、竹竿の上へかけていく。すべてを手作業でやっているので大変そうだ。ツバキはそれを物珍しげに見物しながら歩く。

 

「魔道具は使わないのかしら。授印を持つとか」


 帝都では簡単な作業なら小物を動かせる杖などの魔道具を使う。ただ魔道具は魔力を消耗するので、毎年行う重労働ならその作業に適した授印を持つ方が効率的だ。作業も二倍できる。


 するとトキツは何か言いたげな顔をした。ツバキの発想が世間とずれていると呆れているような顔。


「魔力が低くて魔道具を思い通りに操れないんじゃないかな。州の田舎はこんなものだよ。魔力がない人もいるかもしれない」


 村には犬や馬はいたが、首輪があったり柵で囲われているので動物だろう。見た限り魔物は下級さえいない。

 話には聞いていたがここまで魔物がいない場所をツバキは見たことがなかった。

 本当に貴族と平民とで魔力差が広がっているのだなと実感する。


 役場はニ階建ての小さな白い建物だった。ところどころ塗装が剥がれており、ひびも入っている。

 開け放たれていた玄関を抜けると、正面にこっくりこっくり舟をこぐ老人がいた。

 白髪で背中がやや曲がっており、顔に深い皺と濃いシミのある男性。ただ寝顔はやけにかわいらしかった。


「あのう。すみません」


 呼びかけても起きない。

 仕方なく長机に設置してあった鈴を控えめに鳴らした。

 起きない。

 体を揺する。

 起きない。

 呼びかけと呼び鈴と体を揺するを同時に行う。


「あの、すみません!」

 チリンチリーン!!

「うおぅ。なんだいなんだい」


 前後にがくがく揺すってようやく起きた男性は眩しそうに目を細め、じいっとツバキを見つめた。


「おーう。めんこい女子おなごだのう」

「あの、すみません。教えていただきたいことがあって」

「んー?」

「テインツ山について伺いたいのですが。」

「ん?? テツヤ? テツヤはいかん。あいつはやめとめ。浮気性だぞ!」


 突然しかめっ面をするご老人。

 ツバキは目をパチパチさせる。


「いえ、違います。テインツです。テ・イ・ン・ツ」

「テンツン? なんだ! 食いもんか!?」

「い、いえ。テインツ山です」

「だからテツヤはダメだ!」


 また両手を大きく振って「サトシにしろ」と言い出した。どうしようかとトキツと顔を見合わせたとき。


「タダシさん何騒いでいるの?……あれまあ、どちら様?」


 部屋の奥から恰幅の良い女性が出てきた。いかにも肝っ玉母ちゃんといった感じで、事務仕事用の黒い腕カバーをしている。


「ごめんなさいねえ。タダシさんは大分前に退職しているんだけど、稲刈りのこの時期はみんな農作業へ出てっちゃってるから、いつもいてもらってるのよお」


 「まあ、いるだけなんだけどねえ」とハッハッハッハッと大きな口を開けて笑った。


「申し訳ありません、忙しい時期に」

「ああ、ごめんなさいねえ、そういう意味じゃないのよお。みんな役所仕事より農作業が好きでねえ。それで、何かご用?」

「テインツ山について教えていただきたくて」

「あの山? この間も軍が聞きに来たけど何かあるのかい?」

「何を聞かれました?」


 どうしてこんな少女がそんな質問を? と思っているのか、女性は怪訝そうに軽く眉をひそめる。


「そうだねえ。赤い石がどうとか、不審な人を見かけなかったかとか。そんなもの見たことないって答えたよ」

「軍は山の中まで調べました?」

「入っていったけど、特に何もなかったみたいだよ」


 この辺は民家ばかりで石を作れそうな建物はない。そんな建物があれば軍はすでに調べているだろう。


 やはり精霊の後を根気よく追いかけるしかないかと考えていると、女性が「そういえば」と声を上げた。


「山には小さなお城があるんだけど、見つけられなかったみたいで、嘘つくなって怒鳴られたよ。こっちは親切に教えてやったってのに。本当に横暴なんだから」


 そのときを思い出したのか、女性は悔しそうに机を叩いた。


「そんなに入り組んだところにあるんですか?」

「すぐわかるはずなんだけどねえ」

「それ、詳しく教えて下さい。どこにありますか?」


 ツバキが身を乗り出して尋ねると、女性はややたじろいでから山の地図を取り出した。地図と言っても登山口からの山道の線と滝などの目印が書かれただけの簡単なものだ。


「だいたいここから一時間くらい歩いたところかねえ」 

「所有者は誰ですか?」

「確か前の州長官の別荘だよ。ここには昔は珍しい動物や魔物がいたから生態観察しにちょくちょく来てたんだよ。今使ってるのは親戚か誰かかねえ。前の州長官と違って、挨拶にも来やしない」


 ツバキは隣にいたトキツを見上げた。彼も小さく頷く。


 一度そこへ行ってみようと思ったとき、姿を消してトキツの肩に乗っていたギジーが居心地悪そうにしているのに気づいた。


「どうしたの?」

『いや……じいさんが』


 困り顔で男性を指さすので見てみると、カッと目を見開いてトキツの頭の上を凝視していた。そこにはギジーの顔がある。

 ギジーは中級クラスだ。彼が見えるということはそれ以上の魔力があるということ。


「おじいさん、高い魔力をお持ちなんですね」

「…………」


 何の反応もないので、代わりに女性が答える。


「そこに魔物がいるんだね。タダシさんはこんな田舎にしては強い授印を持っていたんだよ」


 過去形ということは。

 聞いてもいいものかと迷っていると、男性の目から大粒の涙が流れた。ぎょっとして慌てふためく。


「お、おじいさん!?」

「トウヤ、トウヤ………」

「タダシさん、違うよ。トウヤじゃないよ」

「トウヤ、トウヤ」


 男性は涙を拭きもせずじっとギジーに呼びかけていた。見かねた女性が背中を撫でて宥め、こっちで休みなと部屋の奥へ連れて行く。連れて行かれる間も振り返ってずっとギジーを見つめていた。


 しばらくして戻ってきた女性は悲しそうに微笑して、トキツの上を見やる。


「もしかして猿の魔物がいるのかい?」

「ええ」

「そうなんだね。タダシさんもトウヤという名の猿の魔物がいたんだよ。昔の戦で活躍するくらい強かったらしいよ」

「では今は……」

「三年くらい前かね。魔力じゃ治らない病気になっちゃってね。先に逝くのは自分だと思ってたから、見ていられないくらい憔悴してたね。こう言っちゃなんだけど、奥さんに先立たれたときよりね」

「…………」


 ツバキはカオウが撃たれたときを思い出した。

 魔物も不死身ではないのだから、先に死ぬ可能性もあるのだ。

 残される側の悲しみはどれほどのものなのだろう。

 耐え難い苦しみに襲われるのだろうか。訳もわからず印を消されてしまったときよりも、そして今よりも。


「ああ、ごめんね湿っぽい話して。聞きたいことはそれくらいかい?」

「あ、あと少しだけ」


 暗くなってはいけないと笑顔を貼り付ける。


「この村には授印はいないのでしょうか」

「いないねえ。トウヤが最後だったね」

「失礼ですが、理由はなんですか?」

「単純に魔力が足りないってのもあるけど、魔物もめっきり減ってきたからねえ」


 女性は老人が整理したつもりの書類の束を語順に並び替えながら、当然のように言った。


「魔物が減ってる?」

「そうだよ。昔はよく野生の下級魔物が村に降りてきたけど、ここ十年くらい見かけないね。前の州長官もぼやいていたよ、昔いたはずの中級魔物がいなくなったって。まあ、山奥に行けばいるだろうけどね」

「そうなんですね」

「あとは、そこまで必要じゃなくなってきたからかな。戦もないし、生活のためなら魔道具があれば充分……って、その魔道具さえ使えない人が増えてんだけど。今は魔力が無くても使える便利な道具が出てきたから、そっちを使ってるよ。ただねえ、リロイから入ってきた道具だから、今はまた値段が高くなっちゃってねえ。国内でも作ってくれりゃいいのにさ」


 リロイがウイディラのものになってから、物流はほぼ止まっている。ケデウム州でも似たような物が作られ始めたという噂は聞くが、あまり出来はよくないらしかった。


「色々と教えてくださってありがとうございました。おじいさんにもよろしくお伝えください」

「いいよこれくらい。山に入るんだろ、気をつけてね」


 ツバキたちは深々と頭を下げて役場を離れた。




 山への道すがらツバキは難しい表情をしていた。また何か思い詰めているのかと心配になり、トキツは努めて明るい口調で言う。


「何か考え事?」


 ツバキがはっとして顔を上げ、無理して微笑む。言おうか悩んでいるのか、少し視線を泳がせてから口を開いた。


「やっぱり、お兄様ってすごいのね」

「陛下?」

「うん。貴族と平民の魔力差が広がっているという話は知っていたの。他国では魔力のいらない道具がたくさん開発されているということも。だけど、ここまで広がっていると思っていなかったし、そういう道具がここまで必要とされているなんて考えていなかった。でもお兄様はちゃんと気づいていて、対策まで講じている」

「対策って?」

「リロイやウイディラとはいい関係を築けていないでしょう? だからお兄様は、サタールを通じて東の国からそういう道具や技術を入手し始めているの。いつもそう。お兄様はいつも、私が気づく頃にはもう動いてる」


 感服した様子のツバキの横顔には生気が戻ってきていた。村ののどかな風景を眺め、ツバキたちを物珍しげに見てくる村の子どもたちに小さく手を振っている。

 トキツはそんな彼女を見て、前から聞いてみたかったことを聞いてみた。

 

「ツバキちゃんは、皇帝や州長官になりたいと思ったことはない?」


 問われたツバキはきょとんと目を丸くしてから、すぐに破顔してクスクス笑う。


「私が? 公務とかすぐサボろうとするのに?」

「だけど魔力からしたら、本来なら……」


 魔力で決まるならツバキが皇帝になるはずだ。それを言葉にするのは主君に対して不敬だと憚り、暗に示す。

 ツバキは言いたくなさそうな目でトキツを一瞥してから正面にある山の方をぼんやり見た。


「こんなことはっきり言ったらアベリアに怒られてしまうのだけれど。為政者は魔力の高さで決めるべきではないと思うの」

「ちょっ……それは」


 魔力の高さが権力の高さと言われ、歴代皇帝もその基準で選ばれている。その国の歴史を否定する発言に、トキツは青ざめた。

 そんな護衛を見て、ツバキはまたクスクス笑う。


「私が物心つく頃には、すでにお兄様はお父様の右腕として国に尽くしていたのよ? でも私は昔から何の期待もされてなかったから皇女に必要な教育しか受けてないし、それ以上は受けたいとも思わなかった。それよりカオウと遊ぶ方が楽しかったもの。

 今も……国や民のことは大事には思っているけれど、お兄様ほどの責任感も気概もないわ。国のことを考えれば、皇帝はお兄様以上にふさわしい人はいない」


 トキツは目を瞬かせた。ツバキがここまで考えているとは思っていなかった。皇女としてはあまり誉められたものではないが。

 あの皇帝も妹にここまで認められていると知らないのではないだろうか。

 

「それ、陛下に直接言ったことある?」

「…………」

「…………そんな、虫を噛んじゃったような顔をしなくても」


 せっかくの綺麗な顔が勿体ないくらい歪んだ。

 そんなに兄を誉めるのが嫌なのか。

 トキツは思わず吹き出してしまった。

 声を上げて笑っていると、ツバキもふふっと笑った。そしてすぐ、空にいるかもしれない人を探す。

 トキツもつられて見上げる。

 青く澄んだ空は、やけに遠かった。

 

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