第19話 秋の夜長

『そんなに気を落とすなって』


 ギジーはトキツの膝にぽんと手を置いた。

 トキツは無意識に触っていた無精髭から手を離し、励ましてくれた授印の頭を撫でる。『よせやい』と言って頭を振る彼に優しく微笑してから、ツバキが眠る寝所へ続く扉に目をやった。



 トキツはカオウが起きてくるまで、ツバキがいなくなったことに気づかなかった。

 ツバキの気配も思念の反応もないとカオウから聞き、ギジーを起こして能力で居場所を確認してもらい(風呂場にいると思っていたのでさすがにトキツが見ることは憚られた。覗きたいなんてちょっとしか思っていない)、赤い煙で確認できないと知って慌てた。


 ロナロの事件で使用された赤い石のせいだとすぐに思い出した。レオに誘拐されたと考え外へ探しに行き、しばらくして宿で泣いているツバキを発見した。

 なんとか宥めて、城にいる侍女へ帰れなくなった事情を伝えて、今に至る。


 無事でほっとしたが、レオと会っていたと知り肝が冷えた。

 トキツはうなだれて自分の不甲斐なさを悔やむ。


「あのとき、ちゃんと扉の向こうへ行くまで見てなきゃいけなかったんだ」


 もしくは一度でも振り返っていれば、扉の前で佇むツバキに気づいて引き返せたはずだ。


『でもよう、ツバキから会いに行ったんだしよう。トキツのせいじゃないだろ』

「少しでも一人にすべきじゃなかったんだよ」


 陶器の酒器についだ酒を飲む気になれず、縁を指でなぞる。

 ギジーはだるそうに机に顎を乗せた。


『カオウ、どこへ行っちまったのかなあ』

「さあな。姿消されて空を飛ばれたらお手上げだな」

「ここにいるけど」

「うお!?」


 突然窓のそばにカオウが現れて、座ったまま跳びはねるという芸当をしそうになった。


 カオウは隣の部屋へ視線を投げ、すぐに伏せる。


「あいつもう寝た?」

「ああ。泣きつかれて眠ったよ」

「ふうん」


 事も無げに言って、トキツの斜め前の椅子に腰掛ける。


「酒ある?」

「まだ飲むのか?」

「いいから」


 一升瓶に入った酒をついでやると、一気にあおる。

 しかし泥水を飲んだかのように顔を歪めた。この店で一番高かった酒だ。


「さっきはうまいって飲んでただろ」

「でもまずいんたよ」


 苦々しげに眉を寄せたのは、味のせいだけではなさそうだ。

 重苦しい雰囲気に、トキツは軽く息を吐く。


「話聞こうか?」

「いい」


 不味いと言いながらチビチビと酒を飲むカオウ。

 トキツは縁を撫でていた酒器を取り、唇を湿らせる。

 どんよりした空気に嫌気がさしたギジーに思念でおやすみと伝え、二人きりになったところで沈黙を破った。


「いなくなるつもりだってツバキちゃんが言っていたけど」


 カオウは背もたれに体を預けて天井を見上げる。


「……そうするしかないだろ」

「随分聞き分けが良いな。俺はてっきり、ツバキちゃんを連れ去ると思っていた」

「ツバキが嫌がるなら意味ない」


 カオウは一升瓶の残りを確認するとそのままラッパ飲みした。三分の一は入っていたそれをごくごく一度も止まらず飲み干す。トキツはさすがに面食らい目をパチパチさせた。実年齢はともかく姿はつい最近まで少年だっただけに、なかなかに衝撃的な光景だった。甘いものが大好きな少年はどこへ行ってしまったのか。


「まあ、どうせ離れるなら早い方がいいかもしれないな」


 そう言うと、カオウが拍子抜けしたような顔をしたので苦笑する。


「引き留めてほしかった?」

「……別に」


 カオウは一升瓶を逆さにして振って最後の一滴を舌で受け止めると、コトンと机に置いた。


「なんで言ってくんなかったのかな」

「婚約のこと?」


 無言で頷くカオウ。さすがにトキツも婚約のことは知らなかったので驚いたが、ツバキのことを考えれば言えないことくらい容易に想像がついた。


「言えない立場だってわかるだろ」

「わかんねえよ。あいつは皇女でいるの嫌なんだぞ。なんでいつまでも立場なんて気にするんだ」

「嫌がってるけど、ツバキちゃんは自分の役割をよく理解してる」


 わかったような口ぶりのトキツに、カオウはむっとした。


「だから、立場とか役割とかなんなんだよ。人間ってそんなのがそんなに大事なわけ?」

「そんな単純じゃない。ツバキちゃんが結婚するってのはわかってたことだろ」

「…………そうだけど」

「自分を好きになってくれると思ってた?」

「…………」

「期待してただろ」

「うるさい」


 カオウはぷいっとそっぽを向いて少し頬を染める。

 トキツは仰々しくため息をついた。


「だいたい、ツバキちゃんがカオウを好きになったとして、どうやって生活するつもりだったんだ。働いたことないだろ」


 トキツのため息にさらにムッとして眉間に皺を寄せる。


「金の心配ならいらない。俺の空間の中に何があったか覚えてない?」


 空間……とつぶやいたトキツは青ざめた。思い出したくもない所だが、確か宝石がたんまりついた高そうな壺やら金でできた器があったと記憶している。売れば結構な額になるだろう。


「あんなの、どこで手に入れたんだ」

「俺は千年も生きてんだぞ。その間にいろんな所からぬ…貰ったんだ」

「今、盗んできたって言おうとしただろ」

「抜け殻も高く売れるらしいってコハクが言ってたし」

「無視するな」

「とにかく、ツバキには不自由させない」


 フルーツゼリーが入ったガラスボウルへ手を伸ばしながら言うカオウへ、トキツは真面目な顔を向けた。


「皇女を誘拐した罪で軍から追われ続けるって知ってるか?」


 ガラスボウルを持ったカオウの手が止まる。

 その様子では知らなかったらしい。


「四十年くらい前に、平民の従者と皇女が駆け落ちした事件があったんだけど、未だに逃亡中らしいぞ」

「それなら、追えないほど遠い国へ行く」

「逃げりゃいいってもんじゃない。そんな苦労をツバキちゃんにさせるつもりなのかってことだよ。というか、なんだか話が駆け落ちする方向になってるけど」

「………」

「諦めるんじゃなかったのか」

「……そうだよ」


 不貞腐れたカオウはスプーンを握ってゼリーを掻きこむと、険しい顔で咀嚼した。

 飲み込んで、沈んだ声で言う。


「精霊が言ってたやつらを助けたら、消えてやるよ」


 そう言った後、出してしまった自分の言葉に顔をしかめる。


「移動が必要になったら呼んで」


 そそくさと立ち上がったカオウは、机の上で二匹仲良く寄り添って眠っていた綿伝のうち一匹をむんずと掴んだ。


「どこ行くんだ」

「あいつと顔合わせたくないから、適当にその辺にいる」

「その辺って」

「どこでも眠れるんだよ、魔物だから」


 つっけんどんに言い放って、また姿を消した。

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