第32話 仲直り
こことは違う世界では、月には兎がいるという。
この世界の月はそことは少し違う。模様のないまっさらな月は、誰かを待っているように悲しく輝いている。
白銀色の満月。
あいつと印を結んだ時も満月だったなとカオウはぼんやり想う。
(今どうしているんだろう)
空間を探してみたがいなかった。
せめて無事でいるかだけでも確かめる術があればいいと、同じ能力を持つ龍にも会いに行ってみたが、他人の空間を行き来できる者などいないと言われてしまった。
空間の中は独りぼっちだから、不安がっているかもしれないのに。
五歳のときも先日も、ツバキから会いに来てくれたから、今度はこっちから見つけたかったのに。
こうして何もせずただ待つことしかできない自分が恨めしい。
(このまま帰ってこなかったらどうしよう)
きっと怒っているだろうし、帰ってきても会ってもらえないかもしれない。
二度と会えなかったらと考えると胸が張り裂けそうだった。
(あいつもこんな気持ちだったのかな)
カオウは深く深くため息をついた。
じっと月を見上げ、無事に帰ってくるようにと強く願った。
その直後。
パッと突然ツバキが目の前に現れた。
月光を浴びた髪をなびかせ、ドサリとカオウの膝の上へ横向きに落ちる。
「…………」
驚きのあまりカオウは目を丸くしたまま動けない。
ツバキは気まずそうに手を顔の下で上げた。
「あ、カオウ。た……ただいま」
「ツバキ!!」
カオウは強くツバキを抱きしめた。
「良かった、無事で。帰ってこれて良かった。すっげー心配した」
そして体を離すとツバキの顔や手を確かめるように触れる。
「大丈夫? どこもケガしてない?」
わたわたと焦るカオウを見て、ツバキはくすりと笑った。
「大丈夫よ。どこもケガしてない」
「ほんと? ならよかった。はあーもう。消えた時はマジでビビった」
そう言ってまた抱きしめる。
「ご……ごめんね?」
ツバキはカオウの広い胸板に体を預けたまま答えた。
腕の中の存在を確かめるように、さらに強く抱きしめるカオウ。
「俺の方こそごめん。自分のことしか考えてなかった」
一度言葉を切り、ツバキの耳元へ口を寄せる。
「……何も言わずにいなくなって、ごめんな」
絞りだすように吐露した。
「不安にさせちゃったよな。寂しい思いさせてごめん。ずっと一緒にいるって約束したのに」
カオウが言い終えても、しばらくツバキは無言だった。
顔が見えず、許せなくて黙っているのかと、言い様のない不安が募る。
ドン、とツバキの拳が胸を打った。
「ほんとだよっ。すっごく、すっごく寂しかったんだから。もう会えないかもって怖くて」
カオウの服をギュッと握る。
「会いたかった」
「俺も。すげー会いたかった」
カオウは体を離し、指でツバキの顎を上げる。
一瞬だけ目が合ったが、すぐに逸らされてしまった。
「なあ、こっち見てよ」
「……もうちょっと待って」
「なんで」
「だ、だって……」
ツバキの頬が染まっていく。顎に触れたまま親指で涙を拭いてやると、ちらりとこちらを見て、潤んだ瞳をまた伏せた。
ドキリと心臓が跳ね上がる。
「だって、何?」
「だ、だって……」
また口を閉ざしてしまったツバキの顔を覗き、視線を無理やり自分に合わせた。
ツバキの瞳は動揺したように再び逸れ、形の良い唇がゆっくり開く。
「か……かっこよくなった…から。……戸惑って」
顔全体が赤くなり、カオウの手から逃れてうつむく。
予想していなかった言葉、そして欲しかった言葉にカオウは耳を疑った。
「それ、ホント?」
ぎこちなく首を縦に振られ、カオウの顔が緩み、赤く色づく。
照れた二人は無言でうつむきあう。顔が熱く、心臓がバクバク鳴っていた。
秋の訪れを感じる夜風が気持ちいいような、そわそわするような、不思議な心地だった。
ずっとこうしていたかった。でも言わなければならないことがあると覚悟を決める。
「ツバキ。ちゃんと聞いてほしいことがある」
顔を上げたツバキの瞳をじっと見つめた。
逸らさずに向き合ってくれたことを確認して、口を開く。
「俺は、ツバキが好きだ」
勢いで言ってしまったときには感じなかった緊張で心臓がどうにかなってしまいそうなほど高鳴る。
「これからも一緒にいたい。でももしツバキが他の奴を選んだら、俺はお前の元を離れる」
「え……」
「そういうやつが現れるまではそばにいるから」
カオウはまた泣きそうになったツバキを抱きしめた。
本当は今すぐにでもどこかへ連れ去りたかった。
離れるのが嫌なら好きになってと言いたかった。
でもそれは彼女を追い詰める。
カオウと違ってツバキには背負うものがある。
人と魔物という越えられない壁もある。
今もきっと、いろいろと思い悩んでいるだろう。
それでも今は一緒にいたいと思ってくれるなら、それだけで十分だった。
「…………カオウは……それで、いいの?」
「うん。そばにいてもいい?」
「………………うん。いてほしい」
躊躇いがちだった。けれど、了承してくれた。
安堵して、長く深く息を吐く。
カオウは体を離して、優しく微笑んだ。
「帰って来てくれて本当に良かった。俺、嫌われたかと思ったから」
「嫌いになんてならないよ。カオウは私がさみしいとき、いつもそばにいてくれたもの。それにこの前一人になって、今までカオウがずっと守ってくれてたんだってわかったの。そんな人のこと、嫌いになんてなれない」
その柔らかい笑みにまた胸がキュウと縮み、衝動と葛藤が身の内に渦巻く。
二つの感情を戦わせた結果、わずかに衝動が勝った。
勝ってしまった。
「…………ツバキ。魔力ちょうだい」
返事を待たずファスナーを下ろそうと服に手をかける。
慌ててツバキはカオウの体を押しのけた。
「だっだめ! カオウ、印の位置変えてよ!」
「それはやだ」
「なんで!」
カオウはツバキに顔を近づけた。ちょっと目が据わっている。
「今、キスしたいのを必死で我慢してんの。だから印の位置は譲れない」
堂々と宣言されてツバキの顔が赤くなる。
けれど許すわけにいかないので、ファスナーに手をかけるカオウから逃れようと身をよじるが、元々横向きに座っていたため難なく下げられてしまった。
必死で襟を押さえる。
「ダメだったら!」
「うるさいな。あんまり言うと舌に印つけるよ」
「し、舌!?」
「ほら口開けて」
「やだったら! アベリアにこってり絞られたんじゃないの!?」
ピタリとカオウが止まり、やや青ざめた。
「……なんでそれ知ってんの」
「あ……えーと、そんな気がしただけ」
カオウは訝しげに眉を寄せる。
「仕方ないな。じゃあ印は手首にするから、これから好きなときにキスさせて」
「どうしてそうなるの!?」
「どっちかにして」
少しでも動いたら唇が触れそうな位置まで顔が近づく。
じっと熱い目で見つめられ、ツバキは胸のあたりがざわざわしてきた。
「う……それなら、印は肩のままでいい」
「ちぇ」
なぜだか残念そうに舌打ちしたカオウは、服の襟を広げてツバキの肩を出す。
まだ昨日のキスマークが残っていた。冷静になってみると、我ながらガッツキ過ぎたなあと恥ずかしくなった。
金色の印に唇を寄せる。もやのように涌き出てきた粒子と糸を優しく吸い、それだけでは止められずきめ細かな肌に口づけた。
ビクッとツバキの体が震える。
(可愛い)
ゆっくり優しく唇を這わせ、カオウは甘い時間を堪能した。
このいとおしい時間がいつまでも続けばいいと、切に願いながら。
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