第20話 父と娘

 扉をノックする音が聞こえたのは、夕食を終えてしばらくしてからのことだった。


 サクラが返事をすると、ジェラルドの側近が人払いを求めてきたためジェラルドが来たと思ったのだが、侍女たちが部屋を出た後入ってきたのは、ジェラルドと父、前皇帝ネルヴァトラス=ロッソだった。

 歳とは思えない鍛えぬかれた体、太い眉に豊かな顎ヒゲは威厳のあるオーラを発し部屋の雰囲気を重々しく変える。


 十代の娘の部屋には違和感たっぷりではあったが、本人は全く気にすることなく堂々とツバキの対面にある二人がけのソファに腰を下ろした。

 反対にツバキは父親が入ってくるとは予想していなかったため、緊張していた。


「体調はどうだ」

「もう平気です」

「もうすぐ卒業試験だが勉強しているのか」

「ご心配なく」

「そうか」


 居心地の悪い間。

 

「それで、用件は何ですか」


 催促すると、ネルヴァトラスは咳払いした。


「昨日、カイロへ行ったそうだな」


 ドキリと心臓の音が鳴る。


「それについて咎めるつもりはないが」


(城を抜け出したのに怒らない?)


 ますます狼狽して父に告げ口したであろう兄をちらりと見るも、彼はただ父の後ろに控えているだけだった。


「そこで起こったことについて話しておきたいのだ」


 父が兄に視線を送った。

 ジェラルドは頷き、話を引き継ぐ。


「昨夜のことは何も覚えていないといったな」

「ええ」

「魔物が倉庫を囲んでいたこともか?」

「え?」


 全く覚えていなかった。思い出そうとすると頭痛がする。


「ロウの話によると、カイロにいた魔物が倉庫を取り囲んでいたそうだ。カイロだけじゃない。城の魔物たちもお前の元へ行こうとしていた」


 城の魔物が? と頭が混乱して黙り込むツバキ。


「クダラが引き留めて外へは出なかったがな。内密に調査したところ、モルビシィアの魔物たちに変化はなかった。動いたのは、お前がいた倉庫に近い魔物たちと、お前と親しい魔物たちだと思われる」

「……どういうこと?」

「お前が呼んだんだ」

「私にそんな力はないわ。カオウではないの?」


 カオウの能力は空間を操ることで、魔物を呼び寄せる力はないはずだが、ツバキにはそうとしか考えられない。

 困惑してかぶりを振ると、父親が口を挟んだ。


「あやつではない」

 

 カオウの存在を認めていない彼は苦々しげな顔。

 その表情に、ツバキはまた苛立ちを募らせた。


「だけど、人は魔物と契約することでしか魔法は使えないでしょう」

「いや。本来は、人にも独自の能力が備わっている」


 思いもよらない言葉だった。


「人が己の力を使うには、高い魔力と才能と訓練が必要だ。高い魔力を持つと言われる皇族でも訓練をしたからといって誰もが得られるわけではないし、魔力と才能があっても訓練をしなければ目覚めることはない。しかし」


 一呼吸置く。心臓がどくどく鳴っている。


「ごく稀に、訓練を積まなくても力に目覚める者がいる」


 父の目はツバキの目をまっすぐ見つめている。

 まるで感情を読み取っているかのようで落ち着かず、しかし逸らそうとしても逸らせない圧力があった。

 ならばこちらも父親の感情を読み取ろうとするも、責めているのか、怒っているのか、何を考えているのか判別できず、不安を助長させただけだった。


「私もそうだって言いたいの?」

「そうだ」

「だけど、私には高い魔力とか才能なんてないわ。だいたい、カオウの能力さえ使えないのよ?」

「間違いなくセイレティアの魔力は高い。少なくとも、私よりは」


 ツバキは耳を疑った。皇帝である父親より高いわけがない。

 信じられずジェラルドを仰ぎ見るが、彼もただ肯定するように頷くのみ。


「始祖の十二神は知っているな?」

「それは、物語にも出てくるから……」


 始祖は数多の魔物と印を結んだと伝えられており、その中でも代表的な十ニ頭の授印は、物語や歴史では始祖の十二神として広く伝わっている。

 それは、龍、虎豹、獅子、羅兎、翔象、など任命の儀で使用した剣の間の壁に描かれていた魔物たち。歴代の皇帝も、例外はあるが彼らに縁のある魔物と印を結ぶことが多い。父親の授印である獅子は十二神の孫にあたり、ジェラルドの授印である虎豹はクダラ本人だ。

 ただ、蛇も始祖の授印であったかもしれないが、十二神には入っていない。


「カオウは蛇よ。蛇は十二神ではないわ」

「あやつは蛇ではない。……龍だ」


 ツバキは目を見開いた。龍は十二神の中で最強と云われている。


「で、でも。転化前のカオウは蛇そのもので、剣の間に描かれている龍とは似ても似つかないのよ?」

「龍は子供のころは蛇の姿をしており、千歳を過ぎると龍の姿に近づくらしい。あやつが何歳か知っているか。ただの蛇の魔物なら、平均寿命は三百歳のはずだが」

「知らない。聞いたけど、もう数えてないって言っていたもの」

「おそらくもうじき千歳になる」

「千!? クダラよりも年上ってこと? 建国時代から生きてるっていうの?」

「そうだ」

「そんな……カオウは何も……」 


 気づけば前のめりになっていた体の力が抜けてソファにもたれかかる。

 何でも話してくれていると思っていたのに隠し事があったのかと愕然とした。

 

「私が言うなと言った」

「お父様が?」

「お前は印を結んだ時、まだ五歳だったのだぞ? そんな幼い子が、まだ蛇の段階とはいえ龍を授印に持った。もし魔力が合わなければ死ぬ可能性もあるのに、どれだけ恐ろしかったか。今は問題なくとも、千歳を越えたらどうなるかわからない。だから私は印を消せとあやつに迫ったが、セイレティアなら大丈夫だと言い張って拒んだ」


 ネルヴァトラスは当時のことを思い出し顔面蒼白になっていた。

 彼にとっても、第二皇后・第二皇女を立て続けに亡くしているのだ。その上第三皇女まで失うなど身を切られるよりもつらい。

 大事な娘をそんな危険な状況に置くカオウが許せなかった。


 しかし相手は始祖の十二神の子で、龍だ。

 龍は一匹だけで国を滅ぼすほどの力を持っているという。

 いかに皇帝といえど、どれほど憎かろうと、国を滅ぼしかねない龍に無理強いなどできるはずがなく、いつか印を消してくれると信じて待つしか選択肢はなかった。


「仕方なく、龍と契約したなど誰にも悟られぬようにするしかないと考えた。お前が龍を授印にできるほどの魔力の持ち主だと他国に知られたら、狙われることは明白だからな。ゆえに正式な授印と認めず、さらに他の魔物と印を結ばないよう授印の儀も禁じたのだ」


 ツバキは口を手で押さえた。その手が震えているのに気づき、もう片方の手を重ねて握る。


「じゃ……じゃあ、私が何度もカオウを認めてって頼んでも聞き入れてくださらなかったのは、カオウが龍だったから? 私を守るためだったの……?」

 

 涙がにじむ。


「カオウが印を消さなかったのは、私がずっと一緒にいてって頼んだから。全部、私のせいだったのね」


 カオウが印を消すことを拒んだのも、父がカオウを認めたがらなかったのも、二人とも自分を想ってのことだった。

 それなのに父親を頑固だと怒り、罵っていた。


(なんて自分勝手だったんだろう)


 涙がぽろぽろとこぼれて服に落ちていく。


「ついでに言うとな、セイレティア」

 

 ジェラルドが口を開く。


「父上はお前が勝手に街へ出ていることも、カオウが城を徘徊していることもすべてご存知だ」


 驚いて顔を上げる。

 ネルヴァトラスは不本意だが、という表情だ。


「龍は自由で気まぐれな生き物だ。城の出入りを禁じても、セイレティアが城にいる限り入ってくることは容易に想像できたし、城を出て森へ入り浸ったり、街へ行くことも想定の範囲内だ」


 だから城を抜け出したことを咎めるどころか微塵も気にしていなかったのだ。

 父の目を盗んで自由に生きていると思っていたが、完全に見透かされていた。


「私、すごくすごく恥ずかしいわ。なんて幼稚だったのかしら」


 ジェラルドは破顔した。


「鼻の頭が赤くなって不細工になってるぞ」

「ひどい!!」

 

 声を上げて笑われ、ツバキは両手で鼻を隠した。


「お父様。今までごめんなさい」

「よい。力に目覚めたのなら、カオウの能力も使えるようになるだろう。お前自身の能力もまだ未知数だ。制御を学ぶ必要がある」

「制御?」

「すべては学園を卒業したらだ。まずは明日のパレードを成功させなければならない。お前もちゃんと出るように」

「……はい」


 おとなしく返事をすると、父親と兄はゆっくり休めと言って部屋から出て行った。


 緊張の糸が切れてぐったりと椅子にもたれる。

 いろいろな情報を聞いて疲れてしまった。

 入れ替わりに入ってきたサクラや侍女に寝る準備をさせてベッドに横になると、一瞬で深い眠りに落ちていった。




 ネルヴァトラスとジェラルドは、ツバキの部屋を出るとジェラルドの部屋へ向かった。

 すでにロウとトキツの姿はなく、部屋にはジェラルドの授印とカオウのみ。

 カオウはすでに目覚めており、ネルヴァトラスを見るなり不機嫌な顔になった。


「何? あんたも見舞いに来てくれたわけ?」

「セイレティアに話した。お前が龍だということも、力が目覚めたことも」


 それを聞くなり、カオウは真剣な表情になり目を伏せる。


「そう。怒ってた? おれが黙っていたって知って」

「驚いてはいたが、怒りはしないだろう」

 

 ジェラルドが答えた。

 ネルヴァトラスはカオウに近づき、脅すように彼を見下ろす。ツバキに向けた視線とはまるで違う、忌み嫌っている相手に向ける冷たい目。


「何度も聞いているが、印を消す気はないか」

「くどい。あいつなら大丈夫だって言ってるだろう」

「確証がないから聞いているのだ。千歳を越えるまで、もう一年もないのだろう?」

「自分じゃ覚えていないけど、クダラがそう言ってるなら間違いないんだろ」


 ネルヴァトラスがクダラに目を向けると、彼は静かに頷いた。


『確かに。私が来年七九八歳ですからな。カオウは千歳になりますな』

「よく覚えてるよな、そんなこと」

『お前の父親に世話を頼まれたからなあ』

 

 遠い目をするクダラ。

 ネルヴァトラスは娘を案ずる父親の顔で、静かに問う。


「クダラはどう思う。セイレティアは耐えられると思うか」

『カオウの魔力がどれだけ上がるかも不明ですが……。昨日でセイレティアの魔力も上がっておられる。最悪の事態にはならないかと』


 ネルヴァトラスは手で目元を隠してしばらく逡巡したのち、天井を見上げる。さらにその上の存在に祈るように。


「クダラがそう言うなら一先ず様子を見よう。だがカオウ、もし危険だと判断したらどんな手を使っても食い止めるからな。それは覚えておけ」


 ネルヴァトラスとカオウは睨みあう。


「父上、まだ明日についてご相談したいことが。別室で話しましょう」

「ああ」


 ジェラルドに促され、ネルヴァトラスはカオウから視線を外すと退出していった。

 扉が閉まるとクダラが深いため息をつく。


『もっと仲良くできないのか。ジェラルド様が気を揉みすぎて困っておられる』

「別にほっとけばいいだろ」


 そう言うと、カオウは頭まで布団をかぶり寝てしまった。

 クダラは一層深いため息をついた。

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