第2話 中央警察署
「ふざけてんじゃねえぞ!!!」
拳でおもいっきり机を殴り付ける音が響く。
ロウ・ジュードの怒号が胸を貫き男のそばに控えていた三人の部下は震える膝を必死でこらえた。
ここは中央警察署犯罪対策課取調室。
机と椅子があるだけの殺風景な狭い部屋に大人が五人もいるものだから窮屈で仕方ない。
特に部下一号は中央警察署一の巨体で知られ圧迫感が凄まじく、ロウの威圧感とあわせると窒息しそうなほど。
「し……知らない! おれはやっていない!」
それでも怒鳴られた男は負けじと叫んだ。
涙目になり机の下の膝はがくがくと震えているけれども。
「やってないなら三日前の早朝どこにいたのか言えるだろうが!!」
「そ、それは……」
ロウの眉間のシワが深くなる。
ピシリ、と部屋の空気が凍りロウの背後から冷気の塊が二本男の胸まで伸びた。それは獣の牙のように鋭く、少しでも動けば心臓を貫かれそうだった。
男は悟る。
本当に恐ろしいとき体の震えは止まるのだ、と。
呼吸も瞬きもしなくなった男はあと少し押せば話すだろうとロウは見切りをつけた。
部下たちを一瞥し取調室を出て、署長室へ戻る。
茶色い革張りの椅子へ深く腰掛けると、長いため息を吐きながら眉間のしわをほぐした。
十五歳の時に故郷で自警団を始めて十数年。
貧しく身分の低かった子供がいつの間にか皇帝直々に設立された警察組織に入り署長という立場になった。
さぞかし誇らしいだろうと周りは言う。
爵位まで賜り、さぞかしきらびやかな生活をしているのだろうと。
しかしなんてことはない。街の治安を衛る立派で名誉ある仕事と思われている警察は実は国軍の下位組織であり、まだ組織されたばかりということもあって地位は低く給料は安い。
それでも街のために治安を守れるのならいいが、加えて国軍がやりたがらない雑務や書類仕事が舞い込んでくるから厄介だった。
おまけに人手不足。署長といえど椅子に座って指示を出すだけでは決してなく、こうしてごねて話さない面倒な容疑者の事情聴取もしなければならない。
ロウは慣れない書類仕事で慢性的に凝っている肩を鳴らして振り返り、凛々しく座る黒豹を見下ろした。
「ご苦労だったな」
制服の袖のボタンを外すし手首に刻まれた印を出す。
氷の結晶が三つ重なり合ったような印。
それは黒豹がロウへ授けた印だ。
黒豹はしなやかに立ち上がり手首に口をつけると、印から黒いモヤのように湧き出る魔力を吸い込んだ。
光の豹に影の豹、という言葉がある。
黄色い毛並みを持つ次期皇帝の授印である虎豹を光の豹と呼ぶのに対し、漆黒の毛並みを持つロウの授印である黒豹を影の豹と表したものだが、さわやかな朝日のように眩しい笑顔の次期皇帝と比べ人相の悪いロウを揶揄する呼び名でもあった。
二人が知人であることは広く知られているため良くも悪くも比較されてしまい、とりわけロウは、どんな極悪非道な犯罪者も彼のひと睨みで赤子になるだの、機嫌を損ねると体を氷漬けにされるだの、署長室の奥にはロウ専用の拷問部屋があるだのあまりいい噂はされない。
『あのまま刺殺してもよかったが』
氷漬け関連の噂の元凶は愉快そうな声を漏らした。
ロウ自身は、黒豹が持つ氷を操る能力を使って人を全身凍らせたことなど一度もない。もちろん拷問もしたことはない。それなのにあんな噂が出回るのは、ひとえに悪のりしがちな授印のお陰だ。
「人手不足なんだ。掃除の手間を増やすな」
「つっこむのはそこじゃないと思うわ、ロウ」
開いたままになっていた扉からツバキが顔を覗かせた。黒豹の前にしゃがみ頭から顎までを優しく撫でる。
「コハクも。物騒なこと言わないの」
『仕事は楽しくやるのがオレのモットーだ』
苦笑するツバキ。
ロウはロウでコハクに注意する気もないらしく、煙草に火をつけて一息ついた。
「何か用事か、ツバキ」
「あなたにお客様よ」
「客?」
余計な客じゃないだろうなと睨んだ扉から、ぼさぼさ頭の男が現れる。
「お前が呼んだんだろうが。相変わらず人相悪いな」
「トキツか。遅いぞ」
ロウは自分が招いたはずなのに歓迎する様子もない。
そういうところも変わってないなとぼやき、トキツは来客用の椅子をロウの対面に置いてどさりと座った。
「こっちは五日かけて来てやったってのに」
「知るか。まあいい。ツバキと会ったなら紹介する手間が省けたな」
意味が分からずトキツが首をかしげると、ツバキがコホンと咳払いした。
「私がじゃじゃ馬娘よ、トキツさん。そういうことでしょう? ロウ」
「よくわかってるじゃねえか」
からかい口調で言うと、コハクが笑い声をあげた。
「簡潔に言う。トキツ、ツバキの護衛をしてくれないか。期間は長くても二年だろう。報酬は相場の三倍。やり切ったらそれ相応の人物の紹介状をやる」
「ちょ、ちょっと待て。三倍!? 子供の護衛にしては待遇が良すぎる。どうしてツバキちゃんに護衛が必要なんだ。……まさか、ロウの隠し子」
ドカッとロウがトキツの椅子を蹴った。
トキツは綺麗に後ろに倒れて後頭部を打つ。コハクがまた笑い声をあげた。ひっそりと部屋の隅にいたギジーも。
冗談なのにと口を尖らせて身を起こすと、タバコを燻らすロウと目が合った。
トキツはゴクリと唾を飲み込む。
ロウはただ見下ろしているだけなのにこれ以上動いたら殺される、そう思わせる威圧感。
「もちろん、条件がある。ツバキについて知ったことは他言しないこと。追跡魔法付きの契約書も書いてもらう。もし破ったら……わかるな?」
コクコクと何度もトキツは頷いた。
「で、やるか? やらないか?」
もちろん最初から引き受けるためにここまで来た。特殊な契約もこれまで何度も交わしているから問題ない。
しかし、ロウの「やる」が「殺る」に脳内変換されあまりの怖さに返事が遅れた。
その一瞬の間に。
「護衛なんて必要ないだろ」
またもやいつの間にかカオウがツバキの隣に立っていた。
すこぶる不機嫌そうだ。
「ツバキにはおれがいるんだし、なんで今更よく知らない相手に護衛なんて頼むんだ」
「俺はこいつをよく知ってる。反論は認めない」
「このおっさんそんなに強そうに見えないんだけど?」
この言葉にトキツは反応した。素早く立ち上がると、カオウを軽く睨みつける。
「それはこっちのセリフだ。子供が護衛だって? そんな細い腕で何ができる。野犬にさえ負けそうじゃないか」
「なんなら今から勝負する? おっさん」
「ああ、望むところだ」
パチン!
ゴン!!
興奮した二人が部屋を出ようとしたとき、二つの小気味いい音が部屋に響いた。カオウはツバキに頬をはたかれ、トキツはロウに頭を殴られたのだ。
「いい加減にしなさい!」
「やるってことでいいんだな?」
表現しようもないほど苛立っているツバキとロウの表情で二人の頭は一気に冷えた。
カオウは頬を膨らませてだまり、トキツはこくりと頷きおとなしく契約書にサインする。
「それでいい。親睦を深めるのは明日からにしろ。まずは自己紹介だ」
親睦という雰囲気ではないがという言葉は飲み込み、トキツはツバキに向き直った。ギジーも肩に乗る。
「では改めて。俺はトキツ・ガードナー。こいつは授印のギジー。能力は遠隔透視ってやつかな。遠くで何が起こってるかわかる。それから一度会った人物ならどこにいても探し出すことができる」
『よろしくなー。お嬢さんが迷子になってもすぐ探してやるよ』
ツバキはちらりとロウを見た。
なんだか愉快そうにニヤついている。
「さて。次はツバキだな。一応やるか」
ロウはツバキに席を譲り、トキツの側へ回った。
「おいトキツ、敬礼しろ。授印も」
そしてその場で敬礼……右膝を地面につき右手を左胸に置いた。
その行為にトキツは動揺しつつ従い、ロウの授印であるコハクが立ち上がって頭を垂れているのを見て、ギジーも真似た。
ツバキは一瞬困ったような表情を浮かべるが、観念して栗色の髪、いやカツラを取る。頭を振ると白銀色の長い髪がしなやかに広がった。
そして、淑女らしく柔らかな笑顔を顔に貼り付け告げる。
「私はバルカタル帝国現皇帝の第三皇女、セイレティア=ツバキ・モルヴィアン・ト・バルカタルと申します」
数秒の静寂……の後。
「ふぁ!? こここ皇女様!?」
トキツが間抜けな声を上げた。
いつの間にか他の椅子に座っていたロウが頷く。面倒なことが終わったとばかりに態度はあっという間に元に戻り、また煙草を吸い始めていた。
「いつも城を抜け出して街をブラブラしてやがるんだよ、この皇女様は。しかも今年で学園も卒業だ。どこに逃げるかわからんからお前の授印の力が必要なんだ」
「は、はあ」
まだ放心状態のトキツは生返事しか出なかった。しかしこれで、姿を消したギジーが見えたことに合点がいった。皇族はかなりの魔力があるというから当然のことだったのだ。
「逃げるって思われてるのはシャクだけれど。これからよろしくね、トキツさん」
ツバキの言葉にも「は、はあ」としか答えられないトキツだった。
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