※ただし、美人に限る。
織星伊吹
第一章
※1
――美人という言葉は、彼女のような人にこそ相応しい。
二十四歳でありながらその肌は赤ん坊のようにきめ細やかで、何処かあどけなさを残しつつも、落ち着いた物腰と雰囲気は『年下に見える可愛いお姉さんタイプ』。
身長は161センチ、体重48キロ。スリーサイズは上から88、57、86。
成人男性の平均身長より頭一つ分小さく、長い手足は細すぎず、太すぎず、黄金比とも言える最高のバランス。それでいて体つきは淑やかで女性らしく、思わず触れたくなるような柔らかさを持ち合わせている。つやつやした麗しき髪は、高級車のような黒漆のストレート。彼女がくすりと笑えば、空気と一緒にさらさら揺れ動くのがまったくもって堪らない。
男の理想をそのまま体現させたような、パーフェクト美人。
氷柱雪(ツラユキ)カナタ。
彼女のことを狂おしいほどに愛しているこの俺が、氷柱雪さんを構成しているすべての要素の中で、あえて一つを選択しなければならないという悲劇を迎えたとしよう。
俺は、迷うこと無くこう言うだろう。
それは――彼女の顔だ。
フィーリングの合う性格でも、問題無く社会で生きていける生活能力でもない。彼女が彼女たる由縁。それは美しい白肌が煌めく華麗な顔に尽きる。
突然だが、ここで一つ例え話をする。
とんでもない悪女だが美しい容姿の女と、女神のように美しい心を持った正真正銘のブスがいたとしよう。俺は間違いなく前者を選ぶ。理由は何よりも女性の美しい顔が好きだからだ。
俺にとって、それ以外の要素はただの添加物に過ぎない。好みの胸のサイズならばプラス2点。ほっそりとした足が魅力的であればプラス3点。因みに氷柱雪さんの場合は顔だけで120点を獲得する。
この前友人と談笑したときのことだ。女性の性格さえ良ければ外見なんて気にしないと語る男がいたが、ソレを言葉通りに受け取れば別に人間の顔をしてなくても構わないと、そういうことになるじゃないか。顔が半壊してたってその女性のことを愛せるのか?
いいや嘘だね。その女性がホラー映画のスクリーンに映る怪物のような顔面を持ち合わせていたのなら、そいつはきっとキスさえできないだろう。屁理屈かもしれないが、彼の言ったことはそういうことなのだ。
中にはこういう奴もいた。ルックスが適度に可愛くて、性格の良い女がいいと。なるほど、なかなか理にかなっていると思う。何故なら、性格というのは顔の表面に出る。ということは、性格の良い女は表情が良いということになる。
だから、純粋に顔だけが美しい女性を評価しているとは言いがたい。女性の内面を加点対象に入れてしまっているのだから。
たとえば、美人が好きだと公言する男の前に、性悪美女が現れたとしよう。
キモい変態オヤジと浮気を繰り返すクソビッチかもしれないし、特殊な性癖を持った真の変態女かもしれない。暴力を振るう冷酷なサディスティックウーマンという線だってありえる。
美しい顔面に引き寄せられて近づいてきた男共は、彼女たちの衝撃的な内面を思い知ったら、きっと逃げ去っていくだろう。顔が好きだと唱える者ほど、知らず知らずのうちに人間の見えない部分をしっかりと見ているものだ。
男はみんな、可愛らしい動物を愛でながら可愛い表情を浮かべる性格の良い娘が好きなのだ。それ自体は否定しない。恋愛観の違いという奴だ。
だけど、俺は違う。
正真正銘――女性の顔。つまりはその造形の美しさについて語っている。
だから、俺の恋愛観は少しだけズレているのかもしれない。いつからこんな風に思うようになってしまったのかはわからない。いや、きっと異性を意識し始めたのは“あの日”に違いない。
そう、氷柱雪さんを初めて見たその日から――俺の恋愛観は狂い始めた。
「おいタツヒロ、飲み過ぎだぞ」
心配そうな顔を浮かべた友人――カズトが俺の肩を軽く叩いた。
「……んっ」
はっと気が付いて、辺りを見渡す。披露宴会場のテーブルに突っ伏していたのは自分だけだった。
「別に……ほっといてくれよ」
「お前……酒弱いんだから無理に飲むことねえんだぞ、最初のシャンパンでもう顔真っ赤だったじゃねえか」
「だから無理なんてしてない」
「まあ……好きだった女の披露宴に出る悔しさ? みたいなのもわかるけどさ、ここは一つ大人になって女としての幸せを祝ってやるべきなんじゃねえか?」
カズトが俺の背中を摩りながら言った。すると、対面に座る男が突然声を上げる。
「えっ、嘘! タッツーって氷柱雪さんのこと好きだったの? そんなの今初めたて聞いたんだけど」
「……別に言ってないからね、オニギリには」
「……なんで言わないの! そういうの重要じゃん」
坊主頭のでっぷりした男が、虚を突かれたような表情で叫んだ。因みにオニギリというのは彼の愛称である。俺にタッツーというあだ名があるように。
「わたしは知ってたけどね。栗ヶ山(くりがやま)くんの好きな人」
俺の左側に座る小柄な女性、温海(あつみ)チカがくすくすと笑った。
「ええっ、どういうことなの!? 温海さんが知ってて僕は知らないわけ!? 尚更納得できないんだけど! 十数年来の付き合いなのに」
俺と温海さんの間で黒目を行き来させるオニギリ。そんな彼に対して、容赦の無い声が届く。
「お前に恋愛とかどうでもいいだろ、黙ってろよクソオニギリ」
「はい? 今なんて言いました? いや、全然どうでも良くないんですけど?」
幼馴染同士のカズトとオニギリが懐かしのやりとりを行っている間に、俺は雪のような白いドレスに身を包んだ新婦をチラリと一瞥した。
きらきらと光る装飾の一つひとつがウエディングドレスの引き立て役を果たしていて、汚れを知らぬ純白の衣装は、聖なる力を持っていそうですらある。それらを身に纏った氷柱雪さんは、さながら天界より舞い降りた天使のようだった。
ただただ氷柱雪さんに見惚れる。
――あんなに綺麗な嫁がもらえるなら、どれほどいいだろう。
毎日仕事から帰ったら、あの顔が出迎えてくれるわけだ。「おかえりなさい」とか、「今日のお仕事どうだった?」とか、「お風呂にする? それとも――(以下略)」とか色々聞いてくるのかと思うと、もうそれだけで死んでもいい気がする。
しかし、残念ながら俺は氷柱雪さんとほとんど喋ったことが無かった。
なら何故結婚式に呼ばれたのかって? 数合わせ以外の理由があるのだろうか。それでも嬉しいんだよ、こっちは。
小学校から高校まで、何度か同じクラスになったことはあった。でも、高嶺の花には手を触れてはいけないのである。
どうして俺がこれほどまでに氷柱雪さんを愛しているのかというと、彼女が誰よりも美人だからに他ならない。だから彼女の内面のことは良く知らない。淑やかな性格だったような気がするが、知人と二人のときはどんな風に喋るのか、好きな食べ物や休日の過ごし方についても一切知らない。
つまるところ、俺は知るつもりが無いのだろう。氷柱雪さんの内面を。
例え彼女にアレな一面があったとしても、俺は氷柱雪さんの顔が好きだからこの愛はいつまでも永遠だと思う。
――ああ、本当に。
相手が俺なら良かったのに。
億劫な思いをそのままに、視線を横に流してみる。
新郎だ。名前さえ知らない。
そいつの顔を吟味してやろうとすると……。
どういうことだろう。男の顔を見ることが出来なかった。
「……え?」
突然、頭の働きが酷く鈍重になり、思考が定まらなくなっていく。
口を開こうにも、思うように動かない。
自分が今椅子に座っているのか立っているのかさえわからなかった。
右手が視界に入る。ウェイターがさきほど持ってきた新しいグラスは既に飲み干されている。
頭にずきんと刺激が走る。確かに泥酔寸前ではあるが、この痛みがアルコールによるもので無いことくらい今の俺にもわかる。
痛みは継続的に側頭部辺りを執拗に叩き、ついには泣き叫びそうになっていた。
視界がぐにゃりと歪み、新郎新婦の姿さえ見えなくなった。
――そして気が付くと、俺は教室の机に座っていた。
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