第44話

 いたって楽観的なイアストレの計画は、その後達成されたかと言えば、上々とはいかないまでも努力は無駄ではない、くらいの結果になった。

 次の冬に再び村に向かう時には、イアストレは結婚資金を、俺は結婚祝いと冬の間の宿代を、ともに少ないながら持参できた。

 もちろん、俺たちが急に強くなったり身入りのいい依頼が舞い込んだわけではないし、相変わらず災難も続いている。

 ではどうしたのかといえば、受ける依頼をよく吟味して、経費がかさまないものを選ぶだとか、退治した怪物を素材として貰い受けることができる依頼を受けるとか、そういった地味な努力だ。あとは節約、暖かい季節は極力野営で済ませて、酒場も依頼を探すのみで長居はせず、という調子だった。


 仰々しい儀式も特別な宴席もなく、その冬フィンルーイとイアストレは結婚した。

 経済的余裕がないのは二人とも同じであったが、豚をしめてテルミエルがご馳走をつくり、近所に燻製肉のお裾分けをしたり、お返しにささやかな祝いの品が届けられたりした。


 滞在中、イアストレは宿屋の仕事、俺は村の雑用仕事をあれこれ見つけては働いていた。

 前年の冬に噂になっていた、旅人を襲った怪物については、少なくとも村の者は誰も遭遇していなかった。一度きりの偶発的な遭遇だったのか、それとも何か大型の動物を見間違えたのか。

 はっきりした情報もなくルーランスンの森を探し歩くのは現実的ではない。俺とイアストレは話し合って、新しい目撃情報が出るまで静観することにした。


 翌春もまたイアストレは街に働きに出て、秋にはルルネが生まれた。俺は産み月に間に合うようイアストレを二か月ばかり早く村に帰して、自分は街に居残って仕事を続けた。


「うわ、柔らかすぎて怖ええ……どうすりゃいいんだ」

 抱いてみて、と預けられた小さな体のあまりの頼りなさに、硬直してフィンルーイを見る。

「んもう。腕をほら、こっち」

 すかさず手が差し伸べられて、体勢を整えられる。腕の中の赤ん坊は、幸い目を覚ますことなく安らかに眠っていた。

 前夜村に帰りつき、翌朝対面したルルネはそれはもう小さくて、赤ん坊をほとんど見たことのなかった俺には、到底手を触れていいものとは思えなかった。

 それをそのまま口にしたところ、バカ言ってないで抱いてみて、おじさんになったのよあんたは、とフィンルーイから預けられたわけだ。

「おじさんっていうか、なんだっけ、いとこおじ?って呼ぶみたいだぜ」

 隣のイアストレが言う。フィンルーイが俺の従姉妹なのだからそうなるわけか。

「まあでも、あんたが帰ってきてくれて助かったわよ。あたしと母さんはまだこの子の世話で手一杯で、今、宿の方はイアスがほとんど一人で回してるの。しばらくタダで住まわせてあげるから、手伝って」

「そりゃそのつもりでいたが……結構混んでるのか、今年は」

 もともと冬の間は客の滞在日数がやや長くなるのが常だ。天候の回復を待つだとか、寒さで崩した体調が戻るまでだとか、理由は様々である。

「あんたも街道を来たならわかるんじゃないの?今年は雪が早かったでしょ」

 街道に雪が積もると、馬なしでは行き来は困難になる。徒歩の旅人は春まで長距離の移動を控えるもので、俺も一度降った雪が根雪にならず一旦溶けたのを幸いにやってきたのだ。

「今は商人の一家が泊まってる。旦那が道中で怪我をしちまって、元々旅程も遅れてたところだし、もうここで冬越えするって決めたそうだぜ」

 他にも入れ替わりで雪で足止めされた客が何組かあったために、ここしばらくイアストレはまだ慣れぬ宿屋の仕事にてんてこ舞いだったようだ。

「とにかく、おれの作る飯がえらく不評で……かといって義母かあさんはルルネとフィンを見てなきゃならねえし」

 俺が加わって宿屋の食事がどうなったかというと、食うのが苦痛なものから、美味いわけではないが食うのに支障はない程度のものになった。


 夜になって客用の食堂で商人の一家に夕飯を出したところ、怪我の療養中だという父親に話しかけられた。イアストレは客室やフィンルーイたちの居間を温める火鉢を用意しに行っている。

「あなたが奥方の従兄弟どのですか?」

「はい。冬の間はここを手伝う予定でいます」

 一家は夫婦と十代前半くらいの兄弟二人に、初老の下男が一人という顔ぶれだ。使用人連れの旅であることや表に留めてあった馬車、服装なんかを見るに、かなり裕福そうな一行である。

「あのさ、冒険者なんだって聞いたんだけど」

 兄弟の上の方が、食事の手を止めて腰を浮かせた。

「座りなさい、行儀の悪い。不躾な質問で申し訳ない。実は村の人から、ここらで怪物に対処するには旅の冒険者に頼るしかないと聞いていたんです。でも今朝、宿のご亭主が従兄弟どのはニルレイで名の知られた冒険者だとおっしゃったので」

 イアストレめ、はさすがに盛りすぎだろう。

「何かあったのですか?」

「実は今回この村で冬越えするのは、私の怪我が原因でして……」


 商人から打ち明けられたのは、隣村とこの村をつなぐ街道で、怪物に遭遇した話だった。

 数日前の夜更けのことだ。

 下男に馬車の御者を任せ、自分は騎馬で少し先行して道を進んでいると、ある地点で馬がひどく怯えはじめた。

 先へ先へと駆けようとする様子から、後方から何かが追ってきているのではないかと判断し、商人は下男に馬車を急がせた。代わりに今度は自分が殿しんがりになり、馬車を追ってこちらも馬を飛ばす。

 背後から物音や明かりが感じられないのは、早駆け馬の旅人などではなく、怪物や盗賊だのの、こちらに危害を加える可能性があるものだからなのではないか。

 用心深く考えながら、とにかく馬を走らせることに集中していると、突然、森の方から藪をかき分ける大きな音が響く。

 ちょうど馬車と商人の間の位置に、何か黒くてとてつもなく大きなものが立ち塞がった。

 あっと思う間もなく馬が竿立ちになり、鞍に引っ掛けてあった角灯が外れて地面に叩きつけられる。商人は暴れる馬の首にしがみつき、振り落とされないようにするのが精一杯で、そこで何が起きたのか、飛び出してきたのは何なのか、見るどころではなかったという。

 気づけば、割れた角灯から漏れた油で、道沿いの枯れ草に火がついていた。馬が体勢を取り戻したのを幸いに鞭を入れて、あとは死に物狂いで走らせて村までたどり着いた。

 暴れ馬にしがみついた時の衝撃で商人は肩を脱臼していることがわかり、そのまま村での療養を余儀なくされたのだった。


「本当にあれはなんだったのか……もし落馬して取り残されていたら、一体どうなっていたかと恐ろしくてなりません」

 商人の話から推測できることは少ない。

 馬よりも足の遅いものであるか、火を恐れるものであるか。その辺りが彼の運命を分けたのかもしれないが、断定はできない。

「ご亭主からは今のところ、私が遭遇したは村には危害を加えていないとも聞きました。だから調査の依頼を出すほどのことなのか判断がつかなくて……どう思われますか」

「調べてみましょう。隣村とこの村の間の街道は、以前にも怪物が出たという話があったので」

 調査にあたる俺自身の動機としては宿屋のためというのが大きいから、この商人に報酬を要求するかは迷うところである。

「ああ、報酬は私からお出しします。我々も春にはまた旅を再開しますから、他人事ではありませんのでね。まずは怪物が本当にいるのか調査を、いたならば、その後の対応の分についても」

 察しが良くて大変ありがたい。


 台所に戻ると、イアストレが木炭の入った桶を手に階段を降りてきたところだった。

「聞いたか?」

「ああ。というか、おまえ自分が冒険者だって言わなかったのか?」

「いやァ、村でそれが公になると、あまり印象良くない気がしていてなあ」

 なるほどわからないでもない。村の者にとって冒険者は無頼の流れ者である。依頼で関われば感謝もされるし、時に厚遇されることもあるが、根本的には信用ならないと思われているのが実態だ。

「だがそこを曖昧にしたところで、おまえがよそからやって来たのは変わらんだろう」

「と思うだろ?ところが義母さんは村の人たちに、フィンは甥の紹介で結婚した、とだけ言ったらしい。そしたら意外と問題なく馴染めちまって」

 確かに俺はテルミエルの甥なので、事実を言ったにすぎない。そして十年以上前に村を出たものの、テルミエルに甥がいたことは村人も記憶している。

 ただ、その甥が冒険者になっていることも、ここ二年ばかり冬の間は村に滞在していることも、フィンルーイの結婚と結びついていないというわけか。

「うまくやったな叔母さん……」

 本来、辺境の村は閉鎖的で、よそものが住み着いて馴染むのはかなり難しい。しかしそれは元から住んでいた者が間に入るだけでも、随分緩和されるのだ。

「とりあえずは、俺だけで村での噂を調査してみる。いざ怪物退治となれば、おまえにも手伝ってもらうからな」

「もっちろん!ただアレだ、調査はいいんだが、悪いけど飯だけ作りに帰ってきて」

 まったく調子のいい奴め。

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