第24話
「なんだか、まるで見たことあるみたいに言うんだな、爺さん」
期待が声に出ないようにしつつ先を促す。
「見たことなんかねえ」
爺さんはついに足を止めた。やはり様子がおかしい。
「ありゃ……見ちゃあならんモンだ。わしらみたいな、ただの人族にゃ、かえって害になる」
「どういうことだよ?」
「おめえも知っとろうが。森はわしらに恵みをくれる。でもそりゃ、わきまえて、ありがたがって、遠慮しながらでなけりゃならん。図々しく奥に踏み込むモンには、罰があるんじゃ」
罰だと?
確かに、森に入る時に心得るべきことは、物心ついた頃から厳しく教えられる。
夜に森に入ってはならない、森で夜明かしをしてはならない、というのは野生動物や怪物の存在を考えれば当たり前のことだ。このあたりは、どこの地域でも変わらない。
しかし村ではその他にも、何をどこに、どのくらいの頻度で取りに入るのかをはじめ、狩をするにも罠を仕掛けていい範囲や、獲物を追っていても引き返すべき位置などが決められていた。それらは昔から伝わる決まりで、目印となるものが木に打ち付けられていたりする。
ルーランスンの森は深く広い。それは山脈を越える旅人が森を迂回していくことからもわかる。
しかし、村人は森の全容から見ればほんの浅いところしか利用していない。人口は緩やかに増加する傾向だったはずだが、村の拡張は森を切り拓くのではなく、街道側か、あるいは森の外縁に広がるように行われる。ここだけでなく、付近の村は全てそうだ。
要するに、ルーランスンの森の奥は禁足地となっているのだ。
俺はここで育ったので、当たり前のことでなんの疑問も抱いていなかったが、改めて考えれば妙ではある。
この村における森との付き合い方は、他の地域とは少し違うのではないか?そして、それは『森の賢者』の存在に由来するのではないか?
「確かに森には色々決まりがあるさ。なんでも取りすぎりゃあ良くねえだろうし。だが罰なんて穏やかじゃねえな」
「若けえもんはこれだから……森には、関わっちゃならねえ恐ろしいものがおるんじゃ。ほんのちいせえ、物心のつかんようなガキなら返してもらえる。だが、そうでないもんは、悪さをしでかしたらそれっきり、二度とは返してもらえん」
「そんなことあったか?」
俺の知る限り、森で村人が迷って帰らなかった話は聞いたことがない。人死にが出ることはあるが、怪物や動物の被害に遭った場合や事故など、因果がはっきりしていて、遺体も大概は見つかる。
「おめえくらいの代ならそうじゃろ。わしらはじいさんの、じいさんの代からずっと、森の掟を守ってきておる」
そんでも……と、爺さんは言い淀んだ。
「あほうはおるもんで……わしがガキの頃にゃ、森の奥にとっておきの場所があるだの言って入り込んで、二度と戻らんかったやつもおる」
「あれだけでかい森なんだから、迷って帰れないのは別に不思議じゃねえと思うがなあ」
否定されれば反発心が湧くのが人情というもの。爺さんが何か知っているようなら、なんとか煽ってでも聞き出さねばなるまい。
「大体、森にいる恐ろしいものってのはなんだい。怪物か?」
「……そんなもんと違うわい」
「なんだ結局知らねえのか。それともホラ話か?」
呆れたような、やや馬鹿にしたような響きになるように言ってやる。
すると、俯き気味で話していた爺さんは勢いよく顔を上げ、こちらを睨みつけた。
「いいか、この悪たれのくそガキめ、『森の賢者』は、確かにおるんじゃ!なんだかはわからねえ、見たやつは誰も帰って来ねえんだ!わしが許されたのは、ほんのちいせえ頃で、そいつをちゃんと見ちゃおらんからよ!」
今、許されたと言ったか。
つまりブレオンツ爺さんは、自身が『森の賢者』と遭遇してしかも帰還したのだ。
「そりゃ……ほんとのことなのか?爺さんが『森の賢者』に遭った?」
「あんな恐ろしいもんは、後にも先にもあれっきりだ。わしは帰ってこれた。じゃが……」
ただでさえ小さい老人は、突然の激昂の反動のように今度は急に背を丸め、杖にすがりついた。その肩が大きく上下して、深いため息をつき、やがて絞り出すように言った。
「
ブレオンツ爺さんは意気消沈した様子で、そのあとは何を聞いても口を開くことはなかった。俺たちは爺さんをなだめすかして家の前まで送り届け、家人に顔を見られないうちに立ち去った。
「ジャスレイさんはまあまあの人でなしですね」
宿までの帰り道、ヴァンネーネンがそんなことを言う。
「なんでだよ。普通に話してただけだろ?」
「おじいちゃんがかわいそうです。さっきの話を聞いても聞かなくても、私たちのやることって変わらないでしょ」
「それはそうだが。俺としては、爺さんが言い伝え以上のことを知ってるのか確かめたかったわけで……」
結果的にたいしたことは聞き出せてはいないが、少なくとも、森の奥に何かいるのは間違いなさそうだ。
ブレオンツ爺さんの兄が森で消息を絶った話も初耳だった。他に事情を知る者がいるかについては、爺さん自身が最長老であることを考えると難しい。
俺たちがこの二日間に森でしてきたのは、奥に探索に向かうための準備だ。それには、村人が普段、森のどこで何をしているのか調べ、鉢合わせしない行動範囲を割り出すことも含まれていた。村人が踏み込んではならないとされているのがどこからなのかわかれば、俺たちはそれより奥に拠点を置けばいい。
「でも、疑問は解消しました。森にいたとき、ジャスレイさんが変なこと言うなって思ってたんです。ほら、これより奥には村人は入らないとか、色々断言してたでしょう。それって森の掟があるからなんですね」
「そうだ。でも正直俺も、もう細かいことまでは覚えてないからな。見えるように印がつけてあるところはいいが、岩だの木だのが目印なら、俺には見分けがつかねえ」
村の者に俺たちの行動が知られるのもまずい。隠密行動は、ギンニール姉妹の件以外にも、村人と軋轢を起こさないためにも必要なことだ。
「きみには
「これも仕事ですから。でも私がこの件が終わったらいなくなるの、ジャスレイさんが忘れてなくて良かったです」
ヴァンネーネンはそう言って少し笑った。
「さすがにそれは忘れてねえさ。ていうかそんな風に見えた?」
「そうですね。あんまり隠蔽の魔法を多用するので……今までどうしてたの?って思います」
「どうって、それなりだよ」
そもそもトールと出会うまではほとんど一人だったから、隠れたり潜んだりするのは今よりも簡単だった。
「というか、私と行動している間に覚えたらいいんですよ。教えてあげますから」
「確かにな。でもなあ……俺は正直色々覚えすぎて、新しい魔法を覚えるのかなり大変になってきてて」
そのあたりも才能がものをいう。俺は本来魔法使い向きではないのだ。
「トールさんに覚えさせたらいいです。まだ二種類しか使えないなら、そんなに大変じゃないでしょ」
「トールか。そうだな、本人がその気になったら頼むかな」
「ずいぶん遠慮するんですね。トールさんとは長いんじゃないの?」
「ん?いや……トールと知り合ったのは確か、きみと最初に監獄で会った日の十日くらい前かな」
「え、まだそんなものなの?」
「そうだよ。気のいいやつだし、俺は他の冒険者と組みづらいから助かってる」
今のところ、トールと一緒にいて問題が起こった覚えはない。むしろ、俺の方が妙な事態に奴を巻き込んでいる状態だ。
「あいつは転移の事故で、どこだかわからないくらい遠くから来たらしいんだ。今は他に行くとこもないから俺といるが……いつか故郷に返してやらないとならねえ」
それに関しては、それこそエルフに(というか以前はミゴーしか知り合いがいなかったのでミゴーに)会ったら、何らかの情報が得られるのではないかと考えていた。今回、シバラの合意剣のことで関わりができたが、こちらの相談事を持ち込む余裕がないまま、ここまで来てしまった。
「返してやる、って言いますけど、トールさんがどうしたいか、聞いてみたんですか?」
「聞いてはねえが……帰れるに越したことはないだろ?」
「それ。ちゃんと話し合った方がいいと思いますよ。ジャスレイさんのそういうところ、良くないです」
ヴァンネーネンは普段から俺にはわりと厳しいことを言う。今の言葉はその延長ともとれるが、ひょっとすると、トールと彼女の間で何か話をしたのかもしれない。
そういえばアレドレキにも、俺とトールは話し合いが足りないと言われたっけ。
例によって畑の中を通って宿まで戻ったのだが、台所の突上窓がまだ少し開いていて、しかも明かりが漏れていた。かすかにだが、トールとは違う低い男の声が断続的に聞こえてくる。
「あー……これは多分、お客さんがいますね」
ヴァンネーネンが小声で言った。
酒場でブレオンツ爺さんをかなり長い時間待ったので、トールはともかく、普段ならフィンをはじめ宿屋の三人は寝ているはずだ。
「危害を加えられてはいないと思います。本当に危険な状態なら、わかるようにしてありましたから」
別行動をとるにあたり、ヴァンネーネンは一応、宿に何か危険が迫ったら反応があるように、魔法の道具を使うと言っていた。彼女はエルフに持たされている道具を、俺やトールにも極力見せないように使っている。
「どっちにしても、入ってみるしかねえか。最悪の場合、俺とトールを連れて逃げられると言ってたな?」
「はい。ただし、これは『湖』に戻るものです。せっかくここまで来ましたけど、ふりだしです」
「死ぬよりはマシさ。ところでフィンやルルネ、叔母さんも一緒にいけるか?」
「同じ部屋にいれば……もしルルネちゃんが寝室で寝ていたら難しいです」
くそ、それは厳しいな。
「なんとかやってみるしかねえな。ルルネについては、俺たちが寝室に行って合流する手もある。すまないが、彼女らを残しては逃げられない。そのつもりでなんとか頼む」
「わかってます。戦闘にはなるべくならないように、ですね?」
「ああ。話の通じる相手なら、極力口先でなんとかしたい」
俺は基本的には、怪物を相手にする冒険者だ。対人族の戦闘を極めたやつらには、はっきり言って分が悪い。
「新しい二つ名に『口先』のジャスレイというのはどうです」
ヴァンネーネンは外套の下でなにやらゴソゴソしながら、そんな軽口を叩いた。
「切り抜けたら、もっと聞き映えするやつを考えてくれ」
俺たちは装備の確認を終えて、台所の扉に忍び寄った。
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