第13話

 バーラは銅色の肌に深紅の髪、瞳は金に輝く美女だった。まあエルフらしくかなりデカいけども。

「ジャスレイだ。『山』のバーラ、初めてお目にかかる」

「どうぞ、こちらにいらっしゃい。散らかっているけれど、座って話しましょう」

 とりあえず出会い頭に何かされるような雰囲気はないと見て、石碑の方へ近づいた。

 石碑の裏、台座を降りたところと壁の間にも多少の空間があり、どうやらそこが、バーラの研究の間の居場所だったらしい。

 上品な装飾を施された机と椅子、筆記用具に、傍らに積まれた紙束や本。開いたまま置かれている革の櫃にも、本が詰め込まれている。

 二つある椅子のうち一つを勧められ、腰を下ろす。バーラが座ったのと同じ装飾の椅子だが、俺が勧められた方のは明らかに低い。椅子の脚が切り詰められているのだ。座るのに苦労もしないし、足が宙ぶらりんになることもない。

 バーラが用意したのか?俺のために?

「人族の身では、ここまで来るのは大変だったでしょう。申し訳なかったわね」

「あなたが、俺をここに来させた?」

「そう。手伝ってもらいたいことがあるのよ」

「あなたはエルフにしては随分、話が早いんですね」

 ミゴーも出会った頃はそうだったのだが、エルフは基本的に物事を進めるのに膨大な時間をかけるし、話をしてもすぐに本題には入らない。下手すると、挨拶程度の話題で数日費やすことになる。

「一応これでも、人族と付き合うときの心得はあるのよ。あなたたちの時間は有限……時に羨ましくもあるわ」

「ミゴーを閉じ込めているのは、俺に何か手伝わせるためですか」

「それもあるけれど……彼には私が研究を完成させるときには、ここにいて欲しかったの。ここにある資料は、彼に譲るつもりのものよ」

 ミゴーの研究題材。

「あなたも、エルフの死について?」

「そうね。この場所のことは、ミゴーから聞いている?」

「とある魔法の『品』が封印されていて、あなたはそれを復元しようとしていると」

 それまで穏やかな笑みを浮かべていたバーラは、ふと真顔になり、立ち上がった。

「ええ。もう本当に、完成間近なのよ。あとは少し、あなたの助けがあればいい」

 バーラは台座を登り、石碑の裏面に彫られている文字に手を触れた。

「いらっしゃい」

 ただそれだけ呟くと、彼女の手の中には、唐突に剣が握られていた。碑文が輝くとか、魔法物質が漏れ出すとか、大仰な演出は一切なしに、ただ剣は現れた。

 細身の直剣で、柄も鞘も飾り気のないしつらえだ。ただ、バーラが鞘から抜くと、刃は光沢のない漆黒で、それだけが、エルフの魔法で作られたものらしさを感じさせた。

「何も、難しいことをする必要はないわ。ほんの少しだけ、あなたの血液が欲しいの」

「は?!」

「ほんの少しと言ったでしょう。指先を浅く切って、この刃に血を含ませるだけよ」

 身構える俺に笑ってみせて、バーラは台座を降りてきた。

「お願いよ。これは私の悲願なの」

「きちんと説明していただけますよね?」

「もちろん。多分少し喋りすぎるくらいのはずよ」

 おかしな言い回しだ。

 しかしバーラが鞘を落とし、剣を持つのと反対の手をこちらに出したので、俺もついそこに手を差し出してしまった。

「『これ』のこと、よろしくね」

 指先にそっと刃が押し当てられた。痛みは感じない。

 だがその瞬間のバーラの表情を見て、俺は唐突に、ある懸念が湧き起こった。

「『山』のバーラ、あなたは死にたいのか……?」

 その返事を耳にすることなく、俺の意識は闇に飲まれた。


 目を開いたつもりだったが、そこもまた闇だ。

 手足も見えないような暗闇に恐慌をきたしかけた時、突然目の前に淡い光が現れて、それはぼんやりと人の形のような姿をとった。

「誰だ……?」

「私は、このシバラの合意剣の円滑なご使用をお手伝いするための擬似人格です。現在、使用者登録を進行しています。進行度は五割三分二厘。もうしばらくお待ち下さい」

 その人の形の光は、感情の感じられない女性の声ですらすらと話し出した。

「まてまてまて!話が全然見えねえ!剣の使用がなんだって?」

「手続きが完了するまでの間、ご使用に関する簡単な説明をお話しできます。ご利用になりますか?」

「するよ!」

 どうにでもなれ、と叫んで、俺は座り込んだ。目の前に人の形の光が立っているのに、自分の体は暗闇でどうなってるのかわからないので、あくまで気分で。

「質問をお話しください」

「その、さっき言ったな、このなんとかの剣がどうって」

「シバラの合意剣です。正確には『処刑』と『慈悲』の二つで構成されています。ただし、全機能の約半分が現在は失われており、『処刑』に関する部分のみ残存しています」

「ミゴーの言ってた、魔法の『品』てのはこれか……」

「シバラの合意剣は、エルフの魔法によって作成、運用されます。物理破壊によって『慈悲』の機能が失われた際、残存部分についても魔法の循環が切断されたため、全体の機能が停止された状態にありました」

 この擬似人格とやらの言い回しは、妙に聞き慣れない。理解するのに必死で頭を働かせながら尋ねる。

「今はどうなってる?」

「残存部分のみでの稼働を目的とした修復が行われ、機能が限定された状態で起動を試みています。作業者は『山』のバーラ」

「修復は終わってたのか……?だが、そこにどうして俺が関わってくる?使用者登録とはなんだ。俺の血を刃に吸わせたことか?」

「シバラの合意剣は、エルフの命を断つことを目的とした道具です。使用手順は次のとおりです。

1.剣の使用者登録をした者が、対象者に問いかけを行う

2.対象者の合意を得る

3.『処刑』の場合は登録者が対象者を刃にかけることで、処刑がなされる

失われた『慈悲』の場合は剣を対象者に貸与することで自死が可能となる」

 まて。聞き捨てならない台詞があったぞ。

「問いかけて、合意を得る、だと……?」

「その手順を経なければ、エルフを死に至らしめる魔法は発動しません。製作者シバラはこの剣が安易に用いられる状況を防ぐため、使用登録者には魂を鍵とすることを求めました。いつ、だれが、どのような状況で剣を使用したかを本体に記録するためです。また先ほど、あなたの血液から魂の情報を取得、本体内部での再構築を行なっています」

 俺はさっき、バーラに何と問いかけたか。くそ、考えたくないが、状況が読めてきてしまった。

「だが、なぜ俺だ。ただの人族だぞ。エルフの道具はエルフしか使えないのが普通じゃないのか」

「シバラの合意剣が不完全な状態にあることに起因します。『処刑』と『慈悲』が完全な状態で揃っていた場合、起動にはエルフ一人の使用登録者、つまり魂を必要とします。しかし現在『慈悲』は失われており、残存部分は『処刑』と、この私、使用のお手伝いをする擬似人格のみとなっています。この状態でエルフを使用者登録すると、魂の情報の容量が大きすぎるため、機能不全に陥ることが予測されます」

 魂の情報の容量とはまた。俺は今、エルフに知られたら記憶を消されるような世界の秘密に触れてる気がしてるぞ。

「修復作業者バーラは、若いエルフでの使用者登録も検討しましたが、やはり大きすぎると判断されました」

「人族だとうまくいくと……?」

「処理は低速となりますが、起動は可能です」

 多分このままだとすごくまずい事態になるのでは。

「今やってる、使用者登録?それが終わるとどうなる」

「最前のやりとりで、登録者・人族ジャスレイと、対象者・エルフ『山』のバーラの間で手順が達成されています。使用者登録手続きが完了し次第、『処刑』の魔法が発動します」

 やっぱりかよおお!

「とりあえず、それ中断!一回止めよう!」

「認識の訂正を要請します。このご案内は、シバラの合意剣の使用を円滑に行うためのものです。使用者登録を進めている時間を有効にお使いいただく目的で設けられたものであり、シバラの合意剣の起動に関する承認や許可を求めるものではありません」

「ごめんもう少し易しく説明してくれる?!」

「登録者の意思に関わらず、シバラの合意剣は魂を鍵として起動します。進行度は現在九割八分八厘。間も無く完了します」

 うそだろ……


 ご登録ありがとうございます。


 そんな声を最後に、人の形の光と暗闇は遠のき、俺の意識は浮上した。


「おいジャス!ジャスってば!起きろよ!」

 トールの声がする。

「っは!……くそッどうなった!」

 目が開くのもそこそこに跳ね起きた。ミゴーも大きな体を屈めて、トールの隣にいる。

「落ち着くのだ。慌てても何も変わらぬ」

 俺の手には、さっきバーラが取り出した、黒い刀身の剣が握らされている。起き上がった場所は意識を失ったのと同じ、石碑の後ろの空間だ。

 台座を見ると、そこには半身を石碑にもたれかからせるように倒れている、バーラの姿があった。

「ミゴー……まさか」

 無言で首を振るミゴーの様子だけで、何が起こったのかは理解できた。

 



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