第7話
立ち上がった頭と肩の位置を見るだけで、人族とは明らかに骨格から違うのがわかる。
黒い袖なし外套の、俺より頭二つ近く高いところにある頭巾の中は影になっていて見えない。
しかし、その奥から殺気とも冷気ともつかぬ、得体の知れない圧力を感じる。こちらをじっと見ているのだ。
俺はこれまでの冒険者としての人生で、エルフと遭遇したこともある。とある依頼をきっかけに知り合ったエルフから、別の依頼を受けて、それなりに懇意になった相手もいる。
だが、今目の前に立っているのは、人族の社会に気まぐれに現れて、彼ら特有の知識への探究だとか、生命の秘密に迫る調査だとかをしているたぐいの、こちらが粗相しなければ友好的につきあうこともできるエルフとは根本的に違う。
まったく話の通じない、極めて危険な怪物の前にいるような、恐ろしい絶望感を覚える相手だった。
「ご苦労であった、下がってよい」
底冷えのするような低い男声が言い、ビンドに向かって麻布の小袋が投げ渡される。
「へ、へえ!ありがとうございます!すまねえジャスレイの旦那!」
言い残して、ビンドは蹴躓きながら部屋から逃げた。
「そなたが『凶運』のジャスレイと呼ばれる者だな、人族の冒険者よ」
「……そうです」
「我が名は『湖』のヴーレ。依頼がある」
初めて聞く名だ。
ヴーレは寒気のするような殺気を発し続けてはいるものの、依頼というごく日常的な単語が出てきたので、俺は少しずつ冷静になってきた。
「お聞きします」
「我が一族の若きもの、『湖』のミゴーを捜索せよ」
「ミゴー?睡眠期から目覚められたのですか」
「然り。しかし水盤での連絡が取れず、行方が知れぬ。ここに前金がある。見つけ出したあかつきには、さらに同じだけ取らせよう。疾く探してまいれ」
ビンドに投げ渡していたものより中身が多いと思われる重い音をたてて、麻布の小袋が卓に落とされた。
「居所に心当たりなどはないのですか?」
「睡眠期の前、ミラローの遺構に興味を示していた。そこから始めるがよい」
「おおおおいなんっだよアレえ!エルフマジおっかねえ、てか強引すぎるだろ!」
ヴーレは、本当に手がかりになるかも怪しい情報を言い残して、跡形もなく姿を消した。魔法の匂いすら感じさせない、エルフの高度な転移の魔法だ。
俺たちは震えの止まらない足を叱咤して地下の応接間を脱出し、今はそこから一番近くにあった宿屋の一室にいた。
エルフとの遭遇に気力を根こそぎ持っていかれて、今日はもう街の外まで行って野営する元気はないと判断したのだ。前金ももらったし。
「てかエルフってみんなあんなコエーの?」
「いや……見た目は皆あのくらいデカいし威圧感あるが、俺が知り合った他のエルフは、こちらが何もしない限りは穏やかな連中だった。あのヴーレってエルフは特別だ」
「そりゃよかったよ」
「身内が行方不明で心配で、ってのともまた違う感じだしな……大体、あいつら本来は死なないはずだから、ちょっと行方が知れないくらいでそんなに心配するのも不思議な感じがする」
ヴーレの話に妙な点があるとすればそれだ。
「死なない?」
「ああ。そもそも人族とか動物みたいな、寿命とか加齢って概念がない。さすがにそこら辺をうろつくのは若めのエルフだけだが、あいつらの本拠地には、今もそれぞれ始祖が生きて存在してるらしいんだよ」
「ごめんよくわかんねえ」
「つまり、この世にエルフってもんが現れた最初の代の奴もまだ生きてるから、おそらく外的要因以外で死なないと考えられてる、ってことだ。その外的要因にしても、病気にもかからないし、人族が使う武器ではかすり傷もつかないくらい丈夫で、あり得るとしたらエルフ同士の争いくらい……」
そしてそこがこの依頼の大問題な部分だ。
「それって、もしミゴーってエルフが何かよくないことに巻き込まれて失踪したんなら、敵として出てくるのもエルフなんじゃないの?」
「おまえ凄い利口なんじゃない?実は」
「へへ、そう?」
トールは嬉しそうに笑って鼻を掻いている。こいつ褒められるのに弱いな。
「にしてもミゴーめ、あんな物騒な身内がいるなら、まめに故郷に連絡してくれよ……」
「ミゴーは知り合いなのか?」
「何年か前に依頼でな。エルフってのは、俺たち人族とは時間の感覚も全くちがう。人族は夜眠り昼に活動するだろ?多少ズレても一日単位で生きてる」
「うん」
「エルフはこの周期が年単位なんだ。ミゴーは確か五百歳と少しだと聞いてるんだが、これはエルフの中では若者と呼ぶにも少し幼いくらいの歳らしい。でそいつは、十年活動して三年眠る」
「ええ?」
それって十年、夜も昼も起きっぱなしでいるってこと?とトールが首を傾げる。
「そうだ。この周期は、歳とともにどんどん長くなっていくらしいぞ。まあそれはともかく、ミゴーに最後に会ったのは、彼が睡眠期に入る少し前だ。確かに起きてもおかしくない年数は経ってる」
「ヴーレが来たのは、最後に会った人族がジャスだから、ってことなのかな」
「その可能性もあるが……」
しかし知り合いになったとはいえ、エルフがたかが人族の冒険者のことを身内に話すだろうか?ましてや、あんな見るからに物騒な相手に。
「まあグダグダ考えてても仕方ない。もう前金を受け取っちまった。とにかくミゴーを探す!……明日からな」
今日はもう無理。
生きて帰れたのが御の字、それ以上のことは期待するな。
恐怖で正常な精神状態じゃなかったが、必要以上に前金に手をつけるのは不安だというみみっちい根性だけは働いたおかげで、俺たちが泊まったのは宿の中でもかなり下の部類の部屋だった。
かろうじて個室だが、板壁の上下は隙間が開いているし、床は土間で、寝台は古い木箱に藁を敷いたものだ。
だがとにかく俺たちは壁のあるところで寝られるという安心感で、夢も見ないで眠った。
朝には落ち着きを取り戻し、行動を開始した。
正直ミゴーの行きそうな場所など見当もつかないので、ヴーレの情報を頼りにするしかない。
ミラローの遺構については、存在を知ってはいる。近くの街に依頼で訪れたことがあるから、場所も大まかにはわかる。
ただどうにも気が進まないのは、罠ではないかという懸念が拭いきれないからだ。断言できないのは、エルフには人族の冒険者を罠にかけるような動機は普通ないし、利益もない、という常識があるからにすぎない。
「それで、そのミラローの遺構ってのは、どのくらい遠いの?」
「歩けば二か月はかかるぞ」
「そんなに?!」
「確かに遠いが、そこまで驚くほどか?」
「あいや、こっちの感覚だとそうなんのか……」
俺は拠点にしているニルレイの街から徒歩数日程度の範囲で活動することが多いが、依頼によっては半年がかりになるような遠方に出向くこともある。
「まあ今回は、前金もあるし転移の魔法を使う。あんなヤバいエルフとの関わりは早く終わらせたいしな」
「だな……」
そんなわけで着いたのは、ニルレイの街の役場だ。
「転移の魔法を依頼したい。登録されている街の一覧はあるか?」
「今はこちらですね」
受付で尋ねると、卓の下から薄い石板が取り出された。
「どれどれ……」
木枠で縁取られた大きめの石板に、街の名前と料金が書かれている。基本である人族一人当たりの料金をはじめとして、大きな荷物を送ることが可能かどうか、可能な場合の金額なども併記されている。
「あった。この、マードブレの街まで、人族二名で頼みたい」
「わかりました。都合を聞いて参りますので、お待ちになってください」
「結構かかりそうか?」
「そうですね。マードブレだと、ここに常駐していない神官さんに頼みますから、お呼びするのに少しかかります」
「じゃあ、すまないが待つ間に近くの市場に買い物に行ってくる。時間をかけすぎないようにはするから」
こういう客はよくいるので、受付係も快く了承してくれた。
使い走りの小僧が勢いよく通りに出て行く。あの子供が転移の魔法の使い手を呼んで戻るまで、物資の補給や朝メシを食うくらいの時間はあるだろう。
「マードブレの物価がわからんから、買い出しはここで済ませちまおう」
トールも連れて、役場を出る。
「なあジャス、さっき出てきたみたいな石板って高いのか?」
「そうでもないが、欲しいのか?」
「字の練習とかに使えるかなって」
「ああ。そういや手習いの本も買わないとだな。だが石板は割れものだからな……旅には向かんだろ。木の板を黒く塗ったようなやつも売ってるから、それを買ってやる」
すでに日は高く、市場は賑わっている。
さほど歩かないうちに、古道具なんかと一緒に古本を扱う天幕があったので覗いてみる。
「手習いの本はあるか?できればあまり難しくないやつで」
あったはずだよ、と店主の若い男が商品をひっくり返す間、並んでいる古道具の中に、ちょうど雑嚢に入りそうな大きさの木板を見つけた。黒く塗られ、一応枠もついている。
「トール、ほら、こんなのだろ。……兄さん、これももらうよ。あと白墨もある?」
「あ、金!オレが出すよ!」
合わせた値段を聞いて財布を出すと、トールが慌てて自分の雑嚢をかきまわしはじめた。
「いいって。こんくらいは出してやる。こないだの報酬もうあんまり残ってないだろ」
ちょっとは手元に持っとけ、と言うと、手を引っこめたが、まだ何か言いたい様子なので、さっさと硬貨を店主に渡し、品を受け取る。
「あれだ、おまえが読み書きできるようになった方が、俺も助かる。これでも、都の大図書館で調べ物するような依頼だってたまに……どした?」
トールは普段も深く被っている頭巾をますます引っ張り下げ、うつむいていた。
「なんでもねー、ありがとな。……行こうぜ、まだ買うものあるんだろ」
背を向けて歩き出すトールは、その後もずっと頭巾を引っ張り続けていた。
その後、日持ちのする食料数日分に、水筒には葡萄酒をつめてもらい、薬を少々、それからトール用の短刀や火打石なんかの細々した日用品を買い集めた。
だんだんいつもの調子を取り戻したトールは、市場を巡るのも物珍しそうな様子で楽しんだようだ。
「あっおい、これなんだ?」
「ん?ただの林檎だそりゃ。多少日持ちするし、何個か買うか」
「こっちの林檎は紫なのか……」
「赤いのもあるけど、このへんはこいつの産地なんだよ」
トールは積まれた中から手に取り、良さそうなのを探しはじめた。
その時だ。
「泥棒!」
俺たちの見ていた果物売りの店主が、ハッとしたように俺の背後に視線をやって、そう叫んだのだ。
すぐ背後の店で、樽や何かが倒れる音がして、振り向くと、一つながりの腸詰めを握りしめた男が、路地に向かって駆け出すところだった。
だが、左右の露店から店主や店番の小僧が、そして居合わせた客たちが手を伸ばし、逃げる男を捕まえた。
腸詰めを盗られた肉屋の店主が太鼓腹を揺らしながら騒ぎの中心に駆けて行き、役場に連絡をやれだのなんだのと話が始まった。
解決しそうな様子に、人々は関心を失って自分の用事に戻りはじめた。
「とんだ騒ぎだったな。ええと林檎か、選んだか?」
振り向くと、トールはしゃがみこんで頭を抱えていた。その足元には、林檎が一つ落ちて割れている。
店主が困ったような視線を向けてきたので、落ちた林檎を拾い、他にも三つばかり台から取り上げる。
「悪かったな。この割れたやつも買うよ」
「すまないね、旅人さん」
割れたもの以外を雑嚢に押し込み、トールの背に手を置いて軽く叩いてやる。
「よし、買ったぞ。立てるか?あっちで少し休もうな」
やっとという様子で立ち上がったトールの肩はひどく震えていた。
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