第5話
「うわ、すげ……」
門番からの簡単な聴取を終えて街に入ると、トールはそんなつぶやきを漏らして固まった。
田舎者じゃないって言ってたのは何だったんだ。
「なあ、その反応おのぼりさん丸出しだぞ」
「ばっ……ちげえし!これは、なんつうか……」
あーもーうまく説明できねー、とうめきながら、歩きはじめた俺に追いついてくる。
「それで?宿に泊まる金がないって話だけど、どうすんの?」
「とりあえず受けられそうな依頼がないか、見に行こう」
「おー、冒険者って感じ。やべー、すげー」
街に着いてからのトールはやけに浮かれていた。やべーとすげーを連呼している。
「おまえがいたのは、どんなとこだったんだ?」
とにかく田舎じゃないって言いたいのはわかったけど。
「オレのいたとこ?」
「ああ。仕事とか。荷役夫だったんだっけ?どんな風に暮らしてたんだ」
「どうって、フツーだよ。起きて、ネカフェ……宿を出て、仕事行って、日給もらって、風呂行って、また宿。メシは弁当買ったり、宿で食ったりして。オレは酒はやらなかったから、あとは本とか読んで暇つぶして寝るだけ」
「ふうん。俺らとそんなに変わらないんだな」
「言われてみりゃそうかも……ほんとそうだな」
このやりとりに何かすごい発見があったとは思えないが、トールはまたやべーやべーと連呼していた。
ただわかったのは、トールのかつての暮らしに家族の影はなかった。帰る方法がわからないのを悲観した様子があまりないのは、それが関係しているのかもしれない。
禿熊亭の一階の酒場は、まだ日没前だというのもあって、閑散としていた。
仕込みの最中らしい山羊似の店主に挨拶して、奥の壁に向かう。
「へえ、これが依頼書ね」
壁には、羊皮紙や紙に布切れ、薄く剥いだ樹皮など、さまざまなものに書きつけた依頼書が釘で打ち付けてある。中には、白墨で壁に直に書かれたものも。
「あ、ジャス、今わかった。オレ、こっちの字が読めない」
「そうなのか?言葉は通じてるのに?」
たまに耳慣れない単語が混ざるが、俺にはトールの話し言葉はなまりもないように聞こえる。
「全然知らない文字だ。てか、ここらへんの普通の人?はみんな読み書きできるの?」
「土地によると思う。ニルレイくらいの街なら、学校に行く子供もそれなりにいる。農村だと字が読めるだけで重宝される場合もあるが、そこそこ大きな規模の村なら、教会が子供を集めて教えたりしてるな」
俺も村の教会に通ったくちだ。
「冒険者やるなら?」
「絶対にできた方がいい。読み書きができないのがバレると、舐められたり騙されたりするぞ。俺と一緒にいる間はいいだろうが」
依頼書を読む必要があるのはもちろん、最近は貴族や商人の依頼を受けると、契約書に署名させられるのだ。
「それに、魔法を他にも覚えていくつもりなら、教書で勉強することになる。俺が教えてやれるのは、俺が使えるものだけだからな」
「今更勉強かあ……」
「どうするかは任せる。必要なら手習いの本は手に入れてやる」
トールがもらった報酬で必要なものがすべて揃うか怪しくなってきたな。
「やる。覚えるよ。オレあんまり頭よくないけど。で、なんか良さそうな依頼あった?」
話しながらざっと見ていたが、トールを連れて行って問題なさそうなものは見当たらない。
「どれも難しいな。依頼の張り出される酒場は他にもある。装備を整えて明日また来てみよう」
収入の目処が立ったら宿屋に泊まっても良いかもしれないと考えていたのだが、残念ながら、先行きは不透明なままだ。
街を一度出て、壁の近くで野営しようかとトールに提案する。
「オレは別に構わないけど……この間の報酬、オレはともかく、あんたは使ってもいいんじゃないの?」
「ところがそうもいかねえんだな。実は、鍛冶屋とか薬屋とか、あちこちツケがたまってるんだ……」
「さすがについてくる相手間違った気がしてきたわオレ」
畜生、だから言ったじゃねえか。
「今日はメシだけ食って行こう。暗くなる前に寝る場所を決めないとならんしな」
そんな話をしていると、鐘楼から鐘の音が聞こえてきた。
「おおっ。これって、時間がわかるやつ?」
「六時の鐘だな。普通の店はこれを合図に店仕舞いだ。酒場とか飯屋、あと風呂屋もか、そのあたりはもっと遅くまでやってる」
またひとしきりすげーすげーと言ってから、思い当たったように振り向いた。
「あれ、じゃあ時計とかあんの?」
「鐘楼にゃあるはずだが」
「持ち歩くようなのは?」
「持ち歩く?貴族や裕福な商人あたりは家にも持ってるだろうが……あんな高価なもの持ち歩かんよ普通」
「あーそんな感じね」
「エルフあたりだとどうかわからんがな。基本的に金持ちだし、人族が持ってない技術も色々あるみたいだから」
トールを連れて屋台で飯を済ませ、その日は街の外で野営した。
結局、街を出るまでトールはすげーすげーを連発していた。やっぱりこいつ田舎に住んでたんじゃないかな……
一夜明け、門が開くのを待って再びニルレイの街に戻り、真っ先に向かったのは古着を商う店だ。
俺はさすがに見慣れてきたが、トールの格好は雑多な人族が行き交う街でも十分奇異だった。頭巾のついた短い貫頭衣に、南方の船乗りや蛮族が履くような脚衣。すれ違ったあとで振り返ってもう一度見る者すらいる。
今のトールは悪目立ちでしかないが、冒険者は目立ってなんぼ、と派手な兜飾りをつけたり、都で流行の衣服を纏う者もいる。ただ俺自身はそれをやりたいとは思わない。怪物退治で洞穴に潜るには邪魔だし、血液だの粘液だの得体の知れないもので汚れるし、第一金がない。
そんなわけで、知っている中で最も手広い商売をしている店を訪れ、ごく平凡な、街でも村でも溶け込めるものを探すことにする。
「とりあえず、外套がまず絶対に必要だ。おまえの今の服は見たこともない素材だが、すごく良い素材に見える。だからその上から羽織って隠せるものだな」
「オレの格好が浮いてるのは気付いてたよ」
自覚があってなによりだ。
「おやじ、袖なしの外套はあるか?丈夫で、汚れの目立たないものをくれ」
店主が店の奥から出してきたものを検分する。
「うげ、なんの血痕だよこれ?」
「こっちはどうだ?繕い跡はあるが……」
あまりに汚れのひどいもの、死体から剥いだと思われる臭いのするもの、なんの革だかわからないがものすごくイヤな感じのするものなどをよけて、なんとか無難な一着を確保。
続いて、革の手袋と長靴、革帯と雑嚢も出すように頼む。選ぶ基準はさっきと同じだ。
「どーよ」
得意そうに顎をそらして立つトールは、すっかりよくいる感じの旅人姿になっている。
唯一以前の面影があるのは、外套の下から引っ張り出して被っている灰色の頭巾だけだ。
「いいね。金はあとどのくらい残ってる?」
トールが差し出した手の平に乗っていた硬貨を数えると、あと他に短刀や水筒は買えそうだ。他に絶対にいりそうなもの……
「忘れるところだった。ギヌー教会を訪ねてみよう」
古着商いのおやじと、朝飯を買った屋台、水筒を買った古道具屋。行く先々で聞いて、三人目の古道具屋でやっとギヌー教会の場所がわかった。
訪ねて行った教会の拠点とやらは、質素で実用的で、中庭からは鈍器と盾の打ち合う音が響く、一言で言えば練兵場のような雰囲気の漂う施設だった。
「こんにちは!教会への寄進ですか?開祖ギヌーを讃える活動資金の寄付ですか?それとも汚れた資金の洗浄ですか?」
「ジャス、帰った方がよくね?ここ多分マフィアか殺人拳法の道場だぜ」
まふぃあが何かわからないが、神官見習いが清々しいほど金のことしか口にしないのには、確かに面食らう。一体どういう教会なんだ。
「ええと……俺たちはアレドレキの紹介で来た。モル……モレ……」
「モルドリッケ」
「そう、モルドリッケさんに会いたい。それから、肌着を買いたい」
「武器じゃねえの?!」
トールが音がしそうな勢いでこちらを振り向く。
「わかりました!肌着はすぐご用意できますよ!」
「あるんだ?!」
「モルドリッケさんとは武器の購入について相談させてもらいたい。肌着の方は、こいつに合った大きさのものを……二組でいいか?」
「え、あ、はい、お願いします」
「はい!」
しどろもどろのトールに元気よく返事を返して、神官見習いの少年は奥に引っ込んだ。
「教会って、下着なんか売ってんの?」
「アレドが慈善に力を入れてるって言ってただろ。大体こういうとこでは、働きに出られない、婆さんとか身重のおかみさんがたに縫い物の内職を斡旋してるんだ。もちろん肌着も作ってる。さすがに肌着の古着はイヤだろ?」
「ぜってーヤダ。さすが気が効くぜ」
「だろ。それに多分安いはずなんだよ」
そんな話をしていると、肌着を抱えた少年と、女性が二人入ってきた。
「わたくしがギヌー教会ニルレイ拠点を束ねる、モルドリッケです。こちらは神官エンドレキサ。アレドレキに紹介されて来られたとか?」
モルドリッケは、ふっくらした体型の小柄な老婆で、アレドレキと同じ装束に、髪を覆う白い被り物をしている。
もう一人は、木玉の首飾りが二重である以外はモルドリッケと同じ格好の若い女性だ。背が高く痩せていて、顔にそばかすがある。
「はじめまして、冒険者のジャスレイといいます。こっちがアリマトール。アレドレキには、先日依頼で大変世話になりまして……」
「モルドリッケ様、この人『凶運』っす、やっぱりアレドレキ様はもう……」
そばかすの神官エンなんとかが、モルドリッケに耳打ちする。
「期待を裏切って悪いが、悲しい知らせを持ってきたわけじゃない。アレドレキは無事だよ。『湖』周辺を徒歩で巡って商いをすると言っていた」
「ご丁寧に、お知らせありがとうございます。神官エンドレキサのご無礼をお許しください」
「いいですよ、慣れてるんで。でも俺の繊細な心がすごく傷ついたので、武器安くしてください」
「まあオホホ。ダメです」
手強いな。
「こいつの使う武器が欲しいんだ。ただし、金はあまりない」
「お代についてはあとでお話するとして、まずはご覧に入れましょう。どんなものをお探し?」
俺たちはモルドリッケに案内され、練兵場ならぬ、教会施設の奥に足を踏み入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます