Bad luck + Jump off

居孫 鳥

第1話

 その日、したのは、後から思えば出来心だったとしか説明できない。

 とにかくオレは、衝動に突き動かされるまま階段をひたすら駆け上がり、叩きつけるように扉を開け、さらに走って、立ち塞がった柵によじ登り、そして勢いのまま、


 宙へ。


◇◇◇


 その日、俺は寂れた食堂兼宿屋の片隅で、最も安い酒でちびちびと口を湿らせながら、一杯きりで朝から粘っていた。

 店主の咎めるような視線に耐えている俺の頭にあったのは、仲介屋のビンドに仕事を頼むのは今回で最後だ、という何回目になるかわからない後悔だ。

 ビンドとの付き合いはもうかれこれ十年にもなろうとしているが、理由は様々でも仕事のたびにほとんど毎回同じことを考えている。


 三日前のことだ。

「で、見つかったのか?頼んでいた神官か魔法使いは」

 ニルレイの街、宿屋禿熊亭の一階の酒場で、ビンドの定席になっている卓につくなり本題をぶつける。

「おうおう、相変わらずのせっかちだねえ、ジャスレイの旦那。……おやじ、こちらと俺に麦酒だ!」

 禿げてもなければ熊にも似ていない、強いて言えば山羊に似た店主が、口髭をもぐもぐさせて了承の合図を返してきた。これは仲介の客が来た時のいつものやりとりで、勝手に注文するくせに代金はビンドの分まで客につけられる。

「今回も苦労はしたが、一応見つかったよ。要望通り、治癒の使える神官だ」

 すぐに出てきた杯を傾け、恩着せがましい口調で言う。

 ビンドは四十になるかならないかくらいの中肉の小男で、格好は薄汚れているが、鼻の下に蓄えた細髭だけはいつもきれいに整えられている。

「そいつは結構。合流場所に直接向かうように伝えたんだな?」

「ああ。前の仕事が終わり次第、向かうってよ」

「なんだって、おい?そりゃあ、いつ現れるかわからねえってことか?」

「いや、一応急ぎの仕事だってことは伝えてあるし、この街にはいるんだ。なんでもメドリーニ王の騎士様が立ち寄ってるらしくて、滞在中の癒し手を務めているらしい」

「それが終わるのが?」

「明日の日暮れ」

 依頼を受けてからの日数を頭の中で数え、ため息をつく。

「やれやれ、報酬を払う村が全滅してなけりゃいいが……」

「文句言いなさんな。お気の毒さまだが仕方ねえよ、あんたの『凶運』はここいらじゃ有名だもの」

 見つかるだけ感謝ってもんだ、と続き、ため息を鼻から吹いて気持ちを収めた。

「わかった、待つさ。どうせ渡し舟も確保しなけりゃならん」


 そうして、合流場所に指定した食堂兼宿屋でひたすら待っているというわけだ。

 ここはニルレイの街を出て半日足らずの『湖』のほとり、対岸に渡るための船着場を中心にした小さな集落だ。

 俺が今引き受けている依頼は、対岸の村から出された、近くの洞穴に巣を作った怪物を退治して欲しいというものだ。

 冒険者の仕事としてはごくありふれているが、事にあたるには、手持ちの戦力と相手を慎重に見極める必要がある。ビンドに仲介を頼んだ神官が現れなければ、最悪一人で向かわなければならない。

 依頼書の情報では、洞穴の巣、家畜がさらわれるが作物や村人には被害がなく、家畜の被害も火を焚いて夜回りをしていれば出ない、とあった。村人は直接姿を見ていないが、おそらく腐頭狼、それも人を襲わないことからまだ若い個体だろうとも。

 慣れた書きぶりからして、村は過去にも腐頭狼の被害に遭っており、冒険者への依頼も初めてではない。

 本当に腐頭狼ならば、俺一人でも一応対処できる。奴らは普通の狼と違って群れを作らないからだ。

 だが俺は、書かれている特徴に当てはまる怪物に別の心当たりがあった。気になったのは、「作物に被害がない」というところだ。

 確かに腐頭狼は野菜にも穀物にも興味を示さない。だがその通った跡は、奴らの吐く腐った息で草から何から腐敗してしまうのだ。

 依頼書でこの点に触れていないのを無視することはできなかった。

「もしもあっちだったら、さすがに一人じゃきついからなあ……」

 そういうわけで、ビンドにこの依頼の間一時的に組む相手を仲介してもらったわけだが、頼みの神官はまだ現れない。

 こういうことは実はしばしばあり、しまいには、その仲介した相手というのは本当に存在するのか?と気を揉む羽目になる。

 酷い目に遭いながら結局一人で依頼をこなし、手持ちの薬やら道具やらをすっかり使い切って、下手すると報酬から赤字を出して街に戻ることすらある。

 それで調べてみれば、仲介した相手が怖気付いて逃げただの、現地に向かう途中で山賊にやられただの、ビンドには責任のない事情が発覚する。

 あるいは無事に合流できた場合も、装備を盗んで逃げられる、とんだ素人で帰らせるしかない、報酬を持ち逃げされる、等々まともに依頼をこなせる相手が見つかった試しがない。

 これが、ビンドが俺を『凶運』と呼んだ由来だ。

 むしろ奴の方が『凶運』なんじゃないのか?と思って他の仲介屋に頼んだこともあったが、結果は同じだった。

 今回の依頼は酒場に張り出された日にちから考えると、今日の昼には出発しなければ手遅れになるかも知れないと踏んでいた。

 依頼書通り腐頭狼ならばそうはならないが、俺の読みが当たった場合、治癒の使える者が必要だし、対処が遅れると村は全滅し事態は一介の冒険者の手には負えない規模になる。

「依頼書ひっぺがしたのが間違いだったとは思いたくねえんだが」

 書かれている中身を鵜呑みにして治癒の使い手なしで乗り込む冒険者がいてはまずいと思って剥がして来てしまったが、もっと人手の充実している一団に流すこともできた。そうしなかったのは、他にやれそうな依頼がなく、しかも今現在、少々手元不如意なのが関係している。

 突上窓から外を見れば、日はすでに高い。今出発すると、だいたい明日の朝には村に着き、昼の間に怪物に対処できるという寸法なのだ。

「もう少しだけ、せめて外で待つかぁ……」

 無愛想な店主に小銭を渡し、通りに出る。

 通りと言っても、集落の家々を行き来するうちに踏み固められた通路のようなもので、少し歩けばニルレイの街から続く街道に合流した。

 ちょうどその正面に見えるのが渡し舟の船着場で、左に行けばニルレイの街、右に行けば二日ほどでこの辺りの領主の館にたどり着く。

『湖』はほぼ真上にある太陽の光をきらきらと反射している。風は穏やかで水面も静かだ。

 昨日のうちに舟を出す約束を取り付けた船頭が小舟の上で煙管を燻らせていたので、待ち人がまだ来ないことを告げる。

 そうしておいてから粗末な船着場の脇に立つ木の根本に腰を下ろして来た道を見やれば、さっきの食堂までが見渡せて、とりあえずニルレイの街の方から集落に来るか、食堂に入る者がいればすぐにわかるだろうと踏んだ。

 もう一度見直しておこうと、雑嚢から依頼書を引っ張り出したところで、不意に魔法の匂いが鼻についた。

「んん……?」

 立ち上がって街道に戻り、あたりを見回した。

 人の姿はなく、聞こえるのは穏やかな風が草木を優しく揺らす音だけ。周囲はのどかな田舎の風景だ。だが匂いはどんどん強まり、緊張で背中の産毛が逆立つ。

 そして、前触れなく頭上に影が差した。

「んなっ……!」

 さすがに見上げるような愚はおかさない。真横に転がるように身を投げて、地面に接した腰を支点に一回転、直前まで立っていた場所を向いて起き上がる。と同時、何か柔らかくて重いものが地面にぶつかる音、盛大な土埃。

「なんだあ?」

 乾いた地面から巻き上がった土埃がおさまると、そこには男が一人、手足を投げ出し仰向けに倒れていた。

「転移の魔法をしくじりでもしたのか……?」

 あれほど濃かった魔法の匂いは、今はもう全く感じない。この男の転移に伴うものだったと考えるのが自然だ。

 男はぐったりして動かないが、息はしている。見たところ、怪我もなさそうだ。

 中肉中背で、横を向いた顔は深く被った頭巾でよく見えない。ただ、纏う装束は奇妙なものだった。

 灰色の頭巾付きの貫頭衣は胸の部分になにやら大きな紋章と見たことのない文字が染め抜かれている。下半身はごわついた布地の色あせた脚衣に、やけにぴったりした布靴。手首の窄まった長袖から覗くのは、白くも黒くもない、中間くらいの色の肌だ。身一つで、武器や背嚢が一緒に落ちてきた様子はない。

「もしやこいつが例の神官か」

 いつもの俺の調子だと、紹介された臨時の相棒が尋常でない現れ方をするのは、珍しいことでもなかった。

 見慣れぬ格好なのは間違いないが、神官というのはどの教団も大体妙な装束をしているものだし、これもその類いなのかもしれない。

「旦那、そいつが待ち人ってことで良いんですかい?」

 騒ぎに気づいたのか船頭が舟から降りてきて、倒れたままの男を覗き込む。

「転移の魔法で現れたってことは多分そうだと思うんだが……」

 肩を揺さぶり、頬を軽く叩いてみるが、男が目を覚ます様子はなかった。

「参ったな」

「そのう、言いづらいことなんですがね」

 船頭が無精髭に覆われた顎を掻きながら、おずおずと告げる。

「今から出ても、旦那を対岸まで乗せて戻るにゃ、どうしたって日が暮れるでやしょう?このお人が起きるのを待ってやりてえのはやまやまなんですが、実は明日の朝は早くから他の客の約束が入ってまして……」

「ああ、すまん、そうだな。どうするか……俺の方もそんなに時間の余裕があるとは言えねえし」

「どうでしょうね、この人で間違い無いってんなら、このまんま舟に乗っけて出発しちまうってのは」

「ええ?」

「いくらなんでも、対岸に着くまでには起きるんじゃねえかと」

 案外悪くない案のような気がしてきてしまった。


「さてそんじゃ、ご対面といくか」

 小舟は『湖』に漕ぎ出した。『湖』はいびつで細長い楕円形をしていて、今回はそのやや端寄りを渡る。漕ぎ手一人の渡し舟で、往復で午後いっぱいかかる程度だ。

 岸に着くまで俺は何もやることがないので、船頭と苦労して乗せて今は舟底に転がされている男を見下ろす。

「仲介屋によると、なんとか教会の神官で、名前は確か、ア……アレ、アリ、なんとか?だとか言っていたが」

「ほとんど何にも覚えてねえように聞こえますがね」

「いいんだよ、起きたら聞き出すから」

 呆れたような声に背を向けて屈み、男の頭を覆っている頭巾を後頭部に向かって引っ張った。

「え……?」

「どうかしやしたか」

 絶句した俺に、櫂を動かす手を休めないまま、船頭が尋ねる。

「いや、なんつうか、ううん」

 歯切れ悪く唸っていると、背後に近寄る気配がして、肩越しに覗き込まれた。

「ガキじゃないっすか!」

「やっぱそう見える……?」

 落ちて来た男は、頭巾を剥いでみると、若い男というより、子供にしか見えない顔をしていたのだ。

 彫りの浅い目鼻立ちに、つるりとした頬としわのない額。黒い髪は刈ったばかりのように短い。

「人違いかもしれない気がしてきたなあ」

「そうだとしても、対岸まではこのまま連れて行くしかねえと思いますぜ」

「だよな。たしか、あっちの船着場にもちょっとした集落があるんだったか?」

「ええまあ。宿なんて上等なもんじゃありませんが、あばらやでよけりゃ寝床は借りられますよ」

 もしも人違いで、転移の魔法の事故に巻き込まれた子供だったとしたら、そこにひとまず預けて怪物退治に行くしかあるまい。

「くそッ結局こうなんのか!」

 広大な『湖』に俺の嘆きが響いた。そのせいかはわからないが、足元から小さく呻き声があがる。

「おっ、おい、おまえ。大丈夫か?」

 しばらく呼びかけていると、やがて男は目を開いた。まぶたの下から現れたのは、ここいらではあまり見ない、黒い瞳孔だ。

「何があったかわかるか?体はどうだ」

「う……」

 眩しそうに顔を手で覆った隙間で、口をぱくぱくさせてなにか言おうとしているのが見えるが、声にはならない。

「おまえ多分、転移の魔法の失敗か何かで、転移門から落っこちたんだ。頭は痛むか?怪我は?」

 言う間に、指の間から覗いている目の焦点が合ってきた。

「ここは……どこだ……オレは、落ちて……」

「ああ、俺の頭の上に落ちてきたんだ、さっきな。そんで悪いが、今は水の上だ」

「水……?」

「『湖』だよ。舟に乗ってる。目を覚まさないから、とりあえず乗っけてきちまったんだが。おまえ名前は?」

「あり……とお……」

 アリなんとかって言ったか、今。こいつやっぱり、ビンドの見つけてきた神官なんだろうか。

「うっく……気持ち悪……」

「ああ、そりゃ多分転移酔いだな。てことは自分で使った術じゃねえってことか?街の転移屋がしくじったのかな。しばらくじっとしてな、向こう岸に着く頃にはおさまってるだろう」

 頭巾を被せてやると、アリなんとかは大人しく身体を丸めて静かになった。しばらくすると穏やかな寝息が聞こえだしたので、心配ないだろう。

「大丈夫そうですかい?」

「多分な。普通あんな高さに放り出されることはないんだ。転移の時に何か問題が起きたんだろう。ま、そのまんまどことも知れない場所に飛ばされることもあるって聞くし、五体満足で人里に出られただけ幸運だったのかもな」

「ヒェッ、魔法てなアおっかねえもんなんですね。舟の方がよっぽどいいや」

「俺にはどっちとも言えんが、便利なのは間違いないよ」

 転移の魔法は、人を送れる程度に使えるなら、それだけで商売になる。大きな街にはたいがいそれを生業にしている者がいるし、騎士団や領主のお抱えになれば人生安泰だ。

「おっと、旦那も少し寝た方がいいかもしれませんぜ。風が出てきた、この風向きだと船足がちっと鈍ります」

「そうみたいだな。着いてから少しでも休めたら良かったんだが、夜通し歩く羽目になりそうだ」

「ちょいと揺れるが、くつろいでくだせえ」

 船頭の言葉に甘えて、俺はアリなんとかの隣に横になった。

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