第2話 レン・ミカガミ
レン・ミカガミは転生者である。
前世は日本の男子高校生で、周りからの評価はあまり積極的な人柄とは言えない、というものだった。非常に女顔で筋肉質ではない身体に対して持っている強いコンプレックスがある以上個性的と言えば個性的たが、しかしそれだけだ。
彼は異世界転生という現象に大きな憧れを抱いていた。うだつの上がらない少年が異世界に転生してチートもらっていきなり最強になって無双しつつキャッキャウフフするような物語を読んでいる高校生ならば誰でもそうだろう。
その憧れは、自分が異世界転生し、そして現状を確認するまでのものだったが。
転生先は、優雅さや上品さの欠片もない雑多で薄汚れた貧民街。都市の収容限界を超えたため行き場を失った農村部からの移住者や他国からの移民、身寄りのない人々が外縁部の非居住地区に住み着いて形成された街である。地球では近世になって労働者の数が増えてから大々的に形成されるようになったスラム街、あるいは貧民街だが、この世界の大都市もすでに移住者の数は教会や行政による収容能力を超えていた。無論非居住地区には真っ当な人は住み着かないだけの理由がある。
ベレドルグの街の防壁の外、外縁部に人が住み着かない理由は、平原を徘徊する魔物による襲撃の可能性があったからだ。
それでも、今日を凌ぐのに精一杯の移住者たちはリスクに妥協してそこに寄り付いた。あるいはリスクから目を逸らし目先の安全にだけ飛びついたか。
新しい生を受けたばかりでまだ幼子である彼を抱え、戦災を逃れて命からがら逃げ込んできた彼の父親は、妥協した1人だった。まだ幼い彼を連れ回す負荷を避けたのだ。しかし、当の父親は慣れない日雇いの重労働に体を壊し、そして彼がまともな言葉を喋れるようになった頃にはあっさりと死んだ。彼は自分のこの世界における母親の顔を知らないが、自分を産んですぐに死んだことは容易に想像出来た。あるいは違うかもしれないが、何にせよ身寄りがなくなったことは確かだ。
今世の親の苗字は、その時捨てた。
何の因果か名前は前世も今世も「レン」であったため他人からの呼び名は変わらなかったが、彼の意識はその瞬間に、「水鏡蓮」でも「レン・ローゼンタール」でもなく、「レン・ミカガミ」という新たなものに変わっていた。それは、彼なりの覚悟だったのかもしれない。
こうして、レンという少年はベレドルグの街外縁部のスラム街を根城とする孤児となった。
もう少し普通の、ありふれた物語はなかったのかという不満は、襲いかかる現実の前にすぐに押し流される。その日を生き残るのが精一杯。日本の、ごく普通の男子高校生としての精神を殺す、あるいは変えて行くには、貧民街という過酷な環境は十分過ぎた。
転機は、彼がすっかりスラム街の生活ーーーーすなわち読み書きも出来ず、おおよそ文明的な生活など何も望めない、僅かばかりのくすねてきた食料や余裕のない教会の施しでどうにか食いつなぐ生活ーーーーに適応してしまった時に訪れた。
魔物が、都市に大挙して襲いかかって来たのだ。
当然、防壁がない貧民街は一番の標的となる。都市からの支援はとても望めなかった。むしろこれ幸いとして貧民街ごと焼き払うだろう。
景観へのダメージや悪臭、治安の悪化などは、壁の中の人々にとっては全て忌々しいものなのだから。
その襲撃で、貧民たちの行動は2つに分かれた。現実から目を背けて殺されるか、あるいは現実を見据えて抗うかだ。レンは後者だった。
何も魔物を初めて見るわけではない。頻繁にはぐれた魔物は迷い込んでいたし、前の人生ではそう言った
しかし驚かないからと言えど生き残れるとは限らない。今までのはぐれ魔物相手では隠れて、誰かが代わりに食われ、そして魔物が殺されることを待つことで生き延びていたが、今回ばかりは運が悪かった。獰猛な虎の魔物に真っ正面から遭遇してしまったのだ。
静かに後退りしてその場を凌ぐ、という行動は通用しない。あっという間に、近くにいた1人の男が食われた。その肉を適当に咀嚼しながら、魔物が振り向いて来る。
彼は逃げようとして、そこが行き止まりである事に気がついた。
そして、足元に一振りの粗末な小剣が落ちている事も。
レンは躊躇なく剣を握り、乾坤一擲の一撃を賭けて突進を敢行した。
粗末な武器しか持たぬ素人が、弱いとはいえ単独で魔物を討伐出来たのは奇跡だっただろう。ボロ雑巾よりも酷い状態になりながらも、敵を仕留めて生き延びることができたのだ。
それが、『冒険者レン・ミカガミ』の原点となった。
◇
目を覚ました。
知らない天井ということはなく、いつも使っている冒険者御用達の宿屋の一室だ。
一瞬昨日の出来事からして夢だったのではと思ってしまうが、枕元に置かれた小剣がその疑念を綺麗に打ち消す。
ソードブレイカー。
契約の見積もり料として渡された異形の小剣。
それを見ると同時に、昨日自分が行ったことがどれだけ向こう見ずで危険な綱渡りだったのかを悟った。一晩おいたことで冷静になったのだ。
フェリーナが契約締結の後に、何故か「明日の朝、宿の食堂で待つ」と言い残して姿を消した理由も今では完全に理解出来る。
「はあ……我ながら、チョロ過ぎるだろうに」
つまりは、そういうことだ。
その時は明らかに冷静さを欠いていたのだ。おそらくそのまま彼女と行動していたならばまともな判断など望めなかっただろう。
そして、つくづく自分が交渉が苦手なのだと思い知る。あまり関係ないかもしれないが。
「……あのような話を聞いたら誰しもそうなると思うがの」
宙に消えるはずの呟きに返事があった。
振り向けば、そこには昨日と変わらないフード付きローブを纏った幼女の姿。
「……なんで俺の部屋にいるんだ?」
「うむ、わらわは銀龍じゃからの、これくらい文字通り朝飯前じゃ……さて、レンよ。朝飯を食いに行こうぞ」
「お、おう……とりあえず着替えるから席を外してくれ」
「……そういえば。昨日から思っておったのだが、お主、本当に男かや?」
フェリーナの唐突とも今更とも言える疑念に、レンは目を擦ってため息を吐いた。
「男だよ。昔からよく間違えられるけどな」
レンは非常に女顔で、髪も襟足まではある。体つきも男とは思えないほど華奢で低身長だ。普段は目つきの悪さや行動の粗野さが目立つためそれほどでもないが、寝起きの今はそれらがなりを潜めているため、いたいけな少女にしか見えない。思わず問いただしてしまうのも道理と言えば道理だった。
フェリーナを追い出してから半ば普段着と化している
朝からがっつり肉を食べる猛者には苦笑を禁じ得ないが、冒険者、それも敵の攻撃を頑強な肉体で引き受ける前衛職や動き回らなければならない物理攻撃職は、必然的に大飯食らいにならざるを得ないのだ。
むさ苦しい冒険者たちや狡猾な目をした商人たちの中からフェリーナを探す。特徴的すぎるその姿はすぐに見つかった。角のテーブルで、何食わぬ顔でホットサンドを食べているフード付きローブ姿の幼女。
フードで素顔を隠しているからか、誰も気にかける様子はなかった。周りは彼女を
「むぐむぐ……このホットサンド、なかなか行けるの」
「さいですか」
相席に座り、適当に
サンドイッチとホットサンドの間には某きのことたけのこをかたどったチョコレート菓子を巡る戦争並の不毛な論争があるが、別にレンはどちらかにこだわりがあるわけでもない。
看板娘が営業スマイルと共に運んできたサンドイッチを受け取ったレンは、ホットサンドを一つ食べ終わって一息ついているフェリーナに向き直った。
「それで、これからどうすればいい?」
魔王を討伐する、そのために武器を提供するという契約だが、強い武器を得られただけで魔王を討伐出来るなどという甘ったれた考えは持っていない。
チート満載の存在である勇者でも殺しきれなかったということは、大量破壊兵器である
無論、そのようなものはない。
だからこそ、ある程度の知識を持っているであろう人物を頼るのだ。
「……ふむ、まずは手がかり探しじゃの。まず奴の潜伏先を特定しなければならん。それに、お主の今の技量ではあやつには敵わんわかろうな」
「だから、敵を探しながら俺を強化すると?」
「そういうことじゃ」
レンは頷くと、サンドイッチにかぶりついた。
安くて、手軽に食べられて、そして腹に溜まる。
家計が火の車である駆け出し冒険者たちの主食は往々にしてサンドイッチ、あるいはホットサンドとなることが多い。レンもその例には漏れなかった。
「まああれじゃな。要するに報酬全額前払いという奴じゃ」
「どう考えてもヤバイ依頼じゃないか……今更か」
「安心せい、銀龍直々のサポート付きじゃ。時間はそれなりにかかるが対等の土俵までは保証しよう」
そう宣ったフェリーナは、ホットサンドの最後の一口を口に入れるとあっという間に飲み込んだ。
水を飲み小さく息を吐く。
「わらわが手を下すわけには行かなくての」
ぼそりと呟いた彼女の顔は、苦々しいものだった。
食事を摂り終え、宿を後にする。
向かう先は冒険者ギルドだ。依頼を受けるためである。
指示したフェリーナ曰く、「まずはお主の技量を見せてくりゃれ。癖に合った武器でなければお主本来の戦闘能力も潰されてしまうかろ」とのことだった。
それを聞いたレンは、銀龍といえど鍛冶屋の端くれなのだなとどうでも良いことを思ったのだが、それはさておき。
冒険者とは、諸国が競って大陸の東へ東へと版図を広げていった大開拓時代において、正規部隊に先行して
レンは一人で依頼を多く受けているが、それにはこの世界の読み書きが出来ないというハンデがあるため交渉は滅法苦手であるという側面があった。
冒険者ギルドの扉を押す。
まだ新しい木造の建物に足を踏み入れた瞬間、彼に突き刺さったのは蔑みと嘲りが込められた視線だった。待合室にいる人間全てではないものの、半数は超えているだろう。
スラム街時代から飽きるほど浴びてきたため慣れ切っているレンは平然としているが、フェリーナは思わず足を竦ませた。
「……っ、これは……」
「すぐ慣れる。……こっちだ」
難癖をつけようと突き出される足を華麗に回避し、蔑視の視線を物ともせずにレンは依頼ボードへと歩く。
これまでの経験で左からランクが低い順に並んでいることはわかっているため、だいたい4分の1程度の位置にある依頼書を適当に千切り取った。どだい難しい文など読めないのだから仕方がない。大まかな内容として討伐系の依頼であることがわかる程度だ。
つかつかとカウンターに歩み寄り、見知った顔の受付嬢に紙を手渡す。
隙のない営業スマイルを浮かべていた彼女が驚愕の表情を浮かべた。
「これで頼みます」
「……な、レンさん、正気ですか!? ランク5の高難度討伐依頼、あなたでは無理な依頼ですよ!」
「ランク5、ですか」
小さく顎に手を添えて考え込む。
一応ランク3でもランク5の依頼は受けられるが、その場合の成功率は1割を切るというデータもある。自分も余程金銭難でない限りは受けない依頼だ。
ーーーー確かにこれは難しいかもしれない。
しかし、それと同時に何故ランク3の位置にその依頼があったのかが気になった。
「……いや、考えるまでもない、か」
大方誰かの嫌がらせだろう。考えるだけ無駄だ。
周りからの侮蔑の視線を浴びつつ、今取るべき行動について考える。
受けるか、受けないか。
その時、誰かの呟きが聞こえた。
「薄汚い、スラムの蝿が」
大きくため息を吐く。
いつものこととはいえ、さすがに癪だ。
「……依頼を受けます。討伐対象を教えてください」
「
レンの問いに答えたのは、受付嬢ではなく脇から口を挟んだフェリーナだった。
微かな威圧を滲ませながら続ける。
「お主ら、所詮はスラム街の子供と侮ってはおらんか? その傲りと侮りが足を掬うことになぜ気付かん? それでも戦人の端くれか?」
周囲からの侮蔑の視線が鳴りを潜める。まるで、フェリーナの威圧に
ギルドの待合室にある全ての視線がフードを被った小柄な影に集中する中、フェリーナはポン、とレンの肩を叩いた。
「レン、早よう行こう。長居は無用かろ」
「……そうだな」
彼女からどこか怒りのようなものを感じつつ、レンも受付嬢から依頼書を受け取って踵を返した。
静まり返った室内に、ブーツが床を擦る足音が微かに聞こえる。
フェリーナが扉を押そうとした刹那、真面目そうな声が掛かった。
「グリフォンの弱点は翼の付け根だ。鋭利な刃物ならそこから心臓を貫ける」
レンは声の方を振り向いた。
まだ幼さの残る顔立ちの、グレーとベージュを基調にした実用重視の服を纏う青年だった。
組まれた右手の人差し指と中指が意味するところは、「幸運を祈る」。
「言われなくともわかっとる」
フェリーナは憤懣やる方ないと言った様子で言い残してギルドを出た。
レンも彼に軽く手を振った後に、フェリーナに続いた。
自重しない幼女鍛冶師と転生冒険者の魔王討伐 ーKill Devil Againー @HetareGalm
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