第29話 放課後ダブルデート
◇
菫野が笑顔を取り戻してから数日が経った金曜の放課後。俺達は菫野の要望で、隣駅に新しくできたパンケーキ屋に来ていた。店内は若い女性で溢れかえっている。幸いにも同じ学校の生徒はいなかったが、男子高校生である俺と泉は若干浮いていた。
(こういう店、入るの初めてなんだが……)
そわそわとして落ち着かない俺をよそに、泉は慣れた様子でメニュー表に目を通している。白雪と菫野も『トッピングはどうする?』とか『違うやつを選んでシェアしよう』とか、いかにも女子らしい会話で盛り上がっていた。
「万生橋、あんたはどれにするの?」
白雪に聞かれ、初めてメニューを目にする。
どれも甘そう、うまそう、くらいの感想しか浮かんでこない俺は、とりあえず一番無難そうなプレーンパンケーキを指名した。バターが上に乗っているだけのシンプルなやつだ。
「クリームついてないよ……?」
菫野が不思議そうな顔で覗き込んでくる。
(いや、そんな『クリームが好きじゃない奴は人に非ず』みたいな顔をされても……)
この慣れない状況をどうにかしてくれないものかと泉に視線を送る。
――が、人選ミスだったようだ。泉はこんな、女子とパンケーキ屋に来るなんていう体験は星の数ほどあるのだろう。ひとたび席に着けば、この女だらけのふわふわした空間に完全に馴染みきっていた。
「紫、どれにするんだ?」
「んー……チョコレートブラウニークリームかアーモンドメープルホイップ……悩む……」
「じゃあ僕がチョコレートブラウニークリームにするから、半分あげる」
「いいの?」
「うん。全部食べたら、身体が重くて飛べなくなりそうだしね?」
(あーあー。やっぱりたらしはやることが違うなぁ……)
「…………」
白雪から訴えるような視線を感じる。
これはアレだ。『あんたも見習いなさいよ』の視線。そのアイコンタクトがわかるくらいには、俺も白雪のことが理解できるようになっていた。
ただ、今のはわからなくてもよかったよ。だって俺はプレーンのやつが食べたい。
パンケーキの違いなんてわからないと思っていたが、ずっと見ていたらなんだか、口がすっかりその気分になってしまったのだ。俺にも選択の自由くらいあってもいい筈だ。
「俺はプレーンパンケーキ。セットでコーヒーな」
……泉の視線が痛い。なんでお前までジト目で見てくるんだよ?
全員分の注文を終え、パンケーキが出てくるまで、しばし待つ。
「こないだはありがとう。ゆとちゃん、万生橋君」
「ありがとう……って。菫野、こないだのこと覚えてるのか?」
「ざっくりと。テンションアガり過ぎて詳しくは覚えてないんだけど、式部に聞いたよ」
泉の方を見る。ばつが悪そうに頬杖をついていたかと思うと次の瞬間、驚くべきことを口にした。
「その……助かったのは事実だし。世話になったね。……感謝してるよ。ありがとう」
(あのいけ好かなくて男には絶対に礼なんて言わない泉が……『ありがとう』だと……!?)
こういうとき、なんて返せばいいのか俺にはわからない。驚きのあまり口をパクパクさせながら白雪に助けを求めるが――
「――ん。おいし……」
(優雅に紅茶なんて飲んでる場合かよっ! つか、紅茶似合い過ぎじゃね!? 可憐なる清楚系お嬢様かっての! そのくせ変身するとバニーとか、たまんねーなおい!)
変身前と後のギャップに内心で悶えていると、白雪がカップをソーサーに置いた。
「紫は友達だもの。助けるのはあたりまえよ」
「ゆとちゃん……」
嬉しそうな菫野と、その菫野に照れ臭そうに微笑み返す白雪。俺達は、自分たちが取り戻したものの大きさの余韻に浸っていた。
和やかなムードの中、不意に泉が口を開く。
「そうそう。実は、ふたりに見て欲しいものがあるんだ」
そう言って鞄から取り出されたのは、容器に入った一輪の花。
「これは……黒い、スミレ?」
もやもやとしてうまく言えないが、なんかこう……イヤな感じの花だ。
「うん。こないだ紫が発狂した辺りに落ちてたんだよ。パッと見ただの花みたいだけど、僕はこの気配を知っている」
「それって――」
「ねぇ、ふたりはハーメルンって奴のこと、知ってる?」
「「……!」」
「その顔……やっぱ会ったことあるのか。あいつ、魔法少女なら見境なく誘いをかけてるみたいだね」
「……誘い?」
「ああ、知らないならいいんだよ。関わらないに越したことはない」
聞き返すと、泉は一瞬口を噤む。
そして、今回の件の原因について考察を語りだした。
「僕は紫が『絶望』をため込み過ぎた原因は、急速にミタマを斃し過ぎたせいじゃないかと思ってるんだ。白雪さんに動きを封じられたときに紫から出てきたのは、おそらく回収しきれなかったミタマの残滓だろう」
(あの、黒いもやもやか……)
「確かに、あの黒い靄は紫の身体から逃げ出そうとしていたように見えたわ。まるで、紫ごと退治されるのを恐れているみたいだった」
「うん。あれは多分消化不良なミタマだったんだと思う。この花はその結晶体のようなもの……なんじゃないかな?このうすら寒い『絶望の花』は、気配がハーメルンとよく似てる。しかもあいつ、あろうことか昨晩僕の前に現れてこの花を回収しに来たんだよ。怪しいから当然渡すのは拒否したけど、最後に『徒花でしたか』って呟いて帰っていきやがった。きっとこの花の――『絶望の種』を紫に植え付けたのも、あいつに間違いない」
「うわっ、あいつやっぱ敵じゃん? でも、それで菫野はミタマの怨念というか、その衝動に支配されちまって、衝動を解放したから結晶化して出てきたってわけか。じゃあ、菫野はもう大丈夫なんだな?」
「うん。おかげさまで、おそらくは」
「その節は……ご迷惑を……」
心配する俺達の眼差しに、しょんぼりとする菫野。
「紫は気にしなくていいよ。僕も調子に乗ってた。だから、これからはちょっと活動を自粛しようと思ってるんだ」
「活動自粛……?」
(なんか、バンドみたいだな……)
「魔法少女としての活動は続けるけど、頻度を減らす。大物に的を絞っていこうと思うんだ。ただ、それだと白雪さん達も競合して困るだろうから、バッティングしたときは譲るよ」
「えっと、それってつまり……?」
「困ったっときは助けてあげるってこと。僕みたいな天才に協力してもらえるんだから、ありがたく思いなよ?」
泉はいつの間にか上から目線に戻っている。
まぁいいか。これがいつもの泉だ。
「泉君。すごく心強いし申し出はありがたいんだけど、あなたたちのノルマはいいの?」
「別にいいよ。僕はその……早く元に戻る必要性は、感じてないし……」
泉は視線を逸らして、ごにょごにょと呟く。
早く戻らなくていいなんて、俺とは違う恵まれた待遇なんだろうか。俺は『水』がないと枯渇して死ぬから白雪に生殺与奪や人権を握られているのに。羨ましいやつだ。
「――そう。紫はそれでいいの?」
「うん。もういっぱい斃したから、いいの。それに、私はゆとちゃんに恩返しがしたい」
そう言うと、菫野は白雪の手を胸元でぎゅっと握る。感謝とか、色んな想いを込めているんだろう。その仕草が何とも言えず愛らしい。
「紫……わかった。頼りにさせてもらうわね?」
「うん! 任せて!」
菫野からいい笑顔が返ってきた。そして今は、皿の上のパンケーキをもぐもぐと幸せそうに頬張っている。そんな菫野を、頬杖をついたままぼんやりと眺めている泉。
「泉? なんだお前、食欲ないのか? めずらしく大人しいじゃねーか」
「――いや? ただ、なんとなく。紫は大食いのくせに食べるのが遅かったの、忘れてたなーと思って」
「ふーん? そうか? 女の子らしくていいじゃねーか」
「――そうだね。ほら紫、そんなに一気に食べたら、また胸やけするよ?」
泉はふっと笑って、自分のパンケーキに口をつけた。俺も自分の分を口に運ぶ。
思えば、こうして友達と放課後にシャレオツなカフェに入ってダベるなんてリア充イベントは初めてだった。パンケーキが思いのほか美味かったのは勿論だが、一口頬張るごとに、その何とも言えない達成感が俺の心を満たしていった。
「はー、美味かった! ごちそうさま!」
パンケーキを思う存分堪能し、腹をさする。俺達はその後も魔法少女としてのことは一旦忘れ、コーヒーを片手にこの後に控えた中間試験などの話に花を咲かせた。
ふと、会計を済ませて帰ろうとしている三人に声をかける。
「なぁ、また一緒に食いに来てもいいか? 俺、こういう店一人で入れなくてさ……パンケーキ、すげーうまかったし」
「うん、いいよ。今度は違うとこ、みんなで行こうね?」
「万生橋が甘党だなんて知らなかった。紫がそう言うなら、私も一緒に行くわ」
「僕も別にいいけど、でもそういうのはさ、デートで……あ。じゃあ、これやるよ」
そう言うと、泉は財布から二枚のチケットを取り出す。
「はい。ふたりで行って来なよ。ここウミガメいるらしいから、勉強になるんじゃない?」
それは、水族館のチケットだった。
(なんでこういう、いかにもデートに使えそうなアイテムがさらっと出てくるんだ?)
泉の底知れなさに、驚きが隠せない。
「……なんだよ、その目は。言っておくけど、父さんが株主だから貰ったってだけ。僕からの感謝の気持ちってことで、受け取っておいて」
そういって、半ば強引に白雪にチケットを握らせる。そうして、俺には聞き取れないような小声で何事かを囁いたようだ。
――『万生橋と、仲良くね♪』
「じゃあ、僕達はここで。帰ろう、紫」
「うん。じゃあね、ゆとちゃん、万生橋君。来週また、学校で」
楽しそうに手を振る菫野にふたりして手を振り返していると、追い越しざまに泉に肩を掴まれた。泉の顔がふわりと近付き、耳打ちをされる。
「そうそう。
「い、言われなくてもわかってるって……」
「ははっ。ほんとにわかってればいいけどぉ?」
俺がそう答えると、泉は薄笑いを浮かべて菫野の隣に並んで帰っていった。
先日俺達を苦しめた『コウモリ』の翼が生えていないその背中を見送って、白雪に声を掛ける。
「俺らも帰るか。腹いっぱいで動ける気がしねぇ。――あ。後でペットボトルに『水』入れてくれよ、白雪」
「そうね……」
白雪はチケットを両手にぎゅっとして、うつむいたままだ。
(食いすぎて腹でも壊したのか? なんか元気ないな? 心なしか顔が赤いような……?)
白雪の方からミタマ退治に行こうという話も出なかったので、その日はそれ以上魔法少女の活動はせず、俺達も家路につくことにした。
街に潜む『絶望』も、その日ばかりは空気を読んで俺達に学生らしい時間を与えてくれたのだった。
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