第26話 彼女のために、なにができるか

      ◇


 火曜の夜。俺はミタマ探しを終えて帰宅し、布団に寝転んで漫画の新刊に目を通していた。


「はぁ……今日も目ぼしい痕跡はなかったな。やっぱこの辺じゃダメなのか?」


 今日は白雪がお姉さんの見舞いに行くというのでミタマ探しは学校付近で軽く済ませるだけにしていた。


(学校の周りはミタマが少ない気がする……なんでだ?)


 前々から思ってはいたが、俺達の学校やその最寄り駅付近はミタマの痕跡があまりなかった。あるとしてもごくごく小物か、生まれたてのものばかり。


「なんでだ? まさか、菫野が……?」


(けど、泉と菫野は狂気化の件もあってできるだけ変身しないようにしてると思うし、まさか俺達の他に魔法少女がいるっていうのか……?)


 内容が頭に入って来ない漫画を眺めながらそんなことを考えていると、枕もとでスマホが揺れた。


(こんな時間に誰だよ? もう夜の十一時だぞ? って、これ……)


 メッセージは泉からだった。宛先には白雪も入っている。


 ――『頼みがある。遅くに悪いんだけど、学校に来てもらえるか?』


 泉にしてはめずらしく、絵文字もスタンプも無い。

 どうやらマジで言っているようだ。


(泉から頼みごとなんて、一体なんだ?)


 疑問に思っていると、ペコポコと着信が鳴った。


「おう、白雪か」


『見た? 泉君からの――』


「見た見た。行くだろ?」


『ええ。何か心当たり、ある?』


「全く。聞いてくるってことは、白雪も心当たりなしか。でも、今回はガチな気がする」


『そうね。早く行ったほうがいいかも』


「じゃ、すぐ出るから。校門前でいいか?」


『そうしましょう』


 電話が切れたのを確認し、急いで部屋着を脱ぐ。こんなとき、咄嗟に何を着ていけばいいかわからない。


「あーもう。悩む時間もあほらしいっ!」


 俺は部屋にかけてあった制服に秒で着替え、急いで学校へ向かった。

 幸いうちから学校まではチャリを飛ばせば行けない距離ではないが、こんなとき『亀』な自分が憎らしい。白雪は変身してしまえば身体能力が増し、どこでもぴょんぴょん飛んでいける。飛行は無理だが建物を屋根伝いに行けば、学校まではあっという間だろう。泉は『コウモリ』だ。言うまでもない。


(菫野も……呼び出されてんのかな?)


 泉からの緊急招集だ。菫野がらみに間違いないだろう。ただ、菫野をどうこうするという話であれば呼び出されていない可能性はあった。


「まぁ、行けばわかるか……」


 俺が一番遅く着くのは間違いない。

 俺は頭を空っぽにし、とにかく必死にペダルを漕いだ。


      ◇


 校門へ着くと、白雪が変身を解いて待っていた。


「……遅い」


「はあっ……はぁ……げほっ……仕方……ねーだろ……!」


 肩で息をし血反吐を吐きそうになっている俺をよそに、白雪は涼しい顔をしている。


「泉君、どこにいるのかしら?」


「ああ、集合場所は書いてなかったな……とりあえず中に入ればいいんじゃね?」


「そうね。泉君なら私が鍵を開けられるの知ってる筈だし」


 白雪は事も無げに門を開錠すると校庭に入っていく。誰も居ない深夜の学校。普段毎日のように目にしている筈なのに、同じものとは思えないような異様な雰囲気がその場を包んでいた。夕方に降った通り雨のせいか、霧がかかったように空気がひんやりとしている。


「白雪……大丈夫か?」


「な、なにが?」


「声、裏返ってるぞ?」


 白雪の肩がびくっと揺れる。


(やっぱ怖いんだろうなぁ。俺だって怖いくらいだし)


「ほら、掴まれよ――」


 俺が白雪に腕を差し出そうとした次の瞬間――


 ――きゃはははははははははは!


 静寂に包まれた校庭に、甲高い笑い声がこだました。


「――っ! おい、この声……!?」


「紫……!?」


 辺りを見渡すが、菫野の姿は見えない。


「どうしてまたアイリスガーデンになってるのよ……!?」


「俺が知るか! おい、泉! どうなってんだ! いるんだろ!?」


 ……返事が無い。嫌な予感がする。


「白雪……変身した方がいいと思うんだが……」


「不本意だけど、そのようね……」


 白雪もその異様な雰囲気を察したのか、ゆっくりと首肯する。


「まじかる! みらくる! めるくるりん!」


「………………りん」


 俺達は一斉に『水』に包まれ、その姿を魔法少女スノードロップとマスコットの『亀』に変えた。


(それで変身できるなら、俺だけ頑張って叫ぶ意味なかったな……)


 相変わらず蚊の鳴くような声の呪文詠唱しかしない白雪に若干の不満を感じつつ、周囲の気配を察知する。


「ミタマなんか居ないぞ? アイリスガーデンは何してんだ?」


「そんなの私が聞きた――っ!?」


 不意に、俺と白雪の間を裂くように鋭い風が駆け抜けた。風が来た方向を一斉に振り返る。

 ――ゆらりとした人影。黒いミニ丈のワンピースに、リボンのついたヒールのパンプス。右手には身の丈ほどある銀の大鎌を携えている。

 霧の隙間から零れる月光を刃先で反射させ、チラチラとこっちを照らす。まるで獲物の品定めをするような、いやらしい動きだ。


「今日は『死神』のローブは着てないんだな? ――アイリスガーデン」


「ふふ……今日は、あっついからねぇ……?」


 呼びかけに応じるように、深淵を思わせる濃紺の瞳がこちらを見据えている。

 明らかに、殺意が混じった眼だ。


「紫……! どうしてまた変身しているの!? これ以上変身したら、あなたは……!」


 顔面蒼白な白雪の問いに、アイリスガーデンはやれやれといった風にため息をつく。


「だってぇ……変身しないと、疼いちゃてしょうがないんだもん?」


「な、なにが……?」


「んー? なんか、むずむずしない? 身体も熱いし、心臓がドクドクするの。血管の中にピリピリって、針とか電気が流れるみたいな……変身しないと、おさまらないんだよ?」


「紫……?」


「ねぇ、そういうの、ゆとちゃんにはない?」


 首を傾げ、さも不思議そうに白雪を見つめる。


「それが……あなたの、殺戮衝動……?」


「……なぁに? それ。でも、身体を動かしたくて仕方がないんだよぉ? いつも……いつもいつもいつも……」


 薄紫色の前髪の奥から、『狂気』がこちらを覗いている。


「――――今もねぇ?」


「むらさ――」


 ――きゃはははははははははは!


 言い終わるのを待たず、アイリスガーデンは白雪との距離を一気に詰めてきた!


「白雪っ!」


 動揺している白雪に声を掛けるが全く反応できていない!

 アイリスガーデンは白雪の目の前に迫ったかと思うと何を思ったか手にしていた大鎌をぽいっと無造作に放り捨てる。


「……え?」


 状況が理解できない白雪が大鎌に視線を逸らした、次の瞬間。アイリスガーデンの白くて滑らかな手が、白雪の細い首をするりと愛おしそうに撫でた。


「ねぇ、ゆとちゃん……」


「むらさき? なにを……」


「 あ そ ぼ ?」


「――っ! うっ……っ!!」


 不意に両手で首を絞められ、呻く白雪。アイリスガーデンは天に捧げものをするかの如く、白雪の身体をゆっくりと持ち上げていく。


「あッ……かはっ……!」


「おいっ! やめろ、菫野!」


 俺は咄嗟にアイリスガーデン、もとい菫野に体当たりする。


「……?」


 菫野は鬱陶しそうに視線を投げると、体当たりしにいった俺を片手でキャッチした。そのままの勢いで遠くに投げ飛ばされる。まるでハンドボールのように。

 俺は成す術もないまま、校庭のサッカーゴールにシュートされた。あまりの勢いにネットが引っ張られ、ゴールが土煙を上げながら、ずずずと嫌な音を立てて動く。


「うっ……! ぐえっ……げほっ……!」


(くそっ……! 菫野に白雪を傷つけさせるわけには……!)


 菫野に掴まれた際に絞められ、まだうまく動かない喉にありったけの力を込めて叫ぶ。


「菫野! 聞こえてるんだろ! お前は! アイリスガーデンなんかじゃない! 菫野だ! 白雪の友達の……菫野だろ!?」


 校庭の中央でうっとりとしながら白雪の首を絞めている菫野に、俺の声はまるで聞こえていないようだ。


「菫野! げほっ……やめ、ろ……お前は殺戮兵器アイリスガーデンじゃ、ない……!」


「――無駄だよ」


「――っ!?」


 声の方に視線を向けると、ゴールポストに寄りかかるようにして泉が立っていた。変身していない、いつもの制服姿。開いたシャツの胸元から覗く白い肌が、闇夜にぼうっと妖しく浮かび上がる。


「泉……どういうことだよ、これは……」


「急に呼びだして悪かったね」


「そうじゃねぇだろ! なんで! 菫野が! 白雪を!」


「んー……どこから説明しようかな」


「ふざけんな! アイリスガーデンに言って早くやめさせろ! 菫野にも聞こえてるんだろ?」


「万生橋。何か勘違いしてるみたいだけど、紫とアイリスガーデンは二重人格なんかじゃない」


「は……?」


「僕らの目の前にいるアレは、間違いなく紫なんだよ。『絶望』に満たされて感情があっちとこっちで乱高下しているだけで、記憶も、気持ちも、元は紫のものだ」


 淡々と話す泉の顔は、いつもみたいな胡散臭い笑顔を浮かべていなかった。


(泉のやつ……マジなんだな……)


「じゃあ、菫野の善意に訴えかけても無駄……ってことかよ」


「万生橋にしてはめずらしく察しがいいね。もう誰の声も聞こえてないよ、今の紫には」


 どこか遠い眼差し。視線の先には友人を手にかけている菫野が映っている。


「ゆとちゃん? 一緒にあそぼ? ねぇ……?」


「うっ……むら、さき……」


「ねぇ? ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ?」


 白雪の首がぎりぎりと締まる。呼吸をするのも苦しそうだ。苦痛に顔をゆがめる白雪の口元からは、泡のようなものが出ていた。


「おいおい! まずいだろ……なんとかなんねーのかよ……」


 自分の両手に視線を落とす。手じゃない、ヒレだ。


「ちくしょうっ……!」


(こんな小さな亀の姿で、何ができるって言うんだ!何が守護者マスコットだよ? 目の前で争ってる女の子の間に、割って入ることも出来ないくせに――!)


 歯噛みする俺をよそに、泉は涼しい顔をしている。


「……泉。お前、どうしてまた菫野を変身させたんだ。俺なら絶対、変身はさせない」


「僕だって、変身しないでくれたらどんなに楽か」


 表情に反して、腕組みをするその手には力が入っていた。


(そうか……こいつも、悔しいのか……)


僕らマスコットは所詮、彼女たちのサポートしかできない。だけど、魔法少女は戦うたびに傷ついて行くんだ。その身のうちに、浄化しきれなかった『絶望』をため込んで……」


「――泉?」


「なぁ、万生橋? 僕らは、彼女たちの為に何ができると思う?」


 虚ろな眼差しで問いかける泉。その身に潜むただならぬ気配に、マスコットとしての感知能力が警鐘を鳴らす。ゆらりとゴールポストから背を離した泉は、世にも優しい笑みを浮かべて囁いた。


「力を貸して、あげられる。その身を焦がす『絶望』を、解放する力を――!」


「なっ――!?」


「紫、もういいだろう!? 僕たち頑張ったよなぁ!? もう我慢しなくていい! なにもかも忘れて、お前の中から溢れる衝動の好きにさせるんだ!」


 その声に菫野がこちらを振り返った。

 締め付けていた白雪の首をぱっと放して落下させると、苦しそうに咳き込む白雪のチョーカーを掴み直す。そして、まるで遊び飽きたおもちゃを捨てるかのように後方に向かって白雪を放り投げた。白雪は呼吸がうまくできず、体勢を崩して悶えるばかりだ。


「白雪っ……!!」


 何をされても決して菫野に反撃しない白雪。その姿に、怒りとも悲しみともとれる感情が湧きあがる。そんな俺をよそに、泉は淡々と言い放った。


「……頼む。受け止めてくれ」


「――っ!?」


「解放した紫の『絶望』を、半分貰ってくれないか? そうすれば、紫は助かるかもしれないんだ。飽和しきった心の容量に、空きができるかもしれないって。心が帰ってくるための、隙間が……!」


「は!? お前なに言って――やめろ泉! そんなのデタラメだ! 『半分こ』って……誰に聞いたか知らねーが、そんなことしたって結局はいつか共倒れになるだけじゃねーか!? 菫野がどうして『絶望』をため込んでるのか判明させない限り――」


「デタラメでもなんでも! やるしかないんだよ! 他に方法なんて無いんだから!! 今しなければ、もう紫の心は帰ってこない!!」


 声を荒げた泉は意を決したように拳を握りしめる。そして、告げた。


「紫……潰せ。白雪さんを」


「しきぶ……?」


「再起不能にして、お前の『絶望』を痛み分けするんだ。さぁ、『絶望』を解放しろ――!」


「――【眷属絶対服従権ヴァンピール・オーダー】!」


 泉の手にしたサイリウムが禍々しい紫紺の輝きを放つ。いったい何をしたのか俺には全くわからない。しかし、命じられた菫野の瞳から光が消えて、狂気が再び顔を出す。


 ――きゃはははははははははは!


「来いよ、万生橋。そして、スノードロップ……」


「「……!?」」


「僕たちを、助けてくれよ……? だって、それが――」



――『魔法少女の仕事だろう?』



「……っ!」


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