第24話 再起
◇
初の休日デートで喧嘩別れをするという最悪の結末から二日後。帰りのHRを終え日直の仕事をこなすと、俺は重たい足取りで校門に向かった。
(やべぇ……先に連絡しとけばよかったな……)
いつもより少し遅くなってしまったことを白雪に知らせようとスマホを手に取ると、通知が届いていた。アイコンの右上についた赤い丸一つでここまで身震いしたのは人生初だ。
震える指でタップする。差出人は、無論白雪。喧嘩した直後の一発目。一体どんな恐ろしい文面がそこにあるのかと、薄目でメッセージを開くと……
――『今日は用事ができた。先に帰って』
「へ……?」
(これ、だけ……?)
てっきり、土曜のことについて長ったらしく説教やら愚痴やらが書いてあるものだとばかり思っていた。せっかく謝ろうと思って気合を入れて学校に来たのに、これじゃあ拍子抜けだ。
(待て待て。じゃあいつ謝ればいいんだよっ……!)
「はぁ。普通に考えて、明日か……」
このもやもやがあと一日続くと思うと気が重い。気晴らしに寄り道をして帰ろうと、駅前の商店街に向かい、本屋で漫画の新刊をチェックして、母さんに頼まれた買い物をしにいった。
(今日はカレーか。カツも買って帰ろう……)
カツカレー。今日の俺は、明日に向けてそんなしょうもないゲン担ぎもしたくなるほどもやもやしていた。ひととおり用事を済ませて駅へ向かっていると、ポケットのスマホが揺れる。
(母さん、何か追加か? 書いてなかったけど、ちゃんと福神漬けも買ったぞ?)
そう思いながらスマホを確認すると、白雪からの新着メッセージがあった。
――『今から、公園来れる?』
「えっ……」
(やばいやばいやばい)
まだカツカレー食ってないとか、そんなんじゃなくて。
今日は『ない』と思って完全に油断していた。心の準備が、できてない。
(呼び出しってことはアレか? 怒られるのか? それとも……)
昨日想定した、最悪のシナリオが頭に浮かぶ。
(俺とじゃなくて、泉と組む……とかか!?)
土曜日にカッとなって、つい口を衝いて出てしまった言葉。冷静に考えれば、自殺行為だ。俺は白雪に組んでもらえないと生きていけないんだから。
今更謝ったところで白雪は結構頑固なところがある。許してもらえるかは五分五分だ。
(あ~~~~死にたい……いや、死にたくないから、契約解除だけは勘弁してほしい……!)
うだうだと考えていて行くのが遅くなったら余計に白雪の機嫌が悪くなる可能性がある。俺は買い物袋を両手にひっさげ、できる限り公園へ急いだ。
息を切らして公園に着くと、白雪は毎朝(さすがに今日は来なかったが)そうしているように、ブランコに乗ってぼんやりと足をぷらぷらさせていた。元気がなさそうに俯くその顔を夕陽が照らし、睫毛の影が頬に落ちている。
これは……アレだ。しょんぼりうさぎモード。元気がないときや心配事があるとき、白雪はこんな顔をする。だが、それから立ち直ったときは何故か決まって八つ当たりのように俺に絡んでくるのだった。
それらの経験を思い出し、心臓がドクドクと嫌な音を立てる。
「悪い……遅くなった……」
肩で息をしながら声を掛けると、白雪はびくりと肩を震わせた。
「あ……万生橋……」
その表情は俺が想定していたような般若の形相ではなく、どこか自身のなさそうな、何かに怯える小動物のような顔をしていた。
「…………」
「…………」
なんとも気まずい沈黙が流れる。
(だめだ、だめだ! ここで謝らなきゃ男が廃る!)
俺は覚悟して大きく息を吸い込んだ。
「あの、さ……その……土曜は――」
「ご、ごめんなさい!」
俺の決意の謝罪を遮ったのは、いままで聞いたことのない白雪の声だった。か細く震えるような、縋るような、触れたら壊れそうな脆い声。しかも何故か丁寧語。
「へっ!?」
まるで予想していなかった事態に、思わず声が裏返る。
「いや、その……俺も悪かった。言い過ぎた……?」
その場の雰囲気に流されるようにしどろもどろになりながら謝罪する俺を、白雪は潤んで泣きそうな瞳で見つめている。これじゃ、まるで俺が悪者みたいだ。
「な、なんでお前がそんな顔すんだよ……? つか、謝るべきは俺の方……」
「違う。違うの。謝らないといけないのは私……」
白雪はそう言うとブランコから立ち上がり、こっちへ向かってくる。そして、俺の目の前で立ち止まると、ゆっくりと口を開いた。
「その……一昨日は、酷いこと言ってごめんなさい。怒るつもりなんてなくて……ほんとは、嬉しかった……です……」
「は……?」
(だから何故、敬語?)
いつもと違う様子の白雪に戸惑いが隠せない。
「ちょ……白雪さん?お前、どこか具合でもよろしくないんじゃ……?」
つられて俺もおかしくなる。動悸、息切れ、眩暈、エトセトラが止まらない。誰か俺に救心を! 養命酒を持ってきてくれ! いや、そんなことより今は白雪のジト目がこわい!
「……なんで『さん付け』なのよ?」
「いや、それはこっちの台詞だって。どうしたんだよ、急に」
「それは……もうちょっと、素直になった方がいいのかなって、思って……」
「お前が?」
「うん……べっ、別に『その方が可愛げがある』とか『万生橋も喜ぶ』とか言われたわけじゃなくって……!」
「へ? え? なに? 言われたの? 誰に?」
「い、言われて……! ない……ってばぁ……」
(いや、明らか言われてんだろ。最後の方声小っさくなってるし。ほんとどうしちまったんだ? こんなの、俺の知ってる白雪じゃないぞ……?)
生け簀に放たれた魚のように目が泳ぐ。一体どこを見て会話すればいいのかわからない。白雪の濡れた瞳か? 赤くなった頬? 胸元でもじもじと弄っている指? そわそわとして落ち着かない膝? どこを取っても、今までの白雪からは想像できないものばかり。慣れないその仕草が夕陽に照らされ、新鮮さどころか艶めかしさすら覚える。
視線を明後日の方向に逸らしてキョドる俺をよそに、白雪は続けた。
「こ、この際だから、全部ちゃんと言う。土曜日は庇ってくれてありがとう。足も、心配してくれた……あと、病院で先に行ってくれたことも、感謝してる。朝、カフェに行くのに付き合ってくれるのも、放課後、ついてきてくれるのも。それから……」
「おいおい、待て待て!」
「白雪!? どうしたんだよ? らしくないぞ?」
そう言うと、白雪はまた俯いてしまった。
「……らしくないって、なによ……」
「へ……?」
「ほんとは感謝してるし、素直にそう言いたい。言えればいいのにって思ってる。けど、どうしても言えないのよ! 悪い!?」
「ちょ……!」
(なんで!? 今度は急にキレだしたんですけど!? 何!? 生理なの!? てゆーか。感謝してるって……白雪が? 俺に?)
頭の中で白雪の言葉を反芻する。怪しい男、ハーメルンから庇ったことに感謝されるのはわかる。でも、朝とか放課後とかそんな些細なことまで……?
一体どうして――
そこまで考えて、俺はひとつの可能性に至った。
恐る恐る、口にする。
「お前、ひょっとして……さみしかったのか?」
――友達いなくて、とまでは言わない。
白雪は恥ずかしそうに顔を赤くしたまま、だんまりだ。
「まさかとは思うが、俺に朝の発声練習をさせて、学校へ行くのも……」
「――っ!」
白雪がびくり、と身体を震わせる。
(あー……そういうことだったのか……)
早く気が付けばよかった。そういうことなら、俺の朝のダルさも随分と軽くなっていただろう。
「学校、誰かと一緒に行きたかったんだろ?」
「…………」
「友達とするみたいに、カフェに入って、ダベって……」
「…………」
「先に言えよ……俺、お前が女王様気質なのかと、変な勘違いしてたぞ?」
「じょ、女王様なんて! そんなわけないでしょ!?」
「いや、今さっき色々言われるまで、わからなかったし」
白雪は身体の前で両方の拳を握りしめ、口をぱくぱくさせて必死に反論の姿勢を示している。
「お前、こないだ言ってたよな? 第三者に伝わらないと意味ない、って」
「う……それは……それとこれとは……」
目を伏せて、ばつが悪そうに呟く。目の前でしゅんとしている白雪を見て、いままでこいつに対して「どやされる」とか「殺される」とか思っていた自分が急に可笑しく思えてきた。
白雪は、本当は全然『
「はははっ……!」
そう思うと笑いが込み上げて、止まらなかった。
「な、なによ! 何が可笑しいの!? 私は、ちょっとくらい素直になろうと……!」
「はは……わかってるよ。がんばってくれたんだろ? 白雪なりに」
「え……」
「な~んだ。お前、全然怖くねーじゃねーか」
「何ソレ……」
「いつも、そうしていればいいのに」
「……急に言われても、できない……」
そりゃそうか。
小学校の頃から、自分の周りに壁作りまくって生きてきたんだもんな。
「まぁ、いいんじゃね? 焦らなくて。別に今のままでも、少なくとも俺と菫野はお前の友達なわけだし」
「――!」
白雪の瞳が驚いたように大きくなる。もし変身後でウサ耳が付いている状態だったら、絶対ピーン!としてるやつだ。
俺は、素直に『ごめんなさい』と『ありがとう』を言ってくれたその姿に信頼を感じ、勇気を出して踏み込むことにした。前から気にはなっていたんだが、どうしても切りだせなかったこと。そして、これから一緒に戦っていくなら、きちんと話しておいた方がいいことを。
決意を秘め、まっすぐに白雪を見据える。
「なぁ……いっこ聞いてもいいか? どうして魔法少女になったのか……」
「……!」
「俺さ、思ったんだよ。間違ってたら悪いんだが、白雪が魔法少女になったのって、その……多分、お姉さんのことで、だよな?」
俯いたままの沈黙が肯定を意味するのだろう。
俺は傷つけないように、そっと問いかける。
「もちろん、お姉さんに悪いものが近づかないように、お姉さんがいなくなった家庭できちんとやっていけるようにって、白雪がずっと努力してきたのはわかってる。勉強も、運動も、魔法少女の活動も。それだけだって十分すごいのに、家事だってちゃんとこなしてさ。けど、それ以上にノルマを達成したら叶う《願い》……」
「…………」
「白雪。お前……お姉さんの目を覚まさせたいんじゃないか?」
黙って耳を傾けていた白雪は、観念したようにため息を吐いた。
「だったら、何? 私の願いとあんたの願いは別モノ。だからこうしてノルマを――」
「そうだ。戦ってる。……ふたりで」
「……!」
「俺の願いは、お前のに比べたらそりゃ口にするのも憚られるくらいぶっちゃけくだらねー感じで、流されるようにマスコットになったよ。けど白雪は違う。だから――」
俺は、魔法少女の――白雪の力になりたい。その願いを、一緒に叶えたいんだ。だって、それが小さい頃からの、俺の夢だから。
「俺の方こそ、こないだは悪かった。だから、きちんと言うよ。今度こそ……」
命がかかってるとか、そんなんじゃなくて。俺は、白雪がいい。そう思ったから。
「これからも、俺のパートナーでいてくれないか?」
「……!!」
「頼む……!」
いつぞやの放課後のように頭を下げると、白雪はフッと口元に笑みを浮かべた。あのときとは違う驚きに目を見開き、綻んだ口元を隠すように視線を逸らして頬を染める。そして一言――
「うん……いいよ」
「……!」
(あぁ、やっぱ。今の白雪はマジでアリ……)
どころか。空前絶後の美少女魔法少女だった。
そんな白雪は照れ隠しするように『そうじゃないと、紫を助けられないしね?』なんて付け加えている。俺は『あいかわらず素直じゃねーな』と言いかけて、口を噤んだ。さっきの、白雪の『いいよ』が頭から離れなかったから。あの言葉は、素直な本心であって欲しい。そう思ってしまって。
――『戦ってる。ふたりで』
その言葉は何の根拠もなく実力に伴うものでもなかったが、不思議と白雪の胸にスッと響いた。思えば白雪優兎は、ずっとそう言ってくれる誰かを、探していたのかもしれない。
「菫野といえば。土曜は結局あんなになっちまって、菫野の解決策浮かばなかったな。ミタマ退治もできなかったし」
「そ、そうね……」
白雪はまだちょっと照れ臭そうに俺から視線を逸らしている。
「今日はもう日が暮れるし、明日また考えるか」
「ええ」
これ以上はこっちまで恥ずかしくなってしまいそうだ。もう帰ろうと地面に置いていた荷物を持ち直す。
「そうだ、白雪」
「何?」
「明日の朝も、いつもどおりこの公園で待ち合わせでいいのか?」
「ええ」
俺はちょっと気になっていたことを切り出した。今の白雪なら、許してくれるかもしれない。
「なぁ。一緒に学校行くから、発声練習はもうしなくていいだろ?」
「 ダ メ 」
なんで? さっきまですっごくイイ感じだったのに。そりゃないだろう。
「それは、どうして?」
聞き返すと、もじもじと膝を合わせる白雪。
「だって……」
「だって……?」
「私だけあんな恥ずかしい格好で戦うなんて……不公平よ」
(あ~~。なるほどね、そっちか……)
「朝の発声練習は、してもらう」
「俺にも一応羞恥心とかあるんだぜ?」
「私にもある」
「いや、お前はあの恰好になる必要があるけど、俺、なくね?」
「……不公平よ」
白雪は、結構頑固だ。こうなると、俺は道連れにされる他ないのだろう。
「あ~……わかったよ。やればいいんだろ? やれば」
ぶっちゃけもう慣れてきた感はあるから諦める。
でも、一言だけ言わせてくれ。
「白雪――」
「何?」
「お前、そんなんだから友達少ないんじゃね?」
「――うるさい」
ふてくされたようにそっぽを向いて、すたすたと駅に向かっていく。いつの間にかいつもの白雪に戻ってしまったようだ。
(まぁいいか……)
「おい、待てって。冗談だよ、冗談」
俺は笑いながら白雪の後を追う。その後ろ姿は俺を置いていつも前を行ってしまう白雪のものではなく、あと少しで追いつけそうな、そんな背中をしていた。もし俺と白雪が背中を預けて戦いあえるようになったら。きっと俺達『うさぎと亀』は、一緒にゴールできる。そう、《願い》を胸に秘めた。
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