玉虫
front door
玉虫
「山で道に迷ったときには、玉虫を追うと良い。そうすれば、正しい道に戻ることができる。」
誰が言い始めたのかも分からない、そんな迷信めいた言い伝えがあった。ふと思い出したのは、帰路、灰色の車道の上でふと見つけた玉虫のためであった。
上京してほぼ4年が経って、すっかり都会に溶け込んでしまった。生まれてから東京郊外の大学に入るまでの18年も故郷の片田舎に閉じこもっていた私は、はじめ妙な意地を張って都心に出ることをしなかった。しかし、しばらくたつとそんな意味のない決意のことなどすぐに忘れてしまい、大学にも馴れ、数人の気のおける話し相手ができた頃には、毎週のように渋谷やら新宿やらを我が物顔で闊歩するようになっていた。悲しい哉、いつかは片田舎の一軒家でつつましい生活を送っていた少年にすら、巧みに一端の都民意識を根付かせてしまう。都会は恐ろしいところだ。一極集中化など、どうにも理に合わないことだなどと、テレビの前で喚いていた頃が懐かしい。それは、一種の洗脳のようなもので、迷路のようなコンクリートジャングルをさまよっているうちには済んでいる。そうして、都会の灰色に擬態した私は、気付くとすっかり東京に居るのが心地よくなって、ついぞ年毎の帰省も果たせなくなっていた。
ある日のこと、もう大学を卒業しようかという時期だった。東京を離れることになる同級生たちとの集まりを終えて帰路につき、あと一角で自宅に着く前、車道の上に一匹の玉虫が居た。コンクリートの灰色に相応しくない、華美なエメラルドと赤の組み合わせは、視野狭窄な私の視線をも奪った。それは、車道の真ん中にあって動かない。このままだといずれは車に惹かれてしまうのだろう。もしくは、もう既に絶命しており、動かないのか。私は、せめて交通量の少ないこの通りで、偶然しばらく車が通らずに、玉虫が重い腰を上げてどこかへ飛びたってくれることを祈りながらに、その場を通り過ぎた。
明くる日、私は今度はサークルの送別会に出席するたびに夕方ごろ家を出た。いつもの通りを行き、100度と通ったのではないかと思われる定番の居酒屋に着く。送別とはいっても、東京を離れる者はほとんど居らず、結論ただのいつもの飲み会に過ぎないのだ。形式に合わせて、感傷に浸れるような会話を交わしあい、遂には次に会えるのはいつかと話し始めた。
「なんだかいつまでも付き合っていけそうな気がするよ。また、すぐにでも飲みに行こう。」
私はそんなセリフを吐き捨てながら、何も変わらずに平穏に続いていくであろう将来を想像してしまった。
その日の帰りも玉虫を見た。慣れ親しんだ駅前の商店街、腕時計に目をやると時計の針は一時を指していた。酔い加減が心地良く、仲間とも別れ一人帰路についていた私はそれを拾って駄菓子屋前のプランターに置いた。玉虫にふさわしい場所なんて、こんな都会にあるはずもないのだ。せめて、矮小な自然の疑似空間に送りたかった。
大学の卒業も近づいていて、就職先に近い都心への引っ越し作業も佳境に入ったころには、毎晩のように路傍に玉虫を見かけるようになった。果たして、それが同一のものなのか、はたまた偶然私の行動圏に大量発生しているのか。不気味に思いつつも私は、日々の忙しさに身を任せその謎を謎のままに置いていた。
ある日、三月も待つに近づいたころ一日ばかりの暇ができた。その日は友人と会う約束をしていたのだが、急用でそれが果たせなくなったという。この隙にと思い立った私は、近場の古本屋で100円の文庫本を2,3冊買って味気ない生活の養分にしようと考えた。昼を過ぎて街へ出て、目当てのものを見つけるとすぐにまたアパートに戻る復路を急いだ。その道中、私はいつものように玉虫を見つけた。それは、また車道の真ん中にあって車の通りを心配させた。私はそいつを手に取って、近くにあった家の塀の上に乗せてやった。さすがに玉虫に出くわすことも奇怪な多さに至り、私はある逸話を思い出した。迷子が玉虫を追うと内に帰れるとか。まったくもって、論理も根拠もない話であるが、なるほどこの虫にはそういう不思議さを想起させるものがある。私がこうして連日玉虫を見かけるのも、ひとえにそれが目立つ模様をもっているだけの話なのかもしれない。しかし、それで片づけられるほど、玉虫の模様は整然とした美しさにまとまらないものを放っている。それは、おどろおどろしく、毒気をももらしている。不意に私は、歩を進め始めた玉虫を追ってしまう心持になった。
玉虫が飛び立っていくのが見えた。同時に意識を取り戻し、虚ろ目であたりを見回す。どうやら私は無意識に知らない道へと迷い込んでしまったようだ。閑散とした雰囲気は普段の帰路と変わらないが、しかし今いるこの通りはより寂しげな空気を漂わせている。道の両端には、大きな家が続いている。しかし、どれにも人の気配を感じない。まばらに塀の上からのぞく木枝はどれも枯れていて、豪勢なつくりの家屋も空虚に思える。ともかく、元の道へ戻ろうとするが手掛かりがない。携帯の充電も切れていて、今の居場所も確認できない。一先ず、人を探そうと試みてあたりをうろついたが誰もいない。家屋はどれも高級街にありそうな立派なものであったが、どれも人の住んでいる様子を感じられない。退廃的な空気からも、さびれてしまった街中にあることは間違いないだろう。一体、ここに居た人たちはどこへ消えてしまったのか。これだけの軒並みに誰も住んでいないとは考え難い。とにかく、何の手掛かりもつかめない私は焦り、適当に近くの家を訪ね安心を得ようとした。しかし、どの家のチャイムを鳴らしても応答はない。何度か角を曲がり、街中へ出ようとするも似たような光景が続くばかりで、人影はおろか商店のようなところも一つもない。
二駅分ほどの距離を歩いたころであろうか、より静けさを深めていくばかりの通りにいかにも空き家の装いをした木造の小さな家があった。玄関先には、一人の老人が椅子に腰かけて何の面白げもない画一的な住宅街を眺めている。ここに迷い込んでから、初めて見る人の姿に私は安堵しためらいもなく彼に尋ねた。
「すみません。道に迷ってしまいまして。ここから、駅か街中かに出るにはどこを行けばよいでしょう。」
「迷子なのですか。ここいらは人がいなくて驚かれたでしょう。しかしながら、ここには駅も繁華街もないのです。残念かもしれませんが。」
「ええ。あまりに閑静で少し驚きました。それでは、どのようにすればここをぬけられますか。」
「そうですね。私ももうしばらくここをでていないもので。最後に人を見たのももう多分4年くらい前だったか。ひとまず、うちでお茶でものみながら考えましょうか。」
そう言うと老人は、腰掛をもって家の中に入った。彼の回答は本来どれもちぐはぐであるが、あわよくば携帯の充電くらいはできるであろうと彼の申し出に応じ、後を続いた。
私が狭い居間の丸机を前に腰かけると、急須を片手にした老人がこう始めた。
「単刀直入に申し上げますと、この街に出口は存在しておりません。」
「それはどういうことですか。」
私の焦った表情をよそに、老人は淡々と語り始めた。
「この街を出るためには、出口を探すのではなく鍵を見つけなければなりません。鍵というのは比喩で、それは人によってそれぞれ全く別のものとなっています。そして、それは当人にしか知りえない。私がここに迷い込んだのは、10年ほど前でしょう。この街には時間の流れを知る手段がありませんので、あくまで自分の体感ですが。さておき、私はこの街で3,4人の漂流者に会いましたが、うち二人は街を出ることに成功したようです。1人は蟷螂、もう1人は猫でした。そう、鍵というのは我々をこの街に迷い込ませた生き物のことです。それを見つけ出した時、あなたはこの街を出ることができます。」
およそ信じがたい話であるが、事実私はここにたどり着くまでにこの街を出られるという感覚がなかった。まるで閉じ込められているような、そんな雰囲気がこの街には立ち込めている。老人の話によると、私をここに迷い込ませた生き物を探せばよいのだが、私にはそれが思い出せない。確かに、この街で意識を取り戻す前に、何かに誘われたような気がする。しかし、その記憶は曖昧で、何か猟奇的な模様のイメージをかろうじて残しているだけだった。
老人の話を一通り聞き終えると、私はもうこの街の漂流者となっていた。煙のような記憶を辿るも、革新的な手掛かりは見つからない。私にとっての鍵は何であるか。老人は、それは各人のルーツとも言えるものであると言った。およそ5年前にこの街を出た青年は唐突に蟷螂が自分であることに気付いた。彼の故郷の家の庭には、毎年のように蟷螂の卵が数十個も見つかり、その季節はちょうど彼の帰省の頃と重なっていたそうだ。私にとって、彼の蟷螂に当たるものが何か。私はこの出口のない街を明確な意図もないままに練り歩きながら、どんどん朧げになっていく記憶を手繰り寄せようとしていた。
そうしてどのくらい時間がたったであろうか。気付くと私は、小高い雑木林の麓に行き着いた。若しくはここを超えれば出口もあるのではないかと、ありもしない可能性を希望に私は獣道を辿り始めた。人の通ることができる道はほとんどなく、道とも言い難い木々の隙間をただ無心に歩いていく。そうしている内は無心になれたし、残酷な現実から目を逸らせている気がした。
少しばかり開けた、能動のような道に出た。私はそこになぜか懐かしさを感じた。遠い昔に来たことのあるような。湿った空気と獣の匂いは、多分十数年前の私にとって慣れ親しんだ感覚であるはずだ。呆気にとられている私の視界に、一匹の玉虫が映った。絵具で書いたような羽の模様は、多分神様とか仏様だとか、そういう超自然的な存在の遊び心なのだろうと思った。不意に、飛び立つ玉虫の軌道を、追ってしまいたい気持ちになった。
最近は、各所各所の山里で時代遅れにも神隠しが起こっているという。世の中のほとんどを科学の進歩が説明してくれるようになったというのに、田舎の方ではそういう奇怪な出来事が以前よりも増えたらしい。ある港町は、船着き場のすぐ背面に大きな山があり人の住める場所は限られているらしい。急な傾斜は、年寄りの腰に大きな負荷を与え、数少ない子供は自転車で勢いをつけすぎてたびたび転倒しては騒ぎになっていた。そんなこの町で、神隠しにあったとされていた少年が今朝方急に自らの家に戻ってきたという。彼が消えてしまったのは10年前のことだったが、驚くことに姿かたちは神隠しにあったそのときから変わっていなかった。この集落では、玉虫のかどわかしという逸話があって、度々玉虫に連れられた少年が姿を消すとか。何にせよ、彼らは皆しばらくすると帰ってくるので、集落の人々はその日を待ち続けるばかりらしい。むしろ、出戻りを果たした少年たちは後の人生に幸運に恵まれるので、玉虫もまた畏怖の対象であった。道に迷ったときは玉虫を辿ると良い。この台詞を耳にしない子供はこの町にはなかった。
玉虫 front door @Mandarin-Brown-Tabby-Cat
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