話し続ける男、聞き続ける女

ドクソ

話し続ける男、聞き続ける女

 ここは深海、二人の潜水艦乗組員、マイケルとジョージは驚嘆していた。

 手に持っていたライスボールが足元に転がっているのにも気付かずに。

「おいジョージ!こんな深海に今まで見たこともない、人間みたいな生き物がいるぜ!」

「アンビリーバボー!アメージング!本当だなマイケル、これって世界的な大発見なんじゃないか?」

 その後二人は丘に上がり、その深海で発見した新生物の姿を、上司のスタンリーに報告した。

 しかし、スタンリーの反応は二人が望んだものではなかった。

「落ち着けよマイケル、それは単なる見間違いだ。昼食に食べたハンバーガーのケチャップまみれのお前の顔が窓に写っていただけさ。それより潜水艦の窓にヒビが入っているじゃないか、これの修理費はきっちりお前達の報酬から引いておくからな」

 マイケルは酷く落胆した。

 俯きながら帰路に付くマイケル、家に到着すると、彼の美しい妻であるキャサリンがいつものように優しく迎え入れてくれた。

「お疲れ様マイケル、今回の探索は長かったわね」

 マイケルは肩を落としながら、キャサリンと目を合わせることなく答えた。

「あぁ、キャサリン、今回僕は深海生物の新たな個体を発見したんだ。でもその新発見を上司のスタンリーに嘘だと否定されて、酷く悲しい気分なんだ」

 本当なのに、そう言葉を続けて拳を握りしめるマイケルの背中に手を添えて、キャサリンは彼を家のリビングに誘う。

 二人はリビングの長机を挟み、向かい合って座った。

 悲哀の表情を浮かべるマイケルに対して、キャサリンは温柔に声をかける。

「あら、そんなことがあったの?最初から話を聞かせてちょうだい?」

 マイケルは俯いていた顔を上げて、キャサリンと目線を合わせる。そして語り始めた。

「うん、君も知っている通り、僕は過去に大学で海洋生物の研究をしていて、それを勉強することが僕の生きがいでもあった。でも卒業を迎える頃、僕の父が少し体調を崩したので、地元に帰って就職することになったんだ。

 その仕事を何年か続けて、父の具合が良くなってきた頃に、やっぱり僕は大学で勉強していた研究に従事する仕事をしたいと思って、海洋生物研究機関の海底探索員の募集の記事を見てそれに応募したんだ。

 その選抜試験の倍率は、応募者が533人もいて受かるのはたった3人、約177倍となる非常に狭き門だったけど、僕はそのための筆記試験、外国語試験、閉鎖環境テスト、長期滞在検査、心理適正検査、そして5回に及ぶ面接を一年以上行った結果、見事合格を果たした。

 その後も君が知るように、家で以前の試験内容を復習し、新たに用意された試験に備えてストイックに勉強を繰り返し毎日を過ごしていた。

 海底探索員のための、資料と論文をまとめたテキストを見たことがあるかい?僕が読む分だけでも、積み重ねると10センチの高さになるんだ。

 紙一枚が0・1ミリ位の厚さだとしても、裏表合わせて2000ページになるよね?そんな本を全て暗記する必要があるんだ。僕は勉強が嫌いじゃないけど、これにはさすがに参った。

 僕と君が付き合い始めた頃、よく君は僕が勉強がキツくて頭を抱えている時、カフェオーレを入れてくれたね。

 本当にそんな君の応援が無ければ続けていくことが出来なかったと思うよ。

 その後、仲間のジョージとパートナーを組んで海に潜ることが出来たんだけど、10年位は全く研究は進展しなかった。

 僕もジョージもその頃には疲弊しきっていて、もう自分たちが何かを成し遂げることは不可能だと諦めていた。

 でもその頃、僕と君は結婚して、今度は君との幸せをモチベーションにして、すっかりつまらなくなった仕事を続けてきたんだ。

 それから約5年後のある日、研究機関の部長で僕の直属の上司、スタンリーにこう告げられたんだよ「この海洋はもう調べ尽くしたという結論が出たので、場所を移して新たなチームを作り、そこから研究を続ける」って、そう言われた時は本当に絶望したよ。

 意気消沈して帰ってきた僕に対して、君がかけてくれた言葉は今も忘れていない「私は貴方を誇りに思う」って声をかけてくれたっけ。

 最後の探索に出た僕とジョージは二人の今までの努力を称えて、コーラで乾杯をした。

 本当はギネスビールが良かったんだけど、仕事中だからね、涙が自然と出てきたよ。

 研究は成果を出せずに終わるけど、僕はこのジョージという友に出会うためにこの仕事をはじめたんだって、神様にそう言われているような気持ちになってたんだ。

 その後、昼食に君の作ってくれたライスボールを食べていた時に、潜水艦の窓に何かの影が写ったんだ。その影があんまり大きいもんで、岩か何かに近づきすぎたと思った僕は、舵を切ろうと思って操縦桿を握った。

 その時、影の正体を見たんだ。

 驚いたよ、人間と同じような形をした生物がそこにいた事実に。

 その生物の姿は、僕等のようであり確かに違っていた。

 ぱっと見だけど、体長は15~20メートル程あったと思う。

 全体的なカラーは緋色で、身体は鱗だらけ、腰と背中のあたりに泳ぐためのヒレが三つ付いていた。

 他の深海生物と同じように目が未発達で口が異様に大きく、のっぺらぼうと口裂け女が合わさったような顔面をしていたんだ。

 僕はそいつと対面した驚きで、君の作ってくれた大切なライスボールを床に落としたことにも気づかなかったよ。

 今まで君が作ってくれたお弁当を無下にしたことなんか一度もなかった僕が、そんなことにも気を配れないほど激しく動揺していたんだ。分かるかなこの気持ちが。

 急いでジョージを呼んで二人でその姿を確認したんだ。僕たちは大いに喜んだよ、自分達のやってきたことは間違いなかったんだって。

 でも喜んでいたのも束の間、そいつが拳を振り上げて潜水艦の窓を乱暴に殴りはじめたんだ、潜水艦全体が激しく揺れ動いた。

 何度も殴られている内に窓にはヒビが入り、水漏れし、艦内には警報が鳴り響いた。

 水深900メートルの水圧にも耐えられるガラスに、個人の力でダメージを与えたんだよ、信じられない程の怪力だ。

 それに慌てた僕とジョージは、そいつの写真を撮影することも叶わずに、その場から逃げ出す決断をした。

 でも、限界まで速度を上げたのに全く振り切れなかったな、僕達の命運もここまでかと諦めかけた時にジョージが言ったんだ。

「最後に食ったのが、キャサリンのライスボールってのも悪くねえ」って。

「最後なんて馬鹿げたことを言うな」と僕が言ったのに対して、ジョージは悟ったような顔をして「実は俺さ、初めてお前がキャサリンのことを紹介してくれた時に、一目惚れしちまったんだ」なんて言うから、余計に腹が立ってきて「そういうことは、無事に丘に上がって直接彼女に言いやがれ!僕達は必ず生還して彼女の作った、おかかのライスボールを食うんだ!」って怒鳴り散らしたよ。

 でも、僕も正直この新生物からは逃げられないと思っていて、このまま自分達は海の藻屑になるんだと覚悟しかけていたんだ。

 その時、大きく傾いた潜水艦のライトがそいつの顔面を照らした。

 その瞬間、そいつは艦内にも響き渡る大声とともに、顔を抑えながら深海へと逃げ帰って行ったんだ。

 そういえばテキストで見たことがある。深海に住む生物は光に慣れていないんだった。

 こうして僕達は一命を取り留めたって訳なんだ。

 その後、すぐに丘に上がって上司のスタンリーに報告したよ。

 その時の僕は、恐怖体験をしてアドレナリンが異常に分泌されていたし、すでに新時代のフロンティアになったようで、気持ちが高揚していたんだ。

 それで興奮する僕に落ち着けと声をかけると共に、スタンリーがこう言ったんだ「それは単なる見間違いだ、昼食に食べたハンバーガーのケチャップまみれのお前の顔が窓に写っていただけさ」って、そうやって僕達を嘘つき扱いしたんだ。君に今の僕の気持ちが分かるかい?」

キャサリンは椅子から腰を上げキッチンに向かう。

「いま、カフェオーレを入れてくるわね」

 そう言って、キャサリンはキッチンから二人分のコーヒーカップを持ってきた。

 マイケルは不安そうにキャサリンを見つめ、問いかけた。

「キャサリン、君は僕の話をちゃんと聞いていてくれたのかい?」

「ええ、よく聞いていたわ、貴方はハンバーガーなんて食べてなかったのよね?」

 マイケルは頷きながら、こう答えた。

「そう、それが言いたかったんだ」

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