右ポケットの恋
たまきみさえ
第1話
「なんて陳腐なんだろう」
20XX年、春。私は飛行機の通路側の席に座って、iPodを聞いていた。
「よりによって、こんな時にこの曲とはね」
シャッフルされてランダムに再生される設定にしていたiPodから流れてきた曲に、私は思わずため息のような小さな笑い声をもらした。それを気にしてか、隣の人がこちらの様子をうかがうようにモゾモゾと動いたのがわかった。
——流れてきたのは『スノースマイル』。
BUMP OF CHICKENの曲だ。
確か、村上春樹の『ノルウェイの森』の書き出しも、飛行機に乗っていて『ノルウェイの森』がBGMとして流れて……という感じじゃなかったか?
そして、メロディに導かれるように「僕」はある思い出を語り出す——。
今の私の状況。
そこだけ見たら、腹を抱えて笑いたいくらいだった。
「何から何まで似すぎてて、陳腐過ぎる!」
下手な小説だって、曲を聞いてあることを思い出して……なんて書き出しにはすまい。いや、春樹さんの小説はもちろん下手じゃないし、内容も一世を風靡したと言っていいくらいだったのだけど、二番煎じはカッコ悪い。
こんな陳腐なシチュエーションで『スノースマイル』を聞きながら、そんな陳腐なことを考えていたのは、自分の気を逸らしたかったから?
それでもなお、私も春樹さんの「僕」のように、私のあの思い出が自分の中に流れ出すのを止めることはできなかった。
私の意識は、「僕」のようにスチュワーデスの気遣いに邪魔されることもなく、ゆっくりとあの日のあの時へ戻っていった。
***
あれが何年前だったのか、あえて数えたくはない。
今、あの19XX年から多少の年月が経った、とだけ言っておこう。
当時、私は大学四年生で、研究室には私の同期七人のほかに、留年した一年先輩の坂本も所属していた。
卒業を目前に、坂本と私の同期の新田——どちらも男性だ——は、二人でヨーロッパへの卒業旅行を計画していた。ある時、私が研究室に行くと、二人は旅程を詰めているところだった。
お金もないし、それまでは暇もなかったので、自ら旅行というものを発想したことすらなかった私は、その時たまたま見た二人の旅程表に「モスクワ」という文字を見つけて、突然、色めき立った。
「モスクワに行くの!?」
「あぁ、行くけど……それが何?」と、新田は怪訝な顔をした。
「モスクワ、行きたい!」
ロシア語を習ったことがあった私は、ロシアに興味があった。そして、これを逃したら一生そこへは行けないかもしれないと、なぜか直感してしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます