第92話 盗品のない部屋

 内藤の母親には盗癖があった。

 近所の家や商店から、目についたものをパッと盗んできてしまう。クタクタになったTシャツやちびた消しゴムなんてものもあれば、現金が入った封筒や高価な指輪などを持ち帰ったこともある。

 決して暮らしに困っているわけではない。ただ、盗りたいという衝動が沸いてどうしようもないのだった。

 母親がしょっちゅう問題を起こすので、父親はよくあちこちに頭を下げて回っていた。家の中はいつも暗くて、何かというとすぐ喧嘩が始まった。


 家には三畳ほどの納戸があって、母親は盗品を何でもかんでもそこに放り込んでいた。

 幼い日の内藤はその部屋が嫌いだった。いつも何となく厭な空気が籠っているような気がするのだ。

 いつ頃からか、納戸の前に知らない女が立つようになった。真っ赤なワンピースを着ているその女を、内藤は初め来客かと思った。

 しかし、うつむいた顔を上げた女には目玉がなかった。ただ赤黒い穴が空いているだけだった。母はその真ん前を平気で通って、納戸に盗品を放り込む。その様子はまるで、そこに誰もいないかのようだった。内藤はそれを見て、この赤い服の女はこの世のものではないのだと悟った。

 女は昼夜を問わず納戸の前に立った。母親はそれに気づかないのか、それとも気づいていても気にならないのか、相変わらず盗品を納戸に放り込み続けた。

 女を見かけるようになってから、母親は痩せ始めた。げっそりとこけた頬は紙のようにがさがさしていた。美人と評判だった姿は見る影もなく、目ばかりがぎらぎら光っていた。

 そして内藤が小学校に入る少し前、母親は台所で突然倒れてそのまま死んだ。

 その日、納戸の前の女は首をがくがくと揺らしていた。内藤の目にはそれが、嬉しくて笑っているように見えた。

 それから少しして、内藤たち一家は引っ越した。

 それは、それまでに散々近所の人たちと揉めていたからでも、母方の親戚と縁が切れたからでもなかった。もう誰も盗品を放り込むことのなくなった、ほとんど空っぽの納戸の前にも、変わらず例の女が立ち続けたからだった。

 そのとき内藤は初めて、何も口に出さなかった父親や6つ上の姉にも、その女が見えていたことを知った。


 別の土地に引っ越して以降、家族の表情は明るくなり、家の中に笑い声が聞かれるようになった。

 前いた家は売れたというが、20年以上が経った今では再び空き家になっていて、住む人がいないまま朽ちかけている。

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