第47話 水面
菰田が小学生の頃、休み時間に友達数人と校庭で遊んでいると、友達の一人のマサトが「喉が渇いた」と言って輪を抜けた。
そこら辺の水道にでも行ったのだろうと遊び続けていたが、しばらく経っても戻ってこない。何となく心配になって皆で探していると、少しして小学校の裏にある畑の小さな貯水池で、腹這いになっているところを発見した。枯草や虫の死骸が浮いた水に直接口をつけ、一心不乱に飲んでいる。
「何やってんだバカ!」と声をかけると、マサトは弾かれたように立ちあがって、「おー」と手を上げた。それから何事もなかったかのように、菰田たちの方へ走ってきた。
マサトは「大丈夫大丈夫」と言いながら、いつものように笑っていた。休み時間が終わりかけていたこともあって、菰田たちは保健室などに行くこともなく、急いで教室に戻ることにした。
その次の日に行われたテストで、マサトは突然満点をとった。勉強が苦手な彼は、常に50点台をキープしていたはずだった。
さらに体育の授業でも珍しく大活躍し、皆がその変貌ぶりに首を捻った。
テストについては「カンニングではないか」という声も上がったが、菰田たちは信じなかった。マサトは真面目で、嘘のつけない性格だった。カンニングなどするはずがないと、ほとんどの生徒が口を揃えた。
マサトの優等生っぷりは、不思議なことに三日ほどで終わってしまった。勉強もスポーツも不得意な、元のマサトに戻ったと確信した時、彼には悪いが、菰田はほっとしたという。
それほど突然の変貌は、彼にとって不気味に感じられたのだった。
年月が経ち、菰田たちの学年は小学校を卒業した。
菰田は私立中学校に入学したが、ほとんどの同級生は地元の公立中学校へと進んだ。
夏休みに入ってから、小学校の同級生たちと集まる機会があった。久しぶりの再会に、菰田は喜んだ。
やはり公立学校に進んだマサトの姿は、その日はなかった。ふと気にかかった。
「マサトは? 来ないの?」
友達の一人に尋ねると、周りにいた数人が突然、「なんかあいつ、変なんだよ」と、堰を切ったように話し始めた。
皆の話によると、中学校に入ってからのマサトは、ある日以前のように突然優等生になって以来、一学期が終わるまでそのままだという。成績は学年トップ、スポーツも万能で、小学校からの同級生は皆、強い違和感を覚えていた。
「遊んでる時は前のマサトと同じなんだけど、変だろ? それに最近なんか、あいつ顔色が悪いような気がするんだよな」
話を聞いているうちに、菰田も不安になってきた。
それから数日後、地元の書店で、菰田はたまたまマサトに出くわした。小学生の頃より少し背が伸びていたが、それよりも顔色の悪さが目についた。ひどい土気色になっている。
声をかけると、マサトは嬉しそうに寄ってきた。手には参考書を持っていた。
「ひさしぶりだから、一緒に帰ろうぜ」
そう言って、書店を出ると二人で歩いた。
「マサト、調子いいみたいじゃん。皆言ってたぞ。何でそんな急に成績あがったの?」
何度も尋ねると、最初は言い渋っていたマサトだが、「コモちゃんは別の中学に行ったし」と言って、こう答えた。
「俺、小学校の貯水池の水を飲むと、凄い自分になれるって気付いたんだ。小学校の頃、俺が貯水池の水飲んでて、皆が探しに来たことあったじゃん。あの時、喉が渇いたなーと思ってたら、何でかあの貯水池のとこにいてさ。水面を見たら自分が映ってるわけ。その時、『水に映ってる自分を飲み込んじゃえば、自分二人分の力になれるな』って、急に思ったんだよ」
驚いて「そんなわけないだろ」と言うと、「そう思うよな? でもそうなったんだ」とマサトは笑った。
「でもさ、ほんとにあんな水飲んでるんなら、絶対体に悪いぞ? 実際、お前顔色悪いよ」
そう言うと、マサトは「うん……」と小さくうなずいた。
「でもやめらんないんだ。母ちゃんが今入院しててさ、あんまり調子よくなくてさ。でも俺がテストでいい点とったりすると、すごい喜ぶんだ」
マサトは俯いたままそう続けると、「じゃあ」と言って、足早に横道へ入って行った。
菰田がマサトに会ったのは、それが最後になった。
中学二年生の春、マサトは貯水池の側に倒れて亡くなっているのを発見された。胃の中から、大量の汚水が出てきたという。
それから十年余りが経ち、菰田たちの通っていた小学校は、今はもう廃校になっている。
空っぽになった校舎の裏に、雑草に埋もれながらも、例の貯水池はまだあるという。
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