第六十八話 水没集落

「ごぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」


 俺は何がなんだか分からず溺れた。自慢では無いが俺は泳げない。昔からプールの授業では浅いところでチャプチャプやってたし、市営のプールなんて行った事もない。こちらの世界に来てからも泳ぐ練習なんてした事ない。そもそも陸地に転移するとばかり思っていたのだ、いきなり水の中に飛び込んで「さぁ泳げ」と言われて泳げる奴がいるか?…いるかもしれないけど俺には無理だ。そういうことだ。


 横にチラと目をやるとジュゼも同様だった。どうやら彼女にとってもこの状況は予定外だったようだ。信用していなかったわけではない。何か意図でもあるのかと思っただけだ。結果的には何もなく、二人とも溺れかけているというのが現状である。


 いやいやいやいやいや、現状分析している暇はない。このままじゃ溺れて死んでしまう。


「ごぼぼ、ごぼ、ごぼ、ごぼごぼぼごぼぼぼぼぼぼ。(ジュゼ、あれ、あれ、宇宙に行った時のやつ。)」


 俺は身振り手振りで、ビアブルの魔法、つまりこうした異常環境でも呼吸が出来たり生存できたりする魔法をかけるように伝えた。手を上に上げて俺が歩く姿(宇宙に行った時)、首を抑える(呼吸できないから)、両手をかざしてキラキラと手を揺らす(魔法を使って)、呼吸する姿(呼吸出来るようになったろ)、という伝言ゲーム。やばい。呼吸する姿をしたら口の中から水が入って来た。早く!!気づけ!!


 ジュゼが右手をトンと左手に打ち付けた。気付いたか!!早く!!何とかして!!



「ゲボ、危なゲボ、危なかっゲボッゲボッ。」


 俺は水中で息をし、水を呼吸器官から吹き出しながら言った。


「ええコボッ、本当に、ゴボッ、危な、ゲホッ、かったです。」

 ジュゼも同様だ。…水中で水を吐くというのも中々得難い経験である。あの後すぐにジュゼは魔法をかけ、今はようやく水中で呼吸ができている。


「どうなってるんだ?最初からこんなんじゃないだろ?」


「勿論です。ここは普通に陸地で、地上で生活するマリーネ達の生活圏でした。」


 マリーネ、魚族の中でも人型の者。姿形は様々であり、例えばサメ、例えばタコ、例えばイルカ、そんな感じでいろんな海の生き物の姿に似た人型の人間を総じてマリーネと呼ぶ。…タコは魚か?まぁ、水棲生物が概ね魚族として扱われているという事である。それ故に人数…魚数…なんて言うんだろうな…まぁ数は多いわけだ。


「ほら、家があります。」


 ジュゼは足元を指差した。だいたい二メートルくらい下に、民家のようなものがあった。


「元々はあれが陸地にあったはずです。」


「待て待て待て、ということは氾濫でもして水没したとでも言いたいのか?」


 家が二メートル下にあり、今俺達は水中の真ん中の方にいるように見える。つまり大体…少なくとも五メートル以上、下手すれば十メートル水位が上昇している事になる。そんな事有り得るのか?


「…しかしそれ以外考えられません。」


「ここに軍が来た事は?」


「一ヶ月前に巡回しているはずです。支持率調査も兼ねて。その時は特に不審点及び変化はないという話だったはずです。」


 俺もその話はトンスケから聞いていたので覚えがあった。そしてトンスケが嘘をつくとは思えないし、兵士たちもこんな嘘をつく意味はない。


 即ち、この一ヶ月の間に何かあったという事が最も考えられる可能性である。


 しかしその「何か」が何であるかは分からないままである。そして俺たちがその答えを持っている可能性はゼロである。では何をすべきか、答えは一つ。情報収集である。


「仕方ない、降りてみよう。誰かいるかもしれん。」


「そうですね。」


 俺たちは空を舞う要領で水の中を降りていった。泳げなくとも何とかなる、魔法様様である。



「おんや誰だね。普通の魔人がこんなところに。」


 サメの顔をして腕や足にヒレのついたサメ人間が俺に話しかけてきた。どうやら俺が魔王という事には気付いていないらしい。知名度の低さに少し悲しくなってくる。


「いえ、少々観光で参りまして。失礼ですが、ここの住人ですか?」


「ああ、だいぶ前からここに住んどるよ。」


「ここは以前は陸地だったと聞いていたのですが、今は水没していて驚きました。何かあったんですか?」


「ああこれかい。びっくりしたろ。ワシもびっくりしたもんだ。今じゃ住み心地良くで寛いどるがね。一週間程前かな。急に水位が上がりだしてね。どうも奥の未開拓領域の方から水が溢れ出したみたいだ。」


「未開拓領域から?」


「ああ、あれだよ。」


 そのサメの人は後ろの方を指差した。何やら上向きの水流がごうごうと流れ続け、壁のようになっている場所が見えた。


「あの奥にゃいけないからどうなってるのかは分からんがね。ワシらマリーネにゃ住み心地がいいんで気にしとらんが、アンタらみたいなのは大変だろ。」


「ええ、まぁ。」


「他の地域に被害は出ていないのでしょうか?」


 ジュゼが尋ねた。


「分からん。が、ほれ、ここに来る時山があったろ?」


 俺は後ろの方を見た。山…というか、もはや海溝というか。山だったと思われるものが水の先に見えた。


「この辺の集落はあれで区切られとるから、大丈夫なんじゃないか?知らんけども。」


 彼は少々投げやり気味に答えた。まぁサメの人には知った事ではないので仕方ない。


「そうですか。ありがとうございます。」


「んむ。まぁゆっくりしていきなさい。新婚旅行にゃ少々涼しすぎるがね。」


「しんこ…、そういうのじゃないですのでぇー。では失礼しますぅー。」


 ジュゼは言い淀んだ後、適当に話を切り上げた。俺もそれに従った。新婚旅行。勘違いにしてもあんまりである。



「全く失礼な…。」


「まぁ忘れよう。それよりわかったことも多い。まずあの未開拓領域ーーー水の聖域に入らないとならないな。」


「ええ。まずは行ってみましょう。入れるかどうかは兎も角、何か情報が得られるかもしれません。」


 俺は肯くと、二人で水中を歩き、水流の鉄壁ーーー水の聖域の入り口らしき場所へと向かうことにした。

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