第三十四話 吹き荒ぶ風の里にて
風の未開拓領域という名前からある程度予想はしていたが、実際の風は俺の想像を遥かに超えていた。ジュゼとサリアが俺から離れ、自分の服を押さえ込む。そうでもしないと服はおろか自分の体まで吹き飛ばされそうだったからだ。
俺が到達した場所は開拓地の最終地点。ここから一歩踏み出せば未開拓領域という地点である。その境界を示すかのように地面は裂け、そこから風が吹き出していた。最近になってようやく魔力の存在を感じられるようになったのだが、今感じている魔力の量は気の遠くなるようなものであった。地の底から膨大な量の魔力が噴き出している。その勢いが魔力にエネルギーを与え、それが風となってこの地に吹き荒んでいるのだ。この境界線の先に果たして何があるのかは分からない。気にならないこともないが、まずこの境界線を超えることが出来ない以上を確認することは極めて難しいだろう。仮に超えようとすれば、生身であればこの凄まじい勢いの風で肉体がズタズタに切り裂かれる事は想像に難くない。
「こりゃ、開拓出来ないのも分かるわ。」
俺がポツリと呟いた。だが俺の口から吐き出された波長は、それ以上に荒ぶるこの地の波によりかき消された。
「えー?何か言いましたー?」
ジュゼが大声で言った。玉座の間であればうるさいと感じる程の音量と思われる。それでようやく俺の耳元に届く程であった。とっととここから離れないと危険だし、会話一つ出来やしない。俺はジェスチャーで「離れよう」と伝えると、近くの村であり目的地、ハルピー族が住むヴウゴ郷へと向かう事にした。道中サリアは辺りをキョロキョロしながら目を輝かせていた。
ヴウゴ郷は未開拓領域から歩いて数十分程度の場所にあった。耳にはあの強風の音が残っているし、十分に離れたはずのここからでも、境界線からこちら側には遮る物が無い平原が広がっていたせいか、風の音がいまだ薄らと聞こえてくる。この里はそんな平原の中の、巨大な樹である。それなりの団地一つ分くらいの大きさだろうか。異様とも言える大きさの樹、その中に家が幾つも…載っかっている、という表現は正確では無いかもしれないが、しかしそうとしか言えない光景が広がっていた。これが一つの集落となっているのだ。
「うわぁ〜、すご〜い!!」
心底からの感嘆の言葉をあげるサリア。自然界にも大きな樹とか無いのかと聞くが、こんな生活様式は見た事ないのだとか。まぁ確かに、それはそうだろう。俺もこんなもの見た事がない。
「彼女らは樹の上で生活をするので、自然と家も樹の上に建てる事になるのです。」
ジュゼが説明してくれた。
それを証明するかのように、樹の枝の間をハルピー、即ち、首から下が鳥で、頭が女性の顔という様相の鳥族に分類される人々が飛び交っていた。彼女らは俺達の事を物珍しげに見てきた。ジュゼによると、あまり他民族との交流が無いらしい。なるほど、俺達の事が目新しいらしい。
「すみません、族長にお話があって来たのですが。」
こちらをジロジロと見てくる彼女らに向かって叫ぶと、その内の一人が答えてくれた。
「族長にご用事?どなた?」
ジュゼに目配せをする。名乗った方が良いか、という無言の問いかけ。それに対し、彼女は首を縦に振った。
「あー、我は魔界の王、エレグ・ジェインド・ガーヴメント。族長に折言って相談があり参上した次第である。御目通り願いたいのだが、どちらに居られるだろうか。」
「もう少し威厳持ってもいいんですよ。」
ジュゼが耳元で囁いた。こちとら元々は学生の身分、相変わらずこういうのには慣れないのだ。
「ま、魔王!?」
ジロジロと見ていた集団が一斉に驚いた様子を表すと、彼女らは怯えた様子でこちらに返事を返してきた。
「あ、あの、取って食ったりしないで下さい、言う事何でも聞きますから。」
魔王って化け物か何かだと思われてるのか?
「あー、その、大丈夫だから。君たちには何もしないから。ただ族長に会わせてくれればいいんだ。」
今のは言い方が不味かった。更に怯え始めた。
「いや、違う、今のは失礼、違う。あの、"出来れば"族長に会わせて欲しいんだ。"無理なら"それで仕方ないと受け入れて帰るから、どうにか"検討を"お願いしたいんだが。」
とにかく下手に下手に出て、変に恐怖心を抱かせないように気をつけながら、俺は言葉を選んだ。その甲斐あってか、彼女らはヒソヒソと話し始め、やがて一人がどこかへと飛んで行き、そして戻ってきた。
「あ、あの、えっと、族長、お会いになるそうです。わ、私に、着いてきて下さい。」
「ああ、ありがとう。」
俺達は彼女の後について、背中の翼を羽ばたかせたり(練習して何とか出来るようになった)、魔法で宙を舞ったりした。サリアは二人で引き上げざるを得なかった。
「族長、お連れしました。」
「うんむ。あんがと。じゃあ、アータは外にいなさい。」
案内された先には、巨大な鳥の体を持つハルピー族の女性が待っていた。
「ドーモいらっしゃい、魔王様。」
その体躯をゆっくりと動かしながら彼女は振り向き、こちらに顔を向けてきた。その顔は三十代くらいの女性に見える。下半身には他のハルピーとは異なり四枚の翅を有していた。
「なんだい、ハルピーがそんなに珍しいかい?」
「あ、いや、失礼、城では見ないもので。」
「そ。まぁいいさ。一応改めて自己紹介しておこうか。アタシはセラエノ・ハイスカー。わざわざこんなところまで何の用だい?」
俺は一通りの事情を説明した。彼女はじっとその話を聞いたあと、口を開いた。
「あのアホリッチかぁ。確かに吹っ飛ばしたね。トウヒョウスルナってうるさくて。まぁ事態は理解出来た。そういう事なら協力を惜しむつもりはないよ。」
俺達は喜び、俺は「ありがとう」と言おうとしたが、それを遮るように彼女が続けた。
「ただその前に聞きたい事がある。」
「なんだろうか。」
「なんでアータはそこまでして魔界を守ろうとする?別に滅びるならそれも運命じゃないかい?」
そう言って彼女は俺の目をじっと見つめてきた。試されているのだろう。だが俺は特に考える事もなく答えた。
「運命なんてもんは信用していないんでね。もしそうだったとしても、何もせずにそれを受け入れるのは嫌いだ。」
昔ゲームをやっていた時、これは負けると思っても、リセットだけはしなかった。例え結果がゲームオーバーだろうとだ。その過程こそが大切だと思うからだ。ましてやこれは現実で、リセットは無い。ならば足掻くしかないだろう。ただただ起きる事を受け止めるだけの行為に何の意味がある?今から事故で死ぬと聞かされて、回避する方法がないかを考えないやつなんているのか?俺はいないと思うし、いたとしても関係ない。少なくとも俺は考える。それだけである。
「それに、我…もういいや。俺だけならまだいい。だが魔界には他にも色んな命が生きている。それにどれだけの量か分からない程の被害が出ようとしているのに、見す見す見逃すわけにはいかないだろ?」
結局のところ、これに尽きる。知ってしまった以上、何もせずにはいられない。ただそれだけだ。横でサリアがぶんぶんと首を縦に振った。彼女も同感のようである。
「…ふむ。」
彼女は翅を組み、しばし考えた後、言った。
「嘘は言ってないね。」
「言う必要も無いからな。」
「分かった。手伝おう。まぁアタシも、そうホイホイ死ぬなんてゴメンだからね。」
「ありがとう。本当に助かる。」
「気にしなさんな。ただ一つお願いがあるんだが。ティア・リピートだっけ?そいつと話させてくれるかい。」
「いいけど、なんでまた?」
「いや何、魔法の組み立てで少し話があるだけさ。」
そういう話なら断る必要もない。俺は了承した。
そしてセラエノは、里の人々にアレコレ指示をした後、俺達と共に魔王城へと転移し、そしてティアのいる魔法研究室へと向かっていった。
何とか時間までに間に合って欲しい。俺はもうこの件については祈る事しか出来なくなった。
「そうは言っても、やる事あるんじゃないの?」
サリアが観光名所の本を読みながら言った。呑気なものだ。
「ええ勿論。細かい書類作業は山程ございます。隕石の落下までに、そちらを大至急片付けて頂きませんと。」
ジュゼの言葉に、へいへいと相槌を打つと、俺は机の上で書類とにらめっこを始めた。
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魔法研究室に着いたセラエノは、ティアに一言二言挨拶をした後、自身が抱いていた疑問を切り出した。
「例のアレ、アータは本当にただの隕石だと思うかい?」
「…どういう意味、かな?」
「アタシの先代、いやもっと前から聞いている話なんだけどね。多分初代魔王の時代から生きてるアータなら心当たりがあるんじゃない?『魔喰』の話。アレじゃないのかなって。」
セラエノの言葉に、ティアは口籠る。
「…アレは、来るにしても、周期から考えてまだ数年先のはずだ。アレではない、と思っているよ。」
自分に言い聞かせるように恐る恐る彼女が呟くと、セラエノは言った。
「そう。ならいいんだけど。いや良くないか。『魔喰』なら迎え撃てばいいけど、落ちてくる岩なら壊さないといけないからね。」
ティアはその言葉に頷いた。
「何にせよ、さ。『魔喰』だとしても、星の外で迎撃出来るに越した事は無いと思うんだ。本来なら今までの魔王が研究すべきだったんだろうけど、今更言っても仕方がない。今から取り返さないと。」
「ま、そうだわね。OK。邪魔して悪かったわね。」
「気にしないでいいよ。…スカイルにも言って、あれが本当に隕石かどうかは調べておく。その方が安心出来るからね。」
「そうね。その方がいいわ。…きっと。」
セラエノもまた、隕石である事を願うような素振りを見せながら、自らの持ち場へと戻って行った。
ティアはしばし考えた後、スカイルの元へと向かって行った。自分の不安が解消される事を祈りながら。だが、写真自体の撮影は出来ても、その解析までは出来ないこの魔界の技術では、写真に写った隕石が本当に隕石かどうかを完全に判別する事は出来なかった。
結局ティアは、悶々とした思いを抱きながら、魔法の研究を続けざるを得なかった。
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