最強魔王に転生しましたが任期満了につき清き一票お願いします

明山昇

第一期 俺が魔王に覚醒する話

第一話 刮目せよ!魔王様の御成である!

 荒れ果てた大地で、二つの集団が今にも枯れそうな川を挟んで睨み合っている。片方の集団は極めて殺気立っており、武器を構え、今にも相手方へ殴り掛かろうとしている。もう片方は対照的におずおずと盾を構え、相手方の出方を伺うように、盾の横から顔を出し入れしている。

 武器を構えた集団の先頭に居る、鎧を身に纏った男が、自分の身の丈よりも長い剣を振るいながら叫んだ。男の腕は鱗に包まれ、口には巨大な牙が生えていた。鎧の背の部分からは翼と尻尾が鎧を突き抜けるように生え出ている。その後ろに居る人々も同様だった。

「この地は我ら竜族が頂く!!貴様ら下等な狼族は選ぶが良い!!我らの糧となるか!!この地より去るか!!」

 その言葉を聞いて、盾を構えた集団の先頭に居る、同じく鎧に身を纏った男が、巨大な盾に隠れながら叫んだ。男の鎧で包まれていない部分は毛に覆われているのが分かる。先刻の集団のように、その後ろに居る人々も同様だった。

「こ、この地は古来より我らの土地!!奪うというなら、その、ま、魔王様が黙っていない…と思う…ぞ!!」

 その言葉には、疑念が十分に含まれていた。自分で発しておいて自分で信じ切れていない、そんな感情が多分に含まれていた。それは剣を持った男ーーー竜族の男にも容易に理解出来た。

「フハハハハハ!!魔王?馬鹿も休み休み言え。あの魔王が、ぐうたら・自堕落・放漫経営の無能な竜族の恥晒しが、このような場に訪れるわけがあるまい!!」

 竜族の男の言葉に呼応するように、背後の集団がせせら嗤う。狼族の集団はその笑い声を聞いて肩を落とした。彼の言葉に同意するように。

 それでも狼族の男は言った。

「き、来てくれると言っていたんだ!!お前ら、後悔してもしらないからな!!」

 それを竜族の男は負け惜しみと捉えた。

「その時は永遠に来る事など無い!!少なくとも貴様らが生きている間はなぁ!!」

 そして彼は剣を振るい、叫んだ。

「かかれぇ!!」

 その言葉を聞き、竜族の集団は駆け出し、眼前の細い川に足を踏み入れた。狼族の集団は一斉に盾に身を隠し、頭を下げて目を瞑った。それはまるで奇跡を信じる敬虔な信者のようであった。


「止まれ。」


 突然、おどろおどろしい、威厳のある、男の声が響いた。その場にいる全員に聞こえるように。その言葉を聞いて、恐怖と驚愕が去来し、竜族の集団は一斉に停止した。

「な…?この、この声は…?」

 竜族の先頭にいた男が困惑しながら周りを見回した。居るはずのない者の声が聞こえた。居ては困る者の声が。

「…これなんて読むの?…あー、…平伏ひれふせ。」

 その威厳ある声が命令する。竜族の集団も狼族の集団も一斉にその命令に応じる。最初の言葉には誰も気づかない。命令に込められた力はそれ程までに強かった。

「そのまま頭を上げ、我が姿に…えっと…あー、その、刮目かつもくせよ!!」

 言い澱みながらも放たれた三度目の命令にも全員が従う。彼らは頭を上げ、その声の主を目の当たりにした。

「馬鹿な…。」

 竜族の男が驚愕のあまり目を見開いた。

「来て…くださった。」

 狼族の男は感涙を溢した。


 集団のおよそ中央、二つの集団を隔てる川の上空に一人の男が浮かんでいた。男は竜族の姿に似ていたが、違う点が多々あった。まず装備が違う。頭に王冠を載せて、マントを羽織り、そして手には眩い光を宿した宝玉が埋め込まれた杖を持っていた。そして何より、その男の周囲に漂うオーラである。彼は集団を形成する竜族には無い、光を屈折させる程の禍々しいオーラを放っていた。

「俺…あー、ごほん、我は魔王エレグ・ジェイント・ガーヴメンド!!魔界の如何なる者をも等しく守り、如何なる罪人にも等しく罰を下す者!!我が地で起きたこの不毛なる争いを平定しに参った次第である!!」

 その男は両手を広げて叫んだ。

「魔王…様!?」「まさか本物!?」「魔王様が何故ここに!?」竜族の集団は困惑の声を上げた。

「本物だ!!」「来てくれた!!」「本当に来てくれたんだ!!」「これで勝つる!!」狼族の集団は喜びと共に歓声を上げた。

 その声に応じるように、魔王を名乗る男は続けた。

「そこな竜族。この地は古来より狼族の地として制定されている。申し立てあらば正当な手続きを経て、わ…割譲かつじょうを申し入れよ。力での略奪は決して許さぬ。これ以上暴挙に走るなら貴様らの体は死霊のそれになると思うが良い。…理解出来たならばただちにこの場から去るが良い。そうでないならば、」

 そう言うと魔王は狼族の前に立つように、大地へと降り立って宣言した。

「我が相手となろう。」

 竜族の集団は顔を見合わせ、どうすべきか口々に話し出した。それを振り払うように先頭の男が叫んだ。

「う…五月蝿い!!こっちはもっと広い土地が欲しいのだ!!魔界は弱肉強食!!今まで黙認してきたくせに今更口出すんじゃない!!」

「今まで黙認してきたからこそ、我は考えを改めたのだ。この混沌に満ちた魔界を立て直す。そのためにも貴様らのような無法者を許すわけにはいかん。」

「黙れ竜族の恥さらしが!!」

 叫ぶと男は魔王に向かって剣を振り被った。

「愚かな…。」

 魔王は呟くと、杖を前に突き出した。すると杖の宝玉から放たれた光が、先頭の男の体を包み込んだ。

 一瞬の出来事であった。

 ジュッ、という灼けるような音と共に、男の体は消失した。後には主人を失った剣と鎧の落ちる乾いた音が響いた。


 場を沈黙が制した。息をする音すら聞こえない程に静まり返った。


 その沈黙を破ったのは魔王の一言であった。彼は杖を竜族の集団に向けて、殺気を込めながら、言った。

「今去るのであれば見逃そう。然もなくばこの者と同じ事になるが、如何する?」

 彼が最後まで言い切る前に、竜族の集団は一斉に駆け出して逃げていった。

「ふぅ…。」

 それを見て彼は誰にも聞こえないように息を吐いた。そして狼族の方へ向き直ると言った。

「ごほん。ふむ、他愛の無い。所詮は烏合の衆よ。…民達よ。全ての竜族が、えー、…か、斯様かように愚かと思わぬよう。あれは一部の民が起こせし事。竜族の総意では無い。…怨恨は争いを呼ぶ。寛容の心こそが平穏を…んーと、もたらすと覚えておくが良い。」

 狼族の集団は頭を激しく上下させ、理解の意を示す。すると魔王は満足した様子で、

「よろしい。では失礼する。民達よ。また闘争の火種が生まれるようであれば、我を呼ぶが良い。我は魔王エレグ・ジェイント・ガーヴメンド。我は魔界の王にして、魔界の民を守る者である。」

 そう言い残して消えていった。

 狼族の集団は、竜族との戦いを避けられた事、そして自分達の命と土地が救われた事に安堵し、抱き合い喜び、歓声を上げた。

 それ故に、彼らの集団の中から一人女性が抜け出して居る事に気づかなかった。彼女の盾に、先程魔王が叫んだ言葉がそっくりそのまま羅列されていた事にも。



************



「あっぶねぇ、あっぶねぇ。怖かったぁ。あいつ本気で振るってきやがった。こえー。」

 先刻の諍いが起こっていた場所から、走って数日掛かるであろう離れた遠地。魔王城の玉座で一人肩で息をする者が居た。先程まで威厳を放っていた男、魔王、即ち俺である。

「魔王様。読み間違いは威厳を損ないますのでお控えください。次から振り仮名を振っておきますが、ちゃんと覚えて下さい。視線がチラチラ逸れて格好が付いていませんでした。それと、護身の為にも魔法の訓練は欠かさぬようにお願いします。」

 玉座の前に立った女性が、纏った狼族の変装を解いて、俺に対し冷静な口調で進言、というよりもダメ出しをしてくる。氷のように冷徹な瞳で見つめられるとこちらの肝も冷える。だが俺としては反論したい。

「分かってるよ。大体、ちゃんとやってるじゃんかよ、毎日じゃないけど。」

「毎日、やって下さい。」

「難しいんだよ他の選挙活動とか計画立てたりとかさあ。」

「毎日、です。」

「はい。」

 ダメだった。とはいえ彼女の言い分は正しいものがあった。彼女の言う通り、俺は魔法が十全には使えない。精神が魔法を理解していないからだ。肉体には莫大な魔力を秘めているのだが、それを活用する術を知らないというやつである。先程の魔法も、目の前の女、ジュゼ・トーン・リマイドが俺の肉体を遠隔操作ーーー正確には精神のシンクロにより肉体を借用ーーーする事で発動させている。彼女の肉体に負担が掛かるため、あれでも完全に発動した時の一兆分の一にも満たない威力…らしい。本当だろうか。一兆だぜ?一兆。

「私が力をお貸しするのも限界がございますので、どうかお願いします。」

 彼女は顔を崩していないが、額には汗が流れていた。相当な負担が掛かっているのは見て取れた。

「ああ、すまん。分かってる。なんとか時間を作るよ。」

 彼女に倒れられてしまうのは俺としても不本意である。そろそろ真面目に取り組まなければならない。だがしかし、本当にやる事が多い。どうしてこうなってしまったのだろうか。俺はふと思い返す。



************



 そもそもの話から始めるとしよう。

 今でこそ俺は魔王として振る舞っているが、元々は俺は所謂普通の人間であったし、そうあろうとしていた。過度な夢は見ず、普通に生活出来れば良いと思っていた。例えば宝くじ。俺はたまに買うが、一等が当たるなんて思った事はない。せいぜい三等が当たればいいなと思っている程度だ。勿論三等すら当たった事はない。大学にも通っていた。だが卒業した後に大企業で社長まで出世したりだとか、企業して一目置かれる企業に成長させるだとか、そういう事を考えた事はない。衣食住が整った普通の生活が出来ればいいと思っていた。ましてファンタジーの世界に行きたいなんて思った事は一度もなかった。行けるはずが無いと分かっていたからだ。その手の小説は読む。だがそれを読んで自分も転生したい、なんて思ったりはしなかった。友人には「お前はつまんない奴だな」と言われる事がある。だがそれでいいと思っていた。ハラハラドキドキするような毎日を過ごすなんて、考えただけで胃が痛む。一日一日、平和に何事も無く過ごせた方が良い。それが俺の信条でもあった。


 そんな考えを嘲笑うような出来事が起きたのが、およそ三日前の話だ。

 その日、俺は自室でゲームをしていた。大学は休んでいた。欲しいゲームが出るからだ。今やっているシミュレーションゲームの新作、独裁者になって世界を統一する、ただし選挙があるから無茶をしすぎると辞めさせられる、そんなゲーム。民衆の不満を溜めないようにバランスを取りながら無茶を通すのが楽しくて、発売してからほぼ毎日のようにプレイしていた。その新作となれば当然やらざるを得ないだろう。

 気分良くゲームをプレイしていると、ゲームのBGMを劈くような轟音が窓の外から響いてきた。

無駄金費太郎むだがね・つかいたろう!!費太郎に貴方の一票を!!貴方の一票が政治を変えます!!』

 選挙カーのアナウンスだ。

「名前をまず変えろよ。」

 その時俺は家に一人だったが、思わず呟いたのを覚えている。何だよその名前。どう考えても無駄遣いする気満々じゃねぇか。

『宵越しの金は持たない党!!宵越しの金は持たない党の無駄金費太郎に清き一票を!!』

 俺の呟きが聞こえているわけもなく、また聞こえていたところで止めるわけもなく、轟音は延々と続いていく。

 俺の家は幹線道路に面しており、買い物には便利な反面、こういう放送や暴走族のバイクの音が響くという問題があった。

「はぁ、うるせ。」

 俺は溜息を吐きながら立ち上がった。ゲーム機をスリープ状態にして出かける準備をし始めた。ちょうど向かいの家電量販店の開店時間だったからだ。選挙のアナウンスをこれ以上聞きたくも無い。ゲームを買いに行くついでにヘッドホンでも買うか。そう思いながら財布をバッグに詰めて外へ出た。

 面している道路は片側二車線の計四車線。それなりに広めの道路だ。横断歩道も少なく、七百メートルは歩かなければならない。だがこの時間帯、通る車が少ないのを知っていた。俺は道路に垂直に立つと、左右を見計って道路へ飛び出した。その方が早いからだ。

 それがまずかった。

 俺は逸る気持ちを抑え切れていなかったらしく、角を曲がってくる選挙カーに気づかなかったのだ。

「げっ。」

『ちょ、ちょっと!!車止めろ!!』

 俺が気付くと同時に、選挙カーに乗っていた無駄金何たらが叫んだ。だが運転手は気づかない。スマホをいじっているように見えた。むしろアクセルが踏まれスピードが上がった。

 まずい。

 この後起こるであろう恐るべき衝撃が俺の頭をよぎり、全身の鳥肌が立った。本物の恐怖とはこういうものだろうか。死というものを明確に意識した。

 父よ、母よ、妹よ、先立つ不幸を許せ。妹は居ないけど。

 そんな考えが頭を過り、その頭や体に選挙カーのフロントが触れるかどうかという瞬間、俺の意識がプツリと途絶えた。



 死んだと思った。次に目を覚ますとしたら天国か地獄のどちらかだろうと思っていた。だがそこはそのどちらでも無く、まして普段住んでいる畳敷きの六畳部屋ですら無かった。

 おどろおどろしい何かの儀式の部屋だった。詳しく知っているわけではなかったが、漫画で見た覚えのある、黒魔術の儀式の部屋にそっくりだった。黒蝙蝠が天井を舞い、天井も壁も黒く、時折脈動するように波打ち、赤く光っていた。背中の感触もどこか寒々しい。俺は何でこんなところに居るのだろう、そもそも何で寝ていたのだろう、直前に何かあっただろうか、記憶を掘り起こそうとした。だがその時は上手く思い出せなかった。眼前の光景が余りに衝撃的で、その理解に苦しみ、記憶の発掘に割く分の脳の処理容量が不足していた。普段目に入る光景と言えば、外なら高いビルにコンクリートの歩道。中なら木かコンクリートの床や壁。こんな薄気味悪い光景、子供の頃に行った遊園地のお化け屋敷くらいなもんだ。それがいきなり目に入ってきたら困惑するというものである。

「目を覚ましたようです。」

 唐突に、右の耳に女性の声が飛び込んできた。冷徹な、まるで機械のような抑揚の無い声。誰の声だと疑問に思ったが、そちらに顔を向けることはできない。頭も手も体も全身が紐か何かで張り付けにされていたからだ。

「せ、成功ですかな?それとも・・・?」

 左から男性の声が聞こえる。その声には、何かカタカタと何かが擦れ合う音が伴っている。

「お待ち下さい。・・・すみませんがアナタ、お名前伺ってもよろしいでしょうか。」

 状況が飲み込めない。そもそも俺は誰だっけ。いやそれは流石にすぐ思い出せた。

「名前?あー、その、一清にのまえ・きよしだけど。」

 他に出来る事もない。俺は普通に本名を言った。その言葉で左右の二人の声のトーンは一気に跳ね上がった。

「成功…ですね。」

 女性は冷静さを保っているようだったが、その声は先程とは異なり、喜びからか僅かに上ずっていた。

「おお…!!さすがジュゼ殿!!この手の儀式にかけては完璧ですな!!」

 男性は先程と同様に感情を顕にしている。相変わらずカタカタという音が聞こえる。この音を聞いた覚えがあった。確か中学の理科準備室の…。

「それは褒めているのですか?トンスケ。」

「勿論ですぞ!!これで我らの未来は安泰というもの!!」

「ま、それは確かにその通り。これで何とか首の皮一枚…という奴ですね。」

「我輩に首の皮はありませんがな。」

「ぷっ…骨だけに…ですか。」

「骨だけに、ですぞ。」

「「アッハハハハハハハハハハ!!」」

 何だかよく分からないが、皆楽しそうで何よりだ。ラブアンドピース。平和が一番だ。


 ハッと正気に返った。そんな事を言っている場合では無かった。

「待て待て待て、二人だけで何か盛り上がっているところ悪いが、これを何とかしてくれ。」

 俺は踠きながらこの紐を解いてくれるよう懇願した。

「む、失礼致しました。少々お待ち下さい。」

 そういうと女性はパチンと指を鳴らす。すると紐が一瞬で解けた。どういう手品であろうか。キョロキョロとしながら手を覗き込むと、何かがおかしいことに気がついた。自分の体では無いように思えた。というのも、俺の手は薄橙色をしていたのだが、今のそれは燃えるような赤々しい色をしていた。昨日寝る前に切ったはずの爪も鋭く伸びていた。爪は寝ている間に伸びるとは聞くが、ここまで伸びる程だろうかという程である。

「驚かれましたでしょう。」

 その声を聞いて、自分の体に驚いてばかりで忘れかけていたが、女性と男性がいた事を思い出した。俺は横たわっていた台座から降りて立ち上がり、

「まぁ、そりゃ驚い」

 そちらを振り向きながら感想を述べようとした瞬間、言葉を失った。

 まず女性。冷徹な声だと思っていたら、姿形まで冷徹というか、氷のようであった。肌は青白く、髪は真っ青。雪女が居たらこんな感じであろうか。

 そして男性。こっちは何と言うかもう、骨である。理科準備室の人体模型の骨である。あれが西洋の鎧を纏って歩いている。

 なんだこれ。コスプレ大会か何かだろうか。

 俺が困惑し二の句を告げられずに居ると、それを悟ったのか、雪女の方が口を開いた。

「心中お察しいたします。」

 ああどうもご丁寧に。

「ですが当方も色々ございまして。少々ご説明させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか。」

 よろしいも何も、説明して貰わないとこちらも困るというものである。頼むと言うと彼女は礼をして言った。

「私はジュゼ・トーン・リマイド。ジュゼとお呼び下さい。魔人族に属しており、氷と光の魔力を宿しております。こちらは死霊族、スケルトンのトンスケ。」

「よろしくお願いいたしますぞ。」

 トンスケとやらはカタカタと骨を鳴らしながら言った。

「あ、ああ、よろしく。」

 俺は卒倒しそうな精神を何とか保ちながら答えた。

「ところでその、魔人って何?」

「それについては後日ご説明致します。まずは貴方の置かれている状況についてご説明せねばなりますまい。」

「状況…?あ、そうだ。俺は、さっきその、車に轢かれて死んだはず。」

「それについてございます。さて、とは言いましたものの、どこからご説明したものか。」

 ジュゼと名乗った彼女は、手を顎に当て、数秒間考え込んだ後、再び口を開いた。

「少々お待ち下さい。ただいま貴方の世界の情報を取得致しますので。」

 そういうと彼女は目を瞑り、手を天にかざし、何やら呪文のようなものを呟いた。

「トクネ・コ・ドルーワ。」

 すると光が彼女の手から線のように溢れ、それが悪趣味な天井へと伸びていった。そしてその光の線が何回か明滅し、やがて消えると、彼女は再び目を見開いた。

「取得完了しました。そうですね、まずは貴方も理解されているかと思いますが、ここは貴方の元居た世界ではございません。ですので、今までの常識・価値観とは異なる場合がございます。その点ご理解下さい。」

 でしょうね。

「次に貴方の生死に関してですが、ご安心下さい、今そうしておられるように、貴方の精神は死んでおりません。肉体は死にました。」

「は?」

「私達が、貴方の精神を、車とやらに轢かれる直前にこちらの世界に引き込み、別の方の精神と入れ替えました。そのため、貴方は別の方の肉体に転生する形で生存しているというわけです。」

「あー、その、入れ替え、転生、ねぇ。…入れ替え?」

 理解が及ばなかったが、異世界に転生した事は分かった。だが引っかかったのは、"入れ替え"という部分だ。それは即ち、俺の代わりに俺の居た世界に向かった人がいるという事ではないだろうか。そんな疑問を呈すると、彼女は肯定した。

「その通りです。貴方の今の肉体の元の持ち主の精神が、貴方の元の肉体へと入れ替わりました。その後死亡が確認されております。精神は無事地獄に堕ちたようです。」

「じゃあ何か、俺の代わりに誰か死んだって事か。」

「ご自身を責める必要はございません。実行したのは私達です。貴方に非はありません。強いて言えば、そちらの交通ルールとやらを守った方がよろしかったかとは思いますが、私達にとってはむしろ好都合でしたので。」

 淡々と話す彼女の姿は、人一人が死んだ事を軽く扱っているように思えて、俺は少し怖く感じた。

「好都合?」

「ええ。そこについてお話し致します。貴方が今宿っている肉体は、この世界の魔界の王、即ち魔王様の肉体となります。」

「       」

 まおう?まかい?

「おや、この単語はご存知ありませんでしたか?先程学習した限りでは、創作物ではありますが、そちらの世界でも広く使われている単語のようでしたが。」

「いや知ってるけど!!知ってるけどさ!!実在はしねえから呆気に取られたっていうか!!なんだよ魔界って!!」

「それについては後日。と言いますのも、魔界の成り立ちなどについてご説明するには時間が必要ですので。今理解して頂きたいのは、貴方が魔王の肉体に宿っている、つまり貴方こそがこの魔界の王となっていると言う点です。貴方の肌が赤く、爪が鋭いのも、貴方が魔王、竜族の体に宿っているからです。」

 すごくりかいしたくない。でもりかいしてしまった。さっきから熱いと思ったのもそのせいか。俺の顔をじっと見つめ、俺が理解したのを読み取ったのか、彼女は続けた。

「結構。それともう少しございます。」

「まだあんの。」

 もう色々ありすぎていっぱいいっぱいなんだが、仕方ない。俺は聞く姿勢に戻った。どうも嫌な予感がしていた。この話を聞き逃すとロクな事にならないような予感が。もう既にロクな事になってないじゃないか、と言われると、そうですねとしか返せないのだが。

「ええ。とびきり大切な事が、三つあります。」

 三つもあるのか。ますます嫌な予感がしてきた。

「一つ、この魔界において、魔王は全魔界住民の直接選挙、即ち投票で決定する事。」

 …選挙?魔王が選挙?

「二つ、元魔王、即ち元の貴方の肉体の持ち主の支持率は極めて低く、一パーセントにも満たないため、落選する可能性が非常に高い事。」

 おいおいどんだけ人気ないんだよ。

「三つ、元魔王は非常に反感を買っており、魔王の座を降りたら我々魔界政府全員が殺される可能性が極めて高い事。以上三点です。」

「なんじゃそりゃあ!!」

 俺はとびきり大きな声を上げて叫んだ。聞いた事の無い単語の組み合わせばかりで頭が付いていけなかった。なんだよ魔界の選挙って。魔界政府ってなんだ。俺は頭を抱えた。痛い。手が角に触れてチクッとした。竜族と言っていたが本当らしい。

「あー、その、なんだ、くそっ!!どこからツッコんでいいのか分からん!!」

「イメージとの乖離がある事は心中お察し致します。」

「うるせえ!!大体なんでそんな魔王と入れ替えた!!これならいっそ轢かれて死んだ方がマシだったかもしれん!!」

「魔王と入れ替えたのでは無く、入れ替え先がたまたま貴方だったと言いますか。輪廻転生が無く魔法も無い、そんな条件を満たす世界で、偶然死にそうなのが貴方だったのです。」

 その言葉でピンと来た。全てが点と点で繋がった気がした。

「…謀殺か?」

「正解です。理解が早い方で私も助かります。」

 とんだ陰謀に巻き込まれたようだ。

 その後聞いた話から、細かい部分を省略し、彼女らに都合の悪い話も含めてまとめると、こういう事のようだ。

 魔界政府とやらは主に魔王と武大臣、知大臣の三人で構成されている。武大臣がトンスケで、主に防衛・外交を、知大臣がジュゼで、主に経済・財務を、それぞれ担っている。んでこいつら、魔王と結託して好き勝手やっていたらしい。

 こいつらと言ったが、正確にはジュゼだけだ。トンスケは真面目なのだが、見ての通りのスケルトンなので、舐められる事が多く、魔界政府からの地方の離叛を招くことになってしまったらしい。言うなればむの…頑張り屋なのだがちょっと足りてなかったという事だ。問題のジュゼは冷静だがその実金遣いが荒く、綺麗な宝石に目が無い。国庫に手を付けてまで人間界の宝石を取り寄せたとか、トンスケが言っていた。要するに、二人とも適切な人事では無かったというのが問題なのだ。

 しかし、それを上回る程に問題なのが元魔王、現俺の体だ。魔王エレグ・ジェイント・ガーヴメンド。天上天下史上最強と言われる程の圧倒的な力を持った魔王で、最初こそ物凄い支持を得て当選したが、蓋を開けてみれば自堕落そのもの。ジュゼを上回る金遣いの荒さで豪遊三昧、政治的な決断なんて何一つしなかったらしい。厄介なのは力だけはある事で、それを咎めた側近は全員殺されたとか何とか(それでジュゼにお株が回ってきたらしい)。結果、このままだと魔界が本当に滅びかねないところまで経済的に悪化し始めていたし、魔界の無政府状態の領域もどんどん広がっていた。流石にジュゼやトンスケも焦って進言したが、まともに取り合って貰えず、止む無く強硬手段に出た、というのが事の顛末らしい。無論、彼らの保身もあったのだろう。任期満了して魔王の座から退いたら、実力のある魔王はともかく、ジュゼやトンスケは今までの怠慢のツケを払わされる。それは最悪の場合、彼らの死を意味するからだ。…トンスケは死ぬのかは知らん。「死にますぞ。」そうですか。


 ともかく、その結果が今の俺の状況というわけだ。


 最悪の気分である。

 死を回避したかと思ったら、今度は生きているけど死ぬより酷い目に遭うかもしれない立場に置かれてしまった。

「という事ですので、是非ご協力下さい。私達も出来る限りの支援を致します。私も死にたくはありませんので。」

「…。」

 白々しいというか図々しいというか、元を正せばこいつらが原因なのにこの大きな態度、ある意味大物の風格と言える。彼女の豊満な胸はその態度の現れであろうか。いやそんな事はどうでもよろしい。容姿の話は置いておこう。

「そうだ、俺の肉体は最強なんだろ?魔法か何かでちょちょいのちょいとか出来ないのか?」

 俺が疑問を投げかけると、彼女は肩を竦めて言った。

「残念ですが、精神操作は選挙では禁止されております。それに、元魔王様はその手の呪文にはお詳しく無く、専ら破壊・破壊・破壊でしたので。」

 さいですか。俺は肩を落とした。

「加えて申せば、今の貴方は魔法を使えないと思いますので、それは難しいかと。」

 さいですか。俺は肩を…今なんつった?

「魔法は使えません。」

「なんでだよ。」

「魔法というのは、肉体に宿る魔力を、精神が行使する事で発動します。貴方の肉体には確かに壮絶な魔力が秘められていますが、精神がそれを使う術を知らないのです。貴方は魔法の使い方を知っていますか?」

「…当然存じ上げません。」

「そういう事です。残念ながら、貴方自身が貴方の肉体に枷を嵌めているというわけです。」

 最悪も最悪、超最悪である。残念な事が多すぎてまた俺は頭を抱え、ツノが刺さった。痛い。

「正攻法しか無いのかー。くっそぉー。」

「そう悲観なさらず。先程貴方の世界の情報を取得した際、貴方についても調べましたが、どうやらシミュレェションゲェムとやらを好まれるようで。」

「確かに好きだけどさ。まさかゲームと同じと考えろって言いたいのか?」

 ゲームと現実は違う事くらい、ゲーマー程よく分かっている。特にシミュレーションゲームというのは、あくまで現実の簡易化でしかなく、現実には存在するファクターが省略されている事が多い。故にゲームで上手くいっていたからといって現実で上手くいくとは必ずしも、いや、決して言えない。だがジュゼは違う考えを抱いているようであった。

「元の貴方の世界ならいざ知らず、ここは魔界。貴方のイメージと異なる点も多々ございますが、粗忽物が多い事は同じです。つまり御し易いという事です。全てとは申しませんが、ある程度は通用するかと思いますよ。」

「そう上手くいくかなあ?」

「そう上手くいくよう、我々がサポート致します。」

「頑張りますぞ!!」

 トンスケが両腕の骨を持ち上げて頭の横で拳を握った。ガッツポーズってこっちにもあるのね。それはともかく、俯いていても仕方ないのは確かである。少なくとも支持率、いや好感度さえ持ち直せば、死なずに済む可能性も上がる。

「はあ。…じゃあ何とか…頑張ってみるかぁ。」

 普通の生活に憧れていた俺が、まさか"普通"という単語から遥か彼方数億光年離れたであろう生活に追い込まれるとは想像だにしなかったが、もう今更あーだこーだ言っても仕方がない。やるしかないのだ。

「分かった。俺も全力を尽くす。よろしく頼むよ。」

「はい、魔王様。」

「承知ですぞ。」

「因みに、貴方が以前の魔王様と成り代わっているのはこの三人の間の秘密事項となります。決して口外せぬようお願いします。」

「分かってるって。」

 少なくとも今バレるわけにはいかない。恐らく支持率が低い今、魔界の住民が何故大人しくしているかと言えば、魔王の力に恐怖しているからだろう。「魔法を使われたら死ぬ」という前提が、彼ら彼女らの行動を阻害していると言える。そこで俺の正体がバレ、「今の魔王は魔法が使えない木偶の坊だ」という情報が入ってきたらどうなるか。最初こそその情報を疑うだろうが、やがて誰かが反乱を起こし、俺は無残に殺される。その可能性は低く無い。バレていいのはせめて支持率・人気度が上がってからだろう。そうすれば命だけは助けて貰えるかもしれない。

「頑張って魔王、やりますか。」

「その意気です。」

 ジュゼがその日初めて、俺に対して笑みを浮かべた。


「で、選挙は何年後?」

 最低でも一年あれば何かしらの対策は講ずる事が出来るはずだ。

「三ヶ月後です。正確には三ヶ月と三日後でございます。」

 ジュゼの返答は俺の想像を大きく下回っていた。

「本当にギリギリじゃねぇか!!もう少し早く動けなかったのかよ!!」

「申し訳ありませんが、私が就任した頃にはもう手遅れで、これでも最短で筋書きを書いた方なのです。」

「我輩がもう少ししっかりしておれば、もう少し…。」

 トンスケがヨヨヨと涙を流し始めた。空っぽの頭蓋骨のどこかから水が溢れている。一体出元はどこなのだろうと気になるが、今はそこは気にするものではない。

「分かった分かった。分かったから泣くな。じゃあ仕方ない。有権者の情報見せてくれ。それで戦略立てる。」

 そういうとジュゼがその日初めての焦り顔を浮かべた。

「えー、その、残念ながら…まだ…。」

「ゆう…けん…情報…?なんですかなそれは。」

 こいつらは死にたいのか死にたくないのかどっちなんだ。何の情報も無いのに選挙なんて出来るわけが無い。

「オーケーオーケー分かった分かった。じゃあ三日で今の情勢をまとめてくれ。必要なのはどんな種族が居て人口…魔物口?がどれだけあるのか、魔王を支持しているかどうか、まずはこの二点だ。いいか、頼むぞ。」

 俺が指示すると、「承知しました」と言い、二人は急いで部下に指示を出しに向かっていった。

 俺は今日一番の溜息を吐いた。

「どうにかなるのかなぁ、これ。」

 言ってはみたが、理解ってはいる。どうにかしなければならないのだ。俺は前向きにいく事にした。そうだ、魔王城にいるはずだ。ならば魔王の玉座にでも座らせてもらう事にしよう。そう思って、二人が出て行った場所から出ようとして気がついた。


「おいちょっと待て!!道が分からないから案内してくれぇぇぇぇぇぇ!!」

 その声は広い廊下と魔王城に響き渡ったが、数時間後にトンスケが迎えに来るまで、誰も来る事は無かった。



************



 まぁ、こんな経緯で、俺は今玉座で頬杖ついているというわけだ。

 自慢では無いが俺は普通の人間だ。こんな王様なんて考えた事もなかったし、まして選挙に出馬するなんて考えたくも無かった。だが実際にその立場に置かれてしまった以上、出来る限りの事はしなければなるまい。何せ自分の命が懸かっているんだから。

 俺は先日の話を聞いた後に考えをまとめた。俺が直面している課題は二つある。

 一つ目は、選挙に勝つ必要がある事。少なくとも不平不満を抱えた魔界住人一同にズタボロにされないように、不満を解消してやらないといけない。今の俺はロードスケルトンの体を持っている。魔力は肉体に宿っているらしく、色んな高度な呪文も、練習すれば使えるようにはなった。だがそれでもまだ慣れきっていない。一対一ならギリギリ何とか出来るかもしれないが、多数の住人に襲われれば如何にもならないだろう。つまり、攻め込まれるとアウトという事だ。それだけは防がねばならない。

 だがこれは、実は二つ目より優先度は落ちる。

 二つ目は、部下達、特にジュゼに寝首を掻かれないようにしなければならないという事だ。何せ異世界から俺を呼び寄せてまで謀殺した奴らだ。忠誠心は無いに等しい。身の安全が保たれなかったりすれば平気で裏切りかねない。こいつらを味方に付け続けないと、選挙に行く前に殺されかねない。

「はぁ。」

 俺は溜息を吐いた。選挙は今から三ヶ月後。それまで生き残れるのだろうか。先行きが不安ではあるが、やれる事をやるしかない。

「どうされました?」

「いや、三日前の事を思い出してな。」

「過去の事を振り返っても仕方ありませんよ。」

「…巻き込んだ張本人に言われるとイラっと来るものがあるな。」

「その怒りは選挙にぶつけて下さい。ところで魔王様、選挙資料の準備が出来ました。会議室へ。」

「分かった。…よいしょ。」

 俺は玉座から立ち、ジュゼの案内で会議室へと向かった。さあ、どんな酷い状況か見てやろうじゃないか。そしてそれをひっくり返してやろうじゃないか。

 俺は普通の人間だったが、今は魔王だ。普通の人間じゃ出来なかった事も、今じゃ出来るかもしれない。何事も前向きに考えようじゃないか。その方が人生面白いだろ?

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